♪かわいい前半
こちらまでいらしてくださりありがとうございます。
ぶつかってしまった土台の上で花瓶がぐわんと傾き、活けられた花が揺れていた。
究極に狭い視界の中で、ハウケアは冷や汗を掻く。冷静に手を伸ばして花瓶を押さえた。
慣れない他人の家では気を遣って歩くのだけれども、どうしたって事故は起こる。これまで大変な事故に発展したことはないが、軽微で焦ることは多々あった。
七歳から苦節十年、両手で広げた範囲しか視覚では認識できない世界で生きてきた。
ハウケアの視界は直径二メートルもない。実の兄のかけた魔術が他人による干渉を防ぎ、内からは自分の視界を妨害していた。大人と呼ばれるに相応しい歳になった今でも。
おかげで縁談は実を結ばない。兄の鼻を明かしたい男がやってきては力を空振りして肩を落として去っていくぐらいで、ハウケアを女性として扱う紳士はいまのところいない。
兄は愛しの妹が絡まなければ、話せばわかる類いの人間なのだけれど。両親はいつも悔やんでいる。
問題の兄が学生時代からの親友の結婚後しばらくして兄妹そろってお呼ばれをいただいた。どちらかといえばハウケアは兄のおまけだけれども。爵位に差はあれど、大変仲良くしている姿をハウケアはずっと見てきたし、兄の親友は妹にも親切にしてくれる。だから今回二人してやってきた。
リザルデ侯爵家はさすがに広大で、トイレでさえダンスが踊れるくらい余裕がある。
化粧室から出ると数人のドレスが行き場を塞いでいた。足元しか見えないので人の特徴でなく、ドレスとしか形容しようがない。
「失礼します」
脇を通ろうとしたのだけれど、ドレスはハウケアの前へと移動する。どうしてか彼女らは道を阻みたいようだった。
「ハウケア・エギリオール」
あちらはハウケアについてもちろん知っているようだが、こちらとしては布切れの素材だけではどこのだれだかさっぱり。なにやら明るいお話ではなさそうだし、振り切ってこの場を去るなんてことをしたら後から突き飛ばされたのなんだのでっち上げられそうだ。
「…………」
「まぁ、無視をなさるの?」
無視と初対面での名前の呼び捨てはどちらが失礼の度合いが強いだろうか。
大きな声が重なる。
「分厚い魔術の壁があるせいでお耳も聞こえないのかしら」
「残念なお顔を大事だいじに隠しておく必要はなくてよ」
「アマウリー様は妹のあなたの美貌を世界一とお謳いになるけれど、真相はどうだか」
「お兄様がお隠しになるほど、よっぽど恥ずかしい目鼻立ちなのでしょうよ」
「ええ、その魔術のおかけで、ほんとうにおかわいそう」
「魔術のおかけで助かっている、が正解なのではなくて?」
笑い声は品をなくしてしまっていた。
なまじ兄の見目がよいと、実の妹でさえ近くにいる女だからと嫉妬されるのだなぁ。
妹が出掛ける時は必ず介添人として名乗りをあげる兄は、いくらなんでもお手洗いまでは目を光らせることがなかった。
女性たちが返事をしないハウケアに飽きて放って置いてくれるのを待っているが、なかなか終わらない。
「うるさいぞ。家の中で騒ぐな、パーティ会場は庭だろう」
イライラを隠そうともしない低い男の声がして、ハッと口を閉ざした令嬢たちは蜘蛛の子を散らすようにしてドレスの裾を翻して行った。
たぶんこちらの方角だった、と歩を進める。
ドアをノックしてみたが、返答はもらえない。さっきの男性の声が聞こえたのはこの部屋ではなかったか。近くではあるだろうと、自己満足の謝罪をする。
「私のせいでお騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした」
「……その声、責め立てていた女達とは違うな」
この人だ。扉越しに会話は始まった。
「はい。あなたのおかげであれ以上のことを免れました。
ありがとうございました」
「なにやら魔術がどうとか言っていたが」
声はドアのほう、ハウケアに向かって近づいてきた。
「私に魔術がかかっているのは真実ですから」
「魔術に?」
ガチャリ、とドアは開く。沈黙はたっぷり十五秒は続いた。驚いて、ではなく感嘆したようなため息が聞こえる。
「美しい術式で賞賛に値するが。……恨まれてそうなったのか? それにしてもその数は狂気としか思えない」
魔術のふたつみっつで姿が見えなくなることはない。何十何百と心配性の兄がかけ続けたために、姿が歪んでしまうまでになった。
「兄の心配の数だけ、魔術が重なっているのです」
「……ああ。よく見れば防衛系の魔術ばかりだな。
立ち話もなんだ、入るか」
男性の私室なのだろう、と未婚女性としては入室に迷ってしまう。
「その、かけられている魔術について詳しく調べたいのだが。よければ座りながら。体に触れたりはしないと約束する」
うずうずと体全体が揺れている。魔術一辺倒の兄と同類か。「茶ぐらいなら出せるぞ」と重ねて言われたので、調査以外の目的は無さそうだと踏み入る。「左に五歩進めばソファがある」との指示に従いソファに腰掛けた。
「これだけの数の魔術があっては不便だろう。解かないのか」
「解けません。私の魔術は兄にかけられたものです」
「実は兄妹仲が悪いのか」
「悪意はありせん。兄は私を大切に思うあまり、常識を超えて……たまに行き過ぎた行動をとることがあり……」
守るための魔法でも、視界を遮るのでは邪魔になる。
「生活もままならないだろう。解いてしまえ」
「兄はオンダラグ国でも屈指の魔術師なのです……お恥ずかしながら、妹の私は才能に恵まれず、自分ではどうにもできません」
「では僕が解いてやろうか」
「……できるのですか? でも……」
「そのくらいならば暇つぶしにはなりそうだ。解いてほしいのか、ほしくないのか?」
何百の魔術の解析を時間潰しと言う。よほど自信があるのだろうが、ハウケアは即答を避けた。
「この魔術をなくせるのならなくしてほしいですが、それも困るといいますか」
凝り性の兄がこつこつ毎日のようにかけた魔術はどんどん精度を上げ、並大抵の魔法使いでは解けないようになっている。それにとどまらず彼は「妹にかけた魔術を全て解いた者に妹にプロポーズする権利をやる」と、どこそこでとんでもない喧伝をしているのである。結婚を認める、ではなく求婚の権利というところがまだハウケアの意思を尊重していると思えるのでましだが。
「どっちなんだ?」
「できましたら、ギリギリ、透けて物の輪郭が見えるくらいまで減らしていただいてもよろしいでしょうか?」
目の前の彼が求婚の権利うんぬんの件を知らぬとして、全ての魔術を解かれては彼が窮地に立たされる。兄なら危害を加えかねないので。
「残しておくのか? ……まぁ身を守るものには間違いないだろうが」
ハウケアを取り囲む魔法陣のうちのひとつが一秒ほど光り、差し出されたティーカップが縦半分ほど目の前に現れた。受け取るとよい香りが立ちのぼっている。
「ありがとうございます」
「いま毒物の有無を検知する魔術が作動したな」
「えっ……」
皿に乗った焼き菓子が伸びてきた。再び光る魔法陣。
「ほら、これだ」
声が弾んでいる。
「毒を実際に検出したら僕は攻撃魔術によって倒れていただろうな」
「に、兄さまったらそんなものまで」
「これまで病気になったことは? そのときに医師からの処方で薬を飲んだことはあるか?」
「風邪をひくくらいでしたら。熱冷ましと、睡眠促進のお薬はもらったと記憶してます」
「それらを服用したときも魔法陣は光っていた?」
「はい、言われてみれば。光るだけで、他にはなにも起こりませんでしたので気に留めてなかったのですが」
「へぇ。毒と薬の区別はなにを基準にしているんだろうか。量か、まさか反応すべき薬物の成分を魔術式に細かく登録しているわけではあるまいに……きみの体の変化をみるのか?」
差し出した飲食物の毒を疑われた、と気分を害した様子ではないのは安心したが、気になるのはそこか。
紙になにか書き起こしているようで、ペンを走らせるカリカリと音がして、止んで、またカリカリと聞こえる。
「恐れながら、あなたはリザルデ侯爵家のご令息ではいらっしゃいませんか?」
当たりはつけつつも、あまり確信が持てなかったのは、侯爵家長男であるプラネウスの声質と話し方が大きく違ったからだ。兄弟ならば似ているだろうに。プラネウスは朗らかで社交的。兄の話だと弟は淡々として魔術については饒舌になるが机にばかりかじりついているという。この男のことと言われれば納得できる。
ハウケアの兄は、プラネウスを通して彼の弟と一瞬顔を合わせたことがあるらしいが、それきりだという。ハウケアもこのときまで名前を知るのみだった。
「そうだ。次男のコンスタンティンという」
やはり、とハウケアの背筋に冷たいものが伝う。引きこもりで人嫌いの魔術研究家コンスタンティン・リザルデかの人だった。まだ十代にして社会を圧巻させる魔術の先駆者。
「名乗りもせず多分に失礼をいたしました。私はハウケア・エギリオールでございます。先日は兄君であるプラネウスさまのご結婚、おめでとうございます。お祝いの席にご招待いただき、本日は兄であるアマウリー・エギリオールと参りました」
「どうも。……アマウリー殿の。とはいえ魔術のかたまりにしか見えん」
「はい。ご覧になった通りですけれど、生きた人間です」
「僕も兄からきいたことがある、面白い友を得たと。妹が絡むと暴走しがちの阿呆だがとても優秀な魔術師らしいな」
合点がいったようだ。近親者を前にしておいても貶すほどの評価を素直に口にするところは、きっと裏表がない人柄なのだろう。飄々と言い切るので、単に口が悪いだけなのかもしれないけれど。
「思い違いのないように言っておくが、僕の兄が言う『面白い』とは世間一般から見て『逸脱した』と同意議だ。兄もややひねくれているからな」
どうだろう、やはり性格が悪いほうか。
「さようでございますか……。否定はいたしません」
いくら妹がかわいいからと、箱に閉じ込めるようにしてガチガチに魔術をかけまくるのは『やばい』人間だろうから。
ハウケアに触れようとすれば針が降ってくる魔術。
ハウケアに声が聞こえなくなる魔術。
大轟音を発生させる魔術。
羽虫を発生させる。
毛虫を這わせる。
肥溜めに落とす。
などなど。
相当な高度なはずの転移魔術まで組み込むとは恐れ入る。
さすがに話しかけられただけでは反応しないので、嫌味などは通用してしまう。それがさきほどの令嬢たち。
「さっそく作業に入りたいのだが、用意はいいだろうか?」
「はい、どうぞ」
間髪入れず、上下左右の魔法陣が無作為に色を失い消えていく。目につくところから手当たり次第だ。
魔術を解くうちに、コンスタンティンはのめり込んでしまった。どうにかして終わりまで追求したくなってしまい、思考を忘れて少女にかかった魔術をひたすらに消していく。
一つひとつが独自の魔術で、簡単なものから複雑なものまで幅広い。
己の発想を越えるものを解き明かしていくのが。手応えのあることが。脳に新しくビリビリくる刺激が。
純粋に楽しい。
コンスタンティンは、魔術の一部を残すという当初の取り決めを失念してしまっている。
ーーああ、心が湧き踊る。
「リザルデさま」
コンスタンティンの口元に無意識下で笑みが浮かんだときに水を差された。
無表情に戻る。
「……なんだ」
全体の輪郭はぼやけているが、中で動けば判別できるほどに魔術の壁は薄くなっていた。
「ここまでで結構でございます。お手を煩わせましたが、魔術を解いてくださり感謝いたします」
「いや、すまない。集中しすぎていた」
「まぁ、兄の魔術をこんなにも理解できる方がいたなんて」
魔術にまとわりつかれ、気分は海の底にいるかのようだった。兄から外の世界の危険をとくと聞かせされ、両親もハウケアのことを心から気にかけて守るために思考し行動してくれる。幾重にも重なる魔術陣は光と酸素を遮断する分厚い水の膜だ。
コンスタンティンの登場でハウケアの世界の水底に光が届き、酸素の供給が再開された。
「ドアが開いているけれど、誰かと一緒なのかい、コスチャ?」
コンコンと適当なノックとともにやってきた男はハウケアの存在を認めるなり「おおっ」と感動を示した。
「俺の弟のコスチャが! 人間の女の子と部屋にいる!」
両腕を横に大きく広げてから弟の肩を抱いた青年はリザルデ侯爵家長男だった。うすぼんやりと、黄色っぽい頭部と緑っぽい瞳を持つ人物であることがようやくわかった。プラネウスと知り合ってから数年にして初めてのことだった。兄弟はおおよそお揃いの色を持っている。
「人前でまで『コスチャ』はやめてくれ、兄さん」
苦々しく咎めた。少し子供っぽい響きのある愛称は、青年となる弟には似合わない。肩から兄の腕を外す。
「いやだね。お前はいつまでも俺のかわいい弟なんだから。ああ、かわいいと言えば、アマウリーがかわいい妹を探していたよ。そこにいるのがアマウリーのかわいい妹のハウケア嬢だ、コスチャは自己紹介できたかな? 俺とは先ほど挨拶したぶりだね」
何回かわいいと挟み込めば気が済むのか。アマウリーの中で妹につく絶対の冠詞で修飾語として親友に言い聞かせているせいだ。もはや装飾ではなく名前と融合してひとつとなってしまっている。ハウケアは「かわいい」の概念の崩壊を感じつつ、頭を下げた。
「申し訳ございません。私がすぐに戻らなかったからですよね。家主に探させるなんて、お手数をおかけしました」
「こちらこそ弟が失礼をしてたと思うからごめんね、かわいいハウケア嬢。この子はいつもなら人と会うのも嫌がる子なんだけど、お話ししていたのかな? 女の子にもすぐ意地悪を言う子だけれど大丈夫だった?」
「相容れないようなことはなにも言われておりません。お話し、も、しておりました、ような?」
しどろもどろになってしまう。兄の魔術の守りがあるとはいえ、やはり淑女として、介添人もなしに親族以外の男性と会うのはよろしくない。兄はとくにこの場に介入していないことに怒り狂うだろう。
「僕が彼女にかけられた魔術を解いていただけだ」
「コスチャ、なんてことをーー」
「オレのかわいいハウケアの声がここから聞こえた!」
隙間のあったドアをさらに開いて、アマウリーは堂々と入ってきた。
コンスタンティンの許可もなく入室した人物に「僕の部屋だが」と言いたそうにしたが面倒なのか口を閉ざした。そんな部屋の主を横に、アマウリーはこの場で唯一の女性に釘付けになっている。
「オレのかわいいハウケアの……、愛くるしい姿がうっすら見えてしまっている! 男に見られた?! 誰にこんなことをされたんだい?! オレの魔術を解いてしまうなんて!」
まるで誰かに襲われたような言種に、ハウケアは慌てる。
「兄さま、やめてください。この姿を見てもどなたも『愛くるしい』などと思いませんから」
ハウケアからはかろうじて色がわかる程度なのだから、外からも同様だろう。濡らした紙に落とした水彩絵の具のようにあやふやなのに、その美醜までわかろうはずもない。
「アマウリー、きみのかわいい妹にかかった魔術を解いたのは俺の弟だよ」
ハウケアの兄がじとりと青年を睨めつける。
「コンスタンティン……、女には興味がないと言ったじゃないか」
アマウリーは初対面のコンスタンティンに、「妹の気を引くようなことをしたら許さない」と申し伝えていた。顔も名前も知らないハウケアのことを、だ。魔術について意気投合して語り合って過ごした帰り際だったのにその場の空気が白けた。聞きしに勝る妹愛の強い御仁だ、とその後の交流をためらった。
「女の子には惹かれなくても魔術大好きだからね、この子は」
プラネウスが余計なことを言う。が、この場合は助け舟だろうか。
「かわいいハウケアの魅力がわからないと?!
この真、善、美、が! わからないと!」
妹に興味があってもなくてもダメなようだ。この場合の正解はいかに。
毛を逆立てる猫のような兄の背中を撫でながら、ハウケアはリザルデ兄弟にすみませんと謝る。もちろん、兄に対してはあらゆる魔術は無効化してある。家族以外の人間は基本的にハウケアには触れられない。
「いやこんなんじゃ絶対わからないよ。あと何百個魔術残ってるの」
はは、とプラネウスが笑う。
「こんなにもはっきりと、流れ星より美しく輝くバニラ・ブロンドと天使の心より澄んだ瞳の色が見えてしまっては、春の女神の化身だと勘付かれるだろうが!! こうしちゃいられない……男たちに見られる前に早く帰ろう、かわいいハウケア」
きびすを返そうとした兄妹に待ったをかける。
「お待ちを、アマウリー殿」
彼の妹の扱いに大変不安を覚える。
「大切な存在を守る方法はさまざまにあるのだろうが。いつまで魔術を悪用するつもりだ。才能の無駄遣いだろう」
「悪用? どこがだ。かわいいハウケアを守れるのならこれ以上有益な使い道はない! オレの才能はかわいいハウケアのためにある」
アマウリーは胸を張った。
「荒事への立ち回り方を教えたり、綺麗な仮面をかぶった化け物だらけの社交界の中でも生きていけるように指導するのが先人の兄たる者の務めなのではないですか」
社交界での身の振り方はコンスタンティンだって身につけているわけではないが、ハウケアへのやり方はあんまりだと思った。彼女はもう十代も後半なのだから。
「要らないな。オレの魔術が全てを解決する」
「それに。ハウケア嬢にかけられていた毒物検知の魔術は王族にも有益な代物だ。提供なさればよろしい」
「求められれば渡さないこともないが、これはかわいいハウケアのために開発した魔術式だ」
明後日の方を向き、馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「オレなんぞにできることは王族付きの魔術師さまができないわけがない」
プラネウスは片眉を上げた。口には出さないがこれは正しくない。アマウリーほどの腕を持った魔術師は国の中心部にもいない。王宮魔術団から熱心に勧誘を受けているのに、「オレの持ち得る技術の全てはかわいいハウケアのため」とすげなく断っているのを知っているから。執拗に求められ、いたたまれなくなったハウケアに助言されれば開発した魔術の一部を提供したりはしているようだが。もらった謝礼でまたハウケアのための魔術の新開発が進むのだから、それはそれで国に貢献していると言えるのだろうか。
「リザルデさま」
兄弟は仲良くハウケアを見た。名字で呼んだのではどちらのことかわからない。
「コスチャを呼んだのかな? なんならコステルって呼んであげて」
弟は兄を睨む。
「……コスタでいい」
返答になぜか彼の兄がにんまりしている。
「では、コスタさま。兄の失言を代わって謝罪いたします」
「なんとも思っていない。気にするな。きみが魔術を完全に解きたかったら連絡をくれ。久しぶりにやりがいがあって楽しかった」
「これ、コスチャの本気の本音だから。とくに最後は間違いなく」
兄が注釈をつける。
魔法陣が見透かすことを阻むのに、ハウケアが笑ったのがわかった気がした。
エギリオール兄妹が去った部屋で、プラネウスは弟の頭を小突く。
「ハウケア嬢のことをどう思った?」
「どうって……不憫だろうあれは」
生活にも支障がありそうなあの状態。
「同情ってことか」
兄はコンスタンティンの答えに不服なようで、眉を下げた。
「他人への同調は苦手だが、あれでは僕だって憐れむ。それから、あの兄を持つにしてはまともな感性の持ち主だな」
「同意する。魔術以外の話はしていないのか?」
「魔術……以外に、彼女について殊に指摘する点があっただろうか?」
「コスチャ、お前は魔術のことばかり考えすぎだ。魔法陣ばかりのお硬い頭の隙間にちょっと砂糖を詰めたくなる」
「なんだそれは」
「甘いこともその脳みそに味わわせてやりたい、ってことだよ」
「糖分なら適度に摂っている」
「……そういうことじゃない……」
「兄さんは頭に花畑が詰まっているくせに」
「はぁ?」
「義姉さんが部屋から出てこないのは悪阻なんだろう?」
「なんで知って……?! お前だって部屋からでないくせに!」
プラネウスが面白いくらいに取り乱す。
「この屋敷の使用人全員が知ってるさ」
兄の耳には入らなそうだが、ため息をついた。
「それにしてもアマウリー殿は突き抜けているな」
かわいいハウケア、かわいいハウケアとうるさいアマウリーの声がしばらく頭に残る。
ーーなんだこれは暗示か? 催眠術にでもかけられた気分になる。