NOT撲殺その9 聖女様の宗教談話
出てきたエピソードは割と全部、実際に聞いた話だったりします。
「あらあら?」
一月末のある日。一仕事終え、ガッツリ消費したカロリーを補充すべく目についたラーメン屋に入ったレベッカは、そこの客層に思わず目を丸くした。
「おや、シスターさんか。今日はなんだか、宗教色が豊かだねえ」
「ですねえ……」
愛想よく声をかけてきた大将に、思わず苦笑しながらそう返すレベッカ。
店内には見た限り、自身のキリスト教に加え、神道に仏教、イスラム教、ヒンズー教というそうそうたるメンバーがそろっていた。
しかもよりにもよって、その宗教色豊かなメンバーが全員カウンター席で並んでいるのだから、とても目立つ。
なお、神主は十六夜ではなく、近所の別の神社の神主である。
「というか、特に食事に関する戒律がない私や神主さんはともかくとして、他のお三方はいいんですか? そもそも、なぜにイスラムの方がとんこつラーメンで、ヒンドゥーの方が牛タンラーメンを?」
「一応醤油スープの野菜ラーメンでチャーシュー抜きですし、うちは浄土真宗ですからな。まあ、そもそも昔から大体の寺では、檀家などで出された食事のだしに鰹節が使われていたりとかは全く気にしておりませんでしたし、見て分かるもの以外を無理に避けることはしておりません」
「ハラールはそんな厳格な教義ではありませんので。そもそも、コーランにはちゃんと、他所で出されたものはハラールに関係なくありがたくいただくように、という教えもありますし。何より、このとんこつラーメンの味は真理です」
「牛は神聖な生き物だけど、食べちゃいけないとは聞いたことがなかったよ。単純に食べる習慣がなかったから、国を出るまで食べ物と認識してなかったんだ」
レベッカの問いかけに、各々なかなか緩い回答をしてくれる。
見たところ、イスラム教の人はそれなりに位の高い法学者のようだが、それで内外に示しがつくのかは謎である。
なお余談ながら、ハラールがそんなに厳格な教義ではなく、イスラム世界以外で厳守するようなものではないとコーランに書かれているのは事実だ。
もっとも、根本的な話としてイスラム教徒全員が一人残らず敬虔な信者というわけではないので、飲酒と違って食べ物の方はイスラム系の国家でも日本人が思うほど守られていなかったりするらしいのだが。
結局のところ、食べ物は現行犯で押さえない限り、食って消化して出してしまえば分からないので、実際のところはどれだけ戒律やぶりが横行しているのか正確には分からないだろう。
食料が限られている状況でみんながみんな餓死してまで戒律を守ることができるはずもないので、イメージほど守られていないのも当たり前の話であろう。
「それで、シスターさんは、何喰うんだい?」
「そうですね。とりあえずチャーシュー麺大盛りに煮卵と海苔をトッピングして、チャーハン大と餃子に揚げ物セットをお願いします」
「またガッツリ行くねえ」
「ついさっき、大量にカロリーを消費しましたので」
「なるほどねえ。スープは?」
「まずは醤油でお願いします」
「まずは、かあ。怖い怖い」
そう言って笑いながら、餃子を焼きながら麺をゆで始める大将。
その隣で、娘らしい若い女性が唐揚げと春巻き、シュウマイを揚げている。
奥さんらしい年配の女性は、皿洗いを終えてチャーハン用の具材を仕込んでいる。
その注文の量に唖然とした様子を見せるインド人をよそに、こいつならさもありなんと頷く他の三人。
どうやら、神主と和尚、イスラム法学者の三人は、爆食シスターのことを知っているようである。
「それにしても、そちらのお二方はこんなに日本に染まってしまうと、お国に帰られたら苦労なさるのでは?」
「まあ、とんこつラーメンが恋しくなったら、何かと口実をつけてまた来日しますよ」
「私はそんなに上のほうの階級じゃないからね。そんな難しいことは、えらい人たちに任せるさ」
レベッカの疑問に、緩いことを言いだすイスラム法学者とインド人。
どう考えても、日本的な考え方である。
「というか、日本にいると、教義とか宗派とかにこだわるのが馬鹿馬鹿しくなってきます」
「日本の文化とか宗教は、割と何でも混ぜるからなあ」
イスラム法学者の本音に、餃子を食べていた神主が苦笑しながらそう合の手を入れる。
「あっちこっちの神話から持ってきた神様で七福神とかやっちゃう民族だものね」
「それどころか、京都の方で阿闍梨として寺を任されておられる方が、サンタクロースを散多菩薩、クリスマスを散多菩薩法要として取り込んだ事例もありましてなあ」
「さすがは日本ですね。一神教であるうちの重要な行事を、仏教の法要として取り込むとは……」
「まあ、大々的に行っている訳でもなく、ほぼ一度だけのものだったようですが、それでも広まってしまえばそのまま定着するのが日本仏教というものですからなあ」
インド人の言葉をうけ、もっとひどい事例を紹介する和尚。
それを聞いて、流石に呆れるしかないレベッカ。
流石に単なる祭り扱いで三つの宗教の神事や行事を毎年の定番イベントにする民族だけあって、おかしな方向にやることが徹底している上にためらいがない。
「とりあえずは、あれだ。鉄道だの飛行機だのを祭る神社が普通に登録されて神事の対象になっている国に、宗教観で文句をつけても不毛だろう」
「そうですなあ」
神主の言葉に、にこやかに笑って同意する和尚。
そのタイミングで、ラーメンと餃子がレベッカの前に提供される。
揚げ物セットも持っているが、どうやらそれは別の客に出すもののようだ。
「お待ちどうさま。チャーハンは見ての通りだから、もう少し待ってね。揚げ物もその時持ってくるから」
「ありがとうございます。それでは、今日も無事に糧を得られたことに感謝して、いただきます」
いつもの適当に省略した食前の祈りを終え、女将さんが渡してくれたラーメンを猛烈な勢いで平らげていくレベッカ。
ガッツいている様子はないのに、見る見るうちに減っていく内容物に、ギャラリーがざわつく。
「……さすがは、最近巷で有名な爆食シスター。素晴らしい食べっぷりだ」
「これを見ていると、食事についての戒律などむなしくなりますな」
「糧になった命を敬って、美味しくいただけばそれ以上のことはないよね」
「うむうむ。こういう事に関しては我らももう少し外の世界に歩み寄ってもよいのでは、と思ってはおるのですが、現実にはなかなか」
見事な食べっぷりを見せるレベッカに、何故か和んだ様子を見せるギャラリーたち。
そんな中、チャーハンが到着する前にラーメンと餃子を食べ終えるレベッカ。
それを見た神主が、厨房に声をかける。
「大将、シスターさんに次のラーメンを」
「あいよ。なにがいい?」
「そうですねえ……。では、次はチャーシュー麺大盛の豚骨スープに野菜追加でお願いします」
「あいよ」
神主経由での注文にそう答えつつ、チャーハンを皿に盛る大将。
なお、あえて口には出していないが、この豚骨ラーメンの払いは神主もちである。
それを手際よく揚げ物と一緒に運んでいく女将さん。
この時点で、最初の注文分は全てそろったことになる。
「本当に、美味しそうに食べるねえ」
「実際に美味しいのですから、美味しいという顔で食べますよ」
「だったら、奢るからおいらおすすめの牛タンラーメンも食べてみてよ。シスターなら絶対気に入るから」
「ありがとうございます。喜んで、ごちそうになります」
インド人に言われ、嬉しそうにそう答えるレベッカ。
なお、この会話の間にもチャーハンはほぼ完食し、揚げ物も揚げシュウマイが残り一個まで減っている。
「では、拙僧は味噌ラーメンを御馳走することにしましょう」
「ならば、私は残る塩ラーメンですかな」
インド人の尻馬に乗り、基本のスープを制覇させようとする和尚とイスラム法学者。
この店の大盛りは二杯で某ラーメン店のゴテ盛りマシマシ一杯分ちょっとなので、レベッカならこれぐらい普通に食えると確信した上でのおごりである。
「しかし、本当に大丈夫なのかねえ?」
「まあ、主はこの程度のことを気にしていちいち天罰を下すほど、暇でも心が狭くもありませんので」
「そうですな。今の日本が国家として成立して以降一度も滅んでおらず、民族もずっと続いていること自体がアラーの思し召しなのでしょう」
「日本にいる間は無礼講。日本の法とマナーだけ守ればいいのさ」
大将の疑問というか懸念に対し、そんな緩いことを言うレベッカとイスラム法学者、インド人。
なんだかんだで、日本は今日も平和であった。
実際に聞いたところによると、イスラム教の上層部も穏健派なら意外と教義に対して緩いというか、偶像崇拝関係とかごく一部の絶許系のタブーに触れなきゃ戒律破りにそこまで目くじら立ててないそうです。
まあ、結局のところ、食っちゃいけない系の戒律は根本的に無理があるんだろうなあというのがこの話した時の感想だったりします。




