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ある日猫となる 1/2  作者: 覚醒した通りすがりの人が行く
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ある日猫となる

“言葉遊びの天才と呼ばれる猫がいた。そうな。”というところから始まる、アクセスカウンター毎時10アクセス程度の、不人気同人小説サイトがあった。そこにアクセスすると、1日1度、ほんの気休め程度の内容が盛り込まれ、実際書いている、作家とも言えない、ただの派遣社員が更新しているのだが、「あのね。俺は、ほんと明治に生まれたら、そう、天才だったと思うんだよ。あらゆる意味で」とか、別のブログで暢気なことを言っている男が気休め程度に更新している。実際そのブログでも猫ばかりが出てきていて、コメント数は、その猫に対するものが多い。

 日曜日になると、それも、午後7時を過ぎると、だいたい明日のことが頭をもたげてくる。と考えている最中のコンビニ店員が、『あ、そういえば、今日、そんなに、大して、仲良くもない友達の誕生日だった』とふと思い出した。彼は、毎時10アクセスの程度のサイトを見ている者の1人で、『なんでこんなこと思い出してしまったのだろう』と、近所のスーパーに立ち寄り忘れようとしていた。

 その忘れようとしていた。そんなに、大して、仲良くもない友人”は、高校生のときに、机が1学期だけコンビニの店員である三太の前だった。その時は“まずまず、それなりに、仲が良かったかもしれない”。漫画も貸しあったし、好きなセクシー女優の話も気軽に出来た。『あそこが来る。あれがイク』などなどを語りあいつつも、嫌いな先生。好きな先生などを。LINEでやりとりしながら採点をつけてもいた。

 あの嫌いな先生は、まだ、数学の教師をしているらしく。好きな先生は会計士と結婚してしまった。なんてね?風の噂を聞きつつも、どうでもいいことだ。嫌いな先生は、どうでもいい。好きな先生が、会計士だろうが、野球選手だろうが、幸せな家庭を築いていること、それが大事だと思う…世知辛い世の中だし。

 三太は、今日はLINEが2通届いていた。返信はしなかった。1つは、1つ年上の、“そんなに大して美人でもないけど、ブスでもない。なんか、ちょっと惜しい敏子”さんから『シフト変わってくんない?』という連絡だった。

 敏子さん。という名前も、なんか、日本の食卓に出る高菜みたいな。いや、高菜ほどメジャーでもないけれど、なんか、古臭くて。良い。何かが匂ってきそうだ。

 少し肌も荒れているし、茶髪だ。ギャルというには及ばず、しかし清楚ではない。三太は、そういった微妙な部分を、どのように表現すればいいのか迷った。スーパーで、トイレットペーパーの最安値を捜しながら。

 

 三太は、もうすでに“あの友人”のことを忘れようとしていた。彼は誕生日だ。1年に1度しかない。貴重な日。でも、それを祝う人間が、三太ではないことは確かだ。いや、“サンタ”であれば、もしくは、“あの友人”は喜んだのかもしれない。それよりも、三太は、『なぜ誕生日を憶えているのだ?』と疑念を抱いた。このスーパーマーケットにある、トイレットペーパーの最安値よりも重要な、数字なのだろうか? 

 三太がスーパーマーケットを出る頃、子供が泣いていた。犬が散歩をしているように主人を引き連れている。日差しは夏の兆しを迎えており、少々暑い。すべてが面倒のように思えた。

 この休みの間に『何が起こるだろう?』と考える。あの“猫”は、言葉遊びの猫らしく、「ニャー」とも言わず、芸人ばりのお笑い口調で、まるで、自分を見透かしたように「退屈じゃね?」などと言うのだろうか。

 そのとき何をコメント欄に書いてやろうかと悩んだ。あのコメント欄で知り合った“ニューヨーク株式会社”という、そのハンドルネームだけしかしらない人は、「今日の猫の言葉で、今日が占えた多謝!」などと言っている。

 「あほか」とか、「そうだね」とか、「たしかに!」しか、実は三太はコメントしないのだが。最近それしか、コメントしないことに、ほんのちょっとだけ、注目を浴びるようになった。それに“ニューヨーク株式会社”は、わりと暇なのかコメント数が多く、なぜか、その“ニューヨーク株式会社”のどうでもいいレスポンスが気になり、そこで「なるほど」、「そうだね」、「イケてる」とかを書いているのだ。

 5文字以上は打ちたくない。という信念があったのも確かだ。そういう意味でいうと“ニューヨーク株式会社”の信念は、とにかく、拡大解釈をすることにつきている。 

 

――「今日は、掃除ができなかった」と猫が言い放ったので、掃除機で猫を追いかけた。


昨日、この一文で、“株式会社”はおおはしゃぎを始めた。とにかく、意味ありげに、そして、そのありげな部分も、見透かされてしまいたいという欲求に駆られているのではないかと思うほどだ。

 “株式会社”は「これは事件が始まる。完全犯罪の予兆が見える」とコメントする。

 三太は「ナイス」と。この文章に返した。

 この“猫”は少女なのだ。猫の気ぐるみを着るのが好きな16歳の女の子である。ただ、ここに登場する猫は、それだけに留まらない。あらゆる猫の怨念のようなものが世界に進行中の超非現実的な世界。

 この場面の“猫”を掃除機で追いかける登場人物は、中村猫という名のデザイナーである。35歳の設定だ。とくに名前が猫というだけで、猫に呪われている部分は、そこだけと言ってもいい。性格がロリータ好きでサディスティックなのである。業界では、怪しき招き猫のように、安い仕事をどっさり引き受けながら、外注のアルバイトをこきつかっている。

 三太は、これを“メルヘン”と捕らえていた。

 メルヘンを好む好まず、三太は、現実世界ではメルヘンと、名前からして因縁のようなつながりがあった。

 自分の父親と母親はメルヘンが好きだった。そして、長男なのに三太と名付けられた。幼稚園のクリスマスのときに、トナカイ役をやらされたとき、ひそかに母が笑ったのを、トラウマのように三太は憶えている。

 しかし、後になって、サンタクロースってメルヘンなのか?と自問したのは確かだ。

あの、“猫”に出会ったきっかけは、敏子さんが「これ知っている?最近私、これにはまっているの」とぶっきらぼうに休憩中に、デコデコしいiPhoneの中を見せられて「私、猫好きなんだよね」と突然、告白されたことがきっかけだった。

敏子さんは化粧をしないと、まるでおばさんのように見えるときがある。ガングロ店員と、一部では噂になっているが、それほどガングロではない。蛍光灯がきっと明るすぎて、白すぎたのだろう。歯が白いので、目立つのかもしれないが。

 敏子さんは、コメントを書く際も敏子。として登場する。

 「え~、考えるの面倒だし?なんでみんなニックネームつけてるか分からない」というのだ。

 敏子さんのコメントは、別にたいしたことはない。というか、「猫かわいい」としかコメントしないのは確かだ。しかも、コピペで、一瞬で、貼り付けるだけ。


かくいう三太も、サンタで、登場する。


「なんでカタカナなの?」と敏子さんは言う。

  

たまに、敏子さんと、三太だけのコメント時には、次のようになる。

「猫かわいい」「ナイス」「猫かわいい」「ロンゲ」「猫かわいい」「ウザイ」「猫かわいい」「砂漠」…

  

“砂漠”って何?と

そんなことすら、別に、誰も気にはしないみたいだ。


 トイレットペーパーを部屋に置く。まるでオブジェのようにそそり立ち、猫禁止アパートで、猫にトイレットペーパーを投げつけたい。と思ったりする。生活は少しずつではあるが猫に毒されていた。あのサイトを見るようになってから、月に1度くらいペットショップに立ち寄ることもあった。

 街の書店には猫の写真集もあり。そこで立ち読むこともあった。『こんなに悩むくらいなら猫を飼うべきなのではないか』と思ったときもあるが、部屋にいなくても、町中に猫はいた。

 このスーパーマーケットから、この部屋にたどり着くまえにも猫を見かけた。

 彼らは、無関心と監視を同時に行なっているような目で、こちらを見ている。

 「ニャ~」ともいわず、じっと見つめる、その猫は、横断歩道を渡るか渡るまいか、悩んでいるように見えた。

 車はとくだん走ることもなく、渡ろうと思えば渡れるはず。

 しかし、その行く先にいる、“ちょっとこっちを見ている三太”を警戒して、渡れないようだった。

「この世界の“猫”と、あのサイトの“猫”のつながりとは?」と、少しだけ考えた。考えて、部屋までたどり着き、そして、『こんなに猫に支配されるくらいであれば、もう1通目の返事をするようにしよう』と決意した。

 それは、“そんなに、大して、仲良くもない友達”の知り合いが、『今日、引っ越しをするから手伝ってくれ、至急!』というものだった。

 彼は、あの友人に比べれば、それなりに、今は楽しい関係かもしれなかった。

 いや、だからこそ『今日は、眠い、寝る』と返した。

 そして彼の返事は『了解!』

彼は、いい奴だと思った。


いつから、「了解」というのが、そこそこ、ある程度無難な返事として認知され始めたのだろうか?ときどき、あのサイトでも「了解」と使うことがある。大抵。よく分からないけども。分かってくれたんだな。的なニュアンスで認知されればいいかなと思うときはそれを使うようにしていた。

また、その言葉を使うときは、無気力になっていることが多い。猫の小説も、たいした展開も見せず、コメント欄に投稿するのも面倒だ。だからといって、ここではなく、Xや、フェイスブックなるもののところで、何かを急いで共有したいといった話題も何もなかった。

『野良猫でも探しにいくかな?』といった雑念が襲ってくる。この際だから、猫の映画とか。猫に関する文献などを、調べてもいいと思ってもいた。

猫を主題にした絵。猫を主題にした彫刻…

 

あるいは…芸術家や有名人と猫の関係…


それは、壮大な冒険になる匂いがした。ふいにベッドから立ち上がる。


そもそも猫は、いつの時代からいて。そして、猫は、いつの時代に何をしていたのだろうか? 


そのときに不意に親父の言葉を思い出す。

「“ピンチになったときはメルヘンを思い出せ”」

別に、今“ピンチ”ではない。しかし、この言葉は何かしら示唆に飛んでいる。


少なくともメルヘンにある世界に登場する猫は、その当時から風刺されたり、擬人化されるなどする対象として存在しているはずだ。


猫の専門家の知り合いはいないし、仮に、あのサイトに呼びかけるというのも、それはそれで、非常に野暮な気がした。


大学時代に<広告研究会>で知り合った、中村さんに何か話しを聞いてみようかとも考えた。


中村さんは現在、デザイナーとして雑誌のデザインなどをしている女性だ。彼女の家の近くのコーヒー屋で、20分くらい待たされて、中村さんはやってきた。

「あいかわらず暇そうね」

「あ?すいません。こんな話に乗ってくれそうな人、中村さんくらいしか思いつかなかったんで」

「そう?暇そうに見えるのかな私」

「いや、暇そうというか、こういう話題に食いついてくれそうかな。と思って」

「そうよね~。そうなのよね~。なんか、なんでなんだと思う?私、やたらと相談されるんだけど、別に、特に何も考えてないんだけど。そういえば、コーラ。なんでコーラなの?」

「え?」

「別にいいけど、ここのコーヒー美味しいって、さっき言わなかった?」

「そういえば」

「まあいいけど、で、何?猫?猫については、私、そんなに詳しくはないよ」

 中村さんは、コーヒーを頼んで、ざっくばらんな感じで、そう言った。

 「詳しいとか、そういうのは求めてなくて、入り口として、中村さんだったら、どこをきっかけに猫に入っていくかという相談です」

 「猫に入る?アハハ。面白い表現ね。もう少し、噛み砕いて説明してよ」

 「ん…説明するのは難しいですね。僕、今、ちょっとだけ、同人小説のサイトを見ていて、そこで猫を主題にした、テキトウな小説を見て、コメントとかしているんですけど、そのあと、そんなに興味のなかった、猫に急に興味が沸いてきて。ただ、飼いたいとか。そういうんじゃないんです」

 「ふ~ん。じゃ何?手短に」

 「まあ、猫をきっかけに、冒険めいたことができないかと」

 「冒険?何?冒険なんかをしようとしているわけ?ますます、私に相談することじゃないんじゃないの?」

 「別に、テキトウでよくて、そこが今巷で噂になっている猫カフェに行きなさいとかでもいいんですけど」

 「猫カフェねぇ…」

 中村さんは悩みはじめた。悩み始めたとき、中村さんは、この話題について興味を持ち始めたことを意味する。悩みはじめると、中村さんはとたんに、周りが見えなくなる。という。仕事のときもそうらしく、電話もとらないとのことだ。

 中村さんがしばらく悩んでいるうち、外を眺めた。猫はいないかな?といった程度のものだ。しかしここでウォーリーを探せといったように、猫の要素が、どこかにないのか、急に気になり始めていた。

 …まさか、まさかとも言えないし、いや、ある程度のことは分かっていたが、すでに“猫”らは、この世界にかなり侵食しているのではないか?何気なく中村さんが、チョイスした店に、もし、何気なく“猫”の要素があったとすれば、それは、非常に、マズイことになるかもしれない。

 そわそわしはじめる。

 「難しいわね。思ったより、それって、哲学的なことじゃない?」と中村さんはしぶしぶ言う「私の実家にも猫がいるけど、とくに、そんな猫で冒険しようなんて思わなかった。でも、猫で冒険することって、猫と一緒に冒険するってこととは違うんでしょ?」

 「まあ。漠然とですが。そうです」

 「猫を入り口にしてでしょ?私が、例えば、小さくなって、猫の口の中に入って、その中を冒険するとかでもないのよね?」

 「それもなくはないですけど、違います。言うなれば、猫の世界地図が欲しいと思うくらいです」

 「え?猫の世界地図?…面白いこと言うね…でも、私、猫とお散歩コースっていう仕事をしたことがあって、そういうのでいいなら、全然情報としては、あるけど」

 「入り口としてはいいかもしれないですね」

 「そう?じゃあ、そうして。で、冒険が終ったら、私に報告してね。どんな冒険だったのか。なんとなく三太君なら、誰にもなしえなかった、猫を入り口にした冒険…まあ、おかしな話だけど、できそうな気もする」

 中村さんは、今日は猫の絵柄の入ったTシャツを着ていた。

 しかし、それには触れないことにした。


中村さんが去年デザインしたページを眺める。猫と散歩するという、非常に、個人的にはタイムリーな特集だ。女性向けに描かれていて、“休日に戯れる猫とのすごし方”が書いてある。

 この地図は、猫の世界地図の規模で言えば、かなりの地域限定版ということになるが、とくに世界中を旅してみたいといった気持ちでもなかったので、それなりに満足な気はした。

 そもそも、犬と違い、猫に首輪をつけて、散歩する人をあまり見たことはない。猫は気ままに外にでかけて、気ままに外をうろついている。というのが、端から見ている印象。

 中村さんからもらった雑誌では、猫を抱きかかえて、公園で、インタビューをされている主婦がページに載っていた「犬と違って、戻ってくるか、結構分からないこともあるんですけど、戻ってくれると、すごく感動します」

 と書いてある。不安げに、写真では、人気のない公園で、歩いている猫。それを待っている主婦。

 人気のない公園。というのがまず、猫にとっては、非常に良いらしい。

 彼らは、そういった人気のないところに身を隠し、街を探訪している。駐車している車の陰から、あるいは、電信柱の後ろから、身を隠しつつ、移動をしているということだ。


猫「超能力を使えるの?」

中村猫「どんなレベルの話?」

猫「いろいろ、空飛べるとか、そんな感じの」

中村猫「まあ、できるよ」

猫「できるの?」

中村猫「そうそう。できる」

猫「マジで?」

中村猫「信じられない?でも、信じるか信じないかは別としてね。俺は魔法を使える」

猫「本当に?」


中村猫が魔法使いという設定になったことには賛否両論だった。まず、こんな現代的でサディスティックな魔法使いなど、いてほしくない。といったような意見。


猫「例えばどんな魔法?」

中村猫「皆知らないうちに、魔法はいろいろ使っているんだけどね。それに気がついていないだけなんだ」

猫「え?」

中村猫「俺も魔法使いであれば、君も魔法使い。そういうことだね」

猫「何?そんなオチ?」

中村猫「詳しく説明することはできないが、今君が猫の気ぐるみを着て、なんの違和感を感じていないことも、実は魔法の一部なんだ」

猫は驚いた表情をしている。

中村猫「そうだろう?君は、知らないうちに猫になりかけている、しかし、それは、もはや止めようもない。そういった魔法なんだ、メルヘンみたいにね!」


三太は、この中村猫のセリフに過激に反応した、「デキル!」とか「イケテル!」といった賛辞を書き連ねた。


◆ 

猫「じゃあ私。このままだと本当に猫になってしまうの?」

中村猫「そうさ。気ぐるみが、実は少しづつだが、本当の体の一部になり始めていることをまだ気が付いていなかったのかい?」

猫「そういえば、手が洗いにくくなっているなとは思っていたけど」

中村猫「そう、その手はすでに肉球化し始めている。君は、お箸をにぎることができなくなりはじめているのだ」

猫「この魔法は解けないの?」

中村猫「君の解き方については知らないが、本当に知らなかったのかい? ずいぶん暢気なものだったね」

猫「でも、アナタは、肉球化もしてないじゃない?どうして?」

中村猫「俺にかけられた魔法は、名前に対する猫の魔法さ。だんだんと名前が猫へと近づいていくという、そういう魔法なんだ。いずれ苗字がなくなってしまうんだよ?最初は猫ではなかったんだ。俺は中村猫ではなく、中村悟だったんだよ。でも、どうだい?悟が段々と猫っぽい文字へと変わっていくんだ、免許証であるとか、なんであるとか。今でもうっすらと悟だったというのは覚えているのだけど、このままいくと俺がかつて悟だったことも忘れていくかもしれない。悟君と呼ばれていた過去すらも、猫君と呼ばれていた過去へとすり替わっていくんだ」

猫「別にいいじゃないそんな程度なら」

中村猫「それだけじゃない。俺が猫君と呼ばれて返事したときの記憶の回答すら段々、猫っぽい感じへと変化しているんだ。これは、総じて言えることなのかもしれないが、入り口は違うが出口はきっと同じかもしれないということだね」

猫「じゃあどうするの?」

中村猫「どうしようもない、今この世界は、刻一刻と猫へ、猫へと進んでいるんだ。キャットフードを買い占める日も遠くない」

猫は、思い出したように、

猫「でも、アナタも魔法使いなんでしょ?」

中村猫「そうさ。でも、いい魔法使いじゃない、どちらかというと不幸の手紙みたいな、伝染病みたいな、吸血鬼みたいな能力さ。人を猫化させる能力を持っている。そして君もね」


三太は猫が、もう少し能動的で、超人的なキャットウーマンみたいになってほしいなと思ってはいた。また、彼らは、日々猫へと近づいているものの、取り立てて、その能力を、悪者を退治するなどの積極的なものへと利用しようとしていない。受動的な超能力。いや、被害者であり加害者的な超能力だ。


猫「じゃあ、私の魔法を受けてくれる?」

中村猫「それはできない、猫の魔法は二重には受けられないみたいなんだ。どちらにしても最後は同じだと思うし」

猫「つまらない」

中村猫「どうする?この魔法を解きにいくため、表に出ていってみるかい?」

猫「面倒。解いたら、この肉球の手も戻っちゃうんでしょ?」

中村猫「そうだね」

猫「それは嫌。もうちょっとだけ猫化してみたい。それに私猫好きだし」


 呪われた魔法すらも好きになってしまう。眠り姫は実は、眠ることが好きな姫だったら、ずっと眠っていた方が幸せなのではないか。といったようなそういう話…か。

 三太は、このような蛇足的な部分を非常に好んだ。童話の中で、もっとも無駄と思える部分だけを子供の頃頭の中で反芻し続け、そして、子供らしくそこから、物語から逸脱し、空想上の話が勝ってに展開していくこともあった。

 

以前知り合いに、そのような話をしたとき、そのいけ好かない、アート家気取りのフリーターの隆君がこう言ったことがあった。

隆「それは、オマージュに似ている。いっそのこと書いてみろよ。その先を!」

「なんの先?」

隆「御伽噺の先さ!桃太郎が鬼が島で鬼を退治した3年後。どうなったのか話してみろ」

「僕は日本の童話は、門外漢なんだ」

隆「ふーん。まあ、俺も興味ないけどな。ただ、桃太郎の子供が桃から生まれ続けるとなると。それはそれで怪奇現象じゃん」

隆君は、こういったくだらない話を広げ、荒唐無稽なレベルまでに落とし込むのが非常に好きな人間だった。

隆「いいか?血っていうのは争うことができない。桃から生まれたら桃から生まれ続けなければならない。猿から生まれたら猿さ。人間から生まれれば人間。よく映画でもあるだろ?スーパーヒーロー生まれは、スーパーヒーローにならざるをえないみたいな」

「じゃあ猫は?」

隆「猫?猫は猫だろ」

「喋れる猫は、ずっと喋れる猫なのかい?」

隆「きっと、そうだろうな」

「じゃあ、猫化している人間はどうなんだ?」

隆「ちょっと待て。“猫化している人間”が、その次どうなるかまでを、俺に言わせるのか?それは、ちょっと、厳しい問題だぜ」

「眠り姫も、魔法からさめた姫は、ただの姫じゃないのかい?その姫から生まれる姫は不眠症かも」

隆「ふうむ。なるほどね。いや、どうかな。姫から姫は生まれるんだ。いや姫は人間だから、人間から人間が生まれるのさ!俺の言いたいのはそこさ」

隆君の非凡そうな平凡な話に飽きてきた三太だったが、この日のことは良く憶えている。


たまにあのサイトでは、突然展開的に無駄に格闘シーンになることがある。これはどこぞの少年漫画雑誌かのような展開だが、その格闘へ進むシナリオがあまりにくだらないため、そのくだらない過程について着目する人も多いようだった。

猫「あの~。味噌汁の味が薄いんだけど…」

このような多少の不満が出たときが危険。すなわち格闘へのサインになる。ちょっとでも不満をたらすと、この国では猫がじゃれあうように喧嘩…いや格闘をしはじめるのだ

まるで格闘ゲームかのように。

中村猫の目がキラリと光った。

中村猫「私は薄味派なのだ」

猫「何?薄味派だと!しかもこの肉球の手では、持ちにくいのに、そのフォローさえあまりしていないとは!」

中村猫は仁王立ちで「その肉球パンチで、いったい何ができるというのだ? むしろこっちの体力が回復してしまいかねないのだぞ!」

猫は、キラリと目を光らせ「私の肉球パンチをなめるなよ。そんじょそこらのやわらかさではないのだ。逆に悩殺してやる!」

と猫が、時速10キロのパンチを繰り出す。

それを、わざと受けてぶっとぶ中村猫。

中村猫「ムムッ~、なるほど。これはまずい。毒を受けるがごとく力が抜けていくではないか。戦意喪失が、狙いなのか!」


 サイトの反応では、「じゃれ付いているのだけではないか」「早くヤッちまえいろんな意味で」「猫のおっぱいはすでに2つではないかも」「ナイス」「猫かわいい」「本当は猫舌だから猫は怒っているんだろ?」「それにしても、このメオト漫才いつまで続く?」「猫はともかく、中村猫はちゃんと仕事をしているのか?」「これはちょっとしたサザエさん方式を応用しているらしく、いつも仕事帰りの場面から始まっているみたいだよ」「ご親切に」「最近2人の話多くね?というかだけじゃね?」「2匹の話になる日も遠くはない」「いや、そういう話なんだろきっと」「冒険は始まったばかり」「冒険なんかするタイプか? ずっと家でごろごろしているタイプだろ、あの2人は」「家の中でも冒険はできる」「なんの冒険?」「知らね」「庭とかじゃね?」「あいつらの家が、お屋敷だったらの話だな」「想像力豊だね」「この話は猫と中村猫の話を通してしか描かれていない。実に興味深い」「どこが。手抜きやろ」「猫かわいい」「髭」「髭ってなんだよ」「眉」「ほっとけ」…


 どこぞと知れぬ猫の同人小説サイトだけでも、こんなに人々は熱心に議論している。別に、これが猫でなくても、犬でもよかったのかもしれないし、トイレットペーパーでもよかったのかもしれない。でも、彼らは、とりあえず、ここの猫でなければならなかったのかもしれない。この街でよく見かける猫ではない。あのサイトにいる、猫に呪われた登場人物たちについて、執着しているということなのだ。

 敏子さんに、たまに、ここで書かれている小説の内容について聞くと、大抵うわのそらで「よくそんなこと知っているわね、暇なの?」と切り返されることもある。

 「まあ暇なんでしょうね」

敏子「っていうかさ、たまには5文字以上書いてみたら?どうなの?」

 「いや、面倒じゃないですか、敏子さんだって考えてみれば5文字以内でしょ。いつもおんなじ言葉だし」

敏子「あれ以上必要ないし」

「読んでなくても使える言葉って、俺も使いてぇって思うことありますよ」

敏子「じゃあ、私にお金払ってね」

 「まあ、使ったら」

敏子さんとは職場以外では話すことはほとんどない。

ただ、敏子さんは多分優しい人だと思う。くだらない話でももとくに嫌な顔することなく、聞いてくれるタイプだ。しかし反応的には「猫かわいい」といったような薄味の反応でしかないけど。


とりあえず、本当に冒険を始めることにした。いや、本格的に、してみようと思った。

そして一歩踏み出した。

冒険は一歩踏み出したところから始まると。言い聞かせてみた。これから数多くの屈強な猫たちに出会うかもしれない。数々の魅力的でグラマラスな猫も登場してくれるのかもしれないと思うと、それなりにワクワクしてきそうだった。

まずはじめに、この街を猫の目線で眺めることからはじめる。猫と名のつくもの。そして、実際の猫たちとの関係…

 

その日に、調査を始めてみることにした。

調査は、まず、足から始まる。

ペットショップか。もしくは猫を飼っている知人宅に襲撃か。迷うところだ。

そもそも猫と共同生活をしているというところで、すでに、そこは人間と猫の関係ではなく。猫と人間の関係になっていることに気が付いてないのかもしれない。

まるで家族のように猫がいる。

日本中にそういった家庭はごく一般的に存在するはずだ。

ミケとか、タマとか。そういった名前で。

国民的な漫画にすら登場している。

彼らに野心はあるのだろうか? 

あったとして、それを探ったとしても、猫自体から攻撃を受けることはないだろう。ただ、それを囲む方々から、もしかしたらとは思うが…


非常に危険なことをしようとしているのかもしれないと思い始めた。これは、冒険の匂いがし始めている。猫と、猫に関わることを調査するということは、下手なやり方だときっと、マズイ。

まずは、タブーを犯してでも猫を自分で手に入れてみたらどうだろうか。((今住んでいるところは猫禁止のアパートだ)


…いやいや、発想を変えてみよう。


猫を飼えないとしても、猫愛好家にはなれる。猫のTシャツを買い。猫を題材にした漫画とか映画が好きになるとか。


…ただ、それも、いきなりは違和感がありすぎだ。


とりあえず長崎に連絡をしてみることにした。彼は、野良猫を拾い。そのまま飼っているだけなのだが。


「なんの変哲もない猫なんだよね」

長崎「ああ」

「なんか、突然すまんね」

長崎「うん」

「かわいいとも言えるし、普通とも言えるよね」

長崎「ん?まあ。で何?俺の元気君になんか用?」

「元気君ってさ、そもそも、なんで元気君?」

長崎「テキトウだよ。元気っぽいから」

「あ。そうなんだ」

長崎「で、それだけ?それだけの用事?」

「いや、ちょっと馴れ初めを。っていうか、拾ったきっかけをさ」

長崎「なんで?」

「別に。なんか、暇だから。っていうか、聞いちゃいけない感じ?」

長崎「んなことないけど、三太ってそもそも猫好きだったっけ?」

「なりかけているのかも」

長崎「俺は別に好きでもなかったし、今もそんな好きじゃないけど。それに、この猫俺が拾ってきたわけじゃない。元カノが拾ってきてさ」

「そうなのか」

長崎「そうそう。なんかね。別に、テキトウに拾ってきたんだと思うんだよ。しかも、そんなに愛着も拾ったあとなくて、結局おいてきぼりだよ。別れた後も。俺ももう一回捨ててやろうかとも思ったけど。なんとなく。それも面倒で」

 「なるほどね」

 長崎「まあ、そういうんで、いるんだなコイツは」

 元気君の背中をなでる長崎。

 長崎の元彼女は、かわいい女の子だった。ファッション誌の読者モデルになりそうな、ふわっふわっした綿毛のような女の子。

 僕らの間では、賞味期限長くて2ヶ月と踏んでいたが、結局半年長崎と元彼女の関係は続き。僕らの間では、長崎はヤル男だ。という評価につながった。

 しかも、今でも、ちょっとした付き合いがあるらしい。

 思い出してみると、長崎の元カノは、猫みたいなとはいえないが、ウサギみたいなぴょんぴょんふわふわと、気ままに野原を飛び回るような女の子で、まずもって、このような優柔不断な、お気楽な女の子は苦手だなと僕は思っていたことがある。

 口調も、

 「あ、そうなんですかぁ~」「ふ~ん」

 とか、とらえどころのない言葉ばかりの連発なのだ。

 長崎がどのようにして、彼女とコミュニケーションをしているのか不思議だったこともあるが、もともと長崎も口数が多いほうではない、ボーっとしながら、なんとなく、生きているみたいな。そういう雰囲気のある男なのだ。

 だから2人そろっているときは、その、なんとなくふわふわっとした感じと、もやっとした感じが合わさって、時間の感覚がおかしくなるような感じを味わったことがある。

 思えば、今回の猫の冒険さえなければ、長崎と話をしにいこうとは思わなかったはずだ。

 「それよりさ、三太、お前最近何してんだよ?」

 「いやバイト、コンビニで」

長崎「そうか、で、他人の猫のことが気になっている…大丈夫なのか?」

 「大丈夫って?」

長崎「ふらふらしてるっていうかさ。まあ、俺が言うのもなんだけど」

 「まあ、いいじゃん。ちょっとした興味本位でやっているだけ」

長崎「心配だなぁ。お前凝り症だから、ヘンなマニアみたいにならないでくれよ」

 「まあ、ご心配はほどほどに。でも、個人的に収穫はあったよ」


人は何かを通していつも物事を見ている。それは尺度と言ってもいいいし、眼鏡と言ってもいいし、性格と言っていいのかもしれない。

 だから、猫を通して現実の世界を見る。というのも中々面白いものだと思った。

 猫と人間の係わり合いを見ることによって、見えてくるものがあると長崎を通じて確信できたのは大きな収穫だった。

 

急に中村さんから電話があった。

 中村「その後、冒険はどう?」

 酔っ払っているらしい雰囲気だ、飲み屋のうるさい声が聞こえる。

 「まだ始まったばかりですよ」

 中村「そう。あのね。ちゃんと逐一報告しなさいよ。私に、その冒険を」

 「えっ。あ。そんなに興味があるんですか?」

 中村「あるに決まってるでしょ!近頃冒険しようなんていう人あんまり見かけないけど、三太クンは、よく分からないけど、それをしようとしているみたいだし、今の時代に中々冒険なんて、聞けない話じゃない?人類はもう月までいっちゃっているし」

「そんな壮大な話じゃないですよ。僕のは、町を歩くだけで、だいぶ満たされちゃうような、そういうレベルです」

中村「壮大かどうかは関係ない!匂いね」

「は?」

中村「あのね。冒険っていうのは、限界を超えるための挑戦なわけ!わかる? 今から南極に行こうが、サバンナに行こうが冒険じゃないのよ!わかる?」

「はあ…」

 

 このあと、中村さんは、まったく冒険とは関係のない、仕事のグチの話を20分ばかりしはじめた。


 そのときは「はい」「そうですか」「大変ですね」「分かりますよ」「なるほどね」「えらいな~」「僕にはできないな~」「すごいですよ」「そいつが悪い」「中村さんが正しい」…みたいなことを散々テキトウに返事を返し続けていたが、


突然、「私、明日から猫飼うことにしたから」と言われ、電話を切られた。


 犬を飼う人と、猫を飼う人には、それぞれ理由があると思うが、猫を飼う人のほうが、より、なにかしらの理由があるはずだと考え始めた。

 愛想もそれほどよくない、気ままに歩き回る彼ら。利口そうな顔でこちらを観察しつつ、すぐにプイっと顔をそむけるそんな彼らにあえて手を差し出し、家に招きいれ、生活を共にする。


 サイトを捜すと、まず猫を一つのコミュニケーションツールとして、飼っている人もいるようだ。“うちの猫自慢”的な。猫を飼うことによって、普段つながりもないはずの、猫を飼っている人とのコミュニケーションが計れる。

 エサの話、血筋の話、性格の話、病気などなど…。

 まるでわが子のことを話すかのように、猫と幸せそうな自分の顔をアップして、それぞれで情報交換している。

 

 中には「猫と猫のお見合いをしよう!」とか、そういった話も、当然出てくるわけで、それは、それなりに、わが子が結婚するよりもすごいとは言わないまでも、必然的に家と家の関係になりやすいので、そこは、多少慎重みたいな。そういう雰囲気も出ている。


 「嫁にやるってどういう気分なんですか?」といったような素朴なレスも入っているし。


 美人猫、イケメン猫のランキングも随時更新され、そして、それぞれに求婚数などが表示されている。


 トップの猫は、やはりモデルのようなきらびやかな顔とオーラをまとっていて、その猫を飼っている人も、それなりにタレント性みたいなものを持ちえているような雰囲気があった。

 

 猫「猫いつから飼い始めたの?私の知らないうちに」

中苗猫「ん?違うな、それはかつては、掃除機だったんだにゃ」

 猫「え?」

 中苗猫「ん。ごめん、ちょっと呂律が最近だめなんだが。そこにいるのは掃除機だったはずなんだ」

 猫「じゃあ、掃除機は?」

 中苗猫「にゃい」

 猫「だって、大変じゃない。掃除できないなんて」

 中苗猫「そうだ。実にね。まずい、この家の中にある、あらゆるものが猫へと一元化しようとしている、散歩に出ない?」

 猫「それは別にいいけど。この掃除機心配じゃない?エサは?」

 中苗猫「掃除機も連れて行こう」

 猫「そうね。とりあえず」


 家の外に出ると、そこは庭だった。

猫「どうする?最近なんか二足歩行が面倒になってきているんだけど。どう思う?」 

中苗猫「そうだな~。自然の摂理みたいなものかな。老いていくように、僕らは猫になっていく。それを不自然に避けるのは、やめたほうがいいのかも」

猫「で、この掃除機は…本当に猫になりたかったのかな?」

中苗猫「それは、未来の僕らの姿かもしれん。だけど、掃除機と猫の世界で、喋れるなら、それは、それで面白くないかにゃ?」

 猫「そうね~。まあ、それは面白いのかも。だけど、家中が猫になろうとしているのを考えると、ちょっとぞっとする」

中苗猫「そうだね、今日床が、絨毯ぽくなっていたけど、家全体も大きな猫になりはじめているのが分かってさ、それで、散歩に出なきゃさすがにまずいかにゃと思ってね」

 猫「猫になったら、ずっと猫なの?」

 中苗猫「どうなんだろうね?猫の次は犬になるのかもしれないよ。だけど、今はひたすら猫へ近づいている」

 猫「そっか」

 中苗猫「ただ、もしかしたら、僕らは、猫になったら、話がわからなくなるかもね」

 猫「え?」

 中苗猫「そう。きっと掃除機とは話せるようになるとは思うけど、逆に君とはね」

 猫「そのときは、ニャーって、ニュアンスで気がついてよ。怒ったらにゃ~!!っていうし、わからなければにゃ?って言うから」

 

 不覚にも、この場面を読んで、三太は涙がこぼれそうになった。こんな、感動的な場面があるとは。とりあえず「感激!」「名作!」とかその手のことをズラズラ書いた。

 だが、賛否両論「さぶい」「きもい」「しーん」…といったようなものまでさまざまだ。

 それはそれで、別にどうでもいいことだと三太は思っていた。


 夜中に中村さんにファミレスに呼ばれた。ここのところ荒れているのか?

中村「で、なに、さっきから…様子を伺うみたいな…」

 「いや、その、なんなんすか」

中村「いい?とりあえず、黙ってそこに座っていればいいのよ」

 「え?」

中村「ほら、なんか一人で夜中に、何か食べるとかって、なんかシュンとするし、でも、特段誰も相手にしてくれない日って一年に何日かあるでしょ」

「はぁ」

中村「それだけ…分かった?」

「あ、なんですか?寂しさ紛らわすための?」

中村「寂しいんじゃなくて、シュン。分かる?」

「なんで、そんな怒ってるんですか?」

中村「最近イライラすることが多くて。それでシュンとなると、なんか最悪だし、別にいいよ。気をつかわなくても、ほらほら、食べて食べて」

中村さんにしては珍しいほどのイライラぶりだ。

「うまいっすね」

中村「むかつく!そのテキトウな発言」

「え?」

もそもそと食べる。なんかやりつらい話だ。面倒な空気だ。なんなんだ?いったい。八つ当たりの標的か?

しばらく、しーんとなる。ほかの客席は比較的楽しげな会話が音楽のように聞こえてくるが、いきなり、目の前は沈黙の重い雰囲気になっている。

 何をしゃべろうか、さて。

 いまさら猫の話題をふっかけても乗らない雰囲気だし…

 とりあえず中村さんが喋るまで、黙っておこうと思った。

 たぶん中村さんは目の前に知り合いが1人いて、もそもそと食べていれば、それで落ち着くのだろう。


……

 

この状況って。まさか、猫みたいな?


 まさかね。


 とはいえ、何も喋らず、食べていると、なんか、一人で何かを食べているよりももっと変だ。


 何か喋ろうとする雰囲気を発すると、中村さんがにらみつけてくる。


 どんな、食事だ!と思うが、これ以上面倒な話になっても困るし、1時間くらいの我慢で済むならね。


 とりあえずトイレだ。と思った。

 そしてそそくさと席を立つ。


 中村さんは浮かない顔をしていたが、5分ばかり便座に座って眠りそうになって、戻ってみた。


中村「猫が逃げたの」 

「え?」

中村「だから、猫逃げた。初日にして」

 「そうなんですか」

中村「どうすればいいと思う?」

 「え?その、張り紙とか」

中村「そうよね。張り紙も考えた。でも勝ってに電信柱とか、人の家の壁とかに、漫画みたいに貼れないじゃない?」 

 「確かにそうですけど」 

中村「今日ピーコがいたら。三太君を呼び出すことなんて絶対なかった…」

うつぶせる中村さん。

中村「ピーコ高かったんだけどな~」

 この瞬間に犬だったら、そんなことなかったかもしれないですね。とテキトウに言いそうになっている自分に気がついた。

中村「ただ、私自身がピーコがどんな子だったか、あんまり思い出せないんだよね。道で歩いていても気がつかないかも」

 「特徴は何もないんですか?」

中村「うーん。種類とか。どれくらいの大きさとか。アバウトには憶えているけど。これからいろいろ一つ一つ、大切に憶えようとしていたし。目の色とか、癖とか、肉球の感じとか…いろいろ。でも、もう誰が誰だか分からない。そのうっぷんもあって、仕事でもいろいろあって」

 「仕事の話は…考えるのやめましょ」ととっさに言う。

中村「ショック。1ヶ月ぐらいは絶対引きづるし、町を無駄に探しまわっちゃう自分を想像すると、ほんと嫌になる」


 この瞬間、野良猫でも拾ったらいいんじゃないですか?と言いそうになったが、よくよく考えると、野良猫っぽい飼い猫もいるだろうと思い、これも言い留めた。

 「じゃ、とりあえず、今日は呑みましょう。呑んで。呑んで。世界には猫がいっぱいいますし」

中村「最低ね」


 人は何かを失うごとに、そのものの大切さを知るとよく言うが、その大事なものとさえ気がつく前に、なくなってしまうと、ただただ、呆然としてしまうだけなのかもしれない。

 中村さんは、そういった呆然さを背負って、結局店の戸を開けた。

 中村「私、星になりたい」

「え?」 

中村「星になって、ずっとピーコのいる地球を眺めていたい」

 「大丈夫ですか?」

 中村「大丈夫じゃない。疲れてるし、本当ぐっだぐだ、占いもあんまりよくないし、猫逃げちゃうし」

 「だから猫は忘れましょ」

 中村「忘れられたらいいけど、それ、ずっと話したでしょ」

 「そうですけど」

中村「私、今年いっぱいは、これをネタにお酒飲んじゃうと思うし」

「ネタになるならいいじゃないっすか!」

中村「よくない!家には、ピーコは待ってないし…」

「はあ」

中村「だから、私も冒険に混ぜて、ピーコを探すついでに」

「え?中村さんの猫探しのために、やってるんじゃないんですって」

中村「そこは運命共同体。っていうか。一蓮托生的な?まあ、いいじゃん。私も落ち込んで探すより、冒険してピーコを探したい。そしたら前向きにすごせる気がする」

大きくのびをする中村さん

「ノルマは、とりあえず町内から」

「え?ノルマあるんっすか?」


まさか、こんな形でメンバーが増えるとは思ってなかった。ただし、いままで明確な目的がなかった冒険に確実な一つのミッションが加えられたことは確かだ。

ただ、冒険と捜索は、なんだか個人的には別個のものだと思っていたので、中村さんが探偵のようになって乗り気なのはいまひとつ、気になってしまうところだ。

まあ、面白いのは、猫が逃げただけで、人の心が動揺してしまう。というところは収穫だったが…。

別に猫自身はあまり動揺していないだろうに。

いまごろどこかの路地で呑気にあくびでもしているかもしれないし、誰かに拾われているかもしれない。

そうだとしたら、もうお手上げレベルではあるけど。

中村さんは本気だ。

ないだろうけど、猫なんて飼わずに、あのサイトの小説の展開だけ気にしているだけだったなら、こんなことにはならなかったかもしれないのに…。


猫「ピクニック気分も少しあきてきちゃった、おうちに帰りたい」

中猫猫「んにゃ。まあ。にゃーがないね」

猫「もう、分かんない。っていうか筆談してよ」


… 


中猫猫筆―字はまだ、書けるのが驚きだよ。手先が器用なデザイナーでよかった。

 猫「仕事はどうなるの?」

 中猫猫筆―どうなのかな。はたして、こんな世界になってしまっているから、世の中の機能がさ。どうなるんだろうね

 猫「メモの残りまだ大丈夫?」

 中猫猫筆―極力小さな字で書く。

 猫「そうだよね。私ももう、二足で歩けないし、でも、なんか、思った以上に悲観的でないかも。一回戻ったら、ファンタジーみたいに、なんか、うまくいってそうじゃない?」

 中猫猫筆―いや。掃除機が猫になってしまっただけで、非常に、懐疑的だけど。

 猫「ほんと、速記だよね、目疲れるけど」

 中猫猫筆―本気で猫になった後の生活を考えないといけないのかもな。

 猫「どうやって?」

中猫猫筆―飼い猫になるとか

猫「飼ってくれる人はいるの?」

中猫猫筆―希望的観測ではね。でも野良でも生きていけるやつもいるから、なんとかなるのかもしれない

猫「野良かぁ、私ちょっと辛いかも、1、2日は我慢できるとしてもさ、くじけちゃう気がする」

中猫猫筆―それか、なんとか、猫でも仕事をこなすとか。

猫「え?」

中猫猫筆―僕は、今、姿は人間だけど、喋り言葉が完全に猫化してきている。だが書く字は影響を受けない。で、君は喋りことばには影響はないが体全体に影響を受けている。ということは、これは、もしかしたらあくまで限定的なものかもしれない。

猫「長い」

中猫猫筆―確かに戻ってみる価値はあるかもしれないね。猫のようで実は、一部が猫になっているだけであり、そのほかは通常に使えるかもしれない。

猫「きゃー。この子しっぽ、ひっぱったら、どう?、ゴオーって鳴り出した!」

そして、びっくりした中猫猫のノートが落ちる。

それは、ゆっくりだが確実な速度で、中猫猫が書いている字が猫という字にすべて書き換えられていく瞬間を見てしまった、猫と中猫猫。

猫「あ。見なかったことにしたい」

中猫猫筆―証拠隠滅?くそ。この文字への魔法の速度も加速度的となるとすると。どうすればいいんだ!

猫「じゃあ絵を描いて!絵を描いてよ!」

中猫猫筆―絵?

猫「そう。字じゃなくて絵。絵であれば、どうなの。ほら、じゃあ、とりあえず、犬描いて」

犬を描く中猫猫。

猫「じっと、この犬が猫になるか、しばらく見てみましょう」


「そろそろカウントダウンなのか」「猫が三つ揃うと奇跡が起こるのでは?」「なくはないな」「しかし、家を出たあと、どんな外の世界になっているのかまったく説明してないじゃないか、彼らはどこを歩いているのだ?」「散歩だろ、家の周りを」「それにしても、彼らは根本的な原因に立ち向かわないのか? 魔女とか、悪の大王とか」「それが原因だと思ってないんだろ」「前向きだよな彼ら。誰のせいにするわけでもなく、ちょっとだけ感動」「猫かわいい」「あのさ、これって序章なの?壮大な」「なわけないだろ。いつ終わるか分からない物語。でなく、いつ終わってもいい物語なんだからさ」「ダイナマイト」「最近、この2人仲がよいよね。困難ってやっぱり愛を芽生えさせるのかな~」「ビジュアルはなんも描かれてないけど、今1人の男と2匹の猫が歩いている図でしょ。それってはたから見ると、ただ猫と散歩しているおっさんってだけだよね」「はたから見ても人の幸せなんて分かんないだな、これが」「散歩してても問題は山済みだね」


久しぶりに大学に顔を出してみることにした。

広告研究会の書記としてではなく、冒険家として訪ねるのだから、校舎に入る前の意気込みからして違う。

教授に会うとか、後輩に会うとかではなく、

あくまで大学に潜む猫。それを探すためだけのために。


いままでまったくそんなことを気にすることはなかった。確かに、時々猫を見かけたようにも思うが、こんなに意識的に彼らを探すのは、初めてである。

“大学猫”とそう名づけてみたい。

猫は、いろいろなところに、そろっと潜んでいる。

公園にいれば、“公園猫”いたってシンプルな、ネーミングだ。


とりあえず、目の前には普通の大学がある。そして普通に生徒が行き来している。

たぶん、この大学の中で、純粋に猫を探しにきているのは自分だけだろう。

しかも、動物医学なんて関係ない大学だ。

 

目の前から手をあげて近づいてくる大野と、その彼女らしき人が近づいてきた。

大野 「あれ?三太じゃね?何してんだよ。不登校気味のお前が、珍しくね?」

 「うん、まあ、なんかね」

大野「なんだよ、暇なのかよ。じゃあ、ついでに、俺たちと適当にぶらぶらしねえ?」

 「え?いや、二人で楽しめよ」

大野「いや、なんか退屈しててさ。面白い話でも聞かせてみろよ」

 「ないって」

大野の彼女「誰?」

大野「こいつ、三太。ぜんぜんサンタっぽくないのにさ」

彼女「本当に?面白い名前ね」

大野「だろ?ほら、一緒に飯食ってさ」

 「いいって」

大野「断るなって、奢ってやるからさ」


むりやり大野に連れられてきたのは安っぽい定食屋で、看板が錆びていた。

ただ、その店に巨大な招き猫がいるのを見逃すわけにはいかなかった。

正面を凝視。大きさは1メートルくらいあるだろう。

大野「あの猫不気味だよな」

大野の彼女「かわいくない?」

この二人のよくわからない会話はともかくとして、“招き猫”という存在に、非常に興味を持ち始めていた。

大野「三太、単位は大丈夫なのか?」

「ああ」

大野「こいつ、昔から要領だけよくてさ。そこがムカつくんだけどな」

大野の彼女は、猫のブレスレッドをしていた。

今日は当たり日かもしれないし、そのおかげで、なぜか大野の彼女に好感がもてた。

大野「ところで、最近何しているんだよ」

「ん?バイト」

大野「なんの」

「コンビニ」

大野「楽しいのか?」

「とくに」

大野「じゃあ、辞めろよ」

「は?」

大野「まあ、辞めろっていうのは冗談だけど。俺と一緒にちょっと働かねえ? まあ、超短期なんだけどさ」

大野の彼女「急すぎない、その話」

大野はナポリタンをほおばりながら。「いや単純に人手不足。猫の手も借りたいみたいな」

 この言葉に過敏に反応しかけたがやめた。猫の手も借りたいだって?…

 

猫「…きっと、それが、何かである前に…そう。そうでしかない。猫になる前に、私はいろいろ知りたいことがあった。あんなことや、こんなこと。そう、私は、正直何も知らなかった。木が猫になる前に、木がなんであるかを。自転車が猫になる前に、自転車がなんであるかを。きっとこれは、なんであるかを知らなかった者への罰なんだ。でも、知らないからといって何か悪いことでもある?空が空であるとか、海が海であるとか。猫が猫であるとか。そういうことで、それ以上のことも知りたくないし。知ろうとすれば頭が混乱する。だけど、水が飲めないのは困る。水が何であるかを知る前に、水が猫になったら、困る。だからといって、私は猫が嫌いなわけじゃない。猫は好きだし、私が猫でなければ、全然ウェルカム。いつでも飼ってあげるわ。でも、今は、私は、ただの水はただの水であってほしいし、ただの木は、ただの木であってほしいと思う。そして人は人として生きたい。別にそんなに頭が良くなくてもいい。普通でいい。天才じゃなくていい。猫が猫であって。犬が犬であってほしい。とただそれだけを願う。それは、本当は、まぎれもない、珍しくも幸運なことだったね。と、懺悔してもいいと思ってます」

 田猫猫は、うなずく。

 猫「私は、それなりに日常の生活が嫌いになったこともあります。朝を呪ったこともあります。不真面目に、1日を無駄に過ごしたこともあります。だけれど、1日は、1日で。太陽が決まった時間に登り、そして、決まった時間に沈んでいった。そういったことが、今どれほど、貴重だったか。1日の単位が全て猫に変わり、そして地平線が猫に変わり、太陽が猫に変わってしまったら…それぞれの境界線を区切る仕切りがなくなってしまったら…私はもう。何もすることができない」

 田猫猫は、くしゃみをする。

 猫「ただ、私は猫自体は好きです。猫が悪いわけじゃないし、たまたま、何かの理由で、猫に猫に。となっているだけなんだよね。で、その原因を知ってはみたいけど。いままで、そんなこと聞いたこともないし、どうしたらいいか分からないし…それに、猫にとっても、とても迷惑な話なんだな」

 猫はしゅんとなって黙った。すでに、中村悟は、田猫猫へと、進化していた。いや、変化していたのだった。ただ、猫はここで、ちょっと考えてみた。私の言語機能はまだ失われていない。私はまだ喋れる。だから、なんとかなるかもしれない。

 とにかく、元の生活には戻れないかもしれないけど。でも、なんとか、今のままでも、やっていけるような道筋ってないのかな。と考えた。

 田猫猫は、もう普通に日常会話をすることはできなくなっている。彼がやれるのはボディーランゲージ。声のトーン。といったところだ。ただ、田猫猫は、体を使って、表現することが嫌いではないらしく。「ご飯を食べたいね」という意思では、うどんをすするような仕草を。そして、「大丈夫だよ」というときには肩を軽くぽんぽんと叩いたりしてくる。猫にとっては、それが、かつて彼と言葉でコミュニケーションしていたときよりも温かく感じられたのは不思議だった。

 それに、ぎこちなく、ボディーランゲージを試行錯誤する姿が、なにか笑いのツボを刺激したりするので、見ていて飽きない。

 そう思えるのも、こんな状況だからなのかな。と思ってみたりしてみる。

 また、田猫猫はこの状況にまったく悲観的ではない様子で、わりと暢気なのだ…

 

 猫の手も借りたいだって?…

 ちょっと大野が、彼女とだべり始めたので、暇なので、読んでしまっていた。

 そういう展開か…

 わりと、深刻になってきているな。

 とりあえず「深刻!」とだけ打っておく。

 最初はふざけているかと思ったけど、案外これを書いている人はまじめな人なのかな。

大野の彼女「ねえ」

「…」

大野の彼女「ねえってば」

大野「三太!」

「なに?」

大野「お前な、人が飯を奢ってるんだからさ。もうちょっと愛想よくしたらどうなんだい?」

大野の彼女「三太さんと、博はどんな関係なの?」

大野「友達だよな」

「知り合いです」

大野「こういうことを平気で言うやつなんだけどさ。悪いやつじゃないんだよな」

大野の彼女「三太さんって、誰かに似ていると思うんです…」

大野「お笑い芸人の誰かだろ」

大野の彼女「そう、そう」

大野「誰だっけなぁ」

大野の彼女を観察してみる。それなりに、かわいい顔をしている。

大野のどこを好きになったのか。あるいは極端に暇なのかは分からないが、客観的に見ると、典型的に彼女がかわいい。男はなぜ?というカップルだ。

「お笑い芸人のチップの小さい方に似てるとは言われますけどね」

大野「チップ?チップって、何?」

大野の彼女「突っ込みが、名古屋風の…」

大野「名古屋風のつっこみ?」

「そうそう」

大野の彼女「あの名古屋風のつっこみ私好きなんです」

大野「俺の知らない話題で盛り上がらんでくれよな」

チップの突っ込みはある意味、ギャル的なつっこみであり、ちょっとこってり感がある。おしゃれではないが、味のあるつっこみが売りのコンビだ。

大野「それより、俺はどう?誰に似ている?」

大野が無理やり、話題を自分に戻そうとする。

大野の彼女「え~?何、誰だろう?考えたこともなかった、あえて言えば豚じゃない」

大野は顔が一瞬青くなり「豚…」

「豚顔でもモテることもあるからね」とテキトウに言ってみる。

大野の彼女「そうそう、ほめ言葉だよ」

大野「豚。豚かぁ」

大野の彼女「それに私、豚好きだし」

三段論法的に、大野は好かれてる?…

大野「…それよりさ、どうよさっきの。つまらんコンビニバイトなんて辞めてさ、協力してくれんかね」

「何の?面倒なのは嫌だし、面倒でなくても嫌だな。それに、今、それなりに忙しいんだよ」

大野「小学生相手の試験監督なんだけどさ。ちょっと、急に人手が足りなくなって」

「試験監督?」

大野「そう、ほら用紙を配って、あとは試験官づらしておけばいいだけなんだけど、その日1人足りなくてさ」

「時給は?」

大野「2000円だよ。いいだろ?悪くない話じゃね?トータルで4時間くらいあるけど、8000円だぜ」

「ふうむ」

大野の彼女「その日私、急用があって…ごめんなさい」

大野の彼女は急に謝り、なんとなく、場の空気が、変に重くなってしまったので。

「じゃあ、いつ?」と聞き返してみた。


「ノルマは果たしてくれた?ピーコは今も暑い空の下で泣いていると思う」

中村さんからのLINEだ。 

とりあえず、「今捜索中」とだけ返信しておく。

直接的にピーコを探しているわけではないし、そもそもピーコがどんな猫なのかも実は知らないのだが、気休めに。それに、今大学で猫を探しにきていたわけだし。

とりあえず、探しているていで、今後も返信しようと思った。「公園探したんですけどねぇ」とか、そんなんで。

中村さんに関係のない猫なら1日1回くらいは見かけるはずなんだが…

ツチノコみたいに、「見かけたような気がします」とか、うかつに返信すると、すぐに本気にしそうなので、それはやめておこうと思う。


ただ、中村さんは、こんなにピーコのことを思っているのに、当の猫のほうは、もう中村さんのことなんかほとんど憶えていないだろう。と思う。

 

 真面目な猫はいるのだろうか?


 試験監督の当日。朝を迎える。要領は昨日、電話で大野からいろいろ聞いた。なんとなく分かったし。試験監督を極めるなんて、ないだろうしね。

 正直、久々にコンビニ以外の仕事をやるので浮足立っていた。

 それにしても…最近、コンビニでも、暇なときを見つけては、店内の猫の要素を探す習慣がついてしまった。キャットフードだけではない。猫を主題にした漫画、猫のキャラクターを使ったカップ麺などなど。

 これほどまでに、日常に姿形を変えて、猫が溶け込んでいるのを目の当たりにして、最近は、食傷気味ですらある。

 また、自分自身が、知らず知らずのうちに、猫にどこまで侵略されているのかも、自分の家に戻ると、ふとしたきっかけで始まる。 

 そんな、際限のない日々に、ちょっとうんざりしていたのは確かだった。

 これは猫である。これは猫ではない。

 そんなことを考えるような世界から、かけ離れた無垢な世界へ。

 中村さんの呪縛からも離れた、そう、猫のいない幻想的な世界へと進むのだ。

 

 それにしても朝早いなぁと思う。目がしぱしぱしている。体がダルイ。

 これから子供たちがよい学校に行くために猛勉強している世界へ飛び込むわけだ…


 なぜか大野の彼女からLINEが届いている。

 ―すいません。私のせいで…

 

とりあえず「大丈夫です」と五文字で返す。

 大野にしては、もったいないようなかわいい子ではあったが、大野の豚顔が好きとなると、イケメン好きではないのかもな~と考える。

 それにしても、人には大野のような豚顔はいるとしても、猫の豚顔は、あまりお目にかかったことはない。猫は、どんな猫でも、みんなつんとした顔をしていて、パグのような、ある意味、豚っぽいような猫をそういえば、お目にかかったことがなかった。と気がついた。

 たしかに、野良で、小太りした猫を見かけることもあるが、それは、豚と喩えられないイメージがあるし、そもそも猫の目自体が、何か異様な輝きを放っている。

 最近になって猫の本を意識的に読むようになっているが、実際猫の目は非常に良いらしい。人間よりも遥かに、猫の耳も、そのほかも身体的に優れている部分があるようなのだ。


 それにつけても、大野の豚顔を拝みにいくというのもなんだか癪に障る。


電車に乗る。窓の景色をそっと眺められるような席に座ってしまった。

 LINEが届く。

―三太さんから見て、大野君はどんな人ですか?

―鈍感 

―そうなんですよね。

―暇?

―実家に帰ってるんです。結婚式で。

 ふ~ん。大野の彼女か…と。

 まあ、種族を超えた、愛というのもあるし。美女と野獣といかないまでも、ボンクラとかわいい女の子。そんな、組合せも、普通にありなのかもな。と思う。

 メルヘンにはよくある話だ。醜い姿をしていた何かが、物語の終盤で、呪いが解けて美しい姿になる。

 大野もそんなイケテル瞬間がいつか来るのだろうか。

 そして、あの小説の終盤は、そんな展開が待っているのか…


 試験が始まった。ペンを走らせる音の中で、大野は、それらしい振る舞いをして、この教室にいる子供たちを眺めている。

  

猫「もうどうでもよくなった、猫を飼っている気分で、これから生きることにしたよ」

 猫はスマホで、電話をしている。

 猫「落ちこんでいてもしかたないし、電話越し、メール越しで、姿を見られなくてもできる仕事なら。できちゃうと思うし」

 猫は誰かと話をしているらしかった。

 猫「そうなのね。本当そうなの。びっくりしちゃったよ。スーパーに行ったら。ちゃんと猫用の商品がずらっと並んでいるってね。そういう展開か!って。でも、私は外で待っていて、無言でね、いろいろ買ってもらったよ。世間は、猫関連商品が爆発的に売れている真相にあまり興味がないみたい。暴露とかしたら死んじゃうのかな?…みんなもう、知っているから、あえて言わないって。そうかもしれないね。科学が猫を人間に変えることもできないみたいだし。情報操作もされているのかな?日夜、その原因究明と、悪戦苦闘している人たちがいるのかな~。でも、勇者みたいな特殊能力もないし、こんな魔法をかけた人がもしいるなら、文句ひとつ言っても、すぐに、やられちゃう気がする。たぶん、そういうことを予感して、積極的にみんな何もしないのかも…ただ、今噂されているのは、猫が人間化しているって噂。どう思う?本当なのかな? それだったら、どうしよう。人間の中に魔法を使える人はいないのかもしれないけど、まさか猫が魔法を使えるなんて、あんまり、みんな想像しなかったしさ…」

 

■ 

 試験であきらかにカンニングしている女の子がいたが、彼女は猫の消しゴムを使っていた。猫の消しゴムは、けっこうかわいいんだな。と気が付く。

 その消しゴムがどこで売られているのか教えてほしいもんだと思う。彼ら、彼女らは、シャープペンシルを片手に一生懸命、書き込んではたまに消し。といったことを繰り返しているが、大野は起きているような目をしながら、ぼんやりと教室を眺めている。

 彼の眼にはあの猫の消しゴムを使っている女の子など目にも入っていないのだろう。

 眠たげな目をときどきしばたかせて“豚顔”と言われた顔を、テキトウに掻いたりしている。

 ただ、そんな大野は、昔っから中途半端に女子ウケが良かった。

 それは、“癒される”のか“気が抜ける”のか、なんなのか、結局分からないのだが、人並みちょっと以上くらいに彼女の交換を繰り返し、そして、テキトウに別れたり、捨てられたりしている。

 あんまり気にしないたちなのか?それが日常茶飯事なのか分からないが…

いや、一言でいえばやはり“鈍感”なのだ。

 味についても鈍感。彼は、チャーハンを頼んで、白いご飯が来たとしても、気がつかない。

 イギリス人と、インド人の区別もつかない。ハリウッド俳優は、おおざっぱにハリウッド俳優みたいな。そんな認識。

 北極と南極がどっちにあるのか聞いても、怪しいところだ。

 そんな試験監督を前に、まあ、それなりに真面目に試験を解いている子供たち。

 そんなことを考えていると、こたつに入って丸くなって寝たい気分だ。


猫「…またいつか会おうぜ、そう言って、出ていっちゃったの。たぶん、そう聞こえた気がする、手を振ってニャーって言ってたから。これから旅にでも出るのかな、それとも、散歩なのか分からないんだけど。探したほうがいいのかな?」

猫は猫になった掃除機に話しかけている。

猫「泣きたいこともたまにはあった気がする。でも忘れちゃったよ。なんか、すごく眠くて、キャットフードも美味しいし。これって、ただの惰性だよね?そうなんだよね?そういえば、毎晩あそこに置いてあったキャットフードって、彼が買ってきてくれたものなのかな?そうなの?どうなの?答えは分からないか…でも、最近気がついたけど、言葉なんて、ほんと添え物みないなものなんだね。そう思わない?」

ごぉーと返事する掃除機…猫がスイッチを押しただけである。

猫「そうなんだよね?私、ブログでも書けたらいいと思っているんだけど、今の状況を誰かに表明したい。そして何か言ってもらいたい。猫の姿でブログやXをやっても、きっとみんな冗談半分に受け止めてくれると思うんだ。それに、今の私の境遇なんて、そんなもんじゃない?きっと誰も信じてくれなくて、誰もが、笑っちゃうような話で、だけど、私だけは本気で…みたいな。どう思う?」

 ごぉーと掃除機を鳴らす猫。

 猫「君は気ままでいいよね。そしてやるべきことも分かっているんだ。姿形が変わっても、目的意識がはっきりしている。うらやましいな。眠いとか、苦しいとか、思うことはある?…まあ、眠いなんていくらでも思うことはあるけど、最近は、なんか丸くなって眠るのが気持ちよくなっちゃってさ、毛もふかふかしているし…なんか、新しい発見みたいな?分かる?聞いてるの?」

 掃除機となった猫は黙ったようにシーンとする。ただし、しっぽは動いている。


 苗猫猫の冒険が始まった。

 彼は、それなりに、自分なりに、ある程度の決意をもって、冒険を開始した。

 これから、王様に会いに行くのだろうか?それとも、魔王の退治か…

 そんなことは苗猫猫にとっては、どうでもよかった。

 最近気が付いたのだ。

 そのものの一部の中に、猫が1つでも入っていれば、それは、認められるということを。

 猫を除外しようとすると、すべてが猫化してしまうが、

 最初に猫をどこかに入れる前提であれば、全体が猫化をしないということを。

 それは落款でもいいし。

 小さな猫の絵でもいい。どこかに、彼らが存在すれば、彼らは、何も言わないのだ。

 つまり、

「今日は猫を見て気分が癒されたよ。ところで…」

 みたいなものでもOKなのだ。それがあるのと、ないのとでは、まったく違う。

 そもそも、なぜ猫を避けてしまったのかが、よく分からない。

 別に自分の名前が中村悟ではなく、中村猫でもよかったんじゃないか。それを頑なに中村悟と言い張るから、苗猫猫まできてしまったわけだ。

 彼が、これを気が付いたきっかけは、キャットフードを買ったときだった。

 たまたまカードをつかい、レシートにサインをしなければならず。

 これも猫化するのかとうんざりしながら、書いてみた。


 しかし、そのレシートの、自分の書いた文字には、数日たっても変容が見られなかった。

 レシートの商品名に書かれている“キャット”フードの“キャット”が、中村悟にかけられた魔法を相殺させたのだ。

 それに気が付いてからというもの、気分が少し軽くなった。

 科学的な説明は、分からない。

答えは案外灯台下暗し。足元にその答えはあったのだ。

 仕事がまたできるかもしれないとは思ったが、仕事場自体は、残念ながら、猫化してしまい。みんなそろって、散歩にでかけてしまったようなのだ。

 彼らを取り戻すためには、どうしたらよいのだろうか?  

 苗猫猫は、とりあえず、町の漫画喫茶にでかけ、メールを打ったりした。

 また、ひそかに貯めていた、猫との結婚資金を下した。

 フリーのデザイナーとして、1からやり直すのだ。

 そして、猫とうまく共存しながら、やっていくのだ。

 と。先方先への連絡。そして、数日間の連絡がとれなかった理由を、それなりにいいわけをつけた。

 今引き受けている仕事を完結させ、1から新しく始めるという意思を示した。

 ブチ切れられたり、冷笑されたり、取引やめます、締切はどうなっているのですか?

 そういったことをメールで対応するのも結構大変だった。がなぜか、その対応のところに、何かしら無理やりにでも、“猫”を挟み込まなければならないということが、逆にユーモアを誘い、辛いながらも、ばからしくなりながら、対応した。

 

猫にはできないことをとりあえず、しなければならない。と思う。

 とりあえず、猫禁止のアパートはだめだ。少し高めであるか、大家さんが猫好きであるかのどちらかを血眼になって探し尽くそう。

 また、新しいフリーのデザイナーの個人アドレスに「cat」と入れよう。

 猫とともに生き、猫とともに死ぬのだ。

 

 これは新たなる冒険なのだと。


 中村さんからの連絡があると、急に身構えてしまう。最初は猫探しの話から始まることも多いが、そのあとはぐだぐだの仕事のグチトークや、最近気になる人の話に持ち込まれることが多い。

 その気になる人は、中村さんの迷子になってしまった猫について、結構関心がある人のようなのだ。だったら、その人に悩みを話せばいいんじゃないの? と思うのだが…

 試験が終わり、大野が「助かった、飯おごるよ」と、言われ、適当にチョイスしたと思われるラーメン屋に連れていかれた。

「ここうまいんだ」

 と言うが、大野は、あまりこの店のメニューを知らない感じだ。

 そのメニューを見ているときに、中村さんからLINEが来る。

 ―今日、西木さんの猫見せてもらったら。超ブスかわだった…

 とのこと。

 電話にもちこみたくない。だからといって機嫌を損ねるのも面倒な話だ。

 猫の話題を刺激すると、まるでトラウマのように迷子の猫の話しに持っていかれ、泥沼になる。

 かといって、面識のない“気になる人”の西木さんの猫について、いったい何が言えよう?

 ここはひとつ。

 ―西木さんっていい人そうですね。

 と返信した。

 ―うん。いい人。ちょっと暑苦しい顔しているけどね。

 このLINEには返信せずだ。

 大野は「チャーシュー麵来たよ」と、テーブルに置く。「すまんな急な話に乗ってくれて助かった」

 大野はギョーザと、担担麺を頼んでいた。

大野「それよりさ、最近どうなの?大学は休んでいるのか?なんか勉強しているとか?」

「いいや」

大野「なに?ただやる気ないだけ?それで単位取っちゃうんだからさ、いい気なもんだよ」

「お前は、どうなの?真面目な大学ライフを送っているのかい?」

大野「それなりに。まあまあね」

「飯野教授のゼミはどうなの?」

大野「だるい。まあ、俺は、そのときXしかしとらんけどね。というか最近顔はあまり出してないな」

「大学に行っているのに?」

大野「人に会いに来てるわけだからさ」

大野の食べ方はぞんざいな感じだ。食べる順番もあまり考えない。

大野「ほら。今日のお前の仕事を変わってくれって言った、恵美子も、俺が、大学の食堂でテキトウに時間を潰しているときに、出会ったわけだし。出会いってわからんもんだよな」

「どんな出会いだよ?」

大野「食堂で、軽い合コンみたいな。そんな、セッティングをちょいちょいね」

「そういうことか」

大野「こんどお前も混ざれよ。お前の微妙なトークは結構面白いしさ。ネタを提供してほしいよね」

「でも、遠いしな大学」

大野「遠くないだろ。というか、なんだよ遠いって。通ってる大学だろうが」

「しかも、あそこの食堂、小汚いしさ」

大野「小汚くないよ。最近キーマカレーがさ、安くなって。まあまあ美味しいんだ。大学のカレー巡りとか、結構、それなりに流行っているんだぜ。いい交流にもなるしな~」

 得意な大野の顔。なんとなく飽きてくる。 

 ある意味幸せな奴なのかもしれない。

 いまのところ、猫以外については、そんなに興味をそそられなくなってしまった。

ところで、大野の大学カレー談義は、まあまあウザい話にしか聞こえない。

 大学にいる猫探しめぐりならいくらでも…と思うが、大野に理解してもらうのは多分無理だろうし、例え分かってくれたとしても、一緒に探したくはないな。と思う。

 「今度俺んちに遊びに来いよ」と大野は、言ったが。

 「うん」とか「そうだね」と言って、その日は別れた。


 今日の敏子さんは非常に機嫌が悪そうだ。そんな敏子さんをあまり見かけたことがない。まあ、機嫌が良ければ、爛れたトークに巻き込まれるだけなので、楽といえば楽なのだが。

 最近あのサイトのコメントの頻度も少なくなっている。

 「猫に飽きたんですか?」

 と聞いてみたい気もしたが、そんな雰囲気でもない。

 体から、けだるそうなオーラと、話かけんなオーラが漂っている。

 猫でいうと、かなり警戒心を強くしているような感じか。

 しかし、何を警戒する必要があるのか?

 話しかけるにしても「また、スマホの装飾変えたんっすか?」とか、そんな程度でしかない。

 そんな程度の話すらできない空気感ってよほどだと思う。

 何かあったのか?

 サンタがプレゼントをくれなかったのか?

 いや、生理なのかもな。

 ま、どうでもいいか。敏子さんにとって俺なんぞは、空気や、ハエみたいなもので、とくに心を動かされる存在ではないのである。


 猫みたいな存在ではないのだ。

 ハエから猫には進化できないし。

 敏子さんのために、そんな進化はしたくない。

 ごろにゃんといった関係ではなく。

 ぶーん。うぜぇくらいの、乾いた関係くらいがちょうどいい。


 それにしても…店にある表面的な猫要素を探すのは飽きていたところだ。

 今度は、そういった猫として比喩できるようなものを探そう。猫のような飲料水。猫のようなガム。そして猫のような雑誌…

 猫のような敏子さん…

 猫のような敏子さんねぇ~…ナイス。っていうのは微妙なのかな…

 とはいえ、なぜ猫が好きなのか、今度不機嫌でない時、軽く聞いてみるかな。


「人のうちの猫がうらやましくてしょうがない」とフォークで肉を突き刺す中村さん。

「へぇ」

 中村さんは、本当は暇人なんじゃないかと思うときがある。

「いい?私は、今週結構仕事で疲れてたんだけど。もうダメだと分かっていても、一応、猫が通り過ぎると見ちゃうし。気になる」

「もう、拾ってきたらいいんじゃないですか、そこらへんの猫」

「誘拐はしたくない」

「もしくは大きな気持ちになって、町にいる、そこらへんに歩いている猫を、自分の猫と思えば」

「でも、警戒しているし、全然遊べないし」

遊べないしの語感を強く強調する。

「ここであきらめてしまったら、なんか、もったいない気もするし」 

「この際あきらめちゃいましょ」と酌をする。

「あきらめていいことと、わるいことがある。これはあきらめちゃいけない問題」

「そうなんですか?」

「そう。妥協していいところとわるいところはある。つまり、これについては、妥協してはいけない」

「ま、もしかしたら、幸せにどこかで暮らしているかもしれないですし」

「かも。じゃ。だめ」

「ダメなんですか」

「抱きしめて、体温を感じて、顔をこすりつけるまでは、あきらめたくない」

 中村さんは結構頑固なんだなと思う。

「それより三太君の冒険はどうなっているの?全然前に進んでいる気配がしないけど」

「個人的には大分、進んでますよ」

「本当に?本当にそうだとしたら、なんで私を混ぜないの?」

「いや。冒険なんて人それぞれの尺度じゃないですか。子供にとっては大きな公園で遊ぶのも冒険だし」

「なるほど」

「だから、仮に、中村さんにとってそれは冒険でなかったとしても、僕の中で未知の領域に踏み込んでいるときは、冒険だと思うんです」

「ふむふむ。それで?三太君の未知とは?」

「それは、言いたくないですよ。言ったとたんに魔法が消えてしまうような、そういう感じのものですから、自分の中で大事にとっておきたいんです」

「もったいぶる気?」

「いや、僕は、正直自分でも日々、少しづつ驚いてます」

「なんかむかつくね。それと同時にケチだとも思う。人には楽しさは分け与えるべきだとも思うし」

「それでも嫌ですね」

「嫌なの?」

「そこだけは譲れません」

「ふ~ん」


中村さんは、最近西木さんといい感じらしい。その話を聞いているとき、本当に右から左、馬耳東風的な感じの顔になっていないか心配になったくらいだ。ときどき、相槌が、とても雑だと指摘されることがある。

とはいえ、他人の恋バナを聞くことほど退屈なことはない。しかもそれを人に話そうとする神経があまり理解できないが、中村さん的に、幸せそうであれば。聞いている風な感じくらいでは、  お相手してもいいかなとは思う。

それなりにお世話になっていた先輩でもあるし、

それなりに、たまにいい助言もしてくれるときもある。

また、大きいのは猫について言っても、そんなに違和感なく受け入れてくれるところだ。

長崎なんぞに、その真意を言っても「大丈夫か、お前?」

みたいな重たい切り替えしがきて、げんなりしてしまうが。そういうことはない。ないというか、逆にそんな長崎みたいな中村さんは、嫌だけど。


でも…こんな中村さんを前にしてアレだが、敏子さんに今度、女子高生みたいに気楽な感じで、そういうところを指摘してみたいな~。


スラングっぽく。端的に。


無責任な感じに。


「え~猫、嫌いになったの?なんで?」


なんでを強調するみたいな。


今度、あのサイトに半疑問形の言葉でも書き連ねてやるかな。批判もでそうだけど。それはそれで面白いのかも。



猫が泣いて寝ていた。

そっと帰ってみると、そんな感じだった。

感傷的になるスイッチが入ってなかったので、あ、泣いてたんだ。としか、思わなかったが。

だいぶぐったり疲れているようだった。

かなり丸くなっている。

おみあげに草団子を買ってきたが、なんとなく自分で食べてしまおうかと思った。

ただ、すぐに猫が目をあけて

「あ、なんだ、旅に出ちゃったのかと思ってた」と、言った。

とりあえず、

「にゃ~」と返事を返す。

「あ、草団子?買ってきてくれたの?ごめん」

猫は、草団子のにおいを嗅いで、もそもそと、食べはじめた。 

ちょっと背中をなでると。

「やめてよ。びっくりするから。味も分からなくなる」

猫っぽくすばしっこく部屋の隅に逃げていく。

口から出る言葉はない。

ただ、いろいろ考える。猫を飼えるアパート。一軒家タイプの古いとこであれば、そんなに広くなくても、1人暮らし的な感じで過ごせるのかもしれない。

どちらにしても、このままではダメだ。

長期滞在中の友人宅に居候しているだけだが、そろそろ友人も戻ってきてしまうだろう。

猫は住めれば、どうでもいい。みたいな感じで、

ここの家については何も質問はしなかった。本人は、今住むことよりも、猫であること。の方に集中力を割いているようなのだ。

しかし、それなりにぐだぐだに疲れている。

布団をしく余裕もない。

仕事もいろいろあるし。どうするかな~と思う。

ためしに、ため息でもついてみようとすると、

「なご~」という声が出た。

 

西木さんと中村さんの微妙なツーショットがLINEで送られてきた。

意外に悩んでしまう。

年賀状でも、この手のタイプのものはあるけれど。結婚式とか、子供が生まれた。とか分かりやすい感じでもないので。西木さん誰かに似てますね。みたいな風にしてしまおうかとも悩んだ。

よく見ると、なんとなくイケメン。みたいな感じの人だ。

悪い感じはしないし、中村さんも良さげな感じだ。

もう逃亡してしまった猫を忘れてしまったかのような顔だ。

ようは、これにて一件落着、ジエンド、FINみたいな感じでエンドロールでも流れていい顔をしている。

失ったものもあるけれど、得たものもあった、そんな感じの顔だ。

何か、先を越されてしまったような気もするが、そもそもこの冒険自体は何かを失ったから始めようと思ったわけではない。

もしかしたら何かを見失うための冒険かもしれない。と問いかけてみることさえある。

それに…

冒険とはそもそもなんなのだろうか。

サンタが子供にプレゼントを届けにいくことは冒険だろうか?

あれは、世界各国を回るとしても、冒険ではなく仕事でしかない。と思う。

家から家の煙突へと飛び回り、そして雪の中へと消えていくサンタさん。

はたから見ればある意味、冒険野郎だが、実際はそうでないはず。

そして…

猫のサンタはいるのだろうか?

人間の子供もいれば、猫の子供もいる。

人間の子供よりも、猫の子供のほうがより純粋で、よりメルヘンに世界を見ているかもしれない。

猫のサンタは実際はいるのではないか?

皆赤い服をきた人間のサンタに期待しすぎて、肝心の猫サンタを実は見逃しているのではないだろうか?

猫が屋根の上を駆け回ったところで、みんな無関心であるし。

猫が猫に何かプレゼントをしたとしても、人間が、それをプレゼントとみなさなければ、見ることはできない。 


そうか!…そうだったのか。メルヘンとは、そういうことだったのか。

いままで、童話で教えられてきたものではなく、そこだったのか…

こんなことを人に話したって、きっと誰も理解してくれはしないだろう。

猫サンタだって?赤い帽子をかぶって?まさか…的な。

いやいやいやいや。今、そこの横断歩道を渡っている何気ない猫が、猫サンタかもしれないのだ。

確率的にそれが、ほぼ0であったとしても、完全に否定できる根拠はない。


なんてね~。と思いながら家路に向かう。


猫「なんか、最近、最終回の回の漫画ばっかり読んでる…聞いてる?」

苗猫猫は、ごろごろ転がりながら、新聞を見ている。

猫「気楽なもんね。こんなときに新聞なんか見ちゃって、私に、あとでクロスワードパズルの ところだけ、ちゃんと回してよね」

苗猫猫は、新聞をめくっている。

猫「あ~あ。今日も雨が降ってて、最近雨降りすぎじゃない?っていうかさ、最近気が付いたんだけど、私、全然、散歩するの、大丈夫なんだって気がついたの。もう立派な猫だし」

苗猫猫は、テレビ番組表を見ている。

猫「いいの?私、普通に迷い猫みたいに町に出たらどうする?見分けつく? きっといっぱいいる猫に紛れて、見つけられないと思うけど。どうする?」

苗猫猫が立ち上がって、冷蔵庫の方へ向かう。

猫「ふん。漫画めくるのだって、結構大変なんだから。おたくの手では、新聞めくるのも、大してわけないでしょうけど。冷蔵庫を開けるのも、私が人間だったころで考えると、そうね。10キロの米袋を持ち上げるみたいな。それくらいの力が必要なんだから…分かっている?いつの間にか本当の猫サイズになっちゃったってことも知っているの?」

 苗猫猫は野菜ジュースを取り出し、ごきゅごきゅと飲んでいる。

猫「最近しゃべらないじゃない。ちょっとは、なんか、やってみたら、どうなの?」

 苗猫猫は再び戻ってくるものの無関心そうに新聞へと向かい、とくに何かコミュニケーションを図ろうともしない。

猫がそろそろとした足取りで苗猫猫へと近づいていく。

猫「さっきから何読んでるの?そんなに新聞面白い?」

猫がぺたぺたと、新聞の上を歩く。

苗猫猫がとんとんとクロスワードパズルのところを指でたたく。

猫「そうこなくちゃね。どうなの今日の問題は?」


苗猫猫は、猫がクロスワードパズルを解いている間に、明日の仕事のことを考えていた。 

また、中途半端に猫の魔法を受けている自分らの身の振り方を今後どうするのかも、同時に考え始めた。

苗猫猫の個人的な調査によれば、というか全体的な世の中の風潮として、猫の侵略は刻一刻と進んでいる。と思う。

苗猫猫自身は魔法の停止の方法論を偶然見つけたが、猫はすでに猫になってしまったし、戦うべき相手が誰なのかもさっぱり分からない。

町に歩いている猫にかたっぱしから喧嘩を売ってみてもいいような気もしたが、あまりにも出会う猫が、すべて猫らしい行動をするので、敵のように思えないのだ。


いや、もしかしたら戦争はこっそり始まっているのかもしれないし、始まっていたのかもしれない。猫の喧嘩の声は、たまに聞いたりするし、結構、そのときはマジな感じで喧嘩している。

それに、猫と人間が戦ったところで、一方的に動物愛護の観点から、「猫虐待」のレッテルを貼り付けられ、どんなにめちゃんこに喧嘩で勝ったところで、世間的には、どうしようもない評価を頂戴することは目に見えすぎている。


その点、やはり敵は頭が良すぎる。

 

しかも軍勢は思った以上に多く、スパイなのか、本物なのか、まったく見分けがつかない。

その中には、自分らのように、強制的に侵攻を受け、いろいろ悩んでいる者らもいるだろうと思う。

ただ、どんなにあがいたところで、同じような壁にぶつかり、そして、同じように泣き寝入りのような感じで、生活している気がする。

やっかいなのは、そういった同じような境遇にあっていると思われる者たちと、コミュニケーションを図ろうとしても、思った以上にうまくいかないということだ。


ネット上でこの問題を暴露してしまったら。多分、分からないが、秘密組織のようなものに叩き潰されるかもしれないし、一方的にバカにされて炎上してしまうかもしれない。


ただ、町に出て、虱潰しに猫に話しかけるというのもどうかと思うし。しかも、自分自身は猫の声しか出ない…


新人バイト君が2人入った。敏子さんは、もうあと1か月で、このバイトを辞めるらしい。なんとなくふっきれたような、なんとなくさびしいような。それでもいいか的な感じで、敏子さん自体は変わらないけど、新人2人の雰囲気によって店の雰囲気が少しだけ変わった。

サイトへの「猫かわいい」発言もぱったりとなくなってしまった。それについて、聞きたい気分もあったが、腫物を触るような感じっぽい雰囲気が出ていたので、ほっておいた。

「コメントしてくださいよ」と言ってどうにかなるものでもないし、とくに、あのコメント自体に「猫かわいい」以外の意味があるわけでもないはず。

ただ、何かが欠落したような、そして、今描かれてる猫が、まるで「かわいくない」と暗に言われているような気がして、原作者でもないのに、なんとなくいたたまれない。爛れた気分になってしまうこともある。

たった一言のことだけなのに、こんなにも、ぽっかりと穴があいてしまったかのような気分になってしまうのだな。とレジを打ちながら考える。 

小説自体はなんとなく、終わりっぽい雰囲気が出てきはじめているし、ネットユーザーからは、展開のない展開に「期待通りグダグダだな」というような反応が多くなっている。

しかし、彼らが突然スーパーマンのように空を飛びだしたりしないところは、とてもいいんじゃないかなと個人的には思っていた。

猫は猫に変身してしまい。それ自体は、非常に奇跡的なありえない話だが、その奇跡的なことが、あまり奇跡的になっていないし、むしろ、障害になっている。というところが、この作品の、いいところ。と言えば、いいところなんだし。

そういう発想を感じさせない。というところもいい。

ビジュアル的に猫は猫になってしまい。もしかしたら敏子さんは着ぐるみを着ていた猫がかわいい。と言っていて、猫になってしまった猫には興味がなくなってしまっているのかもしれないが。

ネットユーザーから寄せられている、勝ってな猫のイラストを見ていても、人それぞれで、印象が違うのだなと思ったりして、それはそれで面白い。


敏子さんはどんなイメージで、猫を頭に描いていたのだろうか。

単純に金髪のちょっとふわふわした細見の女の子が、着ぐるみを着ている。

そんなイメージが一般的なイメージなんだと思う。


しかし…敏子さんから紹介され、いつの間にか敏子さんが消えている。


出会いあれば別れあり。そんなところか。とはいえ、別のブログで、この猫の小説を書いている作家さんは、呑気に「あれはまだまだ続くよ。俺のライフワーク。だ」と発言し。飼い猫の手を招き猫のようにして、見せている。

文章も下手だし、驚くべき展開もない。だが、それをきっかけに、この冒険は始まったのだし、なんだかんだいっていろいろ考えてしまうことが多い。

すでにコメント欄には、結末がどのようになるのかを予想するコメントもちらほらでてきている。

猫への侵略をモロに受け、それなりに苦悩しているような彼だが、これといって不幸せな感じも醸し出していないし、むしろ、普通の人間だった頃よりも、愛があったり、頑張っっていたりするんじゃないかという意見が多かった。


「このままでいいんじゃないかな」「絆を感じる」「結婚式の場面見てみたい。猫とキスして、ウエディングベルも、なかなかイケてる」「その場面感動的かも」「でも、個人的には散歩しにいった家財を探す冒険もしてほしいな」「それはやるだろ」「でもエピソード1的なものはそろそろ終わりっぽいよね」「謎は多いけどな」「わりと苗の方は、敵が誰であるのか気がつきはじめているんじゃないかな」「猫?」「その展開はあるのか?」「でも、倒して、元に戻ったら、それこそ、本末転倒な気がするよ」「そろそろ終わってほしいよ作家さん」


中村「うまくいくと思ってたんだけどなぁ~」

「へい」

中村「なんだろう。どうしてなんだろう?そこらへん分かる?男側から見て?」

「いや、なんですか。男の理想と女の理想の食い違いみたいな?」

中村「うーん違うけど。まあそんな感じ」

「うーん。どうなんですかね。そこを突っ込むと、非常に難しいですよ。みんながみんな王子になれるわけじゃないですし」

中村「そういうんじゃない、もっと大人の話をしてるんだよ」

「相談する相手、いや、話す相手がちがくないですか?」

中村「まあ、いいじゃない暇つぶしなんだし」

「ひどいなあ」

中村「もう少し、演じたほうがいいのかな?ぶっちゃけ」

「ガールズトークなら、友達とかと女子会でやってくださいよ」

中村「まあ、そうなんだけどね。でも、逆に三太君はどうなの?最近恋してんの?」

「気になる人はまあ、いるのかな…いるっちゃいますけど、恋じゃないと思います」

中村「独占欲とかないの?」

「ないっすね」

中村「ふーん。でも気になる人がほかの人に奪われるのは嫌じゃない?」

「どうなんですかね。別にいいんじゃないですか?」

中村「いいの?」

「いいですよ」

中村「それって、いつでも略奪しちゃう。っていう肉食系の発想?」

「いや、そこは、ただ、自由に、自然にそうなんであれば、そうなんである。っていう感じですよ。そこをあえて、おいこら。みたいには、いかないでしょ」

中村「私は絶対無理」

「無理なんですか?」

中村「少なくとも今は」

「今は?」

中村「そうなのよね~。なんか、いい男にはさ。いるんだよね。いろいろライバルが」

「争奪戦ですか」

中村「そう。少しバカげてるとは思うんだけどさ。なんか、他人に幸せを奪われると思うと。むかついちゃって、絶対に負けないってなる」

「へえ~」

中村「三太君も、そういう男になりなさいよ」

「いや~。キツイな~。今日は」

中村さんは、西木さんとうまくいっていると思ったら、西木さんは結構モテるらしく、なかなか手中に入らないようで、悩んでいるらしい。多分西木さんは悪い人ではないだろうし、中村さんがここまで入れ込むのだから、人間的な魅力も多分あるんだろう。

とはいえ、どうでもいい話ではあるのだが…

「ま、とにかく、うまくいくことを願ってますよ」

中村「テキトウなコト言っちゃって、やっぱり顔で決めると思う?」

「いいことには、別に誰も文句はいわないっすよ」

中村「そうだよね~。眠い…」


「私散歩してくるね。最近スマホも面倒で、ちょっと同じ境遇の女の子に会いにいってくる」

「にゃ~」

苗猫猫は、立ち上がり、ドアを開ける。

「そうだな~、多分夕方くらいに帰ってくると思うから、夕飯また、おねがいね」

すっすと身のこなし早く玄関を出る。

「最近、気がついたんだ、私、猫になれて良かったのかもって。猫の視点で歩くのって悪くないよ」

 猫は、廊下を素早く歩いていき、階段を使って降りる。『エレベーターは使えないっていうのがまたね…』

 

…階段を下りるだけで一苦労。

なにもかもが巨大に見えるし。

 ちょっとした冒険気分?でも、ちょっとだけ楽しいかも。

 本当、猫がいつも用心深く、道路を見ているのが、よく分かるし。

 車はいっぱい通るし、自転車も危ない。

 そしてもっとも警戒すべきは猫だ。

 鋭いまなざし、気配は、すぐに分かる。私は監視されている。と思う。

 こういうときは、きっと物陰に隠れず、こそこそと、道路脇を歩くのがいい。

 まあ、喧嘩になったら、本気で戦っちゃうと思うけど。

 でも、これは、私自身の挑戦であり、サバイバルな感覚を養う訓練なんだ。と言い聞かせる。

 獣的な気配もけっこう、感じちゃうし。

 視力や聴力も、全然いままでとは違ってきている。

 猫の着ぐるみを着るのは好きだったけど、本当に猫になっちゃうなんて思ってもみなかった。

 猫の視点ってすごく低いんだな~と思う。

 立ち並ぶ家々もほんと巨大なお城みたいに大きい。

 でも、道路も何もかも、ほんとう、人のためにだけ作られているってのがよく分かる。

 まあ、元人間として、それさえ分かっていれば、なんとかなるとは思うけど。

 いいのは、壁によじ登ったって、駐車場の車の下に隠れたって、誰にも何も文句を言われないことかな。

 ある意味猫に与えられている特権みたいな。そういうの、もっともっと知りたいかも。

 でもキャットフードだけは、挑戦してみたけど、あんまりかな。

 いろいろ、試したけど気に入らないみたいな。

 買ってきて残すと、なんか残念みたいな顔もされるんだけど。しかたないでしょ。

 とくに言葉に出すこともないから、出したとしても「にゃ~」だから

 なんか、よけいいたたまれなくなる。

 最近ちょっとまじめすぎる気がするし? 

 悩んでるのかな~。

 冗談は良くいうタイプだったけど、最近はリアクション芸みたいなのも元気ないし。でも、考えようによっては贅沢。

 だって、あっちはまだ人間の姿をしているわけだから。

 寡黙な人っていう感じであれば、全然、イケるじゃん。

 私なんか?え?もう完璧な猫。誰が見ても、どこから見ても。

 しかも黒猫。

 どうすんの、私の今後の将来?とか考えちゃうと、吹き出しちゃうからな~。

 でも、猫の将来なんて、全然考えたこともなかった。

 大学行くとか。

 会社勤めするとか。

 そんなのないと思うし。

 もともと、猫にとっての、会社とか、学校とかって、ただの昼寝場所かもしれない。

 夜の学校とかは怖いけど。

 でも昼間とかだったら、ちょっと、遊びにいってみたいかも。

 

 もう、そろそろ、敏子さんがバイトを辞めることになった。

 コンビニは、いつも通りの客層であり、そんなに変化はない。

 それと、そんなに多くはないが、定期的に大野の彼女からのLINEが、時々届くようになった。

 日常の変化は、たんたんとだが、一回その方向に進んでいくと、元に戻るようなことはあまりない。

 敏子さんのように、友達でもなく、もちろん恋人でもなく、ただの仕事仲間くらいの人だと、きっと、職場を離れれば、そんなに、会うこともなくなると思う。

 今は、辞める直前だから、そんなことを思うが、きっと、それが1年、2年たつと、だんだん、靄がかかったように、抽象的なことになるのかもしれない。

 ただ、もしかしたらだが、あの、猫の小説で、書き込みが復活するのであれば、ちょっとした、復活劇もあるかもしれない。

 とはいえ、そんなことは中々ないか。

 一度興味を失ったものにもう一度手を出そうとする女の子は、あんまり想像がつかないし。

 「猫かわいい」の一言がないだけで、こんなにも心の中に穴があいたようになってしまうのだなと思う。

 …これは冒険の終わりの暗示なのだろうか? 

 だとすれば、中村さんの猫は戻ってくるのか?

 冒険物語の大半は、苦労に苦労を重ね、発見してハッピーエンドっていうのは多いように思うけど、実際の冒険は多分、圧倒的に見つからない場合が多いのではないか?


 あきらかに挙動不審な猫を見つけた。挙動不審というより、大分オロオロしている。すごく困ってもいそうだ。普通の猫の動きではない。あの猫はもしかして…

 様子を見てみよう。

 じっと、猫みたいに、観察してみようと思った。

 もしかしたら、あんな感じでも、怪しい勧誘なのかもしれないし。

 関わり合ってはいけない気もするけど、ほっておくわけにもいかない気がする。


最近大野は揶揄を含めて合コン王子と呼ばれているらしい。王子もいろいろ最近では見かけるが、どんだけ遊んでいる王子だと思う。(そんな王子、メルヘンの世界にいたか?)

 大学に行くと、大野の合コン話の切れ端が、どこからともなく、伝わってくる。

 なるべく、大学に行くときは、出会いがしらに出会わないように歩いている。猫に出会うなら大歓迎だが、大野に出会うとなんだかんだで1日が潰れてしまう。

 とくに頻繁に連絡があるわけではないが、大野は自分の視界に入ってくるものはなるべく巻き込んでいこうというタイプなので、目の届かないところにいるのが一番いい。

 だから、大野と同じ授業を受けるときは、ずん。と気が重くなる。

 彼がまともに授業にでることはないが、気になる女の子がいれば、すぐに出席したがるタチなのだ。

 そしてすぐに輪を作ってしまう。

 また、周りをいじりたがるし、いじられたがる。という面倒な奴なのだ。

 しかも、いろいろなところが鈍感にできているから、こっちが、どんな雰囲気つくりをしたとしても、土足で、入り込んできて「やあ。どうかね?」と話かけてくるタイプなのだ。

 その問いかけに「ノン」と言おうものなら、まるで、それが、こちらに全力で非があるかのようなしょぼくれた顔をして、「え?どうしたの、なんか悩みでもあるのかい?」と問い返してくるのだ。

 たとえ悩みを言ったところで「ふーん」としか、返さない奴なのだが、その関心ありげで、関心のない返しをするのは、どうなんだい?とつっこみたいが、なんだかんだで、よけいに面倒なので、言ってはいない。

 大野は、女子に関しては、天才小学生が全国の駅名を把握しているのと同じような、記憶体系で記憶されている。

 ただし、それを言葉として正確に表現する能力はない。

 「ああ。うん」とか「そういうことなんだよ」とか「ま、あれでね」とかの言葉で説明してしまうようなタイプだ。

 彼にはⅩのフォローワーがたくさんいるが、そこでのつぶやきも、もちろん「んああ…」「昨日ね…」「…よしきた!」とかしかない。

そこらへんについては、妙に、共感してしまうこともあるが、彼は無自覚的にそれを使っているというところが、ある意味うらやましくもある。

 計算して外すより、無自覚で受け入れられる方がいいに決まってる。

 うらやましいとは思わないが、それは、それで、ある意味才能なのだろう。

 難しい言葉を使っても全然伝わらないこともあるし、大野のように「ああ…」のニュアンスだけで伝えてしまう奴もいる。

 猫だって、あの小説で言っていたように、難しい言葉なんて必要なく、ニュアンスでコミュニケーションを図り、そして、それはそれでうまくいっているわけだ。

 自分に振り返って、別段、普段から難しい言葉を使うほうではないが、なんとなく、物事の真理を突いているような気もするので、自然にすらっと「ああ…」とか言って、それだけで伝えてみたいものだと思う。

 素直に。そう中村さんとかに素直に「脈はないかもですね~」みたいに。いや「そうですね」って言って、それで、悟ってもらうみたいな言い方で…

 とふらふら図書館に入ると、すれ違い様に肩を叩く男。

 「なんだよ」 

「飯を食いに行こうよ」

 大野の顔があった。


 犬小屋って、今のサイズになると立派なガレージみたいに見える…そう、そんなことを気にしている場合でもないのかも。

 猫になった洋服箪笥も見つけに行かなきゃいけないし。

 どんな猫になっているのかしら?…私の洋服箪笥…

おしゃれ好きだと、いいけれど…

 そう、あの不信な猫。そういう散歩にでかけてしまった、元洋服箪笥の猫みたいなものかしら。といぶかったからだ。

 猫になってしまったから、まあ、そんなに、いうほど気にはしなくなったけれど。でも、本当は裸なんだし。

 服を着ようとも思ったこともなかっただけではないけど、お気に入りの? あれ、どちらにしても所在は気になるわけで。

 多分…今巷に、猫ではなかった、猫が増えてきていて、結果的に不審者っぽい猫が増えているのではないかしらん?

 それまで、自分の洋服箪笥とコミュニケーションするなんて考えたこともなかったけど。でも、「あの~、えーと。あの私の?私のって言うのも変なのかもしれないけど、私の洋服箪笥なんだよね?」

 で、気がついてくれるのかな?でも私も猫になっちゃったし、外見で判断するなら、全然。不可能?不可能みたいな話なんだよねきっと。

 しかも、相手は私のことを嫌っているかもしれないし…


 「なんかさ。よく分かんないんだけどさ」と大野は語り始めた。

 大野の付き合っている彼女、名古屋のお笑い芸人チップが好きな女の子との関係が、あまり、よくないという話だった。大野は、それ自体に傷ついている様子もなく「もう終わりかもな」

 と、いったあっけらかんとした、間の抜けた顔をしている。

 「ふーん」


 「まあ、なんつーの。かね。こういうときって」


 大野は、そう言いながらも、スマホをいじって、誰かに返信している。

 とりあえず、大野のことはどうでもいい。かなと思った。

 学食は、それなりに騒がしく、あまりに最近来ていなかったせいか、ちょっとリフォームされているような感じになっていた。

 しばらく、のんびりしていると、LINE着信。

 ―今度、チップを見に行きませんか?

 という大野の彼女からのLINEだった。


 結局、チップのお笑いライブに行くことになってしまい。なぜか、改札口の前にいる。「周りに、チップの笑いを理解している人がいなくて」と言うのだ。

 ふーんという感じで。そんなにチップが好きなわけではないが、何度か似ていると言われたことのある人を見るというのも面白いかも。というところで出かけてみることにしたのだ。

 “名古屋発の大型新人コンビ”ということで、今、女子高校生を中心にひそかにブレイクしているらしい。おしゃれというよりは、こってり感、ちょっとした、懐かしみのあるヤボ臭さを売りに、その親しみやすさから、人気が出ていた。


 正直テレビで見ていても、笑った記憶はない。

 ただ、チップ自体は、そんなに笑いを主においていない、どちらかというとストーリーテラーとして評価が高いようだ。

 その、ちょっとぷっと、笑えるようなショートストーリーがお気に入りの女子が、こぞって、入り口前に集まっている。

 「なんか、あんまり男がいないんだね」

 「そうなんです」

 そして、なぜか、自分に注目が集まっているのを感じる。

 「似てるから…」

 と小声で言う大野の彼女。

 映画俳優に似ているとか、そういうのじゃなくて、名古屋出身の芸人に似ている。というのは喜ぶべきことなのか、どうなのか。


 会場にいる待ち時間。大野の彼女は熱心に、パンフレットを見ている。

「よく、こういうところに遊びにくるの?」

「うーん。たまに」

「ふーん」

「三太さんはどうなんですか?」

「いや、全然、テレビとかだけ」

「私、ちょっとした、おっかけなのかな~。最近だと、チップも人気がでてきたんですけど、見に行くのはチップのいるときだけ」

「ファンなんだ」

「そうです。実は、名古屋出身なんで私。地元的にも応援したいかなって」

「なるほどね」

「そういうのはないんですか?」

「ないよ」

「そうですか…」

「…ところで、大野は、なんか、ちょっと悩んでるみたいだったけど…俺が言うことじゃないか」

「いいんです」

「いいんだ」

「はい」

「ふーん」

大野の彼女は、まっすぐ舞台を見つめ始めていた。 

無駄のない言葉はいいもんだと思う。ニュアンスで伝えられるってのはいいものだ。

ステージにスポットライトが当たり始め、明るくなり始めていた。


チップが普段着で出てくる。

席が二つある。

どうやら駅のベンチのシュチュエーションらしい。


チップに似ている方「あ。あれ? あれ。お前こんなとこで、偶然?」

チップに似てない方「あ。あ。え~」

チップ似「なんだよ。久しぶりじゃん。え?お前最近どうしてたんだよ~」


このシュチュエーションとノリ。なんか大野とのやり取りに似ているな…


チップ似「なんだよ~。おい。最近、お前。バイトも辞めちゃって。心配してたんだ俺。連絡してもLINEの返信はないしさ。どうしたんだよ?あ?」

チップ「あ。あ~。そうだな。なんか、そう…」

チップ似「よし。じゃあ。これから飲もう!とことん飲んじゃおう、な」

チップ「いや~。用事があるから。その」

チップ似「え?なに?用事?用事なんかあるの?嘘だろ?」

チップ「いや。だから、マジで!」

いきなり半ギレになる。

チップ似「あ。怒んなよ。久しぶりだからさ。しかも、ここの電車待ち時間長いし。近況話せよ。別れた彼女のこととか!」

チップ「マジ、うざいなアンタ!ほっといてくれよ。ほんと」


チップの定型ともいわれる形で、うざい先輩と、そこから逃げようとする後輩だ。やぶれかぶれの後輩の反撃みたいなのが人気があるらしい。


チップ似「減るわけでもあるまいし…」

「減るんですよ!俺のテンションが、アンタと話すと!」

チップ似が肩を叩き「たまには嫌いな人間に、悩みを話すのもいいもんだぜ」

腕を払う「ほっといてくれよ。まじ」

チップ似「ガムあげるからさ」

「いらん!」

チップ似「そうだよな。お前が回りに相思相愛をうたっていたあたりには、別の男と付き合ってたんだよな、あの子」

「ううっ」

チップ似「俺も優しい人間だから、それを知っていながら、なんも話さなかったし、お前の一途な感じは、評判は良かったよ。でも相手が悪かったな!残念。あきらめろ」

「ううっ。容赦ないな~」

チップ似「別れ際は?え?どうだったの?少なくともこの件は、お前が悪いんじゃなさそうだし。競争に負けたっていうか。オリンピックみたいなさ。仕方ないだろ。金メダルじゃなきゃいけないんだからさ」

「…俺にたりなかったものは、なんなんだろう。なにが、そんなよかったんだろう」

チップ似「全部だな。とことん全部負けたんだよ。ひとつでも、何か勝ってたら、きっと今は、そうなってないはずだろ?まず顔。顔が決め手だよ」

「顔、顔で決めるな!」

チップ似「そう顔だよ。うん。まず顔だ。俺は公平に、しごく一般的な観点から見て。負けてる。掛け値なしに!」

「分かってんだよ。そんなこと。そうだよ。なんか、テレビの俳優とかで、こんな人と結婚してみたい。みたいな、言ってた奴に顔が似てたんだ。俺。そんな顔とは関係なかったし」

チップ似「だよな。いや~。でも、それって運命じゃね?俺も、そんな人と出会ったら惚れると思う」


この何気ない話の中で、会場はくすくす笑いに包まれていた。

チップの持ち芸は、こういったフラれ話、あるいは告白の失敗、間違った初恋など。恋愛を多く扱っている。男の女々しさを軽くあつかうのが得意なようなのだ。


そしてとなりの大野の彼女もくすくす笑いだ。

正直チップのネタはどうでもよく。どちらかと言うと…


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