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アトランティスのつまようじ  作者: 関川 二尋
第十幕
48/66

【脱獄物語】二人のヒーローの登場と退場②

 それからまた沈黙の時間がだらだらと流れた。

 夕食の時間はあっという間にやってきた。

 いつものように突然扉のトレイがガチャンと音を立て、しばらく心臓のドキドキが止まらなかった。

 ちなみに龍次の部屋からも、その一瞬「うわっ」と悲鳴が聞こえた。


   ○


 さて今日の献立も実に美味しそうだった。

 今日は鶏肉のクリームシチューをメインに、アメリカンクラブサンドとフルーツサラダ、デザートにはプリンが添えられていた。


   ○


 わたしはまずシチューを飲もうとスプーンを手に取った。

 と、その時ひらめくものがあった。もちろんこのスプーンだ。

 外見は何の変哲もないのだが、裏側に小さなスイッチがついていた。

 もちろん【穴掘りスプーン】だった。

 冴子がこっそりと入れてくれたのだろう。

 わたしはそのスプーンを胸ポケットに入れ、プリン用のミニスプーンでシチューを飲んだ。

 それからパンとサラダを平らげていった。

 今回のメモはプリンの底の方にカラメルソースで書かれていた。


   ○


『 2.4 R5.6 』


 ずい分とトンネル堀りは進んでいるようだった。外に出るトンネルが完成すれば、脱獄は成功したも同然だ。

 考えてみれば、田中一のこの計画こそが一番古典的だが確実な方法だったのだ。そうと分かっていたなら、もっと早く彼に計画を打ち明ければよかった。

 そうすればもっともっと早く、それこそ何十年も早く脱獄できていたかもしれなかったのだ。


   ○

 

 だがその手の後悔は今更何の役にも立たない。

 考えてみても仕方がないことだ。ああすればよかった、こうすればよかった、それはいつだって人間につきまとう問題だ。


 肝心なのは『その時それが出来なかった事実』であり『そうしなかった決断の甘さ』なのだ。


 後悔すべきはそのことであり、過去を思い悩むことではない。

 人間はできる時に、できる事をするだけなのだ。

 どちらにしてもそれしかできないのだから。


   ○


 そして夜はやってきた。

 時間にすれば午後八時というころだろう。

 わたしは天井の電気を消し、ベッドの下に隠してあった3D再生機を取り出した。

 いよいよ行動に移る時間だ。


   ○


 今日は月が出ているらしく、小さな窓からは透き通るような銀色の光が漏れ出していた。

 わたしは月明かりを頼りに、再生機のスイッチを押した。再生機がわずかにうなり、わたしのベッドの上に、眠っているもうひとりのわたしの姿を映し出した。

 すっかり禿げ上がった頭に、白いものが混じるぼうぼうのひげ、目の周りにも口の周りにもずいぶんと小さな皺が走っている。

 自分の姿を見ながら、わたしも歳をとったものだ、とそう思った。

 こうして立体でリアルな自分の姿を見るというのは、結構不気味な感じがするものだった。


   ○


 それからわたしは床板をはがし、田中一の作ったトンネルの中におりたった。

 奥から冷たい風が吹き込み、思わず身震いがしたが、それも一瞬のことだった。

 わたしは胸のポケットからスプーンを取り出し、念のため土をひとすくい削り取ってみた。

 サクッという感触と共に、土がごっそりとえぐれた。

 やはりこれは【穴掘りスプーン】だった。わたしはスプーンを握りなおすと、となりにある龍次の独房に向けて新しいトンネルを掘り始めた。


   ○


 トンネルは30分ほどで完成した。

 最後に縦穴を掘り、頭上に渡された畳をノックした。

 最初は何の返事もなかったのだが、二度目のノックの後で用心深いささやきが聞き取れた。


   ○


「誰かいるのか?」

「わたしだ、輝男だよ」

「何でそんなところにいる?」

「トンネルを掘ったんだよ、畳をずらしてくれないか?」

「ああ、ちょっと待ってろ」


 床板が開けられると、おだやかな月明かりがトンネルの中に忍び込んできた。

 龍次は畳をかかえた姿でこちらを見下ろしていた。

 少しおかしかったのは、龍次も縞々の囚人服を着ているところだった。しかもそれがよく似合っている。

 もっともそういうわたしも同じ服装だったから、冷静に見ればこの光景はいかにも脱獄劇のように見えるに違いない。


   ○


「なんだよ、ニヤニヤして?」

「いや、囚人服がさ、妙に似合うと思って」

「ああ、これな、大塚のひどい趣味だぜ」

 龍次は右手を差し出すと、片手でわたしの体を穴の中から引っ張り上げてくれた。

「それにしても、トンネルがあるなんて知らなかったぜ、これならもっと早く脱獄できたんじゃないか?」


   ○


「この穴掘りスプーンは昨日出来たばかりなんだよ」

 わたしは胸ポケットから穴掘りスプーンを取り出して龍次に見せた。龍次はしばらくそれを不思議そうに眺めていたが、すぐにわたしに返してよこした。

「昨日始めたばかりか……それはまたずいぶんだな。それで、どれくらい掘り進んでいるんだ?」

「もう半分ほど進んでいるはずだ。でも科学者全員で掘ってるんだ。たぶん明日の夕方までにはトンネルが完成すると思う」

「昨日始めてもう半分か!なるほどな、つまりそれがお前の脱獄計画の切り札だったわけだな?」


   ○


「まぁ厳密には違うんだがね、でも単純だけど確実な方法だと思う」

「確かにそうだな、だが無駄骨に終わるかもしれないぜ」

「えっ、どうして?」

「驚くなよ、オレの脱獄計画は今日の夜中に始まるんだ」

 驚くなと言われても無理だった。

 わたしは絶句していた。


   ○


「なぁ、いったいどういうことなんだ?」

「脱獄だよ、きまってるだろう?」

「そうじゃなくて、その方法だよ、どうやってやるんだ?」

「もちろん……秘密だ!」

 龍次は唇の端を上げてうれしそうに笑った。

 そういえば龍次はこういう笑い方をする男だったと思い出した。

「なぁ、教えてくれよ」

「教えたら秘密にならないだろうが」

「なぁ、頼む!」

「こればっかりは駄目だね。オレはお前の驚く顔が見たいんだよ」

 龍次は再び、にんまりと笑った。


   ○


「もう十分驚いているよ、な、頼むよ」

「それでも駄目だ」

「言っとくけど、この刑務所の警備は恐ろしく厳重なんだぜ」

 わたしはこの刑務所の保安設備を簡単に説明した。敷地を取り囲む地雷原、銃を持った兵士達、分厚く高い壁、さらに敷地に入った所でだだっ広く広がる芝生、まだある。この建物の中に入ったところで、いったいいくつの鍵のついた鉄格子を潜り抜けねばならないか。


 だが龍次はわたしの話を途中でさえぎった。

「わかってる、わかってる。たぶんお前以上に分かっている。オレだって全部調べたんだ」

「それでも脱獄できるのか?」

「ああ、そのために念入りに計画を立てた」

「どんな計画だ?」

 わたしの何気ない言い方に、龍次は一瞬しゃべりそうになったが、すぐにそれに気付いた。


   ○


「おっと、ひっかからないぜ、輝男」

「だめか、やっぱり」

「ああ、とにかく心配するな。計画は順調に進んでいるんだ。オレがこうしてつかまったのだって計画のうちだ」

「そうなのか?」

「もちろん。お前の位置を確実に把握しておきたかったからさ」


   ○


 わたしは龍次の言葉を信じはじめていた。

 計画は何もきかされてはいなかったが、龍次というのはいつでも頼りになる男だった。龍次の緻密さと、豪胆な行動力があれば、絶対不可能といわれるこの刑務所からの脱獄も成功するかもしれない。

 なにより龍次がこれだけ自信たっぷりに脱獄を言い切っているのだ。ここは信じて任せたほうがいいのかもしれない。


   ○


「分かった。なにも聞かないよ。わたしは自分の独房で迎えに来るのを待ってるよ」

「ああ、任せとけって」

「そうだ、大事なことを言ってなかった!」


 わたしは急にそれを思い出した。もちろん仲間達のことである。龍次の計画は、彼らも全員一緒に脱獄するということまでは想定していないはずだ。


「……龍次、ひとつだけ大事な頼みがあるんだよ」

「お前から頼みごとってのは、初めてだな。よし、なんでもきいてやるぞ」

「逃がすのは、ここの囚人全員にして欲しい。みんな大事な仲間なんだ、わたし一人だけが逃げるわけにはいかない」


 龍次はちょっと驚いたが、迷いはしなかった。

「全員か……何人いるんだ?」


   ○


「二百人くらい、そのペットも全部なんだ」

「二百人か……ペットはどれくらいだ?」

「犬とネコを合わせて、50匹くらいかな」

「うーん、さすがに想定外の数字だな……」

 もちろん無理を言って困らせるつもりではなかった。だがどうしても全員を逃がさなくてはならない。全員を逃がしてアトランティスにたどり着かねばならない。そうでなければ、脱獄する意味がないのだ。


「……だがまぁ、大丈夫だろう!」

「ほんとか?!」

「ああ、約束するよ。けっこう大掛かりな脱獄になってるからな、それぐらい何とかなるよ。それにここを出た後は全員アトランティス大陸に連れていけばいいんだ。二百人ぐらいならきっと受け入れてくれるよ。まぁ、とにかく自分の部屋で待ってろ。時間になったら迎えに行くから」

「わかった」


   ○


 龍次が再び床の畳を持ち上げた。掘り上げたトンネルから冷たい空気が昇ってきた。わたしはトンネルの中におりたった。

「そうそう、龍次、お前アトランティス大陸の秘密に気がついたか?」

 龍次はわたしを見下ろしてにんまりと笑った。

「ああ、もちろんさ」

 龍次は少し間をおいた。


「……あれは小さくなった人間の住む小さな島だった。お前の結論も同じだろ?」


「ああ」

 わたしたちはにんまりと笑顔をかわした。やっぱり龍次も同じ結論に達していた。


   ○


 わたしにはそれが無性にうれしかった。

 こんな気分は小学生の時以来だった。

 そういえば龍次にはあの『アトランティスの爪楊枝』にかかれた物語をまだ見せていなかった。

「この脱獄が終わったら、手帳の物語を見せるよ」


「例のダイアモンドに書かれていたんだな?」


「それも知ってたのか?」


「勘だよ、お前が持っているのはそれしかないからな」

 龍次はわたしの頭にゴツンと拳骨を落とした。

「何でたたくんだよ、」

「なんとなくうれしくなったからだ」

 わたしはその懐かしい痛みに、昔を思い出しながら自分の独房へと戻った。




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