【脱獄物語】ヒロインの登場②
「まだ脱獄の相談でもしているのかね?」
大塚はそういいながらわたしの独房の前に立った。
鍵束がジャラジャラと音を立てた。
わたしは扉の前から下がると、ベッドに腰かけた。
ゆっくりと扉が開かれ、そこに大塚が現れた。
だが今回は大塚ひとりではなかった。
籐の洗濯かごを抱えた、エプロン姿の掃除のおばさんが一緒だった。
○
「約束だ、出してやる、仕度をしろ」
大塚は扉にもたれかかり、ゆるく腕を組みながらそういった。
その横をすり抜けて掃除のおばさんが独房に入ってきた。
『長田さん』というおばあさんで、この刑務所でも一番の古株だった。
あまり話したことはないが、気のいいおばあさんだった。
彼女はさっそくシャワールームの掃除にとりかかった。
○
「仕度なんて何もないさ。それよりさっさとここから出してくれ」
わたしはとにかくここから早く出たかった。
だがあまり焦った態度はとれなかった。
脱獄の計画をかぎつけられる訳にはいかないからだ。
「おい、大塚!あたしをここから出せ!」
隣から虎子が叫んでいるのが聞こえきた。
さらに扉をガンガンと殴りつけている音も聞こえてくる。
○
「あなたたちはまだですよ」
大塚は動じることもなく、隣に向かって声をかけた。
「あんた絶対後悔させてやるからね!」
さらに虎子が叫んでいる。
「まずはあなたがそこで後悔してください」
大塚の声は冷静で、人を馬鹿にしているように聞こえる。
それがますます虎子の怒りに火を注いだ。
虎子はさらにわめき散らした。
だができるのはせいぜいそれくらいのものだった。
○
その間に長田さんはシャワールームの掃除を終えた。プロらしい手早さで床を拭き、便器を洗い、洗面台の上を手早く片づけていく。
それらを終えたところで、シャワーを使って浴室中を洗い流した。
「こっちの準備は出来ているよ」
わたしは立ち上がった。
まだ縞々の囚人服のままだったが、持っていくものは他に何もない。
「まぁ、そう焦るな。着替えを持ってきたからそれに着替えるんだ」
大塚はそういって、長田さんの抱えてきた籐かごを顎でさした。その中にはわたしの普段着、スラックスとワイシャツ、それに白衣が入っていた。
大塚の目の前で着替えるのはあまり気が進まなかったが仕方がない。
それらを取り出すとベッドの上に並べて着替えはじめた。
○
「長田さん、異常はないかな?」
大塚はのんびりと歩き、シャワールームを覗き込んだ。
わたしは少しどきりとした。
これまで昼食に紛れ込んでいたメモが、便器の底から浮かび上がってくるかもしれない、ふとそんなことを考えた。
「なぁんにもありませんよ」
長田さんは曲がった腰に、バスタオルを抱えて浴室から出てきた。
そしてタオル類をまとめて籐かごに放り込んだ。
「だいたいねぇ所長さん、織田博士はそんなことはしませんよ、なんたってえらい先生なんだから」
○
彼女はいかにも面倒そうにそう言うと、今度はホウキで畳を掃き始めた。
わたしはその言葉に少し安心しながら、さっさと着替えをし、着ていた縞々の囚人服をカゴに放り込んだ。
「さぁ、行こう。準備はできたぞ」
「まぁまぁ、そう焦るな。それとも何か焦る理由でもあるのかな?」
「ネコが心配なんだよ、大事な友人なんだ」
そういっているわたしの背後で、シーツがバッとめくられた。
長田さんは小さな体で大きなシーツを広げると、何度かはらってから手早くくるくると巻き取ってカゴに放り込んだ。
それからまた箒で畳を掃きだした。
○
とにかく一刻も早くここを出たかった。
とにかく独房から出ないことには、脱獄計画も始まらない。
だが焦った態度を見せるわけにはいかない。
わたしはまたベッドに腰かけると、長田さんの掃除が終わるのを待った。
長田さんは老人らしい几帳面さで、畳の目に沿ってきちんと箒をかけている。
その手際は悪くないのだが、焦っているわたしにはずい分と遅く感じられる。
彼女は畳を全て掃き終えると廊下に出て、ごみ袋とちりとりを持って戻ってきた。
○
「さて、何もないようだし、そろそろ行くか……」
大塚がつまらなさそうに腕時計を眺めながらそう言ったとき、
「あれま?」
と小さな声がした。
わたしの心臓がビクンと跳ね上がった。
長田さんはちりとりにかがみこみ、そこに集められたゴミを眺めていた。わたしは思わず大塚の顔色を見上げそうになったが、なんとかその誘惑を押しとどめた。
「長田さん、どうかしましたか?」
そう言う大塚の声ははるかかなたから聞こえるようだった。
「いえ、大したことじゃねえんだけどね、砂粒があったみてぇだから」
「砂粒……ですか?」
「なんかここ二・三日、他の部屋でもずいぶん砂粒が落ちててねぇ」
○
わたしは平静を装っていたが、頭の中には絶望の嵐が吹き荒れていた。
トンネルを掘っていた時の砂粒だ……それが床に落ちていたのだ。
それもわたしの部屋だけではないという。
トンネルはもちろん、このままでは全てが発覚してしまう!
○
結局一番大事な時に自分は何も出来ない……
この独房から出ることすら出来ない。
ここからも出られないのに、どうやって刑務所から出られるというのだ?
それも二百人の科学者と、さらに虎子の仲間の百人をつれて……
○
「他の部屋でも、ですか?」
大塚がちょっと興味をひかれたように聞き返した。
「ええ、どの部屋も砂粒が増えてんです」
大塚がわたしを見下ろしているのが、その視線が刺さるように感じられる。
「……ほら」
長田さんが言葉をついだ。
「……ここのところずい分、風が強かったでしょうが?」
わたしは窓を見上げた。
窓が少し開いて、そこから冷たい風が入ってきていた。
わたしには長田さんの次の言葉を期待するほかなかった。
どうか大塚の注意をそらしてくれますように!
○
「この季節は換気するたんびに砂粒が入ってくるんですよ、そんだけです」
「……なるほどね。ヘリコプターまでやってきたことだしな。あぁ、ずい分きれいになったよ、長田さん、どうもありがとうね」
大塚は親しげにそういった。その口調はいつものとおりだ。
なにか疑っている様子も、企んでいる様子も感じられない。
わたしは正直ほっとした。
長田さんはちりとりのゴミを袋に入れると、痛そうに腰を伸ばした。
○
「さて、じゃあ次の部屋に行きますだ」
「ああ、よろしく頼みます。腰には気をつけてね」
「ありがとうごぜえます」
長田さんぺこりと頭を下げると、大塚の前を通り過ぎ、廊下へと出て行った。
○
「さて、じゃあ、われわれもそろそろ行こうか?」
大塚はつまらなさそうにそういって、くるりと背を向けた。
ようやくここから出られるのだ。
わたしはベッドから立ち上がった。膝の関節がポキポキと音を立てた。そして歩き出そうとした時、ふいに膝から力が抜けてわたしはまた座り込んでしまった。
大塚が振り返った。
「どうかしたかね?」
「いやちょっと膝が痛くてね」
わたしはゆっくりと膝頭をさすった。
本当は膝はちっとも痛くなかった。
ただ先ほどの極度の緊張感から解放されて、体から力が抜けてしまったのだ。
○
「君ももう歳なのだから無理しない方がいいぞ」
わたしは苦笑いを浮かべると、もうしばらく膝をさすった。
これがいけなかった。
わたしはすぐにでも立ち上がってここから出ればよかったのだ。
そうすればもっと簡単に脱獄できたはずだったのだ。
だがそれがこの脱獄劇の運命だった。
最後までどたばたが続く、この脱獄そのものがそういう運命だったのだ。
○
わたしは両膝をくるくるとさすり、それから膝の関節を曲げ伸ばしして調子を確かめ、それから立ち上がった。
コンコン……
その足元から小さくノックが響いた。
これ以上驚くことがあったらわたしの心臓は耐えられないだろう……ピンチを切り抜けたばかりのわたしは漠然とそう思っていた。
だがわたしの心臓はそれに耐え、またもや緊張に満ちた血液をどくどくと体中に送り込み始めた。
○
大塚がこちらを見ていた。
「いま、ノックのような音が……」
わたしは大塚が言い終わらないうちに、床を右足でこつこつと鳴らした。
「ああ、この音でしょう。さぁ行きましょう……」
歩き出そうと片足を上げた。
コンコン……
まさにその足元で再びノックが響いた。
心臓が口から飛び出しそうな感じだった。
これは間違いない。田中一が報告にやってきたのだ。
それも最悪のタイミングで。
わたしはなんともしようがなく、とりあえず咳払いをした。
○
「さぁ、いきましょうか!」
そういいながらもう一度、今度は左足のつま先で床をたたいた。
「うん、もう足はなんともないみたいだ」
大塚は奇妙な眼でわたしを見ている。
たぶんわたしの顔は真っ赤になっていたに違いない。
それにたぶん汗もかいていたことだろう。
わたしは嘘をつくのが致命的に下手だった。
まして人を騙すような行動など、さらに苦手だった。
○
コンコン、コンコン
と、またしてもノックの音が短く聞こえた。
だが今度はその音にかぶせるように、すぐに右足を床につけた。
最初のタイミングは少しずれたが、後は何とかカバーできたと思った。
「うん。やっぱりもう大丈夫だ。さぁ、行きましょう!大塚長官」
わたしは自分でもしらじらしいとは思ったが、少し声を大きくしてそう言った。
もちろん、田中一に聞こえてくれるように願ってのことだ。
たのむから、これ以上ノックをしないでくれ!
わたしは畳の下にいる田中一にそう祈っていた。
○
ある意味、その願いは最悪の形で聞き届けられた。
痺れを切らした田中がついにささやいたのだ。
「ハカセ……ボクです……」
その声はたたみにさえぎられ、ごくかすかに聞こえてきた。
だがその言葉はわたしにははっきりと聞こえた。
たぶん大塚の耳にも届いたに違いない。
だがわたしはそれでもまだ無様な抵抗を続けた。
考えるより先に、体がそうしてしまったのだ。
○
わたしは「あー」と口をあけ、顎を動かしながら、咳払いをした。
まるで自分の口から勝手に言葉が出てきてしまった、そんなふりをしようとしていたのだ。
わたしはそうしながら喉をさすった。
「いやー、なんか独房に来てから風邪を引いたようで、アー、のどの調子がおかしいんです。でも、もう大丈夫。アー、ボクデス、アァー」
わたしはふたたび左足で床をたたき、さらに喉をさすりながら、かすれたささやき声を出してみた。
○
「本当に大丈夫かね、織田博士?」
大塚があっけにとられたようにわたしを見ている。
これならば、まだ大丈夫かもしれない。
なぜだかその時のわたしはそう思った。
だからさりげなく白衣のポケットに両手を突っ込み、すばやく大塚のところまで歩いていき、彼の横をすり抜けて廊下に出ようとした。
その時、わたしがさっきまで立っていた足元から、死刑宣告にも似た田中一のささやき声が聞こえてきた。
「ハカセ、ついにトンネルが完成しました、これで逃げ出せます……」
○
大塚がわたしの右腕をぐっとつかんだ。
廊下までは本当にあと一歩のところだった。
「聞こえただろう?織田博士。これはいったいどういうことなんだね、説明してもらおうか?」
わたしは諦めが悪かった。いや、もうあきらめていたのかもしれない。
もはや恥も外聞もない。最後の手段だ。わたしは白衣のポケットに手を入れたまま胸を張り、大塚の眼をまっすぐに見つめて言った。
○
「実は科学者として認めたくはないんですが、どうもこの部屋には幽霊がでるんですよ……」
大塚はわたしの言葉が終わらないうちに一言いった。
「畳をはがしたまえ!」
「これは推測ですが、昔ここで死んだ科学者がいたのではないかと……」
「いいから畳をはがしたまえ!」
わたしは進退きわまった。
もうどうにもならなかった。
これ以上は限界だった。
このあたりでわたしの神経は切れてしまっていたのかもしれない。
わたしはまた独房の中に引き返すと、慣れた手つきで畳をはがした。
○
もちろん、畳の下のトンネルの中には田中一が立っていた。
相変らずの学生服姿で、頭には懐中電灯を巻きつけ、右手にはスプーンを握りしめていた。
田中一は最初にわたしの顔を見つけて笑顔を浮かべた。
「博士!ついに完成したんです!」
わたしは彼の言葉に笑顔を浮かべた。
それは本当にうれしかったからだ。
「よくやってくれた。本当にどうもありがとう」
○
「あっ……」
そこでようやく田中一もこの独房にいるのが、わたし一人ではない事に気がついた。トンネルの底から大塚の顔を見上げ、それからわたしを見つめた。
「博士……本当にごめんなさい。僕はただ、博士にこのことを一刻も早く知らせたくて……」
「いいんだよ、田中君、わたしはトンネルの完成が本当にうれしいし、君のそのやさしい気持ちがとてもうれしい、なにひとつあやまることはない。●●だから早く自分の部屋に戻りなさい》》」
○
わたしはしゃがんで田中一の肩を優しくたたき、その背中を送り出した。
「待て!勝手に話をすすめるな!田中、そこを動くんじゃない!」
わたしたちは二人ともびくりと肩を震わせた。
「お前たちを完全に拘束する!そこを動くな!」
大塚は廊下に出ると、非常ベルを押した。
同時に、隣の独房から虎子の嬉しそうな声が聞こえてきた。
「お!さっそく脱獄したんだ!さすがだねぇ!頑張りなよ、輝男!」
「まだですよ、虎子さん!わたしはまだここにいます!」
なんとも気恥ずかしかったが、わたしは隣の虎子にそう叫んだ。




