撲殺その1 聖女レベッカ、着任する
「ようこそおいでくださいました」
羽田空港に到着したレベッカを出迎えたのは、恐らく六十歳前後であろう日本人男性であった。
「お迎えありがとうございます。レベッカ・グレイスです」
「前任者の牧村忠雄です。潮見北教会で神父をさせていただいておりました」
初対面だからと、互いに自己紹介をするレベッカと牧村神父。
なお、さすがに羽田空港のロビーなので、お互い今の服はいわゆるビジネススーツだ。
アメリカならまだしも、日本では神父やシスターが修道服でうろうろすると目立つことこの上ないので、この判断は当然であろう。
「さて、せっかくですので東京観光でも、と行きたいところですが、荷物を持ってうろうろするのも辛いでしょう。本日のところは、シスター・レベッカに管理していただく教会へと案内させていただきます」
「はい、よろしくお願いします」
牧村神父の申し出を、素直に受け入れるレベッカ。
観光が嫌いな訳ではないが、正直東京にはそれほど興味はない。
そもそも、大都会というやつはアメリカで十分すぎるほど味わっている。
「それでは、こちらにお願いします」
牧村に促され、荷物を持って後をついていくレベッカ。
レベッカが連れて行かれたのは、空港に併設されている巨大駐車場であった。
「公共交通機関での移動ではないのですね」
「私も東京の公共交通機関には不慣れでして。初めての方を連れて無事に帰りつく自信がないのですよ」
「そういう事ですか。たしかにバスにせよ鉄道にせよ、巨大都市のターミナル駅などは乗り入れが多くて路線がややこしいことは多いですしね」
「ええ。しかも東京のターミナル駅は改装と増設を繰り返している影響で、来る機会の少ない人間では迷わずに移動など到底できそうにない構造になっているものがほとんどなのですよ」
そう言いながら、自身の車である日本でも普及台数トップクラスであろう小型ハイブリッドカーにレベッカを乗せる牧村神父。
ナビを使えば迷子になる確率が大幅に下げられる上、渋滞にさえ引っかからなければ、潮見から羽田へは高速道路を使えば一時間半程度で行ける。
最近は道路の整備も進んでおり、首都高速の渋滞を迂回できるルートもいくつか開通していることもあって、潮見羽田間ぐらいの微妙な遠さだと、鉄道より自家用車のほうが楽なのだ。
「それでは、まいりましょう」
そう言って、慣れた操作で丁寧に車を出発させる牧村神父。
この手のパターンでありがちな空港でハイジャックだのテロだのに巻き込まれるという事もなく、平和に羽田空港を出発するレベッカと牧村神父であった。
「……そういえば、進行方向左、恐らく数十キロ先にとても清浄な空間が大きく広がっているようですが、何かあるのでしょうか?」
高速道路に入ってしばらく。何とも言い難い違和感を覚えたレベッカは、率直に牧村神父に問いかける。
「ああ。恐らく皇居ですね」
「皇居? 確か、天皇陛下のお住まいでしたか?」
「ええ。日本の最も古く原始的な宗教である神道、その中心でもあるお方ですので、そのお住まいがシスター・レベッカのようなエクソシストから見てとても清浄なものであるのもおかしな話ではないでしょうね」
「そういうものですか?」
「そういうものです。もっとも、古い友人の神主に言わせれば、教えらしい教えもなく基本的に触らぬ神に祟りなしと臭いものに蓋をしているだけの神道を宗教と呼んでいいのかどうか、かなり疑問だそうですが」
「えっと……、その……」
牧村神父の言葉に、どう返していいか分からず言葉を濁すレベッカ。
他の宗教を邪教として潰してきた歴史を持つ一神教の信徒とはいえ、誰が何をどう信仰しようがどうでもいいレベッカにとって、あからさまに他の宗教をくさされると反応に困るのだ。
そもそもの話、立場上敬っているふりはしているが、正直レベッカは神をさほど敬愛していない、どころか、とある事情でそもそも敬うような相手だとみなしていないので、この手の踏み絵を迫るような話題は本気で困る。
もっとも、その事情というのがあまりにもあんまりな内容なので、そもそもレベッカが認識している唯一神はいわゆる「主」とは縁もゆかりもない存在なのではないのかという疑いも常に持ち続けているのだが。
「まあ、そういう訳で日本は非常に緩い国ですので、我らが主も日本の信徒にとってはいわゆる八百万の神のとりわけ偉い一柱、程度の認識かもしれませんが、あまり厳しく追及しないでいただければと思います」
「人の子がどのように認識していようと、偉大なる主は気にも留めませんよ」
「だといいのですがね」
レベッカの言葉に、牧村神父が妙に心配そうに言う。
住んでいる土地柄の問題か、神罰というものが実在することを知っているようで、不安で仕方がないらしい。
レベッカに言わせれば、レベッカ本人や一部のバチカンの職員に神罰が下らないのだから、牧村神父が心配する程度のことでわざわざ罰を下すほど神は暇でもなければ狭量でもないのは間違いない。
「それはそうと、順調にいけばお昼前には潮見につきますが、途中トイレ休憩などは必要ですかな?」
「私の方は大丈夫ですので、牧村神父の調子に合わせてください」
「そうですか、お気遣い感謝します。さすがに八十にもなると、トイレが近くなりましてなあ」
「えっ?」
牧村神父の年齢を聞き、思わず固まってしまうレベッカ。
見た目や話し方、運転などを見ている限り、そんな高齢にはとても見えなかったのだ。
「おや、何かおかしなことでも申しましたか?」
「いえ、思っていたよりもかなり年上だったので、思わず驚いてしまいまして」
「ほほう、シスターのようなうら若きお嬢さんに若く見ていただけるのは、なかなかにうれしいものですな。まあ、私の年齢などどうでもいいとして、次のパーキングエリアまで三十分近くかかりますので、そのタイミングで考えましょう」
「そうですね」
牧村神父の言葉に素直に同意し、この後は他愛もない話でお互いのことを知りながらドライブを楽しむ。
その後、渋滞に巻き込まれるといったトラブルも特になく、昼頃に潮見インターチェンジを通り過ぎる。
「……師から聞いて覚悟はしていましたが、またすさまじい土地ですね……」
「やはりそう感じますか?」
「ええ。私みたいに緩い人間ならともかく、感知能力が高くて潔癖な人間をここに送り込んでも、恐らくろくなことにはならないでしょうね」
潮見市に入った瞬間に感じ取ったものについて、困った顔をしながら正直にそう答えるレベッカ。
実績はともかく忠誠心やら信仰心やらという面ではとても褒められたものではない自分が送り込まれた理由を、嫌というほど納得してしまう。
この地域ほど、触らぬ神に祟りなしという表現が似合う土地はそうそうないだろう。
どう考えても今後のレベッカの仕事は、この潮見で考えなしに暴れる怖いもの知らずを、触れてはいけない連中が動く気になる前にこっそり始末すること以外にあり得ない。
「そういえば、牧村神父はエクソシストですか?」
「一応一番簡単に取れるCランクの資格は持っていますが、基本的に結界を張るのと悪霊を見つけたら聖水をかけて追っ払うのが限界で、まともな戦闘は不可能ですね。結界にしても、聖水には届かないぐらいの浄化効果と範囲内を無意識に避けがちになる程度の人払いの効果しかなく、物理的・霊的な防御力などは皆無です」
「なるほど。そう言えば、どんな小さな教会であっても、責任者になるにはCランクのエクソシスト資格は持っている必要があるのでしたか」
「ええ。日本の場合、まともに戦えるエクソシストというのは神道か仏教が圧倒的に多く、次いでそういう血筋の無宗教の方、そのほかの宗教にはほぼいないというところです」
「バチカンとて、世界中の大都市に戦闘可能なエクソシストを常駐させられるほどの戦力はありませんから、それはしょうがないでしょうね」
レベッカの言葉に、しみじみとうなずく牧村神父。
なお、牧村神父が持っているCランクの資格というのは、霊感などがなくても誰でも訓練をうけて試験に合格すれば取ることができるもので、悪霊が見えるほどではないが存在を感じ取って対処が可能になる程度の能力は身につく。
表立って公開されていないだけで、実のところこの手の資格は国家・政府がきちっと機能している国であれば呼び名は違えど普通に存在しており、勢力的にはバチカンを主体とするクリスチャン系と日本を中心とした神道・仏教系(陰陽道などもこのくくりに入る)が拮抗している感じである。
流儀が違うだけでやっていることや能力的なものはほぼ同じなので、二十一世紀に入ってからはこれらの資格はどこの組織のものをどこの国に持っていっても大体通用するようになっている。
余談ながら、資格を持っているエクソシストは大抵本業が忙しいため、テレビなどに出ることは滅多にない。
「さて、教会に行く前に、昼食にしましょうか。シスター・レベッカは、アレルギーや個人的な信条で食べられないものはございますか?」
「主はそういう事には大層寛容ですので、少なくとも私は法で禁止されていなければ何でも食べます」
「そうですか。生魚などでも?」
「ええ、もちろん。以前一度だけ、日本で修業したという方が営む日本料理のお店で、お寿司とお刺身をいただく機会がありまして。ちょっとお腹に溜まらない感じはあったものの、あれはあれでとてもおいしかったです」
「なるほど。では、食べたいものや気になっているものはありますか?」
「師から教えられた、焼肉食べ放題というものが非常に気になっています」
「それは夕食にしましょう。その様子ですと、量は多いほうがよさそうですね」
「少ないなら少ないで問題ありませんけど、たくさん食べられるならその方がうれしくはあります」
牧村神父の質問に対し、自身の欲求を正直に告げるレベッカ。
育ちの問題もあって、レベッカにはそういう遠慮は一切ない。
なお、レベッカが寿司や刺身を食べた店というのはアメリカでも有数の高級店で、エクソシストの仕事をした際、報酬とは別にお礼という形で店主がごちそうしてくれたものである。
そうでなければ、きちっとした生魚の扱いを身に着けた店で出される寿司や刺身など、レベッカの懐具合で食べるのは不可能だ。
アメリカでも回転寿司ぐらいはあるが、カリフォルニアロールのようなアメリカ発祥の魔改造品はともかくとして、そうでない生魚を使った一般的な寿司に関してはいろんな意味でギャンブル要素が強い。
もっともアメリカの場合、グルメガイドで星をもらっていない安い店が複数の意味で命がけのギャンブルになりがちなのは、何も寿司に限った話ではないのだが。
「そうですか。でしたら……、今日のところは潮見でも有名な安くて大盛の店にしておきましょうか。シスターはお料理は?」
「味は二の次三の次の節約料理に特化している感じですので、お世辞にも得意とは言い難いですね」
「でしたら、今から行くお店にお世話になることも多いかもしれませんな。正直、私は年ですので半分も食べられないのですが……」
「いただいてもよろしいのでしたら、私が喜んで食べますよ」
「それを当てにして、という側面もございます。あくまで年寄りには量が多すぎるというだけで、味はいいのですよ」
牧村神父の言葉に、まだ見ぬ昼食への期待を膨らませるレベッカ。
そんなレベッカに「若いっていいなあ」などと思いつつ、体育会系御用達のデカ盛り系食堂である「まんたろう食堂」の駐車場へと車を回す牧村神父。
その店の料理はアメリカ基準のレベッカをして結構多いと評価せざるを得ないものだったが、華奢な見た目に反してフードファイター顔負けの食欲を持つ彼女にとってはなんという事もない。
この料理を五ドルから八ドルで食べられるのかと驚きつつも、シスターとして受けた教育の成果により非常に上品においしそうに食べきり、さらに年の影響で三割ほどしか食べられなかった牧村神父の分も平らげて大変満足そうにして見せる。
「ごちそうさまでした」
「……いやはや、シスターの細い体のどこに、先ほどの料理が入っているのでしょうな……」
「実はちょっとした事情があって、余剰カロリーは肉体とは別のところに蓄えられます」
「別のところ、ですか?」
「はい。ただ、それがなくても私は非常に太りにくい体質のようではありますが」
そう言って、とりあえず牧村神父を煙に巻くレベッカ。
自身の能力については絶対に秘密にしろとは言われていないが、見られたわけでもないのに自分から進んで説明することは禁止されているのだ。
「私から説明することは禁止されているので、今はそういうものだと思っていてください」
「そうですか。やはり、本省所属のエクソシストには、機密が多いということですか」
「まあ、そんな感じです。もっとも、私の場合は機密というほどのものではなく、単に体面的なものなのですが……」
何やら勘違いしていそうな牧村神父に対し、微妙に言葉を濁しながらそう告げるレベッカ。
その態度に不穏なものを感じつつ、レベッカを担当する教会へと連れて行く牧村神父であった。
「ここがシスターに住み込みで管理していただく聖心教会です」
「まだ新しい建物なのですね」
「先月、建て直したところですからね」
潮見市北部の高台に建つお嬢様学校、私立聖心堂女学院。その敷地の一部、道路に面した位置に建てられた教会を見て、そんな話をするレベッカと牧村神父。
聖心教会と呼ばれているその建物は、新築なのにどこかレトロな雰囲気を漂わせていた。
「向こうの学院が大層歴史ある建物を使っている様子ですが、教会の方は修繕ではなく建て直しで良かったのですか?」
「はい。聖心堂女学院の校舎は築百数十年を誇る、明治時代の名工の手による建物ですので文化財になっていますが、教会の方は後から増設され、火事や地震でたびたび崩れては一から建て直していますので文化財指定はされていないのですよ」
「なるほど」
牧村神父の言葉に、そういうものかと納得するレベッカ。
実際、生まれも育ちも潮見である牧村神父の八十年の人生でも、この教会は今回で三回目の建て直しである。
しかも、そのうち老朽化が原因で建て直したのは今回の一回のみ。一回は牧村神父が生まれた年に戦争で焼けた教会をようやく建て直し、もう一回は前の道路に埋設されたガス管の更新工事で爆発事故が起こり、その際に発生した火災が教会全体に回って完全に焼け落ちたという、何かの呪いでもあるのではないかと疑いたくなる経歴を持つ。
幸いにして、教会が焼けてもそれ自体での死傷者はほぼ出ていないので、そういう面では一応神の家の面目躍如なのかもしれない。
「ちなみに今回の建て直しは老朽化による耐震基準未達のため、改築より新築で建て直したほうが安く安全なものができるという判断で行われました。外観と礼拝堂のデザインはそのままですのでレトロな感じはしますが、構造は最新のものになっています」
「それはやはり、慣れた外観のほうが信者の皆様も安心できるから、という判断でしょうか?」
「それもありますが、このデザインは初代のデザインを復刻したものです。建物全体の調和の面でも、外観と礼拝堂ぐらいは継承しておいた方がいいでしょう」
「たしかにそうですね」
牧村神父の説明に説得力を感じ、同意してうなずくレベッカ。
「さて、既に十分に浄化されてはいますが、念のために荷解きの前に浄化と結界を……」
そこまで言ったところで、不意にレベッカの表情が変わる。
「どうしましたか、シスター?」
「どうやら、本業の時間のようです」
そう言って振り返り、一つ先の交差点のそばに添えられた花束を睨みつける。
「牧村神父、あの交差点でつい最近、大規模な事故などありませんでしたか?」
「ありました。交差点にものすごい勢いで突っ込んだ車が歩行者二人をはね、電柱にぶつかって大破炎上。運転手一人と歩行者二人が死亡した事故です。車一台による単独事故、死者三名というのが大規模と言えるかというと判断が難しいところではありますが」
「どうやらその事故、本当は事故ではなかったようですね」
「どういうことですか?」
「車に何やら細工されていたらしく、事故を装って殺されたそうです」
「そんな真似、できるのですか?」
「車の仕組みに詳しくはありませんのでそんなに簡単にできるのかは知りませんが、前例がないわけでもありません」
陳腐な三流ドラマのようなことを言い出すレベッカに対し、疑わしそうな目を向ける牧村神父。
とはいえ、視界内で遠隔操作によりブレーキを効かなくしつつ車をおかしな方向に暴走させること自体は、手段を選ばねばいくらでもやりようはある。
もっとも、そんなことをすれば当然何らかの痕跡が残るため、普通は操作ミスや運転手の暴走による事故として単純に処理されることはない。
この件も実のところ、表向きは事故として捜査を進めていると報道されているが、不審な点の多さから警察はむしろ運転手もしくは歩行者を狙った殺人事件の可能性が高いとして捜査中である。
が、警察の捜査など殺された側からすればどうでもいいことであり、真犯人がのうのうと出歩いては死者を悼むポーズをとって世間に対しポイントを稼ぎつつ悪意たっぷりに煽る、なんて真似を許している時点で彼らが悪霊化するのは避けようがない。
「真実がどうであれ、あの花束にたっぷり悪意が込められている以上、彼らが悪霊になるのも当然でしょうね」
「……たしかに、私の手には到底負えないほど、急速に力を得ているようですね……」
「ええ。恐らく同情する点があるのでしょうが、悪霊になってしまった時点で情けをかける意味はありません。彼らを怒らせて悪霊化させた人物がどうなろうと知ったことではありませんが、無関係な人たちが呪い殺されるのを黙って見過ごすわけにもいきませんし、今のうちに浄化してしまいます」
さほど気負った様子も見せず、特に何か準備するでもなく霊視能力のない牧村神父にまで見えるほどの力を得た悪霊と向き合うレベッカ。
何を言っているか理解できない、否、そもそも言葉なのかどうかも分からない声を発し続ける悪霊。
それを凪いだ瞳で見つめながら、レベッカは祈るために胸の前で手を組む。
「主よ、再びこの両手を血に染めることをお許しください」
レベッカが祈りの言葉を口にすると同時に、グラマーで肉感的なボディラインを強調するかの如くレベッカの全身が光り、その豊かな胸の谷間から聖痕が浮かび上がる。
浮かび上がった聖痕がレベッカの左右の拳に宿り、足元から吹き上がった風が三つ編みにしていたレベッカの長く美しい髪をほどいてたなびかせる。
「シスターは、『聖女』だったのですか……」
「かなり特殊なタイプですけどね。それはそれとして、とりあえずこの悪霊を神の元へと送ります」
そう告げると、ピーカブースタイルの構えを取り、軽快なフットワークで悪霊の懐に飛び込み、えぐりこむようなボディブローを叩き込む。
さすがに物理で殴ってくるとは予想だにしていなかったようで、驚愕とダメージ双方の理由から言葉を失う悪霊。
そんな悪霊の様子に頓着せず、次から次へと打撃を叩き込むレベッカ。
わずか三秒で百に届こうかというラッシュを叩き込んだ後、仕上げとばかりにコークスクリューのストレートを顔面に叩き込む。
「主よ、この哀れな子羊に救いの手を」
悪霊が昇天したのを確認し、背を向けて十字を切って祈りの言葉を口にするレベッカ。
その祈りに合わせて、浄化の光が天まで届く。
天高く伸びた光が消えるとともにレベッカの拳から聖痕が消え、悪霊の浄化作業が完全に終わる。
伸びた光が途中で枝分かれしてどこかへ飛んでいくが、悪霊を浄化した場合によくあることなので、毎回深く考えずにスルーしている。
「さっき、食べた分の余剰カロリーは、別のところに蓄えられる、と話しましたよね?」
「ええ。……まさか……?」
「はい。私が食べて消費しきれなかったカロリーは、聖痕に蓄えられます。もっとも、一応聖痕なので、暴食の大罪に触れるような食べ方をしてはダメですけどね」
「それはまあ、そうでしょうなあ……」
レベッカの説明に納得しつつ、先ほど彼女が食べた量を思い出して、暴食の大罪に触れるにはどれだけ食べねばならないのかと戦慄する牧村神父。
実際のところ、暴食の大罪に触れるかどうかは量ではなく食べ方で判定され、あまり意地汚いことをしなければまず問題なかったりする。
「では本職の仕事も終わったことですし、荷解きとお掃除ですね。新築なのでたいそうな掃除は必要ないにしても、多少の埃は積もっているでしょうし」
「ですなあ」
いろいろあっさり切り替えたレベッカに同意し、掃除や荷解き、買い出しといった作業を手伝う牧村神父。その際、焼肉食べ放題の店の空き具合のチェックと予約も忘れない。
途中で牧村神父の奥さん(これまた八十歳近い年齢には到底見えない若々しい女性だった)もいろいろ手伝ってくれたため、足りなかった生活用品や心もとない数しかなかった衣類の補充も問題なく終わる。
そんなこんなで午後五時半。予約した店にそろそろ行こうかというタイミングで、牧村神父的にスルーできないニュースがテレビから流れてくる。
「ねえ、あなた。このニュース……」
「おや、この方は……」
「お知り合いですか?」
「あの事故を起こした運転手の関係者らしく、ちょくちょく花束を供えに来ておられました」
「ああ、死人を煽りに煽って悪霊にしてしまった、性格の悪い方ですね」
レベッカの正直な感想に、鉛でも飲み込んだかのような表情を浮かべる牧村夫妻。
あまり接点はなかったがたまに教会にも寄付をしてくれていたため、そんな人物だとは思っていなかったのだ。
「悪霊化したところを見ると、それが事実なんでしょうねえ。それにしても、レベッカさん。このタイミングで緊急逮捕というのは、もしかして?」
「そういえば、先ほどシスターが悪霊を浄化した際、天に昇る光とは別に、どこかに枝分かれして飛んで行った光もありましたが?」
「さあ? ただ、日本ではこういうのを『人を呪わば穴二つ』というのですよね?」
「なるほど。深く追及してはいけないということですか」
「もう終わったことですし、私達はたまたま近くに住むことになった他人でしかないので、これ以上こちらから積極的に関わるようなことでもありませんよ」
牧村夫妻の問いに、アルカイックスマイルを浮かべながらそう答えるレベッカ。
ここから先は遺族をはじめとした直接の関係者だけで進めるべき話であり、いくら悪霊となった故人を浄化したとはいえ知り合いですらない部外者が首を突っ込んでもいいことなど何もない。
何かできることがあるとして、それはせいぜい遺族が教会に訪れた際に神父とシスターとして話を聞くことだけである。
「この話は終わりにして、そろそろ夕食ですよね? 焼肉食べ放題という魅惑的な言葉が気になって、楽しみでしょうがないのですが……」
「そうですね。そろそろ、行きましょうか」
「そういえば、焼肉なんて久しぶりねえ」
「この年になると、家では準備や後片付けが面倒で、かといって店で食べるのも大して食べないのにという気分になりますからねえ」
「たくさん食べてくれる人が一緒だと、気兼ねなく行けていいわねえ」
レベッカの食欲を甘く見て、そんな話をのんきにする牧村夫妻。
その後、食べ放題であることをいいことに全メニュー二周制覇を成し遂げ、健康的な食べ方で美味しそうにバクバク食べるレベッカに店長が感動。
「御馳走しますので、今度宣伝用の動画を撮らせていただいてよろしいでしょうか?」
これはバズるとばかりにレベッカにそんな依頼をし、とりあえずシスターという立場から自分の一存では決められないと保留にされるという珍事が発生。
先ほどの聖職者っぽいレベッカの姿は見間違いだったのかと、思わずあきれてしまう牧村夫妻であった。
記念すべき日本での撲殺第一号はこんな感じです。
はめられて殺された挙句に死後も撲殺されるとか不幸すぎますが、ちゃんと因果は巡るのでご安心を。
なお、聖女様は単に恨む心をへし折って天国に送り届ける役割を任された(押し付けられた)だけなので、特にペナルティ的なものはありません。




