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アトランティスのつまようじ  作者: 関川 二尋
第二幕
6/66

【脱獄物語】そこらじゅうにある絶滅②

   ○


「あの、アトランティス大陸っていうのは、伝説の大陸ですよね。ムー大陸みたいな。それぐらいしか知らないんです」

 わたしは窓を閉めると、自分の寝ていたベッドに戻り、小夜子の隣に腰掛けた。

「そうだな、どこから話していいのか分からないけど、まずは証拠を見せるよ。アトランティス大陸が実在する証拠だ」

「証拠があるんですか?だってアトランティス大陸って、オトギ話みたいな、オカルトみたいな、そんな話じゃなかったでした?」

「まぁ見れば分かるよ……」

 わたしはニンマリと笑った。


   ○


 わたしは少しお尻をずらし、ボロボロになった小銭入れを引っ張り出した。

 大学生のときから愛用しているせいで、革はボロボロでクタクタになっている。

 小さな鈴のついたファスナーを開くと、そこに透明な爪楊枝のようなものが現れた。実際はもう少し太さがある。鉛筆と爪楊枝の間くらいの太さだ。

 わたしはこれを【アトランティスのつまようじ】と呼んでいた。


   ○


「これだよ」

 これに触れるときはいつもそうなのだが、このときも指先にぼんやりとしたぬくもりが広がった。

 わたしはそれを彼女の手のひらに乗せた。

 小夜子はそれを指先でつまみ上げると太陽にかざし、そのきれいな光の反射に目を細めた。


   ○


「これ爪楊枝なんですか?でもすごくきれい。なんかダイアモンドみたいですね」

「実際それはダイヤモンドそのものだよ。しかも削りだして作ったものじゃない。それはこの形になるように精製されて作られているんだ」

 小夜子はちらっ、とわたしを見た。

 そんなことはありえない。彼女は無言でその言葉を伝えてきた。

 常識では、ダイアモンドの精製は現在のテクノロジーでは不可能だ。それは誰もが知っていることだ。だが実際これはそういうものなのだ。

 わたしは肩をすくめることでそれに答えた。


   ○


 ちなみにダイアモンドの説明を少ししておこう。


 ダイアモンドは炭素の結晶である。炭素とは木などを構成している物質でもある(だからダイアモンドを火にくべると燃えてなくなってしまう)。その炭素の固まりに巨大な圧力がかかると、炭素の構造そのものが変わりダイアモンドの結晶になる。


 理屈的には簡単そうだが、そこにかかる圧力というのが問題だ。ダイアモンドを作るには、大陸同士が激しくぶつかり合うくらいの巨大なエネルギーが必要なのだ。


 ご存知のように大陸というのはマグマの上に乗っかった薄い殻のようなもので、それは長い時間をかけて少しずつ動いている。そして遠い昔にはいくつもの大陸同士がぶつかり、行き場を失った大陸の固まりが持ち上げられて巨大な山脈を作り出した。

 エベレスト山脈やヒマラヤ山脈なんかもそうだ。


 ダイアモンドが結晶化するには、その山脈を作り出すほどの、想像を絶する巨大な圧力が必要なのである。だからダイアモンドはそういう山でしかとれないし、どこかに落ちているわけでもないから、大変貴重とされているのである。


 それともうひとつ。ダイアモンドはこの地球上で一番硬い物質と言われている。あんまり硬すぎて磨くことが出来なかったから、最初はあまり価値がなかったそうだ。

 だがダイアモンドを、ダイアモンドそのもので磨くという技術が発明されると、またたくまにダイアモンドは輝きだし、それこそ宝石の王様となったのである。


   ○


 当然、今の人間の科学力をもってしてもこれほどの圧力を作り出すことはできない。だから人口ダイアは天然のダイアには遠く及ばない。

 しかしこの爪楊枝は完璧なダイアモンドだった。

 わたしは長年これの研究をしてきたのだ。

 とっくに調べはついていた。


   ○


「これは、その、どういうことなんでしょう?」

「これはね、太古の昔に栄えたアトランティス人の遺産なんだよ」

 わたしは爪楊枝の先端を指先でつまむと、窓辺の明かりにかざした。目を凝らしてよく見ると、先端部に近いところに小さな傷が見える。

 この傷は一見このダイアモンドの価値を損ねてしまいそうだが、じつはこの傷にこそダイアモンドの精製以上の、驚愕すべきテクノロジーが入っているのだ。

 わたしもそれに気づいたときは、それこそ体中の毛が逆立った。

 発見の興奮と、神聖なものに対する畏れ、あの感覚は今も忘れられない。


   ○


「もう一度この爪楊枝をよく見てごらん。窓に向けて光にかざすんだ。こんな風に」

 小夜子はわたしの手から爪楊枝を受け取ると、光にかざした。

「先端に近いところにわずかだけどキズが見えるだろう?」

 小夜子は角度を変えながら、じっとその先端を見た。

「……んー……あっ!見えました。でも、これがどうかしたんですか?」

「それはね、わざと付けられたキズなんだ。そのままその傷を真横から見てごらん」

 小夜子は小さな指を動かし、片目をそっと閉じてキズを横から眺めてゆく。

「あ!」

「消えただろう?」


   ○


 小夜子の目にあるのは戸惑いだった。

 単純にこのことが理解できないのだ。

 彼女の専攻は医学だから、これがどういうことなのか理解するのは、少しばかり難しいだろう。

 しかし多少とも物理学をかじっていればそれこそ鳥肌が立つような感動を覚えるに違いない。

「これはね、厚みが完璧にゼロのキズなんだ。だから真横から見ると消えてしまう」

「それは……二次元って言うことですか?」

 彼女は恐る恐る聞いた。

「その通り!これは完璧な二次元なんだよ。この世界に存在するはずがない、完璧な二次元をこのダイヤモンドの中に閉じ込めてあるんだ」


   ○


 ちなみに二次元の説明も少し。


 通常一次元というのは線であらわされる。厚みのない、ただ長さだけが存在する一本の線。これが一次元。


 この一次元の線を二本組み合わせると平面が完成する。これが二次元。ただしこれも厚みはゼロ。


 この平面に高さという三本目の線を加えると、立体が完成する。これが三次元。わたしたちのいる世界のことだ。


 二次元は一枚の紙にたとえてもいい。紙はとても薄い。でもどんなに薄くしても紙には厚みというものが存在する。だからどんなに頑張って薄くしても、やはり紙は三次元の物体だ。


 厚みがゼロということ自体、この世界では存在を許されないものなのだ。ただわたしたちの頭の中、観念によってのみ、実現可能な存在なのだ。


 しかしこのダイアモンドは完璧な二次元のキズを宿していた。

 ありえないはずの代物なのだ。


   ○


 ちなみに四次元というのは、この三次元の空間に時間というものが加わった世界のことだ。われわれの三次元世界でも時間は流れているが、これとは少し違う。いや、だいぶ違う。

 時間というものが過去も未来もつみかさなっているという感じだろうか。いずれにせよこの先は言葉が追いつかない世界なのだ。


 ついでにもう一つ、この時間というものは何処ででも一定に流れているものではない。早く流れるところも、遅く流れるところも、止まってしまうところもあるのだ。

 それこそブラックホールのような特殊な場所では、時間は止まってしまうのだ。

これはアインシュタインが描き出して見せた美しい方程式をもって証明されている。


   ○


 アインシュタイン!

 彼と会ってみたかった!

 彼がこの刑務所にいたらとても楽しかっただろう!

 まぁ話を続けよう。


 わたしはこういったことを簡単に小夜子に説明した。


   ○


「ふーん、世界ってそんな風になっているんですか……」

「まぁ、これも世界のあり方の一部でしかないけどね」

「とにかく、そんなすごい技術がこの中に入ってるんですね」

 小夜子はダイアモンドの角度を変え、キズが現れたり消えたりするのを不思議そうに眺めた。


   ○


「でも、これがアトランティスで作られたって、どうしてわかるんですか?」

 小夜子はつまようじをわたしの手のひらに戻した。

「そう。続きがあるんだよ。ここが終わりじゃない」

 小夜子は再びわたしのベッドの足元に腰掛けた。

 彼女の頭の中は、いろいろな情報がいっぺんに入ってきたせいで、まだ混乱しているようだった。


   ○


「問題はこのキズが何のために付けられたのかということなんだ」

「そうですよね、どうしてなんです?せっかくきれいにできたのに」

「このキズがある位置がポイントなんだよ」

「うーん。なんだかむずかしい話ですね……」

「この一本の爪楊枝に百科事典を丸々一冊入れることだって可能だ。いいかい、すべての文字は数値にして表すことが出来る。コンピューターに記憶させる情報だってすべては数値化されている。問題はその数値を正確に記録し、正確に読み取れればいいんだ。そこでこの爪楊枝の登場だ」


   ○


 わたしはいつのまにか随分と熱く語っていた。

 なぜならこの爪楊枝の秘密を明かしたのは鋭子以外には、彼女が初めてだったからだ。

 なぜ彼女にこのつまようじの説明をする必要があったのか?

 それはこのつまようじのなかに、わたしが脱獄しなければならない理由が刻まれているからだ。

 彼女がこの秘密を信じてくれたなら、わたしの脱獄計画が馬鹿げたものではないことを分かってくれるはずだ。

 彼女がそれを信じてくれれば、わたしの力強い味方となってくれるだろう。

 わたしはそう信じていた。


   ○


「この爪楊枝一本の長さはぴったり100ミリ、10センチある。

 そしてこのキズが何ミリの位置にあるかを測定するんだ。

 たとえばこれは80ミリの位置にある。

 これで8という数字が出る。さらに細かく、さらに正確に測っていくと、この爪楊枝には80.51ミリの位置に傷がついているのが分かる。

 でもこれで終わりじゃない。

 さらに顕微鏡を使って細かく測定し、数字を出していくんだ。

 すると数字はどんどん増えていく。80.512121530

 こういうふうに長さを割り出しながら、数字を出していくんだ」


   ○


 そこで小夜子はぱっと顔を輝かせた。

「わかりました、博士!厚みがゼロならどんなに拡大しても、その線の位置が正確に分かる。そのために二次元なんですね!そうでしょ?」

「正解!そしてわたしが手に入れた最初の十二個の数字。その数字を見た瞬間、全身に鳥肌がたった。そしてこれがアトランティス大陸の遺産だと確信したんだよ」

「そこにいったいなにが書いてあったんですか?」

「最初の数字は0805121215だった。

 最初は冗談のつもりでアルファベットを当ててみたんだ。

 Aは01、Bは02、って言う具合にね。そうしたらなんと言葉が出てきたんだ。

 H,E,L,L,O 『ハロー』てね。」


   ○


 小夜子はどう反応していいのか分からないようだった。

 わたしも初めはそうだった。

「わたしも最初は目を疑ったよ。ましてアルファベットだし、英語だしね。

 でもとにかく数字を拾っていったんだ。

 実際このキズはどれだけ拡大しても、まっすぐな一本の線をいつまでもくっきりと表示していた。

 それだけを頼りにとにかく数字を拾って、アルファベットを当てはめていった。

 そして一人の男の『物語』を手に入れたんだ」


   ○


「物語?そんなすごいテクノロジーを使ってるのに、物語が入ってるだけなんですか?」

「ああ、でもわたしはそれを読んでアトランティス大陸の実在を確信することになったんだ……」


   ○


 わたしは少し背筋を伸ばした。

 小夜子は話の続きを聞きたくて身を乗り出してきていた。

 気付けばわたしたちは随分と顔を近付けあって話しこんでいた。


   ○


 その時、突然医務室のドアが開いた。

 わたしと小夜子は同時にドアを振り返った。

 二人の頬はほとんど触れ合わんばかりだった。

 そして戸口にいた松平はわれわれを驚きの目で見つめていた。

 やがて彼の口になんとも嫌味な微笑が浮かぶのを見て、彼が変な想像にかられているのを知った。


   ○


「これはこれは、お邪魔しちゃったかな……」

 松平が言った。まさにその通りだった。

 そして松平は『現れて欲しくないときに限って現れる』という実に不思議な特技の持ち主だった。

「織田センセイ、世紀の大女優との面会の後は、医務室のマドンナとの面会ってわけですね。実に忙しそうだ……」

 松平は腰から、先ほどわたしを気絶させたスタンガンをぬいた。

 もちろん彼がそれを使うことはない。

 ここは普通の刑務所とは違うのだから。

 だが彼だけはここを普通の刑務所と勘違いしていた。

「松平くん、誤解だよ。わたしは倉井先生に喉を見てもらっていただけだ」

「そ、そうなんですヨ。スタンガンのショックで声が出ない感じがするというから、診察していただけですっ」


   ○


 だが松平のニヤニヤ笑いは止まらなかった。

 まったく腹立たしい男だ。

「はいはい、分かりましたよ、倉井先生。それで診察が終わったなら、博士を引き取りたいんですがねぇ」

 小夜子はわたしの方を見た。わたしはにっこりとうなずいた。

「小夜子先生、もう大丈夫です。自分の部屋でも休息は取れますから」

 そう言いながら、わたしは白衣のポケットにさりげなく手を突っ込み、中からくたびれた手帳を引っ張り出した。

 そして松平の目に付かないように、立ち上がるしぐさをしながら、枕の下にそれを押し込んだ。

 小夜子はそれをしっかりと見ていた。

( 読んでごらん、面白いよ )

 わたしはそれをドイツ語でつぶやいた。

 そして松平の待つ戸口へと歩いていった。


   ○


 さて第二章はこの辺でやめるとしよう。

 それにしてもこうして当時の状況を書いていくと、一気に記憶が戻ってくる。

 当時のことが実に細やかに思い出されてくる。

 普段は思い出すこともしないのだが、書くという行為によって、セピア色の記憶がみるみるカラーにかわり、フィルムとなって生き生きと動き出すようだ。

 この感覚はわたしのような老人にとって、何より楽しい時間だ。


 まぁ先は長い。のんびりといこう。


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