撲殺その33 活動家
「最近、面倒なのが増えてるよねえ」
「ですねえ」
三月末のある日。いつものようにマイナー規格で記録された呪いのビデオの浄化を頼みに来た美優が、レベッカに対してそうぼやく。
ちなみに、本日のマイナー規格はなぜか聖心教会に読み取り装置があったため、すでに浄化作業は終わっている。
今回は読み取り装置の問題だけだったので、聖痕を開放するまでもなく浄化が終わっていたりする。
「バーチャルウォーターなんて手垢のついたネタを今更持ち込んで抗議運動しにくるとか、さすがに予想もしてなかったよ……」
「ああ、何故か工業製品を作る際に使う水については無視するあの理論ですか」
「そそ。っていうか、シスターは時折、妙なところで知識があるよね?」
「アメリカにいたころ、いろいろありまして……」
「そのいろいろについては聞かないようにしておくけど、実のところ日本が得意としてる工業製品って部品とか素材だから、高精度で高性能なものを作るにはきれいな水が大量に必要なんだよね」
「らしいですね。詳しくは知らないのですが、特に半導体関係の素材で奇麗な水の消費量が多くて、その量と日本が輸入している農作物や農業製品で使う水と比較すると逆転するとか何とか」
「そそ」
レベッカの言葉に、疲れた表情でうなずく美優。
特に日本を非難するために使われる理論でよく見かけるのだが、一部分だけを故意に切り取って全体で見たらどうなのかにはあえて触れない理論はあちらこちらでよく見かける。
他に代表的なネタとしては、肉500キロカロリー分を生産するのに必要な飼料は2500キロカロリーになるという理屈がある。
これなんかも典型的なネタで、そもそも家畜の飼料として育てられている穀物は人間が消化するのが難しく吸収効率が非常に悪い代わりに収穫量が数倍である点や、もともと人間が食べられない部分も飼料として使われている点を丸っきり無視している。
これを計算すると、実は単位面積当たりのカロリー効率では家畜を育てたほうが上である可能性が高いというのも、その筋では有名な話だったりする。
ついでに言うと、飼料用として育てられている穀物は収穫量だけでなく、人が食べる穀物を育てるのには向かない土地でも育つ品種を使って、その手の痩せた土地で育てていることが多い。
なお、生産コストや必須栄養素のことまで踏まえると、食料は全て肉でというのも、それはそれで非現実的な話なのは言うまでもない。
結局のところ、誰かを非難するためだけに都合のいい一面を切り取った形でこの手の理屈を使うのが問題なのであって、全体を踏まえた上でバランスとしてどうなのかという議論をするための土台として利用する分には全否定するようなものでもない。
「まあ、その件については法務を通していろいろやってるけどね。なんかこう、超常現象的な意味で妙なのが背後に居そうなのが不気味でねえ」
「ああ、それはあり得ますね。複数の筋から、性質の悪い悪魔や悪霊、悪神なんかが動いていると聞いていますし」
「うわあ、やっぱり……」
聞きたくなかった話を聞かされ、思わず頭を抱える美優。
権力者に分類されるとはいえ普通の人間である美優には、そのあたりを直接どうにかする手段はない。
が、美優の知り合いで対処できる人材というと、そのレベルに手を出せる連中はどいつもこいつもオーバーキルもいいところなのでうかつに頼みづらい。
「まあ、そちらはそちらで、責任者の方が動いているようなので……」
と、レベッカが口にしたところで、教会の周りがにわかに騒がしくなる。
「……なんだろう?」
「さあ? ちょっと確認してみます」
騒がしさに気が付き、確認のために教会の入り口付近まで移動するレベッカ。
何となく気になることがあったらしく、美優も一緒についてくる。
聖心教会は、異様な雰囲気の群衆に囲まれていた。
「暴力反対!」
「暴行シスターは日本から出ていけ!」
「聖職者ぶってんじゃないわよ、この犯罪者!」
「ヤンキー、ゴーホーム!」
「殴り魔は消えろ!」
口々に好き放題叫んでいる群衆の中から、どうにかそれだけを聞き取るレベッカと美優。
どうやら、現在聖心教会は、暴徒と紙一重といった感じのデモ隊に囲まれているようだ。
「……まあ、シスターが暴力シスターなのは否定しない」
「はい。私も別に否定はしません」
「でもさ、シスターって一般人を問答無用で殴ったことってあったっけ?」
「いえ。除霊や浄化の時も、一応一声かけてからやりますし、そもそも日本に来てからエクソシストの仕事と正当防衛以外で人を殴ったのは、暴力団員だけですね」
「暴力団員? あっ、もしかして二年ほど前に山嵜市であった、暴力団壊滅事件?」
「はい。ただ、あれも怪我人が出るような殴り方はしていませんし、そもそも誰がやったのかは表に出ないはずなんですよね」
「表に出ないってことは、エクソシストの仕事に絡んだ何かだったわけか」
「はい。ただ、組長以外はエクソシストの仕事と直接は関係なく、組長を除霊するために排除する必要があったから殴り倒した感じです」
「それ、一応仕事の範疇に含んでもいいとは思うけど……」
「そうですか?」
騒いでいる群衆を放置して、そんな緩い話を続ける美優とレベッカ。
ぶっちゃけた話、外のデモ隊は美優にとってもレベッカにとっても、大した脅威ではない。
そもそも、別にレベッカは元ボクサーであることもエクソシストであることも大抵のことを殴って解決していることも、特に隠していない。
また、仕事の種類によっては霊障により通り魔事件などが多発することがあり、霊障を解決するついでに大衆の前で通り魔や無差別殺人犯を殴り倒したことも一度や二度ではない。
なので、何気にレベッカが物理的にものすごく強いことは有名だったりする。
まあ、それ以前の問題として、いかに元プロボクサーといえど特に刑事事件になるようなことをしていない人物の住居に手を出した時点で、世間的にも法的にも負けは確定なのだが。
「それにしても、多分首謀者だと思う四列目にいる女、あっちこっちで顔見るんだよね」
「そうなんですか?」
「うん。さっきのバーチャルウォーターの時も、あの女が居たし」
「だとしても、あんな微妙な位置にいるのに、首謀者と断定できるのでしょうか?」
「こればっかりは経験をもとにした勘みたいなものだからねえ。態度とか立ち居振る舞い、表情なんか見てるとほぼ確信できるよ」
「そうですか。まあ、私も多分あの人だろうな、とは思うんですが」
「やっぱ何か憑いてる?」
「はい」
答え合わせ、という感じで互いの認識や情報をすり合わせする美優とレベッカ。
出した結論が
「鬱陶しいから、何とかしてここで仕留めたいよね」
「ですね」
であった。
「で、何かアイデアとかある?」
「そうですね。話し合い名目であえて敷地内に招き入れましょうか。それだけで多分、無事では済まないでしょうし」
「ああ、ここ浄化機能とかあるんだ。でも、だったらプリムちゃんはよく出入りしてるのに無事なのはなんで?」
「普段は必要ないので機能を切ってるんですよ。今日は呪いのMOの浄化をするために起動してますが」
「なるほどね」
レベッカの説明に納得する美優。
「じゃあ、話がややこしくならないように、別室で控えておくよ」
「お願いします」
「あ、そうだ。ちょっと試してみたいことがあるんだけど、いいかな?」
「なんでしょうか?」
「親戚の例の新米女神がちょっとした余興で歌った讃美歌の録音データ、そのコピーがあるんだけど、流してみていい?」
「どうぞ。オーバーキルのような気もしますが……」
「ありがとう。じゃあ、タイミング見て流すね」
成り行きを見守ることにした美優が、そんないたずらを準備して別室に移動する。
それを見送った後、レベッカが教会の扉を開く。
「そこでは地域の皆様のご迷惑となりますので、中にお入りください」
「そうやって人目のつかないところに誘い込んで、暴力をふるうつもりでしょう!」
「……なんのためにそんな無駄なことを?」
「あんたは何でもかんでも殴って解決しようとする暴力衝動しかない女なんだから、無駄でもなんでも暴力を振るはずよ!」
「はあ。……証拠も根拠もないことを大声でわめきたてて、大人数で周辺地域に迷惑をかけながら威圧するのも立派な暴力だと思うのですが……」
心底あきれ果てたという表情で、思わずそうぼやくレベッカ。
そもそも、普通の人間はたとえ素人の集団相手であっても、この人数相手に物理暴力で対処しても五分と持たずに制圧される。
なお、レベッカが普通の人間かとか、制圧されるほどかわいげのある実力なのかとか言った点はこの際横に置いておくことにする。
さてどうしたものか、と考えていると、美優が流した讃美歌が聞こえてくる。
いろいろな情報がカットされているデジタルデータのコピーを、PCに標準搭載されている性能が低いスピーカーで流すという何重にも効力が落ちるやり方ではあるが、人間の振りをしている何かをあぶりだしつつ軽く洗脳されている連中を正気に戻すぐらいの効果はあったようだ。
「なんで俺、あんな根拠とも言えない情報でこんなところに来てるんだ……?」
「てかさ、これって俺ら、名誉棄損とか威力業務妨害とかになるんじゃないか?」
「い、いちおう許可とってデモしてるって言ってたはずよ……」
「その辺どうなん……、ひぃ!?」
冷静になって自分たちの行いを振り返り、四列目の女にこのデモが合法なのかを確認しようとして悲鳴を上げるデモ隊たち。
そう。四列目の女はかろうじて人型をしているだけの腐り果てた何かという姿に様変わりしていた。
「あれだけ劣化していてもこの効果とか、すさまじいですね……」
効果覿面としか言いようがない結果に、しみじみ感じ行ってしまうレベッカ。
プリムがこの歌を聞いていれば、間違いなく灰になっているだろう。
幸か不幸か劣化しすぎているため、これで消滅するほどのダメージを受けることはなさそうなのが救いといえば救いか。
なお、今回は教会の中に浄化効果を増幅する機能があり、それをレベッカが全開にしていた
「さて、状況が整ったことですし、さっさとけりを付けますか」
そう言い切って、胸の前で祈るように手を組むレベッカ。
レベッカが祈りのポーズをとった瞬間、まだ昼だというのに周囲を夜の闇が覆いつくし、空に見事な満月が浮かび上がる。
「主よ、再びこの両手を血に染めることをお許しください」
その祈りの言葉と同時に、辺りにアジテーターが扇動するシーンでよく聞く感じのBGMが鳴り響く。
BGMに合わせて修道服でも隠しきれていないグラマーで肉感的なボディラインを強調するかの如くレベッカの全身が光り、その豊かな胸の谷間から聖痕が浮かび上がる。
浮かび上がった聖痕がレベッカの左右の拳に宿り、足元から吹き上がった風が修道服の裾をはためかせベールを吹き飛ばす。
ベールが吹き飛んだ拍子に三つ編みがほどけたらしく、素晴らしい金髪が風にたなびく。
光がレベッカの修道服をモーフィング変形させ、やたらエロいデザインの軍服へと変える。
その場を濃密な神気が包み込み、レベッカの聖痕がフルパワーで解放される。
放出された神気で四列目の女が派手に焼かれたあたりで、レベッカの変身が完了する。
「では、互いの罪を清算しましょう」
いつの間にかごっついガントレットに包まれた両拳をピーカブースタイルに構え、いつものようにアルカイックスマイルでそう宣言するレベッカ。
「何が罪よ!」
「扇動に乗った人も悪いとはいえ、無関係な人間を洗脳までして巻き込んで、刑事犯罪を犯している訳でもない組織や人物を攻撃をしようとしたことは明確に罪でしょう。まあ、それ以前に、敵対している相手が少々悪人だった程度では何の影響も受けないこの光を浴びて体が焼かれている時点で、エクソシスト的には基本アウトです」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!」
四列目の女の言葉にそう言い切るレベッカ。
レベッカの言葉に切れた四列目の女が、ヘドロをまき散らしながらレベッカに襲い掛かる。
四列目の女の攻撃を数発防御し、ほどほどに被弾したところで反撃に移るレベッカ。
攻撃は当然、いつものラッシュだ。
この姿を見られれば、先ほどまで四列目の女が散々喚き散らしていた、何でもかんでも殴って解決しようとする暴力衝動しかない女という言葉を否定できない。
もっとも、殴っている相手の姿が姿であり、またレベッカに反論されてからの行動や飛び散ったあれこれが出している被害も相当なので、殴って仕留めて解決することを否定する一般人は少数派であろうが。
そのまま何度かカットインが入る攻撃を叩き込んだところで、お約束のパターンであるフィニッシュブローのコークスクリューで胴体を粉砕し、相手に背中を向けるレベッカ。
いつものように祈りのポーズの天使が相手の体を縦方向に貫通し、羽根を散らしながら天高く舞い上がる。
「主よ、この哀れな子羊に救いの手を」
それに合わせて、お約束のまったく心のこもっていない雑な祈りの言葉とともに、胸の前で十字を切るレベッカ。
レベッカの祈りに合わせてまき散らされた羽根を覆いつくすように浄化の光が広がり、柱となって天地を貫く。
光の柱が消えると同時に周囲の光景が昼間の聖心教会前に戻り、レベッカの服が普段の修道服に変わって、どこに飛んでいたのか最初に吹き飛ばされたベールがレベッカの頭にふわりとかぶさる。
ベールがかぶさったところで強引にBGMが切り上げられ、今回の件が終了する。
「とまあ、私が殴って解決するのは、たいてい今回のように話し合いが通じない上に放置もできない類の生き物相手なのですが……」
「俺、あれと同類じゃない!」
「あたしも!」
「俺たちが悪かった、許してくれ!」
レベッカに言われて、大慌てで謝罪しながら逃げ惑うデモ隊。
「いえ、だから、聖痕を開放した際の光を浴びて無事ならば、わざわざ殴り合いなんてしないんですが……」
その後ろ姿に、寂しそうにぽつりとつぶやくレベッカ。
それを聞いていた美優が、苦笑しながら隣の部屋から出てくる。
「まあ、ああいう人たちは何言っても無駄だからね。せっかくだから、憂さ晴らしにお好み焼きでも食べに行く? いいお店見つけたんだ」
「そうですね」
「どうでもいい話かもしれないけど、実は大阪の人って基準がシビアなだけで、別にそこまで大阪のお好み焼きとかたこ焼きにプライド持ってないらしいんだよね」
「へえ、そうなのですか」
「うん。うちの大阪出身の新人がそう言ってた。ちなみに、大阪のお好み焼きって基準はワンコイン前後で買える豚玉の味で、テレビとかでよく本場大阪の味を超えたとか言って紹介されてるデラックス的なのとか全盛り系のは、根本的にカテゴリーが違うらしいよ」
「それは知りませんでした」
レベッカの気を紛らわせるためか、そんなネタを振る美優。
結局この日は、味の比較という口実で四軒ほどの店でお好み焼きを全制覇するのであった。
バーチャルウォーターとかのネタって、批判とか避難のために使ってるパターンだとちょっと突っ込むだけで粗がボロボロ出てきますよね。
この手の話を揶揄した一番の傑作はDHMO(一酸化二水素=元素記号OHH=H2O、つまり水のこと)の話かと思います。
例の女神さまの歌ですが、このレベルまでコピーやら劣化やらが進むと、教会などの特別な施設でレベッカとかのブーストがないとあんまり効果ありません。
女神様自身も嫌がるので、使いどころはあんまりない感じです。
お好み焼きに関しては、ぶっちゃけあれ単なるファーストフードなので、単品で1000円前後のものは正直お好み焼きだけどいわゆる”お好み焼き”という認識で食べてないというか……。




