【脱獄物語】大脱走①
いよいよ最後の章である。
ここまで来ればあと一歩。と、言いたいところだが、本当に大変なのはこの先だ。
なにしろ書くことが多い上にごちゃごちゃと入り組んでいる。
だがわたしはとにかく最後まで書き上げるつもりだ。
焦ることは何もない。
時間だけはたっぷりあるのだから。
○
わたしと鋭子は【カモフラージュシート】をかぶり、忍び足で階段をあがって二階へと進んで行った。
二階には長い廊下がまっすぐに伸び、その両側に科学者達の閉じ込められた個室がずらりと並んでいる。
二階と三階にあわせて二百人の科学者が収容されているから、この階だけでも約百人の囚人が収容されている。
個室は廊下を挟んで左右にそれぞれ同じ数が配置されているから、ざっと五十の部屋が奥まで続いている。
その中央を貫く廊下には薄暗い照明が灯っているだけで、非常口を示す緑色の光が点々とはるか奥まで続いていた。
○
廊下をしばらく進むと、再びステンレスの丸い鋼で組まれた鉄格子が行く手をふさいだ。
しかも今回は看守の姿があった。
でっぷりと太った中年の男で、紺色の制服がよれよれになっていた。
「なんかドキドキするわね」
「ああ、悪い科学者にでもなった気分だよ」
足音を立てないよう、そっと鉄格子の近くに歩いていく。
○
カモフラージュシートをかぶっていればこちらの姿は完全に見えない。
それはわたし自身の目で確認済みだ。
だがそれでも気分的には落ち着かない。すり足で近付いていくと、その看守が眠っているのが分かった。壁にもたれるようにしてパイプイスに座っているが、その首はわずかに傾き小さく寝息をたてている。
「完全に寝てるみたいね……」
鋭子がそう言って看守の顔に指先を伸ばした。
たぶん突っついてみようというのだろう。
わたしはあわててその指先を握りしめた。
「やめときなよ、せっかく寝てるんだからさ、」
鋭子は意地悪そうににんまりと笑った。
それにつられてわたしも思わず笑ってしまった。
○
わたしはそっと息を吐き出すと、なにやら緊張感が抜けだしていくのを感じた。
そう、わたしは緊張しすぎていたのだ。
鋭子はきっとこのことを知っていて、わざとそんなことをしたのだ。考えすぎなのかもしれないが、鋭子ならばありうる話だ。
なんといっても彼女は実に鋭い女なのだ。
○
わたしは手馴れた調子で万能合い鍵を差し込むと、慎重に扉を開いた。扉はきしむことなくなめらかに開いた。
看守は眠ったままぴくりとも動かない。
二人でそのそばを通り過ぎ、扉の向こうへ抜けると、そっと鉄格子を閉めた。
「ずいぶん手慣れた感じね」
「まぁね、自分でもこれが初めての脱獄だとは思えないよ」
「ほんとにプロみたい。で、どこに行くの?」
「まずわたしの部屋に行こう」
○
長年住み慣れた自分の部屋に入ると、ようやく落ちついた気持ちになれた。
田中一が監視装置の類をコントロールしていたはずだが、カモフラージュシートはかぶったままにした。
それに電気をつけることもやめておいた。
そのまま居間まで歩いていき、そっとカーテンを開けると、青白い月明かりが降りそそぎ、部屋の中がふわりと明るくなった。
「とりあえずここまではうまくいった」
「わたしがついてるのよ? 当然でしょ」
○
わたしはあらためて鋭子の顔をじっと見つめた。
二人でカモフラージュシートをかぶっていたから、その顔はほとんどくっつきそうなほど間近にあった。
それにしても……彼女は本当にきれいだった。
昔とちっともかわらない感じがする。
「ねぇ、なんか顔が赤くなってるけど、ひょっとして照れてるの?」
「え?……いや、その」
なんと言おうかと考えたが、何を言っても鋭子には無駄だろう。
どうせばれているにきまっている。
○
「……そうなんだ。なんか照れちゃってね」
「かわいいんじゃないの、素直で」
鋭子はにっこりとほほえんだ。
わたしは今でもこの時のことを、とてもはっきりと覚えている。
すべてが淡い青に染まっている記憶だ。
月明かりの青、カモフラージュシートごしの青い視界。そしてまったくの無音の中、鋭子がぴたりと身を寄せていた。
そうして他愛のない話をしながら、二人の間で欠けていた三十年の時間が静かにゆっくりと埋められていく。
それはわたしの人生の中でもっとも幸福な時間となった。
○
と、しばらくして寝室から軽やかな鈴の音が聞こえてきた。
「サイとコロが来たみたいだ」
二匹のネコが互いにもつれ合うように、しかし軽やかな足取りでこっちに近付いてくる。
「あれがあなたの家族ね?」
「ああ、かわいいだろ?」
「気付くかな?」
「どうだろう?」
二人でソファに座ったまま、サイとコロの様子を見つめた。
○
サイとコロは居間までやってくると、あたりをきょろきょろと見回し始めた。
二匹は思い思いに部屋のあちこちを歩き、飛び上がり、わたし達を探している。
が、やがてサイのほうがわたし達のところにまっすぐ歩いてくると、シート越しに背中をこすりつけはじめた。
すぐにコロの方もやってきてサイと一緒に、今度はシートを前足でいじりはじめた。
○
わたしはサイを、鋭子はコロを抱き上げた。
そしてシートの中に入れて膝の上に乗せ、背中や首の下をなでてやった。
「かわいいわね」
「きみほどじゃないよ」
わたしはそういったが、やっぱり照れてしまった。
面会の時にはそんな風に感じたことはなかったのだが、こうして体を寄せ合って、間近で顔を見ながらそんな事を話すと、みょうに恥ずかしくなってしまう。
○
「ところで、これからどうするの?」
「それがまだ決めてないんだ」
わたしは正直なところを打ちあけた。
「ま。そんなことだろうと思ったわ」
鋭子はまっすぐにわたしを見つめてきた。
だが怒っているわけでも、あきれているわけでもない。
○
「とりあえず出口まで続くトンネルはある。それから遅効性だけど睡眠薬がある。そしてわたしの最後の発明品がある」
「あなたが最後に作っていたやつね、材料代の請求がものすごかったわよ、それこそわたしの会社が潰れちゃうぐらい」
「え?そんなにかかったのか?」
わたしは知らなかった。
鋭子の性格を考えれば教えたはずもないのだが、それにしてもわたしはあまりに無神経だった。
しかも世界的な大企業になっていた鋭子の会社が全財産をはたいたということは、あの装置はとんでもなく高価な代物になってしまったということだ。
それこそ小さな国が買えるくらいの値段になっていたに違いない。
○
「そう! わたしはもう一文無しなの!」
鋭子はうれしそうに言った。
「知らなかった……なんといっていいか……」
「いいのよ、べつに。会社は国に買い取ってもらったわ。それでなんとか払いきれたの。会社のみんなには退職金も出したし、円満に解散したの。だから心配無用よ。それより、あれは何を作ってたの? あなたは何を発明したの?」
鋭子はコロの柔らかいお腹をなでながら聞いた。
○
それが脱獄のためだけに作られた道具だということは事実だ。
それだけの金額をかけて、脱獄だけが目的というのでは、何だか恥ずかしい気もするが、鋭子にはちゃんと説明する義務がある。
「わたしは『物質小型化装置』を発明したんだ。その光を当てればあらゆるものを小型化できる装置だよ。
これはね、物質だけじゃなくて、人間も小さくできるんだ。
小さくなればどんなところからだって逃げ出せるだろ?どんな鉄格子だってぬけられる、時間はかかるかもしれないけど、どんな施設からだってかならず逃げ出せる。
わたしはそういう道具を作ったんだ」
鋭子はどう反応したものかわからないようで、わたしの言葉の続きを待っている。
「……でもね、それだけじゃない。ちょっと考えてごらん。人間と人間の世界が小さくなればいろんな問題が解決するんだ。
エネルギー問題の全て、食糧問題や環境問題、ほかにも人間を絶滅させるあらゆる問題を根本的に解決する力がある」
○
「確かにその通りだわ……世界そのものを変える力がある……」
やっぱり鋭子は鋭かった。すぐにその可能性に気付いてくれた。
「ああ。ドラム缶一個の石油でどれだけの人間が暖かく暮らせるか、パン一つでどれだけの人間の飢餓を救ってやれるか、グラウンド一つがどれだけ広大な土地になるか、みんなが持ちきれないほどの財産が誕生することになるんだ」
「人の未来を根本から変えることができる、か……」
それからゆっくりと鋭子の顔に理解が広がった。
「すばらしいじゃない!やっぱりあなたは天才!さすが輝男!」
○
そういって鋭子はわたしの首に抱きつき、頬にキスの雨を降らせてくれた。
もちろんうれしかった。
彼女がわたしの発明に価値を認めてくれたことが何よりも。
「……でも危険な感じね。すぐ悪用されそう」
「ああ、だから公表はできない。少なくとも今はだめだ。今の人間にはあの道具は手に余る。それでも、全てを救い出す可能性を秘めた道具があるというのはすばらしいことだろう?」
「その通りだわ、それにそれだけのものを作り出したなら、わたしも納得がいくわ。わたしの全てを賭けた価値があるもの」
「ただし、一つだけ問題があるんだ」
○
「なに?」
「装置があまりに巨大なんだ。体育館いっぱいぐらいの大きさがある。なんとか持ち運びたかったんだけど、どうしても無理なんだよ」
「なんだ、そんなこと!」
鋭子はいともあっさりとそういった。
「そういうけどさ、もう一個作ることは不可能だし、ほら、金額的にも時間的にも余裕がない」
「あなたって妙なところで頭が悪いのよね。
簡単に考えてみてよ、光を反射させて装置に跳ね返せばいいじゃない」
「いや、ことはそんなに単純じゃ……」
そこまでいいかけてふと口をつぐんだ。
頭の中で可能性を計算してみる。
鏡か何かで光線を跳ね返す。
その光線を土台部分に当てれば全体が縮んでいくから……
○
「ね?」
「うん、大丈夫そうだな、いや、いけるよ!」
その瞬間わたしの頭にかかっていたもやが全て晴れ渡った。
これからどうやって脱獄するか、その道筋がきれい見えた。
その道筋の先にはもちろん、青い空と青い海を持つアトランティス大陸が見えた。
そしてその大陸にはわたしと鋭子の姿が見えた!
「ありがとう!これで脱獄できる!本当の天才は君だよ!」




