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アトランティスのつまようじ  作者: 関川 二尋
第十一幕
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【脱獄物語】ヒロインの登場③

 状況は絶望的なものになった。

 わたしは再び独房に戻された。

 穴掘りスプーンは全て没収され、せっかく完成したトンネルも入り口が塞がれてしまった。今日のところは応急処置で、入り口と出口に板を打ちつけてあるだけだが、いずれコンクリートでも流し込まれてしまうだろう。

 さらに科学者全員は自分の部屋に閉じ込められ、自由に行き来できなくなってしまった。


   ○


 時間が過ぎていった。

 夜が迫り、もうじき7月30日が終わろうとしていた。

 あと何時間かでいよいよ聖脱獄記念日を迎える。


   ○


 だがこの状況に来て脱獄できる可能性は一つずつ消えていった。


 切り札の物質小型装置も巨大なままでは使いようがなかった。


 小夜子が作ったという睡眠薬もこの状況では使いようがなかった。


 龍次と虎子は捕らえられて独房にいた。


 そしてこのわたしはまだ独房から一歩も出られずにいた。


 それがなんとも悔しかった。

 みんながわたしの計画に賛成しここまで協力してくれたというのに、当のわたしはずっとこの独房にいて、何一つ行動を起こしていなかった。


   ○


 それはまさにわたしの発明家としての人生そのもののようだった。

 わたしは頭で考え、様々なアイデアを形にする道具を作ってきた。

 しかしその道具を使うことは全て他人の手にゆだねてきた。

 そうなのだ。

 それがわたしの誤りの原点だったのだ。

 今さらながらにわたしはそのことを知った。


   ○


 わたし自らが行動を起こさなくてはならない……


   ○


 わたしの心の底で、信念にも似たその思いが、赤々と燃え上がった。

 こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。

 自分ひとりで自分の信念に基づいて行動する。

 大事なのは自分の足で一歩を踏み出すことなのだ。


 あの手帳の物語の主人公『スケイプ』のように……


   ○


 わたしは立ち上がった。

 そして畳を引き剥がした。

 畳の下には何枚もの板切れが五寸釘で打ちつけてあった。

 まずはこいつを叩き割り、トンネルを復活させるのだ!


 わたしはベッドからマットレスを取り外し、ベッドを骨組みだけにした。

 それを渾身の力を込めて両手で抱えあげると、勢いをつけてトンネルを塞ぐ板切れにたたきつけた。


 ドカッ!


 板切れは少したわんだだけでびくともしなかった。

 まぁそんな簡単に割れるはずはない。

 早くも息切れがしてきた。全身の筋肉が早くも悲鳴を上げた。

 それでも再びベッドを持ち上げ、もっと勢いをつけて叩き込んだ。


   ○


 ドカッ!


 大きな音がしたが、ベッドは弱弱しく板に跳ね返された。

 だがあきらめも迷いもなかった。

 わたしは本当に自由を渇望していた。

 必ずここを出るという決意に迷いが入り込む隙間はなかった。


 ドカッ!


 もう一度ベッドを持ち上げ板にたたきつけた。

 背中が悲鳴を上げ、腕の筋肉が早くも震えだした。

 わたしは五十歳をとうに過ぎ、その体は老人のものになりつつあった……


   ○


 ドカッ!


 それがなんだというのだ!

 ベッドを持ち上げ、渾身の力を込めてたたきつける。


 ドカッ!


 板はびくともしない。わたしは歯を食いしばってベッドを持ち上げ、もう一度たたきつける。


   ○


 これまでわたしは行動を他人任せにしていた。

 考えるだけで、発明するだけで、その結果を他人に全てゆだねてしまった。


 ドカッ!


 そして自分には責任がないような、そんな態度をとってきた。


 わたしは卑怯だった。


 ずるい人間だった。


 この歳になってそのことに気がつくことは、本当に辛いことだった。

 わたしはその悔しさを糧にベッドを持ち上げ、自分への怒りをこめてベッドを振り下ろした。


   ○


 ドカッ!


 この蓋は過去のわたしの象徴だった。


 閉じ込められることを良しとした自分。


 鋭子への気持ちから逃げてきた臆病な自分。


 人類に絶望するばかりで、自分から逃げていた卑怯な自分。


 脱獄を計画しながら、閉じ込められたままで、何もしてこなかった自分。


 なにより子供のままで、まるで成長してこなかった自分。


   ○


 ドカッ!


 強固に打ち付けられた蓋は、何度もベッドを跳ね返してきた。


「壊れろ!」


 わたしは吠えた。

 誰がやってこようとかまうものか。

 わたしは絶対にここを逃げ出してやるのだ!


「壊れろ!壊れろ!壊れろ!」


   ○


 バキン!


 音が弾け、板切れが破片をまき散らしながら砕けた。


 ベッドのフレームが穴の中に食い込んでいるのが見えた。

 とうとうやったのだ。

 わたしはベッドを放り投げると、割れた板切れをつかみ、それをはがし始めた。

 板は鋭くささくれだっており、手にはいくつもの切り傷が出来た。

 それでもひたすらに板切れを握りしめ、足を床に踏ん張って次々と板をはがしていった。

 やがて板は全てはがれた。


   ○


 わたしは手の平の血を白衣にこすり付けると、穴の中におりたった。

 ひんやりとした空気が下から吹き上げてくる。

 これははるか八キロ先の、収容所の外につながった出口から流れてくる空気だ。

 このまま走っていけば、収容所の外に出られるはずだ。

 だがそれはまだ先の話だ。

 わたしは腰をかがめて龍次の独房に通じるトンネルに入り、それから正確に二メートル分を歩いた。

 そして右手をまっすぐに壁に向かって伸ばし、そのあたりを手探りした。


   ○


 指先で硬い岩盤を探っていくと、一箇所だけ柔らかくなっているところがある。

 懐中電灯がないので指先の感覚だけを頼りに、そっとやわらかくなっている部分を掘り出していく。

 しばらく土をかき出していると、すぐに目的のものが指先に触れた。小さなライターほどの大きさの物体、それは虎子が持ってきた万能合鍵だった。

 何かのときにと思い、一応ここに隠しておいたのだ。


   ○


「さて、とにかく行動開始だ」

 わたしはそれを握りしめると白衣のポケットに突っ込み、自分の独房へと戻った。

 穴から這い上がると、壊した板切れを全て穴に放り込み、畳で穴を塞いだ。

 ねじまがったベッドを元の場所に戻し、マットレスを敷いて、上からシーツやら布団やらをかぶせる。

 それから風呂場で念入りに手を洗うと、タオルを引き裂いて簡単な包帯を作って両手にぐるぐると巻きつけた。


   ○


(さて、脱獄決行だ!)


 勢いだけはあったのだが、計画は何もなかった。

 この独房を出て、どうするつもりなのかまるで考えが浮かばなかった。

 それでも不思議と不安はなかった。

 たぶん行動を起こすことで何かが始まるに違いない。

 それを確信していた。

 こんな行き当たりばったりに行動するのは初めてだったのだが、それはわたしによく馴染んでいるような気がした。


   ○


 わたしはドアの取っ手をつかみ、万能合い鍵を鍵穴に差し込もうとし、そこで凍り付いてしまった。

 ドアにも、ノブにも、鍵穴がなかったのだ。

 考えてみればあたり前の話だった……

 独房なのだから内鍵がついているはずがないのだ。

(しまったな……)

 この展開にはさすがに頭を抱え込んでしまった。

 よもや一歩目からつまずくとは夢にも思わなかった。

 そのときだった。

 扉のすぐ外から松平の声が聞こえてきたのは……


   ○


「あー、博士、ドアを開けるぞ」

 わたしはとっさに振り向き、部屋の中をみまわした。

 松平をやっつけようにも、年齢と体格を考えれば素手ではどうやっても不可能だった。なにか武器がいる。

 だが独房の中には武器になるようなものは何も見つからなかった。

 これも考えてみればあたり前の話だった。


   ○


「ちょっと待ってくれ……」

「いや、待てないね」

 扉はいきなり開かれた。

 万能合い鍵をポケットに入れるのと、松平が入ってきたのは同時だった。

「悪いな、こんな時間に」

「かまわないけど、もう夜中だよ」

「知っているさ、あんたの見張りにきたんだ。これから一週間、あんたのそばに張り付くことになった。オレだって気がすすまないけど、仕事なんだ」


   ○


 まぁひとことで言えば最悪だ。

 大塚はとどめを刺しにきたわけだ。

 わたしにとっては実に効果的、敵ながらあっぱれと言うところだ。

 だがわたしに絶望はなかった。

 なんとかならないなら、何とかしてみるだけだ。

 実に非科学的な発想だが……


   ○


 松平は独房の扉を背中で押さえ、腕を組んでわたしを見ている。

 扉と松平の体の間にはちょうど走り抜けられるくらいの隙間がある。

 隙を突いて走り出せれば、何とかなるかもしれない。

「ずっとそこで見張っているつもりかね?」

「まさか」

 そういって松平は腕をほどいた。

 ゆっくりとした動作で扉から背中を離し、体を正面に向ける。

 彼の身長は180センチくらいだろうか、分厚い胸板がそびえるように大きく見える。シャツから除いている腕はパンパンに膨らんで見える。

 これまでわたしはその姿になんとなく気おくれを感じていた。

 見ているだけで闘志がくじかれる、そんな感じだった。

 だが今、わたしは怖くなかった。


   ○


 松平は明らかに油断していた。

 わたしが歯向かうとは夢にも思っていないだろう。

 やるなら今しかない。

 だがどうやって?

 わたしの脳裏に電流のように映像が流れた。

 虎子の映像だ。二人の看守をあっという間に投げ飛ばした虎子の戦いだ。一瞬にして間合いを詰め、一人目の懐に戻りこみながらその胸倉をつかみ、体を回転させながら腰を引き寄せ、バランスを崩したところで一気に投げ飛ばす。


 大丈夫!わたしにできないはずがない……


   ○


「君はわたしの仲間になってくれたと思っていたんだがね?」

「オレは最初からあんたの仲間じゃない、オレはただ鋭子さんの……」

 松平はひらひらと腕をふりながら右足を一歩、わたしの方に踏み出した……


 その瞬間を狙いすまし、わたしは駆け出した。

 部屋は狭い。

 二歩で間合いを詰め、三歩目で飛び上がると松平の制服の襟をがっちりとつかんだ。

 瞬間、松平の驚いた顔と目があう。

 わたしは全体重を腕にかけ、松平の胸倉を引き寄せた。

 松平がバランスを崩し、大きくよろける。

 同時にわたしの足が床に着いた。

 そして素早くクルリと体を回転させ、同時に背中を曲げると、松平の重心が完全にわたしの腰の上に乗った!

 さすがにこの体格、ずっしりと重い。


   ○


(腰よ、もってくれ!)

「とりゃあ!」

 わたしは気合いとともに、飛び上がるように足を延ばしつつ、さらに全身をひねりながら、渾身の力を込めて掴んだ松平ごと腕を振りぬいた。

 その瞬間、松平の体が空中で逆立ちに立ち上がった。

 そこで再び彼と目が合った。

 彼の目は驚愕に見開かれたままだった。

 そのまま時計の針のように、松平の巨体が空中をゆっくりと漂い流れてゆく。


   ○


 ドサッ!


 音を立てて、松平の巨体が畳にたたきつけられた。

 編みこまれた井草の全ての隙間からホコリがパッと舞い上がった。

 われながら完璧な一本背負いだった。


 松平は仰向けのまま、呆然とした顔でわたしを見上げている。

 なにが起こったのか理解できない、そんな表情だった。


   ○


「知らなかったよ、わたしは柔道の天才だったらしい」


 決めゼリフがすんなりと出てきた。

 わたしは平然とした足取りで扉の向こう側に出た。

 ついに廊下に出たのだ。

 これは自分で切り開いた脱獄への第一歩だった。


   ○


「松平君、この独房は外鍵だから、鍵を持っていても出られないからな」

 わたしが告げると松平はあわてて起き上がった。

 そしてわたしに向かって走り出そうと身構えた。

 だがもう遅い。

 わたしは慌てることもなく扉を閉めた。

 すぐに松平の体がドアにぶつかり、ドアノブがゆすられたが、いかに彼の力でもこの扉を開けることはできなかった。


   ○


「松平君、そこは独房だよ、簡単に出られるはずがないだろう?」

 わたしはくるりと振り返り、廊下に一歩歩き出した。

(これで自由だ……)

 そして廊下を走り出そうとした、まさにその瞬間……


 わたしはなにか空気の壁のようなものにぶつかった!


   ○


 そう、まさに空気がぶつかってきたとしか形容しようがなった。

 視界にあるのは殺風景な廊下だけだった。

 その何もない空間の中で、突如空気が固まりになって、わたしに襲いかかってきたような感じだった。

 しかもその固まりはわたしの体をがっちりと包み込み、さらに口をふさいで息を止めてきたのだ。


   ○


(なんなんだ、これは……?)


 ふさがれた口からは言葉も出てこない。

「すっっごいじゃない!」

 目の前の空気から突然声が聞こえてきた。

 この声だけは誰の声だかすぐに分かる。

 鋭子だ。山川鋭子の声だ。

 そして冴子のメモのことを思いだした。


『明日花嫁到着』


   ○


 そうだった。もう夜中になるが、今日は鋭子が現れる日だったのだ。

 どこにいるのだろう?

 わたしは天井のスピーカーを見上げた。

 だがどうも声の出どころがちがう気がする。

 幻聴だろうか?


「わたしよ、わたし!」

 再び鋭子の声がした。

 それもすぐ近くに、まるで目の前の空気から声が漂ってきたような感じだった。


   ○


 わたしは鋭子に会いたかった。

 つかの間とはいえ、こうして独房から出られた今、彼女に会うことが出来たらどんなにすばらしいだろう。

 そんな思いが幻聴を生み出したのだ……

 そのときのわたしはそう思っていた。


 だがまたしても違った。


   ○


「驚きなさい、輝男!ヒロインの登場よ!」


 そして空気の中から山川鋭子の姿があらわれた。

 それもわたしのすぐ目の前に。

 まるで手品か魔法のようだった。

 だがどちらだってかまわない。わたしの目の前に彼女がいる。

 その姿を見ただけで、わたしの体中に幸福があふれた。

 本当に会いたかったのだ。わたしにとってはそれだけが全てだった。


   ○


 今日の彼女はジーンズにシャツ、そのうえにフードつきのパーカーという普段着の姿だった。

 彼女がこういう服を着ているのを見るのはずい分久しぶりだった。

 だがこんな何気ない服装でも彼女は本当に美しかった。


「会いたかったよ!」


   ○


 わたしは考えるより先に彼女を抱きしめていた。

 こうして彼女に触れるのは三十年ぶり以上だ。

 彼女の体からぬくもりが伝わってくる。

 これこそがわたしが求めていたものだった。

 三十年以上を孤独に過ごしていた自分の魂が、しだいに温まってくるのが感じられた。


   ○


「わたしもよ……」


 鋭子はそういってわたしの首に手をかけて頭を抱きしめた。

 彼女の涙がわたしの頭の横を流れていく。

 彼女の存在全てがわたしの体を包み込み、彼女の優しさや愛といったものがわたしの全身に満たされていく。

 出来ればずっとこうしていたかった。

 だがもちろんそんな時間はない。


   ○


「さて、脱獄よ!」


 先に体を離したのは鋭子のほうだった。

 泣いていたと思っていたのだが、今は輝くばかりの笑顔を浮かべている。

 しっかり泣いていたのはわたしの方だった。

 わたしはあわてて涙を袖でぬぐった。


「それよりどうやってここにきたんだ?」

「これよ」

 

 彼女の右手にはいつの間にか銀色の布が握られていた。

 それもかなり大きな布で、虹色の不思議な光沢を放っていた。


  ○


「そうか【カモフラージュシート】か!」


 わたしにはそれが何だかすぐに分かった。

 アトランティスの物語の中でスケイプが逃げ出す時に使った道具の一つだった。

 しかしこれが現代に存在しているとは思わなかった。


「正式には光学式迷彩シートっていうのよ、わたしの会社で発明されたばかりの新品なの。背後の景色を映し出して、シートの全面でそれを再生してるの」


   ○


 鋭子はそういって、パッとシートを広げて見せた。

 虹色の光沢がきらめき、すぐに廊下の向こう側を映し出した。

 鋭子の姿は首から上だけが空中に浮かんでいるように見える。

 これをすっぽりとかぶれば、透明人間の出来上がりと言うわけだ。


「これね、先週完成したばかりの試作品なの。でも『これだ!』って思ったわ。それで松平君に案内してもらってここまで来たわけ」

「じゃあ、やっぱりあいつはわたしたちの味方だったのか?」


 鋭子はふたたびほほえんだ。

「あなたがやっつけちゃったけどね、かっこよかったわよ」

「まぁ、あとで謝っておこう、それより今は脱獄だ」

「ええ、急ぎましょう!」


   ○


 鋭子はカモフラージュシートを広げると、わたしたち二人の頭の上からすっぽりとそれをかぶせた。

 シートの中からは周りが薄いブルーになって見えたが、視界は良好だ。

「これからここに閉じ込められた科学者全員を脱獄させる」

「わかったわ!」

「驚かないの?」

「ぜんぜん、あなたは天才なんだから、周りをあっと言わせるようなことしなくちゃ」


「そうだね、史上最大の脱獄の開始だ!」

 わたしたちはゆっくりと歩き出した。



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