撲殺その17 人食い熊
タイトルから予想できると思いますが、今回死人が出ています。
あと、これから必死になってストック積むので、また次週休ませていただきます。
「すまん、シスター!」
春休みに入ったある日のこと。
朝の掃除をしていたら、突如近所の鎌田老人が飛び込んできた。
「そんなに慌てて、どうなさいましたか?」
「隣の美田園さんの奥さんが、昨日山菜取りに出かけたきり、帰ってきておらんらしい! シスターは見ていないか!?」
「美田園さんの奥さんというと……、ああ、小柄でぽっちゃりしたメガネのお婆さんですか。いえ、残念ながら私は見ていませんね」
「そうか……」
レベッカの回答に、肩を落とす鎌田老人。因みに、猟友会の一人でもある。
その様子にさすがに気の毒になり、とりあえず確認をする。
「この辺で山菜取りに入るとしたら、どのあたりでしょうか?」
「そうだの……。聞いた限りでは立石山のハイキングコースを中腹まで進んだところで、かすかに見える脇道に入っていくらしい」
「なるほど。では、そちらから探しに入ってみます」
「すまん。このあたりの山はそれほど険しくはないし、迷っても歩きやすいほうにまっすぐ進めばすぐに整備された道に出るが、くれぐれも二次遭難にならんよう十分に気を付けてくれ!」
「心得ています」
心配そうに言いつつも、一人でも捜索の手が欲しいがために容赦なくレベッカを巻き込む鎌田老人。なかなかの鬼畜である。
「では、手遅れになる前に行ってまいります」
「ああ。儂らは他にも声をかけてから違う場所を確認しておく!」
「分かりました」
鎌田老人の言葉にそう返事し、戸締りを確認してハイキングコースへと急ぐレベッカ。今日は機動性重視のため、腰にペットボトル二本ほどを挿すだけにして、リュックは持っていかないことにする。
こうして、潮見一帯を震撼させる事件は幕を上げるのであった。
「……なるほど。ここから入って行くわけですね」
ハイキングコースも半ばに差し掛かったあたりで、整備されてこそいないが普通に通れる道を見つけて頷くレベッカ。
恐らく森林保全のための道なのだろうが、確かにこれなら山菜取りのために入って行く人もいるだろう。
一応進入禁止を示すロープは張られているが、古くから山菜取りをしている地元の老人に対しては何の意味もない。
「何ともきな臭いものを感じますね……」
進入禁止の道に入って歩くこと五分。かすかな血の臭いをかぎ分けたレベッカが、顔をしかめながらつぶやく。
正直あまり気は進まないが、気配だけでなく念のため無念だの怨念だのも拾うようにする。
「……時間的にどうしようもなかったであろうとはいえ、最悪の事態は防げませんでしたか……」
拾った無念の内容に、思わず目をつむって祈りながらそうつぶやいてしまうレベッカ。
血の臭いはまだ新しい上、どうにも獣臭さがある。
となると、レベッカの鼻が利く範囲で何かが死んでいるということになる。
戦士としての勘を中心としたセンサーが、その臭いに対して最大限の警戒を呼び掛けている。
「ご遺体の捜索は後回し、まずは元凶を排除しに行きましょう!」
決意も新たに、臭いと気配を頼りに敵を探すレベッカ。
種類までは特定できないが、恐らく元凶は肉食もしくは雑食の猛獣であろう。
そうなると、人肉の味を覚えてしまった時点で放置はできない。
日本のように都市と山や森林が近い環境では、人を餌だと認識した生き物との共存など不可能だ。
「……臭いの元は、この猪のようですね」
獣道をゆっくり歩くこと十五分。はらわたを食い散らかされた猪の死骸を発見したことにより、一気に警戒レベルを上げるレベッカ。
まだ死んで間もない猪だったこともあるが、それ以上に周囲に濃厚な死の気配が漂っているのだ。
「予想はしていましたが、やはり熊の仕業のようですね」
もう少し近づき、猪の損傷状態からそう結論を出すレベッカ。
もっとも、日本の場合野に放たれて野生化した犬や外来種のペットを除けば、食べるために人を襲う可能性がある生き物など熊ぐらいだ。
外来種の可能性があるため判断を保留していたが、無念の内容が襲われて食われたことにある時点で意外でもなんでもない。
「グラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
レベッカが猪の検分のために背を向けて数秒後。恐ろしい叫び声をあげて事件の元凶が襲い掛かってくる。
「遅いですよ!」
襲い掛かってきた事件の元凶を、高く飛び上がって回避するレベッカ。
近くに生えていた大木の枝の上に着地したレベッカの目に、体長三メートル近い巨大なツキノワグマが飛び込んできた。
「ヒグマならともかく、ツキノワグマでこのサイズですか……。絶対に何かありますね」
クマの中では小型で、せいぜい人間と同じぐらいの大きさしかないツキノワグマが、ヒグマより大きい。
その時点で絶対に何かある。
そんな考察をしているレベッカの前で、ツキノワグマが苛立ったように威嚇のポーズをとる。
その時に放たれた、圧倒的な悪意の波動を受け、レベッカが確信する。
「どうやら、怨念だまりに突っ込んで変異したようですね」
人の入らない野山の奥に、時折発生する怨念だまり。
周囲の木々や野生動物などが生きていくうえで発生させる様々なマイナスのエネルギーが、数百年数千年の時を重ねて蓄積されることで発生するものだが、大抵はそこまで行く前に何らかのきっかけで吹き散らされてしまうものだ。
今回の熊の場合、恐らく数千年物の怨念だまりに突っ込んで変異したようだが、これはとてもレアなケースである。
レアなケースであるのだが、レベッカの職歴だとせいぜい「稀によくある」程度でしかない。
一応レベッカを擁護しておくなら、レベッカの行く先でこの種の事象が起こっているのではなく、現地で手に負えなくて援軍として派遣される案件の中に、この手の事例が多いというのが実態である。
レアケースと言っても、数千年物の怨念だまり自体は世界全体で見れば結構な数があるのだから、レベッカのような強力なエクソシストが対処する案件に多く含まれるのも当然であろう。
「なんにせよ、ここで仕留めておかねば三毛別羆事件の二の舞になります。全力で行きますので、覚悟してください」
そう宣言し、レベッカが手を祈りの形に組む。
祈りのポーズをとった瞬間周囲が夜に代わり、晴れ渡った空に見事な満月が浮かび上がる。
「主よ、再びこの両手を血に染めることをお許しください」
その祈りの言葉と同時に、辺りに某国民的RPGのボス戦BGMが鳴り響く。
BGMに合わせて修道服でも隠しきれていないグラマーで肉感的なボディラインを強調するかの如くレベッカの全身が光り、その豊かな胸の谷間から聖痕が浮かび上がる。
浮かび上がった聖痕がレベッカの左右の拳に宿り、足元から吹き上がった風が修道服の裾をはためかせベールを吹き飛ばす。
ベールが吹き飛んだ拍子に三つ編みがほどけたらしく、素晴らしい金髪が風にたなびく。
その場を濃密な神気が包み込み、レベッカの聖痕がフルパワーで解放された。
「では、互いの罪を清算しましょう」
その言葉とともに木の上から飛び降り、ピーカブースタイルで距離を詰めるレベッカ。
こうして、レベッカと決して人里に侵入させてはいけない巨大熊との死闘は幕を開けるのであった。
「グラァ!!」
先手を取ったのはツキノワグマ。熊の常套手段ともいえる薙ぎ払いで、レベッカを軽く弾き飛ばそうとする。
「ふっ!」
鋭い呼気とともに、爪の分も合わせて完全に見切って最小限よりやや大きめの距離を取って回避するレベッカ。
ツキノワグマの一撃が割とコンパクトだったので、フェイントを警戒したのだ。
その予想が正しかったようで、薙ぎ払いの動きに合わせたのしかかるような動きの振り下ろしが遅滞なくレベッカに襲い掛かる。
最小限の動きで回避して反撃をしていたら、もろに食らっていたであろう一撃である。
とはいえ、初手の薙ぎ払いと違いそこそこ大きな動きなので、回避に成功すればそれなりの隙ができる。
それを見て今度こそ反撃に移ろうとして、即座に後ろに飛ぶレベッカ。
レベッカが飛んだタイミングで、ツキノワグマのタックルが襲い掛かる。
「予想はしていましたが、やはり手ごわい!」
タックルを食らって大きく跳ね飛ばされ、きっちり構えを維持したまま着地したところでそううめくレベッカ。
一見隙だらけの大きな動きに見えて、その実、己の巨体を生かしきった全く隙のない動き。
野生本能によるものだろうが、これまで日本でやりあってきた連中が誰一人持ち合わせなかった、致命的なパワーとテクニックと油断も慢心もない心構えの組み合わせ。
この熊は、本物の強者とはこういう物だとレベッカに見せつけていた。
「ですが、このぐらいの手ごわさならこれまでも何度も経験しています。自然の摂理に従ったものとはいえ、あなたの餌食となった美田園さんの無念を晴らすためにも、きっちり討伐させていただきます」
二度目のコンビネーションをきっちり完全回避しながら、自分に言い聞かせるようにそう宣言するレベッカ。
レベッカの宣言に応えるように、フェイント交じりの薙ぎ払い六連からの飛び掛かりという新たな攻撃パターンを披露するツキノワグマ。
それをいなし、冷静に挙動の癖や攻撃パターンを見切ろうと観察を続けるレベッカ。
外れた攻撃が周囲の木々を薙ぎ倒すが、お互いそれに気を取られている余裕はない。
そんな息の詰まる攻防を数度繰り返したところで、ついにレベッカが攻勢に出る。
「グラァ!!」
「それはもう、見ました!」
コンパクトな右の薙ぎ払いに対し、左右のコンビネーションをほぼ同時というタイムラグで叩き込むことで迎撃しつつ、ツキノワグマの肘関節をへし折るレベッカ。
既に肉体が妖魔と化しているため、この熊には悪魔と同じように普通に打撃のダメージが入るのだ。
メインウェポンを潰したことでついでにタックルも封じたレベッカは、今度は振りおろしを正面から迎撃する。
そのままいつものラッシュに持ち込むのかと思いきや、なんと熊の喉に連続でコークスクリューを叩き込んだのだ。
コークスクリューの左右ストレート六連という無茶にもほどがある攻撃を完璧に決め、首の骨を叩き折りながらついでに全体を浄化するレベッカ。
いつものようにフィニッシュブローに合わせて高密度の浄化光がツキノワグマの全身を包み込んだところで、定番の白々しい決め台詞を口にする。
「主よ、この哀れな子羊に救いの手を」
いつもの白々しい言葉に合わせて、胸の前で十字を切るレベッカ。例によってレベッカの挙動に合わせて、太い光の柱が天地を貫く。
光が収まると同時に、どこかへ飛ばされていたはずのベールがレベッカの頭の上に落ちてくる。
「さて、後始末ですが……」
「おおい、シスター! 大丈夫かい!?」
ベールをかぶりなおし、熊をどうしようかと考えこんだところで、鎌田老人が慌てた様子で声をかけてくる。
その後ろには、会社をリタイアしたぐらいの年代の男性が数人ついてきている。
「敵は、取りました」
「……そうか、こいつが……」
「胃の中にまだ遺留物が残っているかもしれません。早いうちに解体してしまいたいところですが……」
「それは、儂らが請け負おう。とはいえ、こいつを車まで引っ張るのは骨だが……」
「安心してくれ、鎌田さん。熊と猪を疑ってたから、吊れる車で来てる」
「そうか。なら、車が入れる場所まで引きずらにゃならんな」
「今、若い衆を呼んでる。それまでに、ハイキングコースまでは年寄りの冷や水で頑張るか」
「しかたないか。まあ、コースまでは目と鼻の先じゃ。気張るか」
レベッカの申し出にうなずき、てきぱきと熊の処理を進めていく鎌田老人たち。
この動きからするに、恐らく彼らは猟友会のメンバーだろう。
「シスター。申し訳ないが、美田園さんの奥さんのご遺体について、心当たりがあったら探しておいてもらえんか?」
「もちろんです。ですが、鎌田さん。私が戦っているところにすぐに駆け付けてくださりましたが、どうしてですか?」
「何、儂は退魔師の資格こそ取れなんだが、そういうのが見えるほうでな。あれだけ派手な光の柱を立てておれば、何かあったことぐらいは分かるさ」
「それで、派手な戦闘の痕跡があったから、大丈夫か? と聞いてきたわけですか」
「そういうことだな。まあ、実のところ、命の心配はあまりしておらなんだが」
正直にぶっちゃけた鎌田老人の言葉に、苦笑しながらオーバーリアクションで肩をすくめて見せるレベッカ。
その妙にコミカルな仕草に小さく噴き出した後、厳めしい顔で一つ頭を下げる。
「シスター、こいつは何が何でも食肉として通す。だから、美田園さんの供養のためにも、こいつを食いつくす協力をしてくれ」
「分かりました。喜んで、ご相伴に預かります」
そう告げて、森の中に入って行くレベッカ。
幸か不幸か、美田園さんの奥さんの遺体はさほど遠くない場所の崖の下で発見され、損傷状態や熊の歯型、胃の中の消化できなかった遺留物から熊に食い殺されたことが正式に確定する。
「ちくしょう、ちくしょう!」
葬儀を終えた後で美田園さんを囲んで食べた熊の肉は、レベッカの人生で屈指の苦い味となったのであった。
イノシシと鹿とツキノワグマは、日本全国割とどこにでもいる野生動物です。
なので、さすがに三メートルの熊が出てくることはないにしても、こういう事件は割とどこでも起こる可能性が……。
なお、最初はこの作品らしいもっとファンキーな感じのタイトルでしたが、人食い熊って時点でどう考えても死人が出てるからということで、修正した経緯があったりします。
熊を撲殺させようなんて考えたせいでえらく重い話になってしまいましたが、次はもともと考えてたようなファンキーなタイトルで許される内容にしたい……。




