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アトランティスのつまようじ  作者: 関川 二尋
第十幕
47/66

【脱獄物語】二人のヒーローの登場と退場①

 さて、物語もようやく第十章である。

 しかしひとつ気になることが、現在発生している。

 これまで書いた物語は『ダイアモンドのつまようじ』に記憶させていたのだが、どうもわたしが書いたテキストの倍くらいの情報が書き込まれているようなのだ。

 きっと何かのデータがまぎれ込んでしまったのだろう。


 そう言えば、龍次のところの子供達が、ずい分と興味深そうにわたしのすることを見ていた。ひょっとしたら彼らが自分の書いた作文だの絵だのをせっせと読み込ませているのかもしれない。

 まぁべつにたいした事ではないが。

 とにかく、続きだ!


   ○


 聖脱獄記念日まではあと二日。

 わたしがこの独房を出られるまで、あと一日に迫っている。


 わたしは今日も早起きだった。

 昨日トンネルを掘ったせいで腕がやたらと重く、全身の筋肉もぶつぶつと愚痴をこぼしていた。

 だがおかげでぐっすりと眠れた。

 こんなに熟睡したのは本当に久しぶりだった。


   ○


 今日はとてもいい天気だ。

 独房の小さな窓からは雲ひとつない青空が見えている。

 昨日の雨が、空に浮かぶ細かいゴミまでまとめて洗い流したようだ。涼しく新鮮な空気とともに、鳥のさえずりもきこえてくる。収容所を囲む広大な森が放つ、なんともいえない木の香りも漂ってくる。

 独房の中ではあるが、じつにさわやかな気分だった。


   ○


 わたしはまずシャワーを浴び、歯を磨いた。

 それからバスタオルで体をふくと、クリーニングされてきた、あの縞々の囚人服に袖を通した。なんとなくナイトキャップもかぶる。すっかり忘れていたが、頭が暖かい、というのはなんともリラックスできるものなのだ。

 それから煙草に火をつけ、時間をかけてゆっくりと一本吸った。


   ○


 これで朝の、というよりも一日の日課が終わってしまった。

 あとはもうする事がない。退屈をまぎらわすものも何もない。


 わたしはサイとコロのことを思い出し、彼らの小さくて温かな体を想像した。


   ○


 それから仲間のことを思った。

 田中ハジメと小夜子はとうとう脱獄に向けて動き出した。


 だが他の仲間はどうだろう?彼らは脱獄に協力してくれるだろうか?

 この刑務所はなにしろ本当に居心地のいいところなのだ。

 それに彼らには家族がいる。脱獄するということは家族との永遠の別れを意味することになる。それが嫌でこの計画を看守に密告する仲間も現れるかもしれない。


 だがそれはそれで理解できることだ。

 たとえそうなったとしてもわたしは彼らを許すだろう。

 わたしは彼らの気持ちを理解できるし、なんといっても大切な仲間だからだ。


   ○


 と、そのときまた朝食が運ばれてきた。

 相変らず何の前触れもなく、突然扉がガチャンと金属音を立てた。

 なにしろ独房は静かなので、この音だけは異様によく響く。

 しばらく動悸がとまらなかった。

 わたしは筋肉痛の体をいたわりながら立ち上がり、朝食のトレーを取ってベッドに座った。


   ○


 今日の朝食はフランスパンとベトナム風生春巻き、ローストビーフとサラダ、オニオンスープ、グレープフルーツにヨーグルトだった。

 わたしはメモを探しながら次々と朝食を平らげていった。

 肝心のメモは今回、春巻きの中に巻かれていた。

 そのせいか、今回はずい分と長いメモだった。


   ○


『とうとう脱獄を決意したようですね。


 チャールズは今、田中君を手伝って穴掘りスプーンをせっせと作っています。

 ところでわたし、冴子はあなたの味方です。

 実は山川鋭子さんに雇われているのです。

 今はこれだけで十分でしょう。詳しい話はいずれまた。


 追伸 この紙は食べられます』


   ○


「え?」

 ポロっとわたしの手からメモが落ち、わたしはあわててそれを拾い上げた。これはまた意外な展開だった。


 冴子シェフが最初から仲間だったとは……たしかに不思議な女性ではあった。刑務所の料理を作るにはあまりに腕がよかった。

 だがあの鋭子が彼女を送り込んでいたとは夢にも思わなかった。

 そんな昔から脱獄の計画を立てていたとは……それともわたしが鈍いだけなのだろうか?


 わたしは紙を折りたたむと口の中にいれ、オレンジジュースと一緒にごくりと飲み込んだ。その紙は意外と美味しい味がした。


   ○

 

 その日の午前中は何もしない、何もできない静かな時間となった。

 繰り返すようだが、この部屋では考えること以外、わたしに出来ることが本当になにもないのだ。

 そこでわたしはベッドに寝そべり、あの巨大な物質小型装置を小さくする方法を考えはじめた。

 一番簡単なのはもう一つ同じものを作り、それぞれを小さくしてしまうことだ。

 だがこれを実現するにはあまりにも時間がかかりすぎてしまう。

 あさってまでにはとうてい間に合わないだろう。


   ○


 寝返りをうちながら他の方法も考えてみるのだが、いいアイデアがなかなか出てこない。

 できることなら、脱獄する時にはあの装置を持ち出したい。

 一日だって、この刑務所に置いておきたくなかった。

 あの装置が持つ可能性はあまりに危険すぎるからだ。

 それこそ大塚のような人間の手に渡ったら、どう使われるか分かったものではない。

 とはいえ、まずはここから脱獄することが第一なのだが。


   ○


 そうこう考えているうちに、十時頃だろうか?床をノックする音がベッドの下から聞こえた。

 わたしはすぐにパイプベッドの下に頭を突っ込み、畳に耳をつけた。

「……博士……起きてますか?」

 田中一のささやき声が床から聞こえてきた。

「キミか!おはよう、田中君……」

 わたしも手でメガホンをつくり、畳に向かってささやいた。


   ○


「……どうだね、調子は?」

そう囁いて今度はじっと耳を澄ませた。

「……計画は順調です、穴掘りスプーンは全員分が完成しました」

「ずいぶん、がんばってるね」

「はい、もう交代で掘りはじめています、入り口は食堂の床です」

「冴子シェフが協力してくれたんだね?」

「そうなんです。あの人から協力を申し出てくれました。今のところ看守の連中にも気付かれていません、このペースなら明日の夕方にはトンネルが完成できそうです」


   ○


「仲間はみんな協力してくれそうかい?」

「はい。全員が協力してくれています」

「そうか……それはよかった。田中君、本当にありがとう」

 わたしは大きな声でお礼を言いたかったのだが、なんとかそれに耐えて囁いた。


「……タイムマシンのためですよ……」

 田中一はポツリと言った。

 こちらもささやくような声だった。


   ○


 最初、わたしは彼の言葉に、何と答えたものか思いつかなかった。

 タイムマシンの話をされるとは予想していなかったからだ。だが田中一の口調には、軽々しく答えてはいけない、なにか決意のようなものが感じられたのである。

「……あの、博士?」

「なんだね?」

「……笑わないんですか?」

「なにをだね?」

「……タイムマシンのことです」

「どうして笑うんだね?」

「……その、ほら……馬鹿みたいな夢だから」

 田中の声はずい分と小さく、ぼそぼそと話している。


   ○


 わたしは自分がアトランティス大陸を信じていたころの気持ちを少し思い出した。

 いくら確信があっても、他人や世間から冷たい目で見られるのにはだいぶ勇気がいるものなのだ。


「そんなことがあるものか。それをいうならわたしのアトランティスだって、ずっと笑われてきたよ、

 でもあれは本当にあるんだ。タイムマシンだって、実現する可能性があるんだ。少なくともわたしはそれを信じているよ」


   ○


「……ちょっと安心しました。僕はずっとそれを夢見てきたんだけど、なんか、子供っぽいって笑われる気がして、僕が本気だってことを誰にも言えなかったんです」


 田中一は自信がなさそうにそう言った。

 だからわたしはこう答えた。


「いいかい、およそ人間が想像できるもので、実現できないものは何もない。


 たとえ時間がかかろうとも、科学者はそれを必ず具現化できる。


 これまでもそうだったし、これからもそうだ。


 だから自信をもって進めばいいのさ」


「……ありがと、オヤジ」

「ん?それはやっぱり、わたしのことかね?」

「ええ、僕はずっと心の中であなたをそう呼んでいたんです。これから、あなたをそう呼んでもいいですか?」

「もちろんさ!なんだか職人っぽいじゃないか」

「そうですね。じゃ、また後で、オヤジ!」


   ○


 余談になるが、それからわたしは誰からもオヤジと呼ばれるようになる。

 それも田中一ばかりではない。全ての囚人がわたしをオヤジと呼ぶようになる。わたしより年上の連中までもがわたしをそう呼ぶようになる。

 どうやら昔からわたしは仲間内でそう呼ばれていたらしかった。

 そしてこのとき、許可を与えたことでわたしのニックネームは『オヤジ』に決定したのだ。

 同時にこの瞬間、わたしは二百人の科学者の『オヤジ』になった。


   ○


 田中一が帰ってしまうと、また独りぼっちになってしまった。

 何もしない、何も出来ない時間だけが、またゆっくりと流れた。


 やがて昼食が運ばれ、わたしはそれも早々に食べてしまった。

 今度のメモには田中一からの作業の進展状況が簡潔に添えられていた。


『 1.2 R6.8 』


 この刑務所から壁の外までは約8キロある。

 トンネルは1.2キロまで掘り進み、残り(Remain)は6.8キロという意味だろう。

 確かに作業は急ピッチで進んでいる。


   ○


 それから冴子からのメモもあった。


『伝言です。明日、花嫁到着、とのこと』


 わたしはすぐにピンときた。

 花嫁……鋭子のことだろう……鋭子がやってくるのだ!

 それはすぐに分かった。だがわざわざ冴子シェフにこと付けてきたからには、面会に来るというわけではなさそうだった。

 なにしろこれまでは毎週日曜日に限ってやってきたのだ。

 そのルールを破って来るのだから、大塚も相当警戒するに違いない。


   ○


 問題は鋭子が『彼女の脱獄計画』を実行するためにやってくるという事だ。

 厳重な警戒の中で、鋭子はどんな脱獄計画を実行するつもりだろう?


 わたしはその時、のん気にもそんな風に考えていた。

 だが例によって、わたしの思考はまるで当たっていなかった。

 かすりもしなかった。


 まさか彼女が忍び込んでくるとは夢にも思わなかったのだ……


   ○

 

 独房の中ではただ時間だけが黙々と過ぎていく。


 そしてこの部屋の小さな窓からひんやりとした冷気と、オレンジ色の夕暮れが忍び込むころ、突然扉の外でがやがやと騒ぎが持ち上がった。

 複数の人間が外で激しくもみあいながらこちらの部屋に近付いてくる音だった。


 こんなことはこの独房に入ってから初めてのことだった。

 まさか田中一が捕まったのだろうか?

 わたしは真っ先にそれを考えた。


   ○


 わたしはすぐに扉に移動し、食事用の引き出しを少し押し込んで外の音が聞こえるようにした。

 声の主はすぐに分かった。

 一人は大塚、それに松平とその他に看守が二人ほどいるようだ。

 そしてもう一人の声は……龍次の声だった!

 捕まったのは龍次だったのだ……ついに正体がばれてしまったのだ。


「久しぶりじゃないか、龍次。まさかもう侵入していたとはね」

 大塚の声は冷酷だったが、言葉の隙間から忍び笑いが聞こえてきそうだった。

「嫌味な言い方は変わらないな、お前も」

 答える龍次の声は平静そのものだ。


   ○


「まさかわざわざつかまりに来るとは思わなかったよ」

「こら、動くな!」

 松平の声が聞こえた。ずい分と張り切った声を出している。

「おいおい、ちょっと待てよ、オレはここに働きに来ただけで、なにも悪い事はしちゃいないぜ」

 龍次の声はよく響いた。それにずいぶんとドスがきいていた。


「そんなことはないさ、身分を偽ってただろ、提出書類だって全部嘘が書いてあった。公文書偽造の罪がある」

「ほら、動くんじゃねぇよ!」

 またもや、松平の声。同時に肉を叩く鈍い音がした。

 警棒で殴りつけたのだろう。

 だが龍次の声はちっとも変わらなかった。

「なるほどな、でもいきなり独房に入れられるような罪じゃないぜ」


   ○


「確かにそうかもしれんがね、だがこの刑務所では長官に大幅な裁量が認められてるんだよ。後で条文を見せてやってもいいが、間違いないよ。なんたってわたしがソレを作ったんだから」

「ほら、おとなしくしてろ!」

 また叩く音がした。

 と、次の瞬間龍次の怒鳴り声が響いた。


「気安く叩くなッ!」


 思わず耳を塞ぎたくなるほどの、虎の咆哮にも似た圧倒的な怒鳴り声だった。その声が廊下中に反響して消えると、あとは沈黙がおりたった。


   ○


「すみません……」

 松平がぼそりとつぶやく声がわずかに聞こえた。

「まったくいやな野郎だぜ」

「気にするな、松平君。職業がらそう見られがちなだけだよ、理解されないものさ、こういう仕事はね」

 そういう大塚の声も少し震えていた。

 聞いているわたしも、龍次の怒鳴り声に少し震えがきた。


   ○


 やがて靴音はわたしの部屋の前を通り過ぎ、隣の部屋でとまった。

 ちょうつがいを軋ませながら、扉が開けられて、龍次がその中に入っていく音がした。

「とりあえず、三日間は独房にいてもらう」

「ここは禁煙じゃないだろうな?」

「煙草ぐらい勝手に吸え。私も愛煙家だからな、喫煙の規則は緩めてあるんだよ」

「ああ、そうかよ。それより本当に三日で出られるんだろうな?」

「ああ、とりあえずはな。だがその後は本物の刑務所にいってもらうことになるだろうよ」


「そうはならないよ、オレは弁護士の資格も持ってるからな」

「もちろん知ってるさ。でも私を甘くみないほうがいい」

「お前は昔っからそういう根拠のない脅し文句が好きだったな、まったく変わんないぜ」

「ま、後は独房の中で好きなだけ吠えてくれ」

 扉がガチャンと閉められた。

 足音はわたしの部屋の前を通りすぎ、小さくなって消えてしまった。


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