撲殺その7 船幽霊
「これは……、素晴らしいです……」
九月に入ってすぐのある日の朝。潮見港の海鮮卸売市場。
美優に連れられて併設されている食堂へ来ていたレベッカは、出された海鮮丼とあさりの味噌汁のセットを前にうっとりとした声を出していた。
「この後天丼や焼き魚に貝やエビなんかも控えてるから、どんどん食べちゃって」
「それは、心して味わわねばいけませんね」
美優の言葉に気合を入れ、例によって食前の祈りを雑に済ませて食事に入るレベッカ。
漁港の食堂などにありがちな話だが、ここの海鮮丼もどうやって食べればいいのか分からないほど刺身が盛られたもので、しかもレベッカのものはその中でもさらに容赦のないボリュームの特盛海鮮丼だ。
船盛換算で三つ分以上はある量の刺身が特大の丼に盛られたそれは、ご飯が出てくるまでどれだけ刺身を掘り進めなければいけないのか想像もつかない。
そんな海鮮丼をためらいなく崩して、奇麗な断面を作るように食べ進めていくレベッカ。
途中で味噌汁を飲むのも忘れない。
「いやあ、今日も気持ちのいい食べっぷりだね」
「魚介類は業務用の大容量のものでも割と値が張りますので、こんなに食べたのは実は初めてだったりします」
「そういや、前に奢ったのとかも、言うほど魚介系のメニューなかったっけ」
「はい。こちらでごちそうになったビュッフェの類は、どちらかというと肉類や卵と野菜の比重が高いものばかりでしたし」
「ああ、確かに。季節的なものもあって、魚介メインって言える料理は刺身やカルパッチョと寿司、てんぷらぐらいだったよね。後は具材に使ってはいてもとてもメインとは言えない感じ」
「はい。シーフードグラタンなどもありましたけど、あれを食べて魚介を食べた気にはあまりなりません」
「だよねえ」
付き合いで朝の焼き魚定食をつついていた美優が、苦笑しながらレベッカの言い分に同意する。
流石に無償奉仕は申し訳ないと、食事の現物支給以外にも寄付という形で金一封を包んだりはしているが、それでもレベッカの食事量では魚を満足するだけ食べるというのは難しいだろう。
そうなるとビュッフェの類に頼ることになるのだが、これがまた案外魚介メインのものが少なかったりする。
肉類に比べるとカロリーが低く余分に食べなければいけないことも足を引っ張って、どうしても魚を食べる機会が減るのだ。
「それで、この漁港で何が起こっているのですか?」
美優の食事があらかた終わったのを見計らって、特盛天丼を食べながら今回の仕事について確認するレベッカ。
なお、既に海鮮丼だけではなく、サバ一匹とイワシ二匹にアジの開きもついたガッツリ焼き魚定食も食べ終えている。
「沖合で幽霊が出るんだって」
「なるほど」
「その幽霊が船を転覆させたり座礁させたりして、かなりシャレにならない被害が出てるらしくてね」
「それを私が浄化すればいいわけですね?」
「そういうこと。だから、確定で海上での戦いになるから、無理そうだったらはっきりそう言ってくれていいよ。一般的な幽霊船と違って船員が全く確認できてないって話で、船そのものが幽霊だって可能性もあるし」
「そうですねえ……。見ないと分からないところですが、足場に関しては浮き輪でもたくさん浮かべておいてもらえれば、それでどうにかします。サイズはまあ、単に大きいだけならどうとでもなります」
浮き輪を足場にするという発想に、やっぱりこいつもそういう系統かと思わず遠い目をする美優。
が、それでも確認のためにもう一度、多少突っ込んだ情報を持って問いかける。
「相手はシスターの教会の倍以上は大きいらしいけど、本当に大丈夫?」
「そのぐらいのサイズでしたら、以前ニューヨークでやらされた、悪霊化した超高層ゴーストビルの解体浄化に比べれば大したことはないので、多分大丈夫だと思います」
「えっ? 何それちょっと待ってそのビルの話詳しく」
「詳しくも何も、ビルそのものが悪霊化して周辺にかなり厄介な霊障を起こしていたので、ヘリからそのビルの屋上に飛び降りて、上から殴って浄化しつつ降りていくやり方で浄化と解体をまとめて済ませただけです」
「……うわあ……」
こともなさげにそんなことを言ってのけたレベッカに対し、突っ込みどころが多すぎて逆に何も言えなくなってしまう美優。
そもそもゴーストビルというのは普通は廃墟の事であって、間違っても建物そのものが悪霊化することをさす言葉ではない。
「それはそれとして、こんな明るい時間帯に出てくるのですか?」
「報告によると、昼も夜も関係なく出てくるらしいよ」
「なるほど。それで、この時間でもいいのですか」
「そういうこと。別にいつ出港って決まってるわけじゃないから、ゆっくり食べてくれていいよ」
「分かりました」
美優の申し出にうなずき、焼き貝の盛り合わせのおかわりを頼むレベッカ。
今日も朝から食欲旺盛である。
「一通り気になっていたものはいただきましたので、そろそろ始めましょうか」
「了解」
十五分後。お店の人が気を利かして焼き貝の盛り合わせと一緒に持ってきた鯛めしを平らげたところで、ようやくそう宣言するレベッカ。
大立ち回りするためのカロリーチャージも十分である。
「で、シスター。その格好で大丈夫? ウェットスーツとか着なくていい?」
「はい。この服で水中戦をしたこともありますので、大丈夫です」
「……正直、シスターの戦歴が全く想像できない……」
本日二つ目の衝撃的な過去に、思わずうめく美優。
姉や親戚の関係でこの手のエピソードには耐性がある美優だが、さすがに限度というものがあったらしい。
「いろいろなものを浄化してきていますが、相手が違うだけでやっていることは全部同じです」
「いやまあ、そうなんだろうけど……。まあ、いいや。用意してる船まで案内するよ」
「お願いします」
話を聞いているときりがないと諦めて割り切り、レベッカを小型の高級高速クルーザーへ案内する美優。
特に何の感想もなく案内されたクルーザーに乗り込み、与えられた席におとなしく座るレベッカ。
レベッカが着席すると同時に、クルーザーが出港する。
「この船なら出現ポイントまで十分もかからないから、今のうちに必要な準備があったら済ませておいて」
「はい」
美優に言われて、リュックの中から五百ミリのペットボトル二本を取り出して腰に括り付けるレベッカ。
こうして、レベッカの日本で初めての海戦は幕を上げるのであった。
「なるほど。あれですね」
「あれなんだろうけど、船団を組んでるって話は聞いてないなあ……」
「亡くなった方もおられるのであれば、その無念も取り込んで力をつけた可能性があります」
「ああ……。それ、ありそうだね」
目的の海域には、十数隻からなる幽霊船団が待ち受けていた。
「とりあえず、この距離なら助走なしでも飛び移れそうですので、このまま行ってきます」
「あ、ちょっと待って」
すぐに飛び移ろうとするレベッカを、美優が引き止める。
「これ、携帯用の救命浮き輪。ここ引っ張って投げたら勝手に開いて膨らむから、帰りの足場にでも使って」
「ありがとうございます」
「あと、念のためにベールと髪留めのゴムは預かっとくよ。ここで飛ばされたら、回収できないし」
「そうですね、お願いします」
「帰ってきたら海鮮バーベキュー食べ放題だから、がんばってね」
ベールと髪留めをポケットサイズの救命浮き輪二つと交換し、そう声をかけてレベッカを送り出す美優。
美優の言葉に気合を入れて、数百メートルは離れているであろう一番手前の幽霊船にあっさり飛び移るレベッカ。
そのまま八艘跳びのごとくぴょんぴょんと船を飛び移って、最後尾の小型船まで移動する。
「では、はじめましょう。主よ、再びこの両手を血に染めることをお許しください」
全ての船を視界内に収め、いつもの祈りを口にするレベッカ。
その祈りの言葉と同時に、どこからともなく月からマイクロウェーブが飛んできそうな感じのBGMが流れてくる。
BGMに合わせて修道服でも隠しきれていないグラマーで肉感的なボディラインを強調するかの如くレベッカの全身が光り、その豊かな胸の谷間から聖痕が浮かび上がる。
浮かび上がった聖痕がレベッカの左右の拳に宿り、足元から吹き上がった風が修道服の裾をはためかせ、素晴らしい金髪をたなびかせる。
その場を濃密な神気が包み込み、レベッカの戦闘準備が整った。
「さあ、互いの罪を清算しましょう」
ピーカブースタイルで構えを取りながら、いつもの白々しい言葉を告げるレベッカ。
それと同時に、足場にしている船が真っ二つにへし折れて姿が薄くなっていき、近くの船がきしみ始める。
どうやらレベッカの濃密な神気により海水が浄化塩入りの聖水に化けてしまい、悪霊特効が複数のっかったダメージ地形に化けてしまったようだ。
また相手にとって都合が悪いことに、海流の向きが船団全体を包むようになっており、離れたところにいる船にもダメージが入る状態になっている。
「なるほど。ではもう少し出力を上げながら手あたり次第飛び移っていけば、大方はケリがつきそうですね」
幽霊船の状態を即座に察し、その条件を最大限利用することにするレベッカ。
そもそも聖痕を全開で発動しているときのレベッカは、弱い霊だと半径十メートル以内に入るだけで消滅するだけの浄化フィールドを発生させている。
それはすなわち、幽霊船にとっては乗られるだけで並の退魔師やエクソシストの中級技以上の攻撃を受けるのと同等以上のダメージを食らうということである。
しかも、そのダメージは瞬間的なものではなく持続ダメージだ。
その上、レベッカが上に乗るということは、浮かんでいる海の聖水濃度が上がるということで、さらに追い打ちを食らうのと変わらない。
結局、小型は乗った瞬間に、中型船でも次の船へと移るための移動中に真っ二つに折れて浄化されることに。
「やはり、本命はあの軍艦っぽい船ですね」
七割がた踏みつけて浄化したところで、ひときわ目立つ超大型の軍艦に目をつけるレベッカ。
生き延びた漁師達の証言にはなかったが、これだけ目立つ大型の船を見落とすとは思えない。
他が漁船で統一されているところから考えても、こいつが後から力をつけて、この幽霊船団をまとめあげた中枢であろう。
元の所属がどこかは分からないが、日本の軍艦は現在、沈没した後でも母国防衛の任務を続けているので外国の船なのは間違いないだろう。
「どこの船かは知りませんが、死してなお他国の脅威となるのは流石に見過ごせません。きっちり主の厳しい愛を受けていただくことにしましょう」
そういうや否や、大型軍艦に飛び移るレベッカ。
レベッカが着艦したと同時に、軍艦が叫びをあげる。
『パツキンのエロボディシスターの踏みつけ、サイコー!』
ある種末期的な、非常に業の深い叫びに、思わず眉を顰めるレベッカ。
内容もなかなかだが、その声色が今まで聞いた中でも最高に気持ち悪い。
「何でしょう……。あまり長居をすると無駄に喜ばせて不愉快な思いをする羽目になりそうな気がします……」
渋い顔で眉を顰め、そうつぶやきながら中枢になっていそうな場所を探るレベッカ。
すぐに動力室と思わしき場所の気配を発見、まっすぐ進むためにラッシュで壁をぶち抜いていく。
『ああ、いい!!』
「うるさいですね……」
何かやるたびに性癖駄々洩れという感じの声を上げる船に辟易しながらも、動力室に向かって真っすぐ進んで行くレベッカ。
動力室の扉にはロシア語と思わしき文字で何かがかかれており、その下には思いっきり核のマークが。
「なるほど、元ソ連の原子力空母といったところですか。聞くところによると、あそこの原子力関係はちょくちょく行方不明だの沈没だのの話があったようですし」
そう言いながら、何のためらいもなくストレートで隔壁をぶち抜くレベッカ。
『最ッ高ッデェス!』
その打撃に反応して、またしても気持ち悪い声を上げる幽霊船。
いちいち反応していると疲れるので、完全に無視して原子炉だったと思われるものに軽快なフットワークで近寄り、神のラッシュを叩き込む。
その際にレベッカのテンションに合わせて増大した神気の奔流が、一帯の海域を最高級の聖水と塩のたまり場に変換する。
そのまま勢いを止めずに完全粉砕されるまでラッシュを続け、何故か宙に浮く形でしつこく残った炉心にコークスクリューをぶち込んで浄化する。
その一撃と同時に光の柱が天まで届き、ついでに軍艦の竜骨をへし折る。
『我々の業界ではご褒美で~す!』
最後にそんな断末魔を挙げて真っ二つにへし折れ、海に沈みながら浄化される軍艦。
そこから飛び出して、消えかけている残りの船を足場にしてクルーザーに戻っていくレベッカ。
最後の最後で飛距離が怪しくなるも、借りていた携帯用の救命浮き輪を展開して足場にし、クルーザーに着地する。
「主よ、この哀れな子羊に救いの手を」
最後に例の白々しい祈りの言葉を口にするレベッカ。
その言葉に合わせて、BGMが最後のフレーズを奏でて終了する。
「とりあえず、終わりました」
「うん。お疲れさま」
「これで、心置きなく海鮮バーベキューが楽しめますね」
「そうだね」
大海原に立つ光の柱と、その周辺海域から天に向かって昇っていくたくさんの光の玉。
そんな幻想的な光景を完全にスルーして、海鮮バーベキューに意識を向けるレベッカと美優。
その後港に戻ると、空から大量に降ってきたということで、ぶちまけられた魚介類を漁師たちが大忙しで回収する光景が。
その時回収された魚介により、今までにないほど多種多様の新鮮な食材のバーベキューが行われ、大変満足するレベッカであった。
過去の話とはいえ、ゴーストビルって名前で本当にビルの幽霊が出てくるのもなかなかないと思うのですがどうでしょう?
こういう過去の話がぽろぽろ出てくるたびに、レベッカの謎が増えていくわけです。
しかも、本人はそれがおかしなことだとも自分の経歴が謎だとも思ってないという。




