【脱獄物語】二人のヒーローの登場と退場④
(本当にここから逃げ出せるんだ……)
わたしは窓枠に嵌まった鉄格子を握りしめて思った。
これまでずっとこの日を夢見てきた。
だがそれが現実になる光景というのを想像したことがなかった。
だが今、目の前でそれが現実になろうとしている。
○
わたしはヘリコプターをじっと見つめた。
まさに今、女神が降り立つところだった。
操縦席の横のハッチが跳ね上がり、真っ赤なレザーのつなぎを着た黒髪の女性が降り立った。
ヘリコプターの作り出す強風に一瞬顔をそむけ、それから頭に付いたヘッドセットを外してコックピットに放り込んだ。
さらにライフル銃のようなものを取り出して肩にかけ、両手に小型のサブマシンガンを握りしめた。
その雄姿の何と懐かしいことか。
それはまぎれもなく『神城虎子』だった。
○
神城虎子……彼女は龍次の姉にして、かつてわたしをいじめから救ってくれた荒々しい女神だった。
この位置からでは、彼女の姿はほんの小さくしか見えなかったが、それでも彼女が神城虎子であるということはすぐに分かった。
なぜなら彼女はわたしにとってのヒーローだったからだ。
そのヒーローが再びわたしを助けに来てくれたのだ!
○
虎子は両手にマシンガンをぶら下げ、刑務所に向かって歩き出した。
彼女に寄り添うように屈強そうな男達がスッと四方を取り囲んだ。
虎子はそのまま正面の玄関から刑務所に足を踏み入れ、わたしの視界から消えてしまった。
○
わたしは窓枠から離れると、ベッドを元に戻して腰かけた。
これでもうすぐ自由になれる!
その喜びはわたしが想像していた以上だった。
わたしの体はわなわなとふるえ、すぐに目が潤んできた。
涙を落とすまいとして、何度も袖で目元をぬぐったが、あまり効果はなかった。
いても立ってもいられず、わたしはドアのところに行き、トレイを少し引き出して外の様子に耳を澄ました。
○
廊下の向こうからは銃声と怒鳴り声、叫び声の入り混じった騒音が聞こえてきた。
だが騒ぎの音はまだずいぶんと小さく、離れているようだ。
ここにくるまでにどれくらいかかるだろうか?
ちらっとそう考えたが、それはあまり心配ではなかった。
何しろやってくるのはあの『神城虎子』なのだ。
彼女はやってくるといったら、必ずやって来るのだ!
○
そして五分が経過した頃、独房の前のサイレンが鳴り響いた。
それと同時に廊下のすぐ向こうでがやがやと騒ぎの音が聞こえてきた。
トレイの隙間からは明滅する赤いサイレンの光が漏れ出している。
なんだか台風でも接近しているような感じだった。
もちろんその台風の目には虎子がいる。
せっぱ詰まった様子で看守が何事かを叫び、その声が途中でうめき声に変わった。
銃声がバラバラと鳴り響いたがそれも途中で途切れた。
鉄格子の扉が次々と開けられていく音が聞こえる。
あの人間台風がすごい勢いで近付いてくる!
○
そしてついに虎子の声が聞こえてきた。
たぶん廊下の突き当りを曲がったあたりだろう。
もうすぐそこまで来ている!
「お前たちは両側を固めな!五分でカタをつける!ほら、看守、おとなしく鍵をだしな!」
「わたしは廊下の鍵しか持ってないんです!本当なんです!」
看守の声は苦痛に歪んでいた。
「じゃあ、誰が持ってるんだい?」
「大塚長官です!」
「嘘だったら承知しないよ?」
「本当です!」
「じゃあ、取りあえずあんたは用無しだね」
○
看守のうめき声が響き、同時に鉄格子がきしみながら開く音が聞こえた。
コツコツと足音を響かせ、虎子が一人でやってくる足音が聞こえてくる。
サイレンはまだ鳴りやまない。
だが虎子の声はそれよりもはるかに迫力があった。
「輝男! 龍次! いるんだろ?」
それは懐かしい声だった。
とても懐かしい声だった。
○
「虎子さん、ここです!」
わたしは思わず叫んだ。
一瞬、中学生の頃に戻ったような感じがした。
○
そう。虎子はかつてわたしを『いじめ』という地獄から助け出してくれたのだ。
それはわたしが中学生の頃で、その当時のわたしは二年あまりも級友たちに肉体的、精神的にいじめられていたのだ。
ある日、彼女は突然わたしのいる中学校に仲間を引き連れてのりこんできた。
そして教師を叱り飛ばし、いじめの首謀者の子供を痛めつけ、その場にいた生徒全員を恫喝した。
その圧倒的な暴力で、その日を境に誰もわたしに手出しをしなくなったのだ。
彼女はまさにわたしにとってのヒーローだったのだ。
そしてなんとも荒々しい戦いの女神だったのだ。
それは今もまったく変わっていなかった。
○
「輝男、懐かしいね!今助けてあげるよ!」
虎子の声が優しく変わった。
「でも、鍵が……」
「大丈夫よ、こっちには奥の手があるんだから、」
そういうと鍵穴の辺りからなにやらごそごそと音が聞こえた。
そしてカチリと音を立てて、鍵が開く音が聞こえた。
それはサイレンの音にかき消されそうな小さな音だったけれど、わたしの心の中では張り詰めた銀色の糸のようにピーンと響いた。
○
そして扉が開かれた。
そこには懐かしい虎子の顔があった。
彼女はちっとも変わっていなかった。
たしかに目元には皺なんかが増えていたが、面影はなにも変わっていなかった。
挑戦的でいたずらっぽい目、筋の通った鼻、先がほんの少し割れている顎、力強い美しさは健在だった。
○
「ほんとに懐かしいね、輝男!元気にしてたかい?」
そういうなり、虎子はわたしを抱きしめてくれた。
わたしも彼女に会えてとてもうれしかった。
「はい、虎子さんは?」
「見てのとおりさ、だいぶ歳は食っちまったけどね」
「そんなことないですよ、虎子さん、全然変わってませんよ」
「あんたはいつもうれしいこと言ってくれるね」
○
「おーい、姉貴。長話は後にしてこっちも開けてくれよ」
隣の独房から龍次が呼ぶ声がした。
「あいかわらず野暮な弟だね」
虎子は前髪をクシャッと握って頭を抱えた。
「だがまぁ、それもそうだね。さっさとずらかろう!」
虎子はわたしの頭をなでると、すぐに龍次の扉の前に移動した。
「そういえばどうやって鍵を?」
「これさ、覚えてるかい?」
○
そういって虎子が取り出したのは銀色のライターのようなものだった。
わたしはそれに見覚えがあった。
それはわたしが発明し、遠い昔に虎子にプレゼントしたものだった。
○
それは万能合鍵だった。
簡単に説明すると、これには衝撃を記憶する微細な金属ワイヤーがはいっており、これがあらゆる鍵穴に引っかかって開錠する仕組みなのである。
彼女はずい分と厄介ごとが多い生活をしていたし、また自らそういう生活を求めていたから、何か閉じ込められたような状況で使えるのではないかと作ったのだ。
ちなみにライターの形にしたのは、没収されづらいからだ。
○
「懐かしいですね。まだ持ってたんですか?」
「当たり前だろ、こんな便利なもの手放すはずないよ」
虎子はライターを鍵穴につけ、スイッチを押すと何度かひねった。
鍵はスルリと簡単に開いた。
自分が発明したものだったが、確かにこれは便利な道具だった。
「時間通りだね、姉貴」
龍次が独房から現れた。
○
「当たり前だよ、このあたしが指揮をとってるんだ」
「ところで姉貴、一つだけプラン変更があるんだ、輝男だけじゃなくて、ここの科学者全員を脱獄させたいんだ」
虎子は一瞬驚き、考え込んだ。
それからわたしの顔をちらりと見た。
その時わたしがどんな表情を浮かべていたのか分からない。
だが虎子は口の端だけですこし微笑んだ。
それはなんだか怖い感じの笑みだった。
なにか虎子の中の野生に火が灯ったような、そんな笑みだった。
○
「いいねぇ!どうせやるなら、それぐらい派手にやらなくちゃ。龍次、あんたもちっとは輝男を見習いな。男だったら、チマチマしてないで、どでかいことを考えなくちゃ!」
龍次は困ったように頭をかいた。
虎子はわたしのところにやってくると、気合を入れるようにわたしの背中をドンとたたいた。
「その話乗ったよ!二百人ぐらいだったね、あたしが全部逃がしてやる!……」
虎子の気合に思わずよろけながらも、わたしは胸をなでおろした。
「あと、コレ返しておくよ、たぶん必要になるからね」
虎子はそう言ってわたしのポケットにライターを忍びこませる。
「……なんだか派手なことになりそうだね……ゾクゾクしてきたよ」
虎子はずい分とうれしそうだった。
それがわたしには逆に不安だった。
もちろんそんな思いは胸の奥深いところに隠した。
○
「じゃ、さっさと行動を開始だよ!」
虎子がそういって走り出そうとした時だった。
「それは無理ですよ、神城虎子さん」
その声は天井のスピーカーから流れてきた。
大塚の声だった。
笑いをかみ殺したような、人を馬鹿にしたような声だった。
「またあんたかい、いつまでも隠れないで、出てきて勝負しな!」
○
「あなたのようなヤクザ者相手にまともに戦えるわけがないでしょう?わたしはただの公務員なんですよ」
「情けない男だねぇ」
「何と言ってくれてもけっこう。でも姿は見せましょう。あなた達の失敗する姿をこの目で見たいですからね」
そういい終わると同時に廊下の角から五つの人影が現れた。
全員が巨大なヘルメットをすっぽりとかぶり、銀色の消防士の耐火服のようなものを着ている。
バイザー部分からは顔が覗いており、大塚は屈強な四人に隠れるように一番後ろに立っているのが分かった。
「言ったでしょう?奥の手は最後まで……」
大塚が言いかけた瞬間……
○
……その瞬間には虎子は走り出していた。
わずかに遅れて龍次も走り出した。
二人が向かうのはもちろん大塚のところだった。
五メートルの距離を瞬間で縮め、虎子は右側の護衛の懐に飛び込んだ。
大塚の兵士達は明らかに不意をつかれた。
その一瞬にわずかに後ずさりしたのだ。
虎子はその隙を見逃さず、一人目の胸倉をつかんでふわりと背負い、もう一人の上にそのまま投げつけた。
銀色に着膨れした兵士達がひとかたまりになって地面に倒れた。
それはまさに電光石火の早業だった!
○
「……最後まで……とって……」
一方の龍次は走った勢いそのままに、最後の一歩を飛び上がると、見事な飛びひざげりを兵士の喉元に見舞った。
兵士は両腕をもがくようにしながらゆっくりと倒れていく。
龍次はその倒れる体の上にそのまま乗り、サーフィンでもするように器用にバランスをとり、それからさらに跳躍した!
「……とって……おく……」
そして空中で体をひねると、見事な回し蹴りを二人目に叩き込んだ。
それはスローモーションでも見ているような、華麗な動きだった。
○
「……おく……もので……」
四人の兵士が倒されたのは、まさに一瞬のことだった。
そして二人の追撃はもちろんまだ続いていた。
虎子は左側から、そして龍次は右側から大塚の所に迫った。
その距離わずか二メートル!
時間はスローモーションで流れ出し、粘りつく空気の中を龍次と虎子が一歩一歩距離を縮めていくのが見える。
ヘルメットの中の大塚の顔が恐怖に引きつり、その体がヨロヨロと後退する。
だがその長い長い一瞬の中で大塚の右手が何かのリモコン装置のボタンを押し込んだのが見えた。
○
同時に天井から白いガスが勢いよく噴出した。
ガスの噴出孔は天井一面についており、視界は一瞬で霧に包まれた。
そのもやの向こうで、虎子と龍次の振り上げた拳が彫像のように止まっているのが見えた。
二人の固めた拳のすぐ先に、無傷の大塚のヘルメットがあった。
大塚はヘルメットの中で恐怖に顔を引きつらせていた。
だがその拳は振り抜かれることなく、だらりと下に落ち、それから龍次と虎子の二人の体が重なり合うように崩れ落ちた。
○
「はは……ははっ……ははは。本当によく効くなァ!一瞬だよ!瞬間性の催眠ガスだ。織田輝男、お前の発明品だ!」
天井のスピーカーから声が聞こえた。
だがずい分と遠いところから聞こえてくるようだった。
というのもわたし自身にも強烈な眠気が遅い、全身から力が抜けていったからだ。
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そう。これはわたしが発明したガスだった。
とにかく一瞬で体が眠りに落ちてしまうガスなのだ。
わたしは体を支えきれず、崩れるように眠りに落ちてしまったのだった。
○
以上で第十章は終わる。
こうして書いていくと、当時の状況がいかに紙一重のものであったのかが分かってくる。
あの日の脱獄がドタバタになってしまったのは、いろんな脱獄計画が複雑に絡み合っていたからだ。
さらにその大半が失敗したことでますます混乱していくわけだが、結果的にはどれが欠けても脱獄は失敗していただろうことが分かる。
それが運命というものなのだろう。
人間万事塞翁が馬。
なにが起きるかわからないし、起きたこと全てが未来への重要な鍵になっていくといういい見本である。




