撲殺その23 RPG
「……あら?」
夏休みが終わって最初の日曜日の昼下がり。
買い出しに出ていたレベッカは、帰りにおかしな現象に遭遇していた。
「なんだか、ずいぶんと界が揺らいでいますね」
半透明でゆらゆら漂うクラゲのようなものを見て、そうつぶやくレベッカ。
異世界との境界が不安定になったとき特有の現象で、時々霊視能力などの素養を持たない人間の目に触れて怪奇現象だと騒がれる奴である。
発生する頻度としては物凄く珍しい部類だが、規模の小さな、いわゆる霊視能力のない人間が人魂を見たとかその程度であれば、どこの地域でも数年に一度はあると言ったところか。
霊視などのパッシブ系能力はきわめて強力なレベッカの場合、そういう事が起こっている場所に派遣されることもあって平均すれば月一ぐらいで遭遇するのだが、このレベルはさすがに珍しい。
「感覚的に、教会を中心に半径一キロ少々が揺らいでいるようですね」
突っ込んできた不快害虫っぽいなにかを払いのけながら、状況をそう分析するレベッカ。
なお、払いのけられた不確定名:不快害虫は、レベッカの左手が接触した瞬間に消滅している。
「細かいことは、戻って理事長に確認でしょうね」
どうせ買い込んだ食材を冷蔵庫に仕舞わなければ何もできない。
そう判断して、恐らく何か知っているであろうプリムに確認を取ることにするレベッカ。
その過程でひどい目に合わせることになるだろうが、聖心堂女学院が異変に巻き込まれている時点で、レベッカが手を出さなくてもどっちみちプリムが何らかの形でひどい目に合うのは一緒であろう。
「……もしかして、この件ですでに理事長はひどい目にあっているかもしれませんね」
ふと、そんなことに気が付いてしまうレベッカ。
プリムのことだから、この程度の現象に絡むあれこれなら何に巻き込まれても死なない、というより死んだところで平気で復活するだろうが、場合によっては救助のために一手間余計にかかる可能性も否定できない。
そこに思い至ってしまったため、急ぎ足で帰宅するレベッカであった。
「すっかり、妙なものがはびこっていますねえ」
三十分後。聖心堂女学院。
敷地内は、半透明の妙な生物の集団に占拠されていた。
「異界化は……、していませんね。となると、これは霊視系の能力を持っていないと見えないでしょうね」
異界化を伴わない超常現象の類だと結論付け、とりあえず理事長室に向かうレベッカ。
校舎に入るまでの間に、半透明の生物たちは見えはするが瘴気や霊力の類はなく、基本的に触れることもできないという事実を確認する。
この情報で、レベッカは現在起こっている現象をほぼ確定する。
「異世界と半端に位相が重なってしまっているようですね。となると、さっき払いのけた謎生物のように、微妙に実体があるものも混ざっているはず」
ここまでの情報からそう判断し、実体化している存在に注意を払いながら進むレベッカ。
それが起きたのは、最初の階段に差し掛かったタイミングであった。
「っ!」
一体だけだと思った謎生物に手が届くぐらいの距離まで近づいた途端、周囲の半透明の謎生物たちの姿が消え、それまで確認できなかった新種の謎生物が増えたのだ。
ちなみに、学内を占拠するように飛び回っている半透明の謎生物は、全て不確定名:クラゲと不確定名:不快害虫である。
「……この現象、RPGで言うところのシンボルエンカウントによく似ていますね……」
そうつぶやいて、自身の言葉にひどく納得してしまうレベッカ。
どうやら、二つの世界の境界線があいまいになって中途半端に位相が重なってしまった結果、現在この一帯はRPGのような世界になっているようだ。
謎生物たちが見えているレベッカにはシンボルエンカウント制のRPGだが、恐らく見えない人間だとランダムエンカウントになるのだろう。
「まあ、なんにせよ排除しなければ先に進めないようですし、いつも通り殴りますか」
空間が切り離されたので最初から無視して進むのは無理だが、今回現れた新種が道を完全にふさぐサイズなのでどちらにしても排除せずに通れない。
なので、余計なコメントは一切せずに、まずは階段を巨体で塞ぐウサギのような耳を持つ羊、ではなくその周囲を飛び回っているオウムガイもどきを殴り倒す。
見た目通り硬い感触が拳に伝わってくるが、所詮貝なのでレベッカにとっては大した問題ではない。
物理的な相性はともかくとして、霊体などのように問答無用で物理攻撃を無効化してくるような理不尽な属性相性は無さそうだ。
そのまま続けて羊の方も殴ろうとしたところで、急に体が動かなくなる。
「!?」
そこへ、羊が容赦なく突進してくる。
これはかわせないかと被弾を覚悟しつつ、身についた動きで無意識のうちに回避動作を行うレベッカ。
今度はすんなり体が動き、あっさり羊の突進を回避する。
意味が分からない現象に内心で困惑しながら、慣れ親しんだ動きで羊に打撃を入れる。
羊毛にふんわりと受け止められ、それなりに威力を殺されたものの、それでも内臓のいくつかを破壊した感触が拳から伝わってくる。
さらに追撃を入れようとして、再び身体が動かなくなる。
「また!」
またしても自由が利かなくなった体に舌打ちしつつ、回避の挙動に入るレベッカ。
羊が動き始めると同時にレベッカの体が回避の動きを取り、先ほど同様あっさり攻撃をかわす。
「……もしや、この動きは!」
この時点でとある仮説にたどり着いたレベッカは、空振りをしてがら空きになった羊のボディにラッシュを叩き込む。
今度は全部一まとめで一回の攻撃と判断されたようで、十発目ぐらいまでは唐突に身体が動かなくなるということもなく連続で打撃が入る。
十発目を叩き込んだところで羊が断末魔の叫びをあげて地に倒れ、死体がスッと消滅する。
後にはプラの容器で丁寧にパッキングされた謎の肉と毛糸の玉が残されていた。
「……やはり、現在この一帯は、ターン制バトルRPGの法則にすり替わっているようですね」
肉と毛糸を拾ったところで元の空間に戻ったのを確認し、そう確信を持つレベッカ。
「それにしても、魔羊ラムのロースですか。これ、食べても大丈夫なんでしょうか?」
理事長室に向かいながら、羊から入手したドロップアイテムを観察するレベッカ。
よくあるチルドの業務用パック肉といった風情だが、名前が不穏に過ぎる。
さらに言うと、きっちりパッキングされている塊肉とはいえ、どこからどう見ても生肉だ。
そういう意味でも、食べて大丈夫なのか不安が募る。
「……早く理事長の元へ行きましょうか」
考えれば考えるほどろくでもない結論しか出そうにないことに気が付き、理事長室へと急ぐことにするレベッカであった。
「理事長、大丈夫ですか?」
「……お主はこれが大丈夫に見えるのか?」
羊を殴り倒してから三十分後。何度か中ボスっぽい生き物を仕留め、ようやくたどり着いた理事長室の中では、プリムがスライム状の何かに捕食されかかっていた。
理事長室にはレトロな8ビットのBGMが流れており、何らかのゲームらしい画面がテレビに映っている。
「……捕食されそうなのは分かるのですが、本当に食べられてしまいそうな状態なのでしょうか?」
「一応、こやつの消化速度より儂の再生速度のほうが、圧倒的に速くはあるがの。それもいつまで続くかは何とも言えんぞ? ついでに言うと、溶かされるのは普通に痛い」
「理事長自身が倒すというのは?」
「意味不明なのじゃが、こやつはなぜか闇属性とか瘴気関係は無効じゃ。それ以外となると火力と再生速度が釣り合ってしまってのう……」
「そうですか。……理事長に、悪いお知らせがあります」
「……大体予想はつくが、なんじゃ?」
「聖痕を起動していないので、倒しきれるほどのダメージが出ません」
「……やはりか……」
レベッカの言葉に、嘆きのため息を漏らすプリム。
レベッカの聖痕が持つ重要な機能の一つに、属性相性が原因でダメージが通らない場合に属性の影響を完全に無視して100%ダメージが通るようにする、というものがある。
この機能は何気に、聖属性や浄化属性を吸収するはずの相手でも100%ダメージを通すという恐ろしく優秀な代物なのだが、聖痕を全開で起動しないと発動しない。
つまり、超衝撃吸収ボディであるスライムを殴り倒そうと思うと、今から聖痕を全開で起動しなければならないということである。
スライムに完全に飲み込まれているこの状況でプリムが聖痕全開時にばらまく神気をまともに浴びた場合、無事で済むかどうかは非常に分の悪い賭けとなるだろう。
「……そうですね。だったら、少しでもダメージを減らすために別の部屋で……」
「……それはそれで、殴り始めるまでの時間差が致命傷につながりそうじゃ。腹をくくったから、とっとと殴り倒してくれ」
「いいのですか?」
「どうせオーバーキルダメージを食らう時点で大した差はない。一思いにやってくれ」
「……分かりました」
プリムの覚悟を受け取り、胸の前で手を組んで祈りのポーズをとるレベッカ。
祈りのポーズをとった瞬間理事長室が野外に早変わりし、まだ昼だというのに周囲を夜の闇が覆いつくして空に見事な満月が浮かび上がる。
「主よ、再びこの両手を血に染めることをお許しください」
その祈りの言葉と同時に、辺りに元祖国産RPG第一作目のラスボス戦風BGMが8ビット音源といった感じの音色で鳴り響く。
BGMに合わせて修道服でも隠しきれていないグラマーで肉感的なボディラインを強調するかの如くレベッカの全身が光り、その豊かな胸の谷間から聖痕が浮かび上がる。
浮かび上がった聖痕がレベッカの左右の拳に宿り、足元から吹き上がった風が修道服の裾をはためかせベールを吹き飛ばす。
ベールが吹き飛んだ拍子に三つ編みがほどけたらしく、素晴らしい金髪が風にたなびく。
その場を濃密な神気が包み込み、レベッカの聖痕がフルパワーで解放される。
その際の衝撃波でスライムが吹っ飛ばされ、中にいたプリムが全身を焼かれながらその場に落ちる。
「では、互いの罪を清算しましょう」
そう宣言して、ピーカブースタイルに構えるレベッカ。
レベッカの宣言に応じるように、スライムが態勢を立て直す。
スライムが復活したのを確認し、レベッカが軽快なフットワークで距離を詰める。
距離を詰めてきたレベッカを捕まえようと、次々に触手を伸ばすスライム。
スライムが伸ばしてきた触手を、カウンターでガンガン叩き落すレベッカ。
ターン制でも、回避してから追撃ではなく回避の代わりに迎撃する形のカウンターは使えるようだ。
そうこうするうちに、あっという間にレベッカのパンチがスライムに届くところまで距離が詰まる。
「シッ!」
鋭く呼気を吐き出しながらスライムのボディをフックで殴るレベッカ。
打撃により思わぬダメージを受けたスライムが、方針転換してレベッカを包み込もうと大きく広がって飛び掛かる。
それを見たレベッカが、好機とばかりにラッシュに入る。
薄く広がった結果殴れる面積が大きくなってしまったスライムの体を、レベッカのパンチが次々と貫いていく。
このまま行けば数秒でバラバラになるというタイミングで、唐突にスライムが丸型ボディに戻る。
が、時すでに遅く、丸型に戻ってもレベッカを押しつぶすこともできないようなサイズまで縮んでしまっている。
しかも、サイズと動かし方でうまく隠蔽していたコアが、小さくなって逃げ場がなくなってしまったために簡単に身体の真ん中という分かりやすい位置に目立つ形で居座る羽目になってしまう。
そんな分かりやすい弱点をレベッカが見逃すはずもなく、神気を濃縮したコークスクリューのストレートで思いっきりぶち抜かれる。
フィニッシュブローのコークスクリューがスライムのコアをぶち抜いた際、いつものように祈りのポーズの天使が相手の体を貫通してから羽根を散らしながら天高く舞い上がる。
「主よ、この哀れな子羊に救いの手を」
それに合わせて、お約束のまったく心のこもっていない雑な祈りの言葉とともに、胸の前で十字を切るレベッカ。
レベッカの祈りに合わせてまき散らされた羽根を覆いつくすように浄化の光が広がり、柱となって天地を貫く。
光の柱が消えると同時に、周囲の景色が昼の理事長室に戻る。
どうやら光の柱がついでに解決したらしく、周囲を飛び回っていた謎生物たちの姿も消えていた。
「それで、今日のこれに心当たりは?」
いつの間にか復活していたプリムに対し、念のために確認をするレベッカ。
今回は聖痕解放の際、スライムがクッションとなって辛うじて致命傷で済んだため、復活が早かったのだ。
浄化の柱による追加ダメージに関しては、RPGなので死んでいるキャラには追加ダメージは入らない、という理由で回避できている。
基本的にレベッカが絡むととことん運がないプリムにしては珍しく、システムや状況が味方するという幸運に恵まれたようだ。
「ないではないが、恐らく本質的な原因ではなかろう」
「ふむ。どういうことですか?」
「うむ。知人が持ってきた、日本の元祖家庭用ゲーム機で発売されていた少々マイナーなRPGを起動しておってな」
「先ほどの状況は、それが原因だと?」
「ターン制RPGになった原因は多分、儂がこのゲームで遊んでいたからじゃろう。ただ、この一帯をターン制RPGにした黒幕は別じゃろうとは思う」
「根拠は?」
「こいつ自体は単なるゲームカセットで、その手の妙な力は宿っておらんかったからな。さすがにこの規模の事象を起こせるほどの何かが宿っておれば、いくら儂の目が節穴側に分類されておると言えど分からんわけがない」
「なるほど」
プリムの説明に、一応納得するレベッカ。
「では、その黒幕を探して仕留めないと、状況は変わらないと?」
「いや、それも心配いらんじゃろう。この付近でこれだけ派手なことをしたんじゃ。どうせそ奴はすでに〆られておる」
「あ~……」
心当たりしかないプリムの主張に今度こそ心底納得し、これ以上追及するのは辞めることにするレベッカ。
「それで、理事長は仕事中に遊んでおられた、と?」
「今日の分の仕事は終わっておるし、そもそも本来は休日じゃ。もともと知人がこれを含めたゲームをいろいろ持ってくるという話じゃったから、休日出勤しただけじゃ」
「その知人というのは?」
「二時間ほど一緒に遊んだ後、事象が起こる前に帰ったわ。儂はその後、もう少し区切りのいいところまで進めてパスワードを記録してから終わらせる予定だったんじゃがのう……」
「つまり、その時点でゲームをやめていれば、この事象は起こらなかった可能性があると?」
「どうじゃろうな。どうせこういう事象は、ネタになるものがなければ別のネタを利用するだけじゃろうと思わんでもない」
「ああ、ありそうですね」
「じゃろう? ちなみに具体的に儂が想定しておるのは、没収された雑誌や漫画、図書館に収蔵されている書物に映像作品あたりじゃな」
「これでパニック小説とか官能小説なんかをベースにされてしまうと、もっと大惨事になってそうですね……」
「うむ。むしろシステム的に、逃げられる可能性がちゃんと保証されている今回の仕様の方がまだましじゃろう」
「そうですね」
プリムの言い分に、心から同意するレベッカ。
「それはそれとして、お腹が空きました」
「儂も、少々小腹が空いてきたのう」
「そういえば、先ほどここに来る前に怪しげなドロップアイテムをいくつか拾ったのですが……」
「ふむ……。……食って大丈夫かどうか、微妙に判断に困るのう……」
「ですよね……」
「……よし。まずは儂がさっきのスライムからドロップしたこのスライムゼリー(ソーダ味二倍)なるものを試食する。それで大丈夫そうなら、これを一緒に食えばいい」
「いいのですか?」
「まあ、儂は拾い食いぐらいでは体を壊したりはせんし」
そう言って、怪しげなゼリーを試食するプリム。
「……食っても死なんが、ゲロマズじゃなこれ……」
「……そうですか……」
死にそうな顔で最初の一口を飲み下したプリムが、そう結論を告げる。
こうして、プリムが進んで地雷を踏んだ結果、拾い食いはしないに越したことはないという当たり前の教訓を得ることになったレベッカであった。
今回の話、一応裏で陰謀的な何かは動いていますが、ぶっちゃけこっちには関係ないというか、単なる流れ弾でございます。
なお、ちょっかいかけた本命の相手が比較的近所に住む金髪の新神なので、手出しした相手に被害を与えることもできずに気が付いてもらえさえしないまま、体質によるカウンター的な何かでひどい目に合っております。
このあたり、ちょっかいかけたほうもかけられたほうも時間軸を無視しているので、行動そのものはこの話から数カ月先の話という設定。
もっとも、何度も言うように、レベッカ達には一切関係ないところで勝手に火遊びして勝手に自滅して流れ弾をこちら側に当てただけなので、この後聖女伝の方では一切触れられることはありません。




