撲殺その45 パン工場の受難
「ようこそいらっしゃいました……」
九月も終わりのある日。無料食べ放題イベントを行っていたパン工場を訪れたレベッカを出迎えたのは、非常に暗い顔をした男性であった。
「なんだかものすごく顔色が悪いのですが、どうなさいました?」
「機械の挙動がおかしくて、作る段取りをしていないはずのパンを大量に作ってしまいまして……」
そう言って、大きくため息をつく男性。
「どれだけ機械を調べても、原因が全く分からなくて困っています」
「ふむ。作ってしまったパンはどうなります?」
「出荷できるものは出荷し、直売でもある程度は売りますが、大部分は廃棄になりますね……」
「それはもったいない!」
「ですので、今日はたくさん食べていってください」
そう告げて、ため息をついて立ち去る男性。
その不吉な後ろ姿に、少し考えこむレベッカ。
「禁じ手にされてはいますが、こっそり探知をかけますか……」
そう呟いて、ダウジング用のロザリオを取り出すレベッカ。
やりすぎるから事故を起こすのだということで、とりあえず普段聖水を作る時ぐらいの量の神気を流し込む。
神気に反応してロザリオが緩やかに回転をはじめ、レベッカを引っ張るように事務所のほうを指し示す。
「ふむ。事務所に何かある、と」
その反応に、やはり霊障の類であることを確信しつつ、どうしたものかと考え込むレベッカ。
今日は依頼を受けているわけでもない一来場者なので、事務所に入り込む口実がないのだ。
「……そうですね。私が深く考えたところで、たいして意味がありません。いつものように脳筋方式で進めましょう」
下手な考え休むに似たり。そう割り切って、事務所の近くまで移動。いつものように手を胸の前で祈りの形に組む。
レベッカが祈りのポーズをとった瞬間、周囲を夜の闇が覆いつくし、空に見事な満月が浮かび上がる。
「主よ、再びこの両手を血に染めることをお許しください」
その祈りの言葉と同時に、辺りにパンを主題にしたとんでもグルメ系アニメの主題歌がBGMとして鳴り響く。
BGMに合わせて修道服でも隠しきれていないグラマーで肉感的なボディラインを強調するかの如くレベッカの全身が光り、その豊かな胸の谷間から聖痕が浮かび上がる。
浮かび上がった聖痕がレベッカの左右の拳に宿り、足元から吹き上がった風が修道服の裾をはためかせベールを吹き飛ばす。
ベールが吹き飛んだ拍子に三つ編みがほどけたらしく、素晴らしい金髪が風にたなびく。
光がレベッカの修道服をモーフィング変形させ、やたらあちらこちら無駄に露出したパン職人の服へと変える。
その場を濃密な神気が包み込み、レベッカの聖痕がフルパワーで解放される。
「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
特濃の神気にあてられて、霊体の何者かが悲鳴を上げながら事務所から出てくる。
どうやら、そいつが今回の黒幕のようだ。
「では、互いの罪を清算しましょう」
いつの間にかごっついガントレットに包まれた両拳をピーカブースタイルに構え、いつものようにアルカイックスマイルでそう宣言するレベッカ。
「つ、罪って何のことだよ!? おいらがやったことなんてちょっとしたいたずらじゃん!?」
レベッカの宣言に対し、全身からプスプスと煙をあげながらさも心外といわんばかりに抗議する霊体の小鬼。
いわゆるグレムリンといわれる類の、機械やソフトウェアにいたずらをして誤動作させたり故障させたりする妖精だ。
妖精とか精霊の類は、悪さをしすぎると瘴気をため込んでしまって邪妖精や邪精霊と呼ばれる存在に変質し、エクソシストの浄化攻撃で致命傷を負うようになる。
このグレムリンは、すでに引き返せるところを超えて完全に邪妖精化しまっているようだ。
なので、レベッカは容赦なく相手をボコる。
所詮限度を見余ってやりすぎて邪妖精化しただけのグレムリンなので、ちょっとした打撃であっさり消滅する。
あまりの雑魚さに慌てたように消滅の直前にカットインが入り、レベッカの単なるストレートパンチから大急ぎで天使が飛び出す。
どうにか出現タイミングを取り繕うことに成功した天使が、祈りのポーズのまま羽根を散らしながら天高く舞い上がる。
「主よ、この哀れな子羊に救いの手を」
それに合わせて相手に背を向け、お約束のまったく心のこもっていない雑な祈りの言葉とともに、胸の前で十字を切るレベッカ。
レベッカの祈りに合わせてまき散らされた羽根を覆いつくすように浄化の光が広がり、柱となって天地を貫く。
光の柱が消えると同時に周囲の光景が昼前のパン工場の事務所前に戻り、レベッカの服が普段の修道服に変わって、どこに飛んでいたのか最初に吹き飛ばされたベールがレベッカの頭にふわりとかぶさる。
ベールがかぶさったところで強引にBGMが切り上げられ、今回の戦闘が終了する。
「な、何事ですか!?」
さすがに外が満月の夜になったとなれば、完全にスルーするということもできなかったらしい。
工場から先ほどレベッカに挨拶をした男性が飛び出してくる。
「ああ、すみません。先ほどの話を聞いて、もしかしたら何か霊的な問題があるのかと思って確認したら、グレムリンという機械関係をおかしくする妖精が邪悪化したものが取り付いていました。とりあえず始末しておいたので、恐らく今後は普通にパンを焼けると思います」
「ほ、本当ですか?」
「はい。悪霊とか妖精とかそういったことを信じていただけるのであれば、ですが」
「さすがに、あんな怪奇現象が起こった以上、そこを疑う気はありません」
「ですか。それでは、せっかくなので食べ放題のパンをいただいて帰りますね」
「ありがとうございます!」
レベッカの言葉に、深々と頭を下げる男性。
それを背に食べ放題の会場に向かうレベッカ。
「どれもこれもおいしいですね。三色パンというのは初めて食べました」
「そのパン、本来はうちのラインでは作ってないパンなんですよね。採算も合わないから、基本的には製造の選択肢に上らない感じでして」
「ふむ」
「他にもカステラサンドとか、たくあんをマヨネーズであえたペーストを塗って挟んだコッペパンとかは、そもそも他所のメーカーの看板商品なので外聞が悪すぎて作る気もなかったんですけど……」
「まあ、できてしまったものはしょうがないですし、売るつもりがないのであればここで証拠隠滅もかねて消費してしまいましょう」
「ありがとうございます。たくさん食べてくださいね」
大した仕事でもなかったこともあり、サクッとグレムリンを撲殺したことを忘れてパンを食べまくるレベッカ。
この日は結局、食べ放題のパンの二割ほどを消費して、お土産までもらって上機嫌で帰宅する。
そんなレベッカに後日、日持ちするものを中心に普通のご家庭なら一か月分ぐらいにはなるであろう分量の正規品のパンが、パン工場から礼状付きで送られてきたのであった。
食い物で遊んだら天罰が下ったという、それ以上でもそれ以下でもない話でしたとさ。
これ以上内容を膨らませられなかったぜ、ちくしょう……。




