【脱獄物語】大脱走③
小夜子の部屋から引き返したところ、中央廊下の混乱はすでに終わっていた。
気を失った看守達が後ろ手に縛られ、ずらりと廊下に並べられている。
わたしたちは彼らを横目で見ながら、その地点を通り過ぎ、実験室に向かった。
○
実験室の扉は巨大な二枚の金属扉でしっかりと閉ざされていた。
ちょうど体育館と同じような大きな扉だ。
体重をかけて引いてはみたが、ビクともしない。どうやら内側から鍵がかけられているらしかった。
「田中君、わたしだ、鍵を開けてくれ!」
「博士ですか? 無事だったんですね?」
扉のすぐ向こうから田中一の声が聞こえた。
そして扉はすぐに開かれた。
実験室には煌々と明かりが灯っていた。
まばゆい水銀灯の明かりが、室内全体を夢の光景のようにキラキラと輝かせていた。その光を受けているのは、部屋の中央に大砲のようにそびえる巨大な『物質小型化装置』と、それを取り巻いている二百人あまりの科学者達だった。
○
科学者たちの白衣はその光を柔らかく反射しており、まるで発光している天使のように見えた。
これは誇張ではない、わたしにはその時本当に彼らの背中に羽が見えたような気がしたのだ。
彼らはみんな、にこやかに微笑んでいた。
そして遅れてやってきたわたしたち――わたしと鋭子と小夜子、それに犬のスケイプ――をうれしそうに見つめていた。
「輝男、何か言いなさいよ」
鋭子がわたしの脇を肘でこづいて言った。
「――みんながあなたの言葉を待っているのよ」
○
いきなりそういわれても言葉が出てこない。
わたしはちょっと目を閉じ、今の気持ちが言葉になって浮かんでくるのを待った。
「自由だ! もうすぐわたしたちは自由を手に入れる!」
ちょっと張り切ってそう言ってみたが、反応はなかった。
それどころか科学者達は、次のわたしの言葉を待っている。
なんだか緊張してきた。何か気のきいたことを言おうと思うのだけれど、そういう言葉がまったく出てこない。
だいたい感動的な演説を期待されてもわたしには無理な相談なのだ。
わたしは白衣のポケットに深々と手を突っ込んだ。
そしてすっかり肩の力を抜いた。
○
やっぱりいい言葉なんて出てこない。
演説はわたしの得意とするところではないのだ。
そもそもわたしにそれを期待するのが間違いなのだ。
まぁ、肩ひじを張ってもしょうがない。
わたしはわたしだ。それ以上でもそれ以下でもない。
わたしはヤレヤレと首を振って、偽りのない本心だけを簡単に告げた。
「さっさと逃げ出そう、こんなところにいるのはもうたくさんだよ」
わたしが言ったのはそれだけだった。
すると田中一がパラパラと拍手を始めた。
その拍手を受けて、拍手の輪が広がっていく。
やがてそれは二百人をつなぎ、巨大なうねりとなって実験室を満たしていった。
○
それからわたしは実験室に足を踏み入れた。
そして同僚達に背中をたたかれ、賞賛の声を浴びながら、物質小型化装置の元へ歩いていった。
そこには田中一が待っていた。
「準備は出来てますよ、オヤジ」
「ありがとう、さっそくはじめるとしよう」
その時、わたしは二人、重要な人物がかけているのに気がついた。
一人は龍次。だがまぁ龍次のことなら心配ないだろう。
問題はもう一人、冴子シェフの姿がないのである。
考えてみれば彼女にだけは居場所を伝えていなかったのだ。
「だれか、冴子シェフを見なかったか?」
わたしは振り返って科学者達に向かって聞いた。
すると、一台の車椅子がするすると前に滑り出してきた。
○
「冴子シェフならカフェテリアにいたぞ、あのロボットとなにか話し込んでいた。ちょっと酔っ払っているふうだったな」
「じゃあ、わたしが連れてくるわ」
鋭子がすぐにそう言った。
看守と虎子たちとの混乱は終わったようだが、まだ危険ではある。
だが今はそうしてもらうほかなさそうだった。
「じゃあ、頼むよ」
「鋭子さん、あたしもついていきます」
小夜子が名乗り出てくれた。その隣にはボディーガードのようにスケイプが寄り添っている。
わたしは小夜子に感謝を込めてうなずいた。
「二人ともくれぐれも気をつけて」
わたしがそういうと、二人は足早に実験室を出て行った。
○
「では実験を開始しよう!」
わたしは装置の元に歩きながら言った。
「はい!」
田中一の声が答え、パソコンに指を躍らせると、最後にパチリと一つのキーを力強くたたいた。
いよいよ物質小型化装置のスイッチがつけられた。
ジェット機のエンジンのような唸りが響き、巨大なエネルギーが装置の中を駆け巡っているのが肌で感じられた。
装置に取り付けられたランプが赤やオレンジの点滅を狂ったように輝かせ、しばらくするとその全てが端からいっせいにグリーンに変わっていった。
さらに小型化装置の前面に取り付けられたメガホン部分の中央には銀色の光が集まり始め、マシュマロのように柔らかく固まりはじめた。
○
「博士、準備は万全です」
田中一は装置のすぐ横に机を置き、パソコンを載せて画面を見つめている。
「うむ、でははじめよう」
わたしはそのメガホン部分から五メートルほど離れた正面に、あのカモフラージュシートをいっぱいに広げて立った。
カモフラージュシートの表面には銀色のホログラム模様が再現され、色とりどりのかすかな光を波立たせている。
わたしはそれをしっかりつかみながら、大砲の弾丸を受け止めるような気持ちで装置の光を見つめた。
「いきますよ、博士」
「よしっ! 来いっ!」
○
叫ぶのと同時に、メガホンの中の光のマシュマロがさらに大きく膨らんだ。
最初はこぶしほどの大きさだったものが、みるみるわたしの背丈を越えた。
さらに光は大きくなりメガホン全体に広がると、その中央からゆっくりと細い線が飛び出してきた。
それは光のはずなのに、のろのろと、確かな質量というものを感じさせながら、スーッとわたしに向かって伸びてきた。
さきほどは大砲の衝撃を待っているつもりだったが、今度はフェンシングの刀身が刺さるのを待っているような気分になった。
○
光の剣は先端を鋭く尖らせ、ゆっくりゆっくりとわたしに向かって伸びてくる。
そのスピードは人がゆっくりと歩いているぐらいのスピードだ。
五メートルあった距離が四メートルに、さらに縮まっていき、二メートル、一メートルに、と迫ってくる!
わたしはごくりとつばをのみこんだ。
これだけゆっくりであれば、的を外すなど考えられないことだが、それでも緊張して手が震えだしていた。
光はさらにわたしに近づいてくる。
○
そして銀色の光の鋭い先端がそっとカモフラージュシートに触れた。
それに反応してカモフラージュシートの表面が光の嵐におおわれた。
シートの表面で無数の色彩が交じり合い、分離し、はじけあい、徐々にそのスピードを増し、やがてシート全体がまばゆい銀色に輝いた。
(たのむ! うまくいってくれ!)
わたしは心の中で叫んだ。
(たのむ! たのむ! たのむ! 反射してくれ!)
そして――シートの中央から、フェンシングの針のような銀色の光が、再び装置に向かってゆっくりとしたスピードで戻り始めた。
○
「いけ!」
科学者の誰かが叫んだ。
光は意思を持った存在のように、まっすぐに装置に向かって戻ってゆく。
「いけ! いけ!」
科学者達の声が重なり、うねりとなり、祈りとなって実験室にこだました。
折り返した光の線はまたもやゆっくりとした足どりで、しかし確実に装置に向かって伸びてゆく。
わたしは心の中で、この光の旅人の無事を祈った。
たどり着いてくれ、どうか無事にたどり着いてくれ!
○
そして光の先端が物質小型化装置に触れた。
同時にそこから光の膜がすごい勢いで装置全体を包み込み、装置自体がぼんやりとした銀色に発光した。
そして静寂の一瞬が訪れた。
みんなの心臓の鼓動が聞こえるような、まったくの無音の状態だった。
小型化装置は最後の光を放出し、その光は途切れたしっぽのように空中を漂い、それからカモフラージュシートに反射され、ゆっくりと物質小型化装置に戻っていった。
○
(頼む!小さくなってくれ!)
わたしは心の中で祈った。
それはこの場にいる科学者全員が同じ気持ちだったろう。
――そして、物質小型化装置の小型化が始まった!
巨大な輪郭が、誰の目にも明らかに、ゆっくりとだが小さくなりはじめた。
実験室いっぱいを覆っていたそれは、見る間に半分ほどの大きさになり、さらに小型化を続けていく。
わたしたちはその様子を夢中で見つめた。
○
その光景は本当に奇跡を見ているようだった。
科学というものが成し遂げる、無限の可能性と崇高さを目にしているようだった。
物質小型化装置はさらに小型化を続け、やがて象ほどの大きさになり、車の大きさに縮み、テーブルの大きさまで小型化し、さらに小さくなってイスの大きさに、犬の大きさに、ネコの大きさにと小さくなり、やがて懐中電灯の大きさにまで小型化したところで、装置を包んでいた銀色の光がふっと消えた。
そして最後に急にバランスを失ったのか、コロリと床に転がった。
○
「やったぞ……」
わたしは最初つぶやき、
「……成功だ……」
次は自分自身にはっきりと聞こえるように声を出し、
「……やったぞォォォ!」
最後にはうれしさのあまり叫びだしていた。
その歓喜が科学者全員に伝わるのは一瞬だった。
みんなの中で喜びが爆発し、歓声が上がった。
実験室中の空気をとどろかせて、わたしたちの叫び声があふれた。
○
それは本当に感動的な一瞬だった。
そして歓声は自然と消え、今度は拍手がそれに変わった。
気付いた時には科学者達全員がわたしを見ていた。
そしてわたし一人に向かって拍手をしてくれていた。
思わず背筋に鳥肌が立ち、わたしは感動のあまり泣き出してしまった。
「みんな本当にありがとう!」
○
それからわたしはこの喜びを分かち合うべく、田中一のところに向かった。
彼は小さくなった小型化装置を拾い上げ、それを興味深そうに眺めていた。
が、わたしが近付いてくのに気がつくと、それを拾い上げてわたしの手の上に差し出すようにのせてくれた。
「オヤジ、実験は大成功です」
「君のおかげだよ。ほんとうにありがとう」
わたしたちはがっちりと握手を交わした。
そのまま田中一の手を持ち上げると、科学者達に向かって手を振った。
ふたたび惜しみない拍手がわたし達を包み込んだ。
○
と、その時、実験室の扉を叩く音がした。
かなり大きな音で、ガンガンとドアをたたいている。
続いて龍次の怒鳴り声が聞こえてきた。
「輝男、開けてくれ!」
わたしは物質小型化装置をポケットに入れると、急いで扉に向かった。
すでに科学者たちが二人がかりで扉をひき開けている。
するとわずかに開いた隙間から龍次が体を押し込むようにして飛び込んできた。
ずい分と息が切れている。それにパニックになっているようだった。
こんなに取り乱している様子を見るのは初めてのことだった。
○
「どうしたんだ?」
「やりやがった、大塚のやつ。みんな捕まっちまった」
いやな予感が背中を這いのぼる。
まさか、虎子さんが殺されてしまったのでは……そんな思いが表情に出ていたのだろう、龍次はすぐに言葉を継いだ。
「いや、無事なことは無事だ。ただ全員が捕まったんだ。大塚のやつ、自衛隊を呼んでいたらしくて、収容所は完全に囲まれている。
トンネルから出たとたん、片っ端からつかまっちまったんだ。
とにかくものすごい数の兵隊がいる。これじゃ脱獄は無理だぜ」
○
龍次の言葉に沈黙がおりた。
科学者達の間に絶望が染み込むように広がっていく。
正直な事を言えば、わたしの胸にもぽっかりと穴があき、その隙間に『絶望』の二文字がじわじわと染み込んできていた。
「俺はなんとか戻ってきたけど、ここから先はどこにもいけない……」
「なにか手があるはずだ……少し時間をくれ、何かいいアイデアを考えるから」
わたしはポケットの中に収めた物質小型化装置を握りしめた。
○
そう、まだ切り札はこちらの手のうちにある。
しかし、この建物全体を軍隊が取り囲んでいるとなると、どうしたものか見当がつかない。彼らを小型化させれば無力化させられるのは確かだが、そうなるとこの装置の存在を知られてしまうだろう。
出来ればそれは避けたかった。
どうしたらいい? どうしたらここから出られるのだ?
○
「――終わりだよ、脱獄ごっこは――」
そして声が響き渡った。
そして龍次が開いた扉の隙間に、一番現れて欲しくない人間が現れた。
○
それはもちろん大塚守男だった。
ただずい分と疲れた様子ではあった。
ネクタイの結び目は曲がっているし、目の下には睡眠不足のクマが浮いているし、いつも後ろに撫で付けていた髪はあちこちにはねている。
そしてなによりもその目が危ない感じになっていた。
「虎子の一味は全員逮捕した。都合のいいことにおまえ達全員はこうして一つの部屋に集まってくれている。散々てこずらせてくれたが、あと二・三時間で増援部隊も到着する。わたしを少々甘く見すぎたみたいだな」
大塚は扉の隙間から顔を突き出すと、意地悪そうににんまりと笑った。
やはり頭のネジが外れかけているようだ。
というよりも、大塚の精神は完全に切れていた。
○
こうなると何をしでかすか分かったものではない。
大塚は子供の頃からそういうやつだった。
「テルオ、はっきり言っておくぞ、これ以上なにかを企むようなら、オレは容赦しない。オマエ達を本物の囚人のように扱ってやる」
その言葉に科学者のみんなががっくりとうなだれた。
その場に座り込むものも現れた。
希望が絶望に変わっていく。
それはわたしがもっとも見たくない光景だった。
その時だ……
わたしのヒロインが満を持して登場する!
○
「そうは行かないわよ!」
凛とした声が響き渡った。
それは山川鋭子の声だった。だがその姿は扉に隠れて見えなかった。
大塚はドアの隙間から顔を引っ込めると、横を向き、それから急に吹きだして笑い始めた。
「おやおや、これはこれは。天下の大女優、山川鋭子さんじゃないですか?」
大塚はそういってから、わざとらしく腕時計を持ち上げて文字盤を覗き込んだ。
「……あれ?でも今日は面会日じゃありませんねぇ」
「当たり前よ、今日はみんなを脱獄させるためにやってきたんだから」
鋭子の声だけが聞こえてくる。
鋭子の声は平然としていたが、爆発寸前の怒りを無理やり抑え込んでいるような感じだった。
○
「おっと、今日はまたずいぶんと正直ですね。それともヤケになっているんですか? 会社が潰れてしまって?」
大塚はクックッと笑った。
「あいかわらず嫌味なやつね。でもつぶれたんじゃなくて、解散したのよ」
「まぁ、どちらにしても、もうあなたはスポンサーではない訳ですから、特別扱いを期待されても困りますよ」
「あら。わたしはいつでも特別なのよ、知らなかった?」
○
大塚の姿だけがドアの隙間から見えていた。
体をくねくねと動かしながら、大げさな身振りで話している。
一方の鋭子の姿はまったく見えない。
わたしたちは彼らのやり取りを見ていただけだが、ただ一人龍次だけがこっそりと戸口に移動を始めた。
「わがままですねぇ。でもまぁいいでしょう。たしかにあなたは特別だ。あなたにも特別な独房を用意してあげましょう」
「あら、独房はもう埋まってるわよ、看守の松平君が入ってるもの。たしか甥御さんだったわよね? あ! コレ内緒だったかしら?」
「あの、馬鹿が!」
大塚は地面に向かって小さく毒づいた。
○
「本当の大馬鹿よね、輝男に投げ飛ばされて閉じ込められてるわよ、それにね、わたしをここに連れ来てくれたのは彼なのよ、彼、あなたよりもわたしのファンみたい」
鋭子はさらに挑発するような調子で言葉をつないだ。
大塚の顔面は今や真っ赤に染まり、震えだしている。
どうも様子がおかしい感じだった。
「いいさ、あんなやつはもうクビだ!」
○
大塚は腰のベルトからスタンガンの警棒を抜き放った。
わたしは一瞬デジャブというやつを感じた。
この光景はそっくりそのまま昔に繰り返されたような気がした。
たぶん小学生の時に起こった事件が、今四十年以上の時を隔てて再現されようとしているのだ。
それは同時にわたし達が四十年間、何一つ変わらなかったことを意味しているようでもあった。
○
「やめろ!大塚!」
わたしはそういって駆け出した。
過去にそれが起こったとき、わたしは殴られるだけで結局鋭子を救えなかった。
今度も同じ思いをするつもりはなかった。
今度こそは本当に鋭子を助ける!
わたしは拳を握りしめながら、ねばりつくように流れ出した時間の中を、一歩一歩大塚に向かって距離を詰めていった。
○
そのとき、扉のところで龍次が動き出すのが見えた。
龍次は扉のすぐ脇のところでしゃがんでいたのだが、わたしが駆け出すと同時に、狭い扉の隙間に、体を横向きにしてすり抜けようとしていた。
扉さえ抜ければ、大塚に手が届く。
だが扉を抜けようとした瞬間、龍次の体がブルッと震えた。
そして急に力を失い、ずるずると扉にもたれかかるように、その巨体が沈んでいった。
○
「おいおい、まるで成長してないなぁ、龍次」
龍次の体が下に落ちていくにつれて、正面を向いた大塚の顔が現れた。
大塚は左手でまっすぐにスタンガンを構えていた。
その棒の先にはまだ小さな火花が蛇のようにからみついている。
「こうなることは分かってたんだ。だから扉を小さく開けたんだ。ほんとにヤクザは頭が悪くて扱いやすいなァ」
大塚はにんまりと笑った。
昔とまったく同じだった。
この男は切れると何でもやりかねない危険な男だった。
○
「来いよ、輝男!おまえにもスタンガンをお見舞いしてやる」
わたしは扉の前で立ち止まった。
もちろん引きかえすつもりはなかった。
どうすればいいか、大塚を止めるための確実な方法を考えていた。
そしてポケットの中の物質小型化装置の事を思い出した。
これを浴びせれば一瞬で片がつく。だがその後が問題だ。
だが今は迷っている暇はなかった。
「どうした、輝男?」
「二度もおまえに負けるわけには行かないんだ……」
わたしは大塚の目をまっすぐに見ながら、ポケットに手を突っ込んだ。
その時だ、鋭子の鋭い掛け声が響き渡った。
○
「成長してないのはアンタだけよっ!」
鋭子の声と同時に小さな拳が飛び出し、大塚の頬をまともにとらえた。
当たったのは顎の近く。大塚の顔が恐ろしいほどぐらりと揺れた。
それでも大塚はグッと足を踏ん張った。
そして口の端から血を流しながらニタリと笑い、狂気で血走った目で鋭子を見据えた。
「よくも、やったなっ!」
血のつばを飛ばして叫びながら、スタンガンを振り上げる。
「もう許さないぞっ!」
「危ないっ! 鋭子!」
○
――その時。
「ワンッ!」
大きな影がさっと飛び出した。
黒いTシャツを着た、四つの足の巨大な影!
それはもちろん小夜子の『スケイプ』だった!
スケイプは大塚の股間に向けて顎を開き、大きくジャンプした。
そしてその大きな口で、がっちりと大塚の股間に嚙みついた!
○
「なっ……こっ、犬がアッ!」
瞬間で大塚の目がぐるりと白眼を向いた。股間に噛みついたままのスケイプをぶら下げたまま、ゆっくりと体が倒れていき、そのままドスンと床に伸びた。
大塚は口から泡を吹き、そのままピクリとも動かなかった。
鋭子が手の平をパンパンとたたきながら現れた。
それから鋭子は、床に伸びている大塚を見下ろしながら告げた。
「言ったでしょ? わたしは特別なの!」
「ワンッ!」
スケイプもまた誇らしげに一声吠えた。
○
それはまるで映画のワンシーンのようだった。
科学者達の間から自然と拍手が巻き起こり、まるですばらしい映画を見終わったときのような、さわやかな感動が実験室を包み込んだ。
それこそアンコールの声が聞こえてきそうな勢いだった。
○
これが脱獄劇を飾る最後のシーンだった。
だがもちろんまだ物語は終わっていない。
しかし長い脱獄物語のクライマックスはこのあたりで峠を越えたのである。




