撲殺その40 聖女様の最強論議
部屋を片付けてたらマジカルトカレフなやつを発掘してしまった件について
「ふむ、ボクサーか」
もうそろそろ七月に入ろうかというある日。
仕事の前の腹ごしらえにと目についた食堂に入ったレベッカは、店の隅で真昼間から飲んでいた割とまだ若い客にそんなことを言われる。
「ええ、それが何か?」
「いや、なに。大したことじゃない」
と言いつつ、どことなく見下したような視線を向けてくる客。
その視線に、何となく言いたいことを理解するレベッカ。
「そうですね。見たところあなたは組み技系の、それも関節技を主体としているとお見受けします。ただ、技法としてボクシングと関節技のどちらが強いかとか、そう言う話は不毛なのでなしでお願いします」
「なるほど、賢明と言えば賢明な言い分だな」
そう言って鼻で笑う客。
それに対し、とても面倒くさそうな表情を浮かべてしまうレベッカ。
正直な話、レベッカとこの客を比較すると、トータルでは互角と言ったところ。
一対一ではレベッカのほうがかなり分が悪いが、恐らく集団戦や特殊な相手だとレベッカのほうが圧倒的に強い。
が、そもそもの話、ギリギリとはいえ人間の範疇に収まるレベルでどちらが強いなどと言ったところで、もっと上の次元から見ればどんぐりの背比べでしかない。
なので、レベッカはこの手の不毛な最強論争には一切興味がない。
「確かに関節技はてこの原理が通じる相手には圧倒的な強さを誇りますが、単純なダメージだけを言うなら地面と自重を武器に出来る投げ技のほうが上ですし、打撃技の強みは出が早いことと掴めない相手にも攻撃を叩き込めることです。それぞれ用途や長所が違うのに、どれが一番など言うだけ不毛ですよ」
「ふん。関節技こそが王者の技だ。その前にはどんな理屈もただの言い訳にすぎん」
客の言葉に、ああ面倒臭えと内心でぼやくレベッカ。
それを言って馬鹿にされないだけの実力は確かにあるようなのだが、わざわざ行きずりの客であるレベッカにその理屈を吹っ掛ける時点で三下臭がすごい。
「はいはい。そういう理屈は戦車を関節技だけで完全破壊してから言ってください。ちなみに、打撃と投げ技に関しては実現した人を知っています」
「むっ……」
「それにそもそも、格闘技なんて榴弾砲でも叩き込まれた時点で終わりなんですから、どれが強いかなんて大した意味はありません。必要なときに目の前の相手を仕留められるなら、手段なんて何でもいいんですよ」
客に対してそんな極論をぶつけるレベッカ。
すさまじい技量を持っている割に、レベッカはボクサーであることにこれと言ってプライドも思い入れもない。
単に他の手段を持っていないからボクシングで相手を殴り倒しているだけで、叩き込まれたのがカポエラだったらカポエラで蹴り殺していたことだろう。
「ちなみに、私も一度だけ、戦車を殴って破壊する羽目になったことがあります。硬いし丈夫だしで、あれはもう二度とやりたくないですね」
普通に考えればフカシ以外の何物でもないことを、どことなくうんざりした表情で口にするレベッカ。
言うまでもないことかもしれないが、アメリカ在住時代に実際に経験している。
ちなみに場所は中東で、除霊を終えた後に内戦一歩手前レベルの抗争に巻き込まれて物理的に粉砕して突破した、というのが戦車を破壊する羽目になった経緯である。
なお、レベッカの見立てでは、この客は戦車にひるまず組み付きに行けるのであれば、砲塔ぐらいは破壊できるというもの。
人体の構造上、そこから先は戦車に関節技をかけるのが難しいため、恐らく戦車を破壊するのはそこが限界であろう。
「はいはい、ようちゃん。いちいち誰彼かまわず絡まないの」
そこへ、小鉢を持ってきた店のおかみさんが割り込んでくる。
「はい、これサービスね。注文決まった?」
「そうですね……これからカロリーを大量消費するので、ボリュームがあるものが欲しいです」
「だったら、若鳥(大)だね」
そう言って、注文を通すおかみさん。
その後、少し心配そうな表情を浮かべて確認する。
「まさかと思うけど、カロリーを大量消費するって、ようちゃんを殴り倒すとかじゃないでしょうね?」
「いえいえ。さすがに悪霊に憑りつかれている訳でもない人間を殴ったりはしません。この後仕事で幽霊を殴る必要があるのですが、霊体を殴れるようにするのに大量のカロリーが必要でして」
「ああ、お客さんそっち方面の人? ってことは、二丁目のビル?」
「多分そこですね。遠目で見た感じなかなかの状況でしたから、これは先にカロリーを蓄えておかねば、と思いまして」
「なるほどねえ」
レベッカの答えを聞き、心底納得したという態度でうなずくおかみさん。
昔は心霊現象否定派でその手の業界の人間は詐欺師だと思っていた女将さんだが、二丁目のビルで心霊現象に巻き込まれてC級の退魔師に助けてもらって以来、すっかり肯定派になってしまっていたりする。
「話の流れからして、お客さんもしかして幽霊を殴って仕留める系?」
「はい。弱い者であれば聖水で浄化しますが、それでどうにもならない悪霊は殴って仕留めますね」
「なるほど。幽霊って関節技とか効きそう?」
「相手によりますね。不定形だったり群体だったりすると、関節技も何もなさそうですし」
「そりゃそうだ」
レベッカの答えに、からからと笑うおかみさん。
節足動物より単純な肉体構造の生き物には、基本的に関節技は効果が薄い。
「ちなみに、基本的に柔らかすぎるものにはそもそも、打撃だの関節技だの関係なく素手での攻撃自体が効きづらいです」
「だろうねえ」
「結局、素手はどこまで行っても素手ですので……」
身も蓋もないことを言うレベッカに、違いないと笑うおかみさん。
そんな話をしていると、手を添えないと運べないほどの高さにチキンカツが盛られた定食が運ばれてくる。
「若鳥(大)、お待ちどうさま」
「ありがとうございます。あの、大ということは、小はどれぐらいの量でしょうか?」
「チキンカツの量が一枚になるね。中が標準で二枚だよ」
「なるほど」
そう言ってから値段を見ると、小と大では倍も差がなかった。
「これはまた、安いですね」
「基本的にサービスメニューだからね。その代わり、食べきれなかったら持って帰ってもらうけど」
「ですか。まあ、私にはちょうどいいぐらいの量ですが」
そう言って食前の祈りを行い、定食を平らげにかかるレベッカ。
そこに、今まで黙っていたようちゃんと呼ばれた客が、ようやく喋れるとばかりに口を突っ込んでくる。
「色々と無茶苦茶なことを言っていたが、本当にそんな訳の分からないものを殴ってきたのか?」
「はい。今日だってこれから殴りに行かなければいけないので、わざわざここでカロリーを摂取してるんですよ。何だったら、一緒に来ますか? 場所はおかみさんがおっしゃった二丁目のビルです」
「……そういうのは見えないから信じてないんだが、そこに行って俺に相手が見えるのか?」
「見えるかどうかは相手次第ですが、まあ何かいることぐらいは分かるかと」
「あそこ行って何もないのは、逆にすごい才能なんじゃないかねえ?」
疑い深そうに言うようちゃんに対し、レベッカとおかみさんがそう告げる。
世の中には、どれだけ鈍かろうが霊的に何かあると分かる場所というのが、結構あちらこちらに転がっているものである。
「まあ、そういう訳ですので、事実かどうかは現場で確認ということで」
そう言って、話をしながらすでに三分の一近くを食べ終えたチキンカツを食べる速度を上げるレベッカ。
こういうのは、熱々でジューシーなうちに出来るだけ多く味わいたい。
そんなこんなで、いつものように十五分ほどで定食を平らげるレベッカであった。
「ふむ、ここですか……」
「……なるほど。おかみさんがあんなこという訳だな……」
「ここまでだと、普通に何かが見えそうですね」
食事を終えてから五分後。現場となった雑居ビルの前。
見間違いようもないほど凝縮された怨念を前に、微妙な表情で互いの見解を口にするレベッカとようちゃん。
雑居ビルは、霊的な視力がない人間にも何となく近寄りたくないレベルで空気が澱んで見えるほど汚染されていた。
「それで、あんたはこれを殴って処理すると言っていたが……」
「そうですね。まあ、千発も殴れば終わるでしょう」
ようちゃんの言葉にそう答え、荷物を下ろして胸の前で両手を祈りの形に組むレベッカ。
レベッカが祈りのポーズをとった瞬間、まだ昼間だというのに周囲を夜の闇が覆いつくし、空に見事な満月が浮かび上がる。
「主よ、再びこの両手を血に染めることをお許しください」
その祈りの言葉と同時に、辺りにキョンシーをテーマとした古い香港映画の主題歌がBGMとして鳴り響く。
BGMに合わせて修道服でも隠しきれていないグラマーで肉感的なボディラインを強調するかの如くレベッカの全身が光り、その豊かな胸の谷間から聖痕が浮かび上がる。
浮かび上がった聖痕がレベッカの左右の拳に宿り、足元から吹き上がった風が修道服の裾をはためかせベールを吹き飛ばす。
ベールが吹き飛んだ拍子に三つ編みがほどけたらしく、素晴らしい金髪が風にたなびく。
光がレベッカの修道服をモーフィング変形させ、やたらボディラインを強調しつつ露出をギリギリまで攻めたデザインのエロいチャイナドレスへと変える。
その場を濃密な神気が包み込み、レベッカの聖痕がフルパワーで解放される。
「では、互いの罪を清算しましょう」
いつの間にかごっついガントレットに包まれた両拳をピーカブースタイルに構え、いつものようにアルカイックスマイルでそう宣言するレベッカ。
ばら撒かれた神気に焼かれ、ビルを包んでいた怨念が巨大なスライム状の何かになってレベッカに襲い掛かる。
一連の流れを見ていたようちゃんが、全力で引いた表情を浮かべている。
「一体何なんだこれ……」
いろんな意味で突っ込みどころが多い状況に、それ以上のコメントが出てこないようちゃん。
そもそもどう見ても動きがボクサーで人種としては西洋系なのに、カンフーアクションのBGMでチャイナドレスなのが意味不明すぎる。
ここまでくると、関節技が最強かどうかなど考える意味もなくなる。
その間にも、レベッカがスライムを殴りまくり、どんどん体積を削り取っていく。
「……確かに、こいつ相手に関節技は無謀、というより無意味だよな……」
どう考えても組み付いた時点で溺れ死ぬだけ、という相手を見て、素直にそう認めるようちゃん。
人間相手には関節技が最強だという意見を変える気はないが、これを見てまで全ての状況で最強だと言い張る気はない。
それはそれとして、ではなぜ打撃が効いているのかが意味不明ではあるが、それに関しては変身するときに発した光が影響しているのだろうと推測できなくもない。
往生際が悪い人間なら、同じようにあの光に覆われれば関節技でスライムを倒せると主張するところだろうが、ようちゃんはそこまでではない。
その条件だと全身を覆う光によって相手を仕留めているだけで、関節技自体は何の役にも立っていないのは考えるまでもなく分かる。
「こいつみたいに組み技系がまず役に立ちそうもないのがいるってことは、打撃技や武器を使った攻撃が無駄な感じのも当然いそうだな。いや、そもそも人間サイズだが生身で立ち向かうこと自体が愚の骨頂、みたいなのも居ておかしくないか……」
黙々とラッシュを続けるレベッカを見ながら、そう考察を進めるようちゃん。
それと同時に、そういうのの前には立ちたくないものだ、などと己の言動を反省しつつ当たり前の望みを頭の片隅で考えていたりする。
そんなことを考えているうちに、いつの間にやら大玉スイカ大まで縮んだスライムに対し、レベッカがとどめのコークスクリューをぶち込む。
コークスクリューのカットインに合わせていつものように祈りのポーズの天使が相手の体を貫通し、羽根を散らしながら天高く舞い上がる。
「主よ、この哀れな子羊に救いの手を」
それに合わせて、お約束のまったく心のこもっていない雑な祈りの言葉とともに、胸の前で十字を切るレベッカ。
レベッカの祈りに合わせてまき散らされた羽根を覆いつくすように浄化の光が広がり、柱となって天地を貫く。
光の柱が消えると同時に周囲の光景が昼の雑居ビル前に戻り、レベッカの服が普段の修道服に変わって、どこに飛んでいたのか最初に吹き飛ばされたベールがレベッカの頭にふわりとかぶさる。
ベールがかぶさったところでBGMがフェードアウトし、事態の終了を告げる。
「とまあ、こんな感じですね」
「……俺が馬鹿だった。反省している」
「その方がいいかと。どんな技でも、通じない相手には本当に通じないので……」
「そういうのとやりあわざるを得なくなったら、どうしてるんだ?」
「手持ちの少しでも通じそうな手段で時間を稼ぎつつ、相性がいい誰かに援軍要請をして逃げ回りますね」
「そうか……」
「ちなみに、個人的にはあなたと一対一でやりあいたいとは思いません。よほどうまく不意を突かない限り、どうせラッシュに入る前に腕を折られて終わりますので……」
「そう評価してもらえるなら、少しは自信が回復するな……」
「飛び道具を持たない人間相手に一対一で、という条件に限定するなら、関節技が最強という評価もそれほど間違いではありませんからね」
ようちゃんに対し、そう思うところを告げてから荷物を回収し、その場を立ち去るレベッカ。
その後、ようちゃんは格闘技を修めている相手に妙な絡み方をすることはなくなったのであった。
なお、このようちゃん氏、レベッカを含む人類最強クラスであれば7~8割の確率で関節極めて勝てます。
戦車だって砲塔潰すとこまでは一応できます。
関節さえあれば恐竜だろうがロボだろうが破壊できます。
良くも悪くも普通の人間の中でピンポイントに関節技のみに人類として最強クラスの技とそれを十全に生かす身体能力を身に着けてしまったのが、このようちゃん氏です。
結果として、これまでの人生で負け知らずでした。
ただ、この世界観の場合、だからどうしたって話でして。
関節技じゃどうにもならん連中にその年になるまで遭遇する機会がなかったというのは、実のところとても幸せなことなのではないかと思っています。




