【脱獄物語】ヒロインの登場④
わたしと鋭子は、カモフラージュシートを被ったまま、すぐ隣の龍次のいる独房に移動した。
こちらの扉も万能合鍵ですんなりと開いた。
一応大きな音を立てないように、そっと扉を開いた。
虎子は壁にもたれかかって窓の外を見つめ、龍次は畳の上で腹筋運動をしていた。
もちろん他には誰もいなかった。
○
「虎子さん、龍次、脱獄の開始だ!」
わたしは彼らにそう告げた。
その瞬間、二人は声にならない短い悲鳴を上げた。
そういえばカモフラージュシートの事を忘れていた……これでは驚くのも無理はない。わたしはあわててシートを跳ね上げた。
「なんだ輝男かよ、あんまりおどかすなよ」
龍次が口をへの字に曲げながら言った。
「龍次、ひさしぶりね!」
わたしの後ろで鋭子が明るく言った。
「よぉ、オマエも元気そうだな、鋭子」
○
「あんたが鋭子だね」
虎子はわたし達のところにやってくると、鋭子とがっちり握手を交わした。
「はじめまして、虎子さん」
鋭子も虎子の手をしっかりと握り返した。
「ところで鋭子、おまえこんなことに頭つっこんで大丈夫なのか?」
龍次が心配そうに言うと、鋭子はにっこり微笑んで言った。
「ええ、覚悟は決めたわ。後戻りする気はないの」
「いいね、あんた男らしくていいよ、気に入った」
虎子がうれしそうにうなずき、そして今度はわたしの肩をポンポンとたたいた。
「輝男、彼女も連れて行くんだろ?」
「もちろん、アトランティスに連れて行きます、ずっと昔に交わした約束なんです」
○
わたしは振り返って鋭子を見た。
鋭子はじっとわたしを見つめていた。
今、言わなければならない言葉があった。
だからわたしはそれを口にした。
「鋭子、約束を果たす時がきた。君をアトランティスに連れて行く」
鋭子はうれしそうにうなずいてくれた。
「……あのな、オレも行くんだからな」
龍次が言うと、虎子は龍次の頭をひっぱたいた。
「お前は本当にヤボだね」
○
「虎子さんはどうするんですか?」
鋭子が聞いた。わたしはその答えを知っていた。
彼女はこの世界に大事なものをたくさん残している。
「あたしは行かないよ。子分がいっぱいいるんだ。あいつらを置いていけないよ」
「すまない……姉貴」
「あやまることじゃないよ。これはあたしの意志なんだ。あたしはね、あんたも輝男も大好きだから助けたかった、それだけなのさ。まぁつかまっちゃったけどね」
○
「あのさ、姉貴……」
すると龍次が鼻の頭をかきながら、そっとつぶやいた。
「なんだい、龍次?」
「ちょっと、だいぶ照れるけどさ……ありがとよ」
そう言って龍次は虎子の体を抱きしめた。
虎子は一瞬驚いた顔を浮かべたが、すぐにやさしく龍次の体を抱きしめかえした。
○
わたしは少し驚いてその様子を眺めていた。
この二人がこれほど親密そうにしているのは見たことがなかったからだ。
「どうしたんだい、急に?」虎子がいった。
「いや、これが最後になるかもしれないと思ってさ」
「そうだね……」
虎子の頬を一筋の涙がきらきらと落ちていった。
この二人はどちらも意地っ張りだった。それがいつも戦闘状態を作り出していた。
だが今は二人とも本来の気持ちを素直にあらわしていた。それは長い間二人を見てきたわたしにとっても、とても感動的な一瞬だった。
○
「……龍次、あんたはあんまりしっかりしてたから、あたしは乱暴でがさつなだけの姉さんにしかなれなかった、すまなかったね」
「……そんなことないよ。姉貴は……」
「黙って聞きなよ、いい話をしてるんだからさ。でも今回のことで初めてあんたの姉貴になれた気がしたんだ。それがすごくうれしい」
「姉貴、本当にありがとう」
「あとはちゃんと輝男にくっついてくんだよ。余計なことしないで、ちゃんとそのアトランティスとやらに逃げ出しな」
龍次は苦笑しながら、虎子から体を離した。
「さぁ、脱獄の開始よ!」
鋭子がみんなの決意を言葉に乗せて言った。
○
それからわたしたちは二組に分かれてカモフラージュシートをかぶった。
用意のいいことに鋭子はそのシートを二枚も持ち込んでいたのだ。
一枚にはわたしと鋭子、もう一枚には龍次と虎子がすっぽりとおさまった。その必要はないのだが、なんとなく腰をかがめながら、並んで廊下を歩いていく。
その時だった。
突然天井のスピーカーからじりじりとノイズが聞こえてきた。
○
何かが放送される直前の、あの通電したノイズだ。
まさかもう見つかったのか?
わたしたちはシートの中から、スピーカーを見上げた。
きっとまたあの大塚の声を聞くことになるに違いない。
が、天井から聞こえてきたのは、深夜の十二時を知らせるチャイムだった。
わたしはゆっくりと息を吐き出した。
○
どうやら、まだみつかっていない。そして……
「……ついに聖脱獄記念日だ」
わたしはそう言った。
「なにそれ?」
鋭子がささやくように聞いた。
「今日が運命の日なんだよ。きっとこの脱獄は成功する。というより、成功させるのは今日しかないんだ」
「あなたにしてはなんか非科学的な根拠だけど……そういうほうが、なんかかっこいいわね」
○
「ところで、これからどうすんのさ?」
後ろから虎子が聞いてきた。
ちょうどそのときに、わたしたちは一つ目の扉に行き当たっていた。いつもならここにも看守がいるはずなのだが、昨日の混乱のせいか人がいない。
わたしは万能合い鍵を取り出すと手早く扉を開け、さらに扉の向こうへと進んだ。
「虎子さんは仲間を連れて逃げてください。仲間はカフェテリアにまとめて捕まってるそうです。龍次、場所はわかるよな?」
「ああ。もちろんだ、でもどうやって外まで?」
○
「そのカフェテリアの中に脱獄用の穴があるんだ。入り口は塞がれているかもしれないけど、入り口さえ開ければ外までつながっているはずなんだ。虎子さん、それを使って逃げ出してください」
「オーケー、でもそれだけでいいのか?」
「充分です。あなたたちだけなら、それで逃げ出せるはずです」
○
「だめよ、輝男」
意外にもそう言ったのは鋭子だった。
「もう一つお願いしなくちゃ、これから二百人で逃げ出すんでしょ?」
「ああ、そうだけど……」
わたしはそう答えたが、彼女の意図はさっぱりわからなかった。
「陽動作戦!」
鋭子はくるりと振り返ると、虎子の手を取った。
○
「虎子さん、逃げる時にお願いがあるんです!」
「なんだい?」
それから鋭子は虎子の耳元に何かささやいた。
なんといったのかは聞き取れない。
だがそれは虎子好みの作戦だったようだ。
虎子はニンマリと笑顔を浮かべた。本人は楽しいのだろうが、周りは嫌な予感しかしない、そんな笑顔だった。
「いいね、ナイスアイデアだよ。それでいこう!」
「じゃ、お願いしますね」
○
わたしは鋭子に、虎子に何を言ったのか聞いてみた。
「まぁ、そのうち分かるわ、でもとにかくこの刑務所は大パニックになるわよ」
鋭子はウフフと上品に笑った。
それは彼女の映画で何度も見た事のある、なんとも小悪魔的な笑みだった。
映画の中での話だが、彼女がこの笑みを浮かべたあとには、必ず大規模なクライマックスが訪れるのだ。
それは見るものに期待と不安を抱かせる、本当に特別な笑みだった。
○
やがてわたしたちは独房のあるブロックを通り過ぎ、ついに本館の方に足をふみいれた。
これまでは見張りがいなかったが、ここからは見張りがついていることだろう。
目の前では二つの道が分かれていた。
右手には科学者達が閉じ込められている監獄へと続く階段。
左手にはカフェテリアへと続く廊下が伸びている。
○
「じゃあ、オレたちはこっちからいくからな」
龍次たちは左側のカフェテリアの方向に進んだ。
「では、わたしたちはこちらからすすむよ」
わたしたちは右側の階段に進んだ。
その前にちょっと足を止め、龍次に告げる。
「龍次、虎子さんたちが逃げ出したら、お前はそのシートを使って第一実験室に隠れていてくれ。最後にそこで落ち合おう」
「わかった。実験室だな」
「輝男、気をつけなよ!」
虎子の声が聞こえてきた。彼女の姿はすでにカモフラージュシートで見えなくなっていた。でもわたしは答えた。
「虎子さんのほうこそ、怪我なんてしないでくださいよ!」
「当たり前だ、じゃあな!ふたりで楽しい旅を!」
「さよなら、虎子さん!」
○
その時のわたしはそう言っただけだった。
だがいま考えてみれば、これはあまりに寂しい別れの挨拶だった。
この時が虎子と言葉を交わした最後の時だったのである。
だがその時のわたしには、これが本当に最後の時だと気付く余裕がなかった。
だから今、改めて別れの言葉を書こうと思う。
○
どうもありがとう、虎子さん。
あなたのおかげでわたしはこうしてアトランティス大陸にやってくることが出来ました。
それだけではありません、あなたがいたから、わたしは辛い時代をのりきることが出来ました。
あなたの大胆な優しさが、わたしからあらゆる絶望をとりはらってくれました。
今のわたしがこうしてここにいるのはあなたのおかげです。
だからわたしはあなたに感謝してもしきれません。
虎子さん本当にありがとう。
○
これで第十一章を終わる。
長く続いた物語も、この次の章で最終日を迎える。
思い返せば全てが巧妙な偶然の上に成り立っているように感じとれる。
だが偶然というのも、人の意思があってはじめておこなわれるものなのだ。
だがしかしドタバタ劇はまだ終わらない。
わたしの、鋭子の、龍次の、田中君の、小夜子の、そして科学者みんなの脱獄への意思が、自由への渇望が、複雑に絡み合って大きな流れとなり、最後の脱獄の瞬間へと導かれていくのである。




