撲殺その26 不思議の国の聖女様
「遅れる遅れるー!!」
クリスマスを三日後に控えた十二月二十二日。
クリスマスミサの準備を兼ねた買い出しに出ていたレベッカの前を、二足歩行のウサギが時計を見ながら騒がしく通り過ぎていく。
二足歩行と言っても度合いはあるが、このウサギの場合は家系図でお父さんがミートパイの絵で描かれている世界一有名なウサギぐらい、露骨に見間違いようのないレベルで二足歩行で走っている。
「ふむ……」
確か、不思議の国のアリスの導入がこうだったはず、などと頭の片隅で考えながら、行き先が違うのでさっくりスルーするレベッカ。
そろそろ教会につく、というぐらいのタイミングで、
「遅れる遅れるー!!」
再び先ほどのウサギがレベッカの前を通り過ぎる。
が、レベッカ的には荷物を持ったまま怪しげなウサギを追いかけるなんて面倒な真似はごめんなので、今回もまたあっさりスルーして教会へと入る。
荷物を下ろして礼拝堂の準備を進め、大体終わったところで庭の飾り付けに移る。
庭に出たところで、
「遅れる遅れるー!!」
三度目の正直とばかりに、またしてもあのウサギが生け垣を掻き分けて駆け抜けていく。
時間的な意味ではもうすでにどうにもならないぐらい手遅れなのでは、などと思いつつも、今回も完全スルーで庭の飾りつけを続行するレベッカ。
が、さすがにこれ以上のスルーを許す気はなかったようで、走り去ったはずのウサギがループしたかのように同じ場所から出てくる。
「何で追ってこないんだよ!?」
「いい年した大人は普通、二足歩行でしゃべるウサギなんて怪しげな存在の後を追いかけたりはしないものです」
「いや、そうかもしれないけど、あんた分かっててスルーしてるだろう!?」
「私が対処しなければいけない案件なのは分かっていますが、せっかく買ってきた品物を持って怪しげなウサギの後を追うなんてリスキーな真似はしたくありません」
「今は荷物なんて持ってないじゃないか!」
「この電飾、変なところで止めるとどこまでやったか分からなくなるので、せめてブロック一個は終わらせたいんですよ」
「そんな事情、知るわけないだろう!! ああ、もう、まだるっこしい!!」
何ともコメントに困る問答の末、完全に切れたウサギが物語の筋書きも何もかもを完全に無視して、実力行使に走る。
「とっとと、お茶会について来い!!」
そう叫んで、レベッカの足元に穴をあけるウサギ。
自身もちゃっかり巣穴のようなものを作って潜っている。
こうして、何とも突っ込みどころ満載な流れで不思議の国へ強制的に連れ去られるレベッカであった。
「……ふむ」
やたら長い落とし穴を落ちながら、現在の状況について考えこむレベッカ。
正直なところ、レベッカは不思議の国のアリスという物語をちゃんと読んでいない。
そのため、ウサギを追いかけた、ケーキか何かを盗み食いして小さくなった、トランプの兵隊が殺し合いをしていた、などといった断片的な情報しか知識にない。
なお、なぜこれだけ有名な作品を読んでいないのかというと、アメリカにいた頃は単に利用している無料サービスのラインナップになく、日本に来てからは日本の古典や話題に上がりがちなヒット作を優先して読んでいたからである。
いくら有名な作品であっても、日本人全員が明治の文豪作品や赤毛のアンなどの翻訳作品を読んでいるわけではないのと同じことである。
「筋書きを追え、と言われると非常に困ったことになりそうですね……」
そんなことをつぶやいたところで、落とし穴の底にたどり着く。
「……見た目は普通の家っぽいですが……」
結構な勢いで落とされたにもかかわらず華麗に着地しつつ、落ちた場所の目の前にあった建物をじっくり観察するレベッカ。
周囲をぐるっと一周し、張り紙が張られた入口と思われる扉を発見する。
「ここから中に入らないと、進まないのでしょうね……」
そうぼやきながら扉の前に立ち、張り紙の内容を確認する。
張り紙には、「話が進まないので置いてあるものは絶対飲み食いすること」と書かれていた。
「まあ、そうでしょうねえ……」
張り紙の内容に苦笑しつつ、素直に家の中に入るレベッカ。
家に入るとすぐにリビングダイニングと思われる部屋があり、テーブルの上にティーポットとたくさんのお菓子に怪しげな薬品が並べられていた。
「全部一通り手をつければいいわけですね」
どう見ても浮いている怪しげな薬品を見つつ、とりあえず素直に指示に従うことにするレベッカ。
小さくなったのは薬品のせいだったか食べ物のせいだったかと乏しい知識を掘り起こそうとし、どう頑張ってもはっきり思い出せないのでサクッとあきらめる。
どうせ思い出したところで多少エピソードを知っているだけなので、役に立つ知識など出てこないのは間違いない。
「そうですね……、まずは味が不安な薬品から潰していきますか」
どれから手を付けるべきか迷い、まずは薬品を飲むことにするレベッカ。
薬というのは大概不味いものなので、お菓子類は口直しのためにとっておいた方が安全だろう。
味の保証がない点はお菓子類も同じことではあるが、それでも薬より不味い確率は低いはずである。
置いてある薬があからさまに有害そうだという点に関しては、アリスのエピソード的にどう転んでも害しかないのだから気にしても無駄である。
「……予想通り、とても不味い……」
薬品は見た目の怪しさに違わず、とてもえげつない不味さであった。
どれほど不味いかというと、飲まなければ死ぬしかない病気があったとして、病気ではなく薬の味のせいで患者が死にかねないほど不味い。
飲むしかなかったとはいえ、まずいと感じられる健全な味覚を持ちながら十本以上吐き出さずに飲んだレベッカの根性は、全面的に賞賛に値するであろう。
とはいえ、口の中にしつこく残る後味もまたひたすらえげつない不味さなので、とっとと口直しをしないとおかしくなりそうである。
まずは洗い流そうとまるで味が分からない紅茶を立て続けに三杯ほど飲み、少しは味を感じられるかと期待しながらクッキーとシュークリームを口にする。
紅茶のおかげで味覚が戻ったため、ちゃんと食べたお菓子の味は感じられたものの……
「コンビニスイーツぐらいの味ですね……」
並べられたお菓子類はどれもこれも、何とも評価に困る水準の味わいであった。
「それで、全部食べたのに何の変化もないのはどうしてなのでしょうか……」
十数分後。テーブルの上にあったものを全て平らげたレベッカが、困惑したようにつぶやく。
恐らく小さくなるはずだと身構えていたのに、摂取カロリーが増えた以外に何の変化もなかったのだ。
「むう……、これはどうしたものか……」
困り果てて渋い顔をしつつ、この場合、恐らく自分の方に原因があるのだろうと分かる範囲でチェックしていくレベッカ。
ありそうなところでは体内の神気が強すぎて解毒されている可能性だが、これまで毒物が全く効かなかった訳ではない事を考えると微妙なところだろう。
さすがに、どう考えてもこの規模の怪奇現象が起こす状態変化が、普通の毒物より効果が薄いというのはあり得ない。
そこまで考えて、そう言えば怪しい機能があったことを思い出す。
「……もしかして、デトックスのせい?」
心当たりが出たところで、慌てて聖痕の機能を確認するレベッカ。
アナウンスもなしでいつの間にか解放されていたデトックスの効果は、「聖痕の持ち主に対して発生する、ありとあらゆる有害な効果を体内に入る前に排除し無効化する」というものであった。
その下に小さく、「これで、フグの肝を食べても大丈夫」と書かれているあたり、メインの用途はその方面なのだろう。
なお、実際にはレベッカの肉体及び精神と聖痕基本機能の浄化関係との組み合わせだと、魔界の毒や病気ですらデトックスなどなくても無効化される。
過去に毒が多少なりとも効果があったのは、単にまだ肉体的に未熟だったため、完全に無効化できなかっただけである。
なので、デトックスの効果は駄目押しでしかなく、あってもなくても特に差はない。
つまるところ、今回はどっちみちこの結果にしかならなかったのである。
「……まあ、小さくなるというのは、有害な効果ではありますよね……」
そうぼやいたタイミングで、まるでド〇フのコントのように家の壁が四方にぱたんと倒れ、一気に背景が野外になる。
「ああ、もう! どこまでもこっちの予定を潰してくれちゃって!」
野外になったところで、最初の遅刻ウサギがレベッカをなじる。
その後ろには、トランプの兵隊やチェシャ猫、大きなネズミ、赤と白の女王など、アリスに登場する者がずらっと取り囲むように勢ぞろいしていた。
「導入をスルーしたのはともかく、デトックスについては不可抗力なのですが……」
「不可抗力だろうが何だろうが、こっちの用意した流れをとことん潰してくれたことは間違いないでしょ!? もうこうなったらどうにもならないから、リセットするためにそのまま死んでもらうよ!」
「なるほど、そういう事でしたら……」
遅刻ウサギの言い分を聞いたレベッカが、自分の得意分野に状況が移ったと判断して、胸の前で祈るように手を組む。
レベッカが祈りのポーズをとった瞬間、まだ昼だというのに周囲を夜の闇が覆いつくして空に見事な満月が浮かび上がる。
「主よ、再びこの両手を血に染めることをお許しください」
その祈りの言葉と同時に、辺りにそのままずばりのタイトルで製作されたアリスモチーフの映画の主題歌がBGMとして鳴り響く。
BGMに合わせて修道服でも隠しきれていないグラマーで肉感的なボディラインを強調するかの如くレベッカの全身が光り、その豊かな胸の谷間から聖痕が浮かび上がる。
浮かび上がった聖痕がレベッカの左右の拳に宿り、足元から吹き上がった風が修道服の裾をはためかせベールを吹き飛ばす。
ベールが吹き飛んだ拍子に三つ編みがほどけたらしく、素晴らしい金髪が風にたなびく。
その場を濃密な神気が包み込み、レベッカの聖痕がフルパワーで解放される。
「では、互いの罪を清算しましょう」
そう宣言して、ピーカブースタイルに構えるレベッカ。
最初の神気解放で吹っ飛ばされた大多数のトランプ兵を回避し、チェシャ猫と遅刻ウサギが飛び掛かってくる。
それをフックとアッパーのコンビネーションであっさり迎撃するレベッカ。
攻撃が当たる瞬間に目と口だけ残して体を消したチェシャ猫だが、レベッカの打撃はそんなの関係ねえとばかりにチェシャ猫を殴り倒す。
その流れに泡を食ったようにレベッカに殺到し、ラッシュの余波だけで書き割りのように吹っ飛ばされるトランプ兵たち。
トランプ兵が吹っ飛ばされている間にきっちりチェシャ猫と遅刻ウサギをボコり散らかしたレベッカは、次はお前たちだとばかりにその二体を赤と白の女王に叩きつける。
そのままの流れで、トランプ兵だろうがチェシャ猫だろうが女王だろうがその他の生き物だろうが関係なく平等に殴り倒していくレベッカ。
いい具合にダメージを蓄積させたところで、とどめのコークスクリューを放つ。
フィニッシュブローのコークスクリューが赤と白の女王の顔面を粉砕したところで、いつものように祈りのポーズの天使が相手の体を貫通してから羽根を散らしながら天高く舞い上がる。
「主よ、この哀れな子羊に救いの手を」
それに合わせて、お約束のまったく心のこもっていない雑な祈りの言葉とともに、胸の前で十字を切るレベッカ。
レベッカの祈りに合わせてまき散らされた羽根を覆いつくすように浄化の光が広がり、柱となって天地を貫く。
光の柱が消えると同時に周囲の光景が教会の庭に戻り、どこに飛んでいたのか最初に吹き飛ばされたベールがレベッカの頭にふわりとかぶさる。
ベールがかぶさったところでBGMが鳴り終わり、今回の件が終了する。
「……さて、配線作業はどこまで進んでいましたか……」
中断していた作業を思い出し、心底困って頬に手を当てて悩むレベッカ。
結局、レベッカがどこまでやったかを思い出すまでに、結構な量の二度手間が発生する羽目になるのであった。
不思議の国のアリスのストーリーをちゃんと覚えてなくて、割と雑に処理しているわけですが。
まあ、初手からウサギをスルーする人間を巻き込もうとしてる時点で、元のストーリーがどうであれ関係ないといえば関係ないか……。
どうでもいいことながら、アリスとかオペラ座の怪人とか、有名な割に案外ちゃんとした内容は知らないって人多いんじゃなかろうかと思うのですがどうでしょう?
なお、デトックスの効果ですが、今の聖女様が無効化できないようなものはもともと無効化できません。
だって、それが可能な存在は既に神様なので、たかが聖痕ごときがその領域の性能を持てるわけが……




