11月5日 モヤモヤ
俺は、新田という名字が嫌だった。もしかしたら、今頃、この名字がじゃなかったのかもしれない。そんな気持ちがフツフツと芽生えていた。テストの名前の欄を見て思った。点数は、95点という結果でクラスの一番みたいだった。
頭が良くてスポーツもできる。これが、周りからの評価だった。嬉しいような嬉しくないような。どこか、そういう"なんとなく"のカテゴリに入れられている気がしてあまり好きじゃなかった。俺にも何かあればな、、、。
同じ海美高校だったら、高校生起業家としたらメディアにとりあげられた山城風華、ムードメーカーで芸人志望の成瀬泰輝、ヤンチャで一匹狼的な存在である『fours』の東藤蒼や野球部の春風未來やたちの方が、自分よりもよっぽど凄かった。
でも、彼らや彼女たちはあまりにも、一般的な生徒とは比較対象にならないらしく諦めてしまう場面が多いみたいだ。だから、少し頑張れば慣れそうな俺をそう評価するのだろう。スクールカバンに入ったテスト用紙を机の上に出していく。このスクールカバンは、もう取っ手がボロボロになっていた。もう、6年目だから、仕方がない。
俺は、中学校から私立の海美中学校に進み、高校はそのままエスカレーター式で上がっていった。それなりの学業成績をおさめていて、進学希望の大学にも合格圏内だった。部活は、中学校からずっとバスケットボールをしていた。中高ともにチームの中心選手として試合に出場。そこそこの大会成績を出して引退。
バスケットボールもとても好きと言うことはなかった。たまたま中学で始めたら、他の選手より上手かったから高校まで続けていたというだけだ。運よくたくさん試合に出ていたら、たまたまチームの成績もよくなった。スクールカバンを床に置き、筆記用具を取り出した。
今は、受験勉強しながらいろいろ考える日々を送っていた。後、4ヶ月で卒業というのに、自分の頭の中は、あの日のまま止まっているようだった。俺は、ゆっくりゆっくりノートをめくっていく。昨日の10月31日の欄には、写真という名のシオリを挟みこんでいた。
俺の最大の困りごとは、親だった。両親は、俺が小学校5年生の時に離婚して、母親が家を出て行ってしまったのだ。それから、何をしても楽しいと思えなくなってしまっている自分がいた。別に、母親が特別好きだったという気持ちもないし、今でも会いたいとかもない。でも、心にポッカリと穴が空いてしまった感覚だった。




