【脱獄物語】アトランティス大陸の秘密①
ということで第九章だ。
ちなみにダイアモンド記憶装置の実験は大成功だった。
わたしの書いてきた手書きのメモ用紙は自動的にタイプされ、ダイアモンドに傷となって記憶された。ためしに二、三枚印刷してみたのだが、わたしの書いた汚い文字はすべてきれいにタイプされて出てきた。
なんだかいい気分だ。ということで続きだ。
この時点でも、わたしはまだ独房の中だった。
○
七月二十九日。
聖脱獄記念日まではあと三日。
わたしが独房を出るまであと二日に迫っている。
○
それなのにわたしはまだ独房の中にいた。
今朝は激しい雨が降っている。時おり強い風がビュッとふきつけ、大粒の雨がバラバラと窓をたたいていく。
遠くの空では雷が低くとどろき、灰色の空が明滅を繰り返していた。
孤独をあおるような、実に気の滅入る天気だった。
○
わたしは右腕を枕に寝そべり、灰色の壁を見つめながら、昨日の龍次の言葉の意味を考えていた。
『大丈夫、俺が脱獄させてやる』
龍次は確かにそういった。
龍次はわたしが脱獄するのを待ちきれず、とうとう自ら乗り込んできたのだ。
無謀にも、といいたいところだが、龍次もこの牢獄の厳重な警備のことは十分に聞いているはずだ。きっと何か作戦を考えているに違いない。
しかしどんな作戦だろう?龍次には塀の外に、ものすごい数の仲間がいるようだ。だが力ずくでどうにかなるような施設でないことも分かっているはずだ。
○
ではどうやって?
龍次の考えそうな作戦というのを、わたしなりに想像してみるのだが、彼の考えていることというのはさっぱりわからなかった。
そういえば龍次という男は小さなころから超然としたところがあり、なにを考えているのかさっぱり分からない男だった。
それは今も全然変わらない。
○
もう一つの心配事は鋭子だ。
彼女もまた脱獄のアイデアを持っているらしく、しかもその計画はもう動き出しているようだった。
じっさいに彼女の天才的な演技力ですでに松平が仲間になっている。しかしその先の彼女の脱獄計画も、わたしには想像がつかないものだった。
彼女も龍次と同じで普段からなにを考えているのか、分からないところがあった。
○
これを言うと鋭子に怒られるかもしれないが、わたしの長年の付き合いから想像してみるに、本当は何も考えていないのかもしれない。
彼女は本能と直感のおもむくままに行動するタイプで、考えるより先にとにかく実践するタイプだった。
しかも彼女の場合その行動力がずば抜けていた。
こっちが考えたり心配していることを、彼女は大胆な行動力であっさりと解決してしまう。彼女は昔からそういうタイプだったし、今回もまた同じパターンのような気がする。
もし考えがあったとしても、すごく単純な計画をたてているような気がするのだ。
だが分かるのはそれぐらいだ。
これでは何も知らないのと変わらない。
○
そしてもちろんこのわたしも脱獄計画を実行中だ。
これだけでもう三つの脱獄計画が進行していることになる。
この三つがてんでバラバラに実行されるのかもしれない。
そうなると、わたしの綿密な脱獄計画はあっさりと崩壊してしまうだろう。
だが脱獄に成功すればいいだけだから、わたしの脱獄作戦にこだわる必要はない。鋭子の作戦でも龍次の作戦でも、とにかく脱獄に成功すればいいのだ。
とは分かっているのだが、やはり心配になってしまう。
○
結局今の状況をまとめるならば、事態はわたしの予想しない方向へと動き出しているということだ。
しかし元はといえば、わたしがこの刑務所の居心地のよさに脱獄を引き伸ばしていたのが悪いのだ。
そこらあたりは自業自得というものなのだろう。
それにしても……あの二人だからな……
○
わたしの思考を中断するように、突然、鉄格子の扉がガチャンと音を立てた。
誰かがやってくる足音も聞こえなかったし、去っていく足音も聞こえなかった。
どうも独房というのは心臓に悪い。
それはともかく朝食の時間だった。
わたしはベッドから起き上がると扉へと歩き、その下部に取り付けられた箱の中から朝食の乗ったトレイを取り上げた。
今日の朝食はクロワッサンが二個とコーンスープ、さらにオムレツ、ハム、ポテトサラダ、ヨーグルトにオレンジと盛りだくさんだった。
○
(またメッセージが入っているかもしれないからな……)
そう思って、わたしはすぐに朝食のトレイをベッドに運び、パンをちぎって食べ始めた。
メッセージはすぐに現れた。
パンのなかに小さな紙切れが丸めて入れてあった。わたしはパンをかじりながらそれを開いて見た。
『わたしもとっておきの脱獄計画を考えました!小夜子』
○
そのメッセージにわたしは思わず頭を抱えた……またもや脱獄計画だった。
これで四つ目。
どうやらこの監獄では今ちょっとした脱獄ブームが起きているらしい。しかも小夜子が脱獄計画を立てたというのだ。
脳裏に彼女が脱獄の時に着ていくという黒ずくめの姿が思い出された。あのスケイプというレトリバーの吠える声も聞こえた。
きっと待ちきれなかったのだろう。
○
しかし、彼女はどんな脱獄計画をたてたというのだろう?
彼女は天才医学者だ、その才能でどんな脱獄計画を立てるというのだろう?
残りのパンをかじりながらしばらく考えてみたが、これもわたしにはさっぱり予想がつかなかった。
事態はもうわたしの手をふわふわと離れ、混乱へと突き進んでいるようだった。
○
とにかくわたしはさらに食事を続けた。
次のメッセージを探すためだ。
とくに物質小型化装置の進み具合が気になる。あれが完成しないことにはわたしの脱獄計画は成功しないのだ。
パンを急いで食べ、スープを飲み、オムレツ、サラダと食べ進めていった。だがそのどれにもメッセージは入っていなかった。
オレンジの皮も一枚一枚めくって探したが、そのほかに紙切れは一つも出てこなかった。
そしていつの間にか朝食は全て食べ終わってしまった。
(ということは物質小型化装置はまだ完成していないか)
それだけはよく分かった。
○
わたしは朝食のトレイを扉に戻した。
メモの紙片は細かくちぎってトイレに流した。
こんな事をしていると本当に脱獄を実行しているという気分になってくる。実際しているのだが、いまだに自分が脱獄を実行中だということに、現実味が感じられなかった。
いや、正確には違うのかもしれない。
わたしはここに来た時から、牢獄に閉じ込められているという自覚がなかったのだ。
○
わたしは差し入れの煙草をつづけて二本吸い、それからまたベッドに寝そべった。
心は焦っているのだが、ほかに出来ることは何もない。
腕時計に目をやる。
まだ朝の六時半だった。
みんなはまだ眠っている時間だろう。
その時だった。
ベッドの下からノックの音が響いたのは……
○
コンコン
その控えめな音にわたしの心臓は跳ね上がった。
きっと聞き間違えたのだ。最初はそう思った。
今日は風が強いから何かが窓にぶつかったのか、それとも……
コンコンコン
と、すぐに次のノックが続いた。
わたしは上掛けを跳ね上げると、床にひざまずき畳に耳をつけた。
コンコンコンコン
やっぱりだ、誰かがいる……床下に
○
「そこにいるのは誰かね?」
「センセイ! 僕です、田中ハジメです」
「どうやってここに……」
「それより畳をはがしてください」
○
(何が起きているんだろう?)
そう思いながらとにかくわたしはベッドをずらし、畳をはがした。
畳の下には見事な丸い穴があけられていた。
その穴の中に、顔中に土ぼこりをつけた田中一の姿があった。
相変らずの学生服姿で、まるで落とし穴にはまった子供のように見えた。
それから田中一はにんまりと笑った。
○
「どうです?びっくりしたでしょ、センセイ」
「いったいどうやってここまで……?」
「これです、僕の新発明なんです」
田中は自信たっぷりに右手を持ち上げて見せた。
その右手の中に握られていたのは、銀色に光るスプーンだった。外見的には特に変わったところはない。持ち手の部分に小さなスイッチがついているだけで、あとは本当にただのスプーンだ。
だがわたしにはそれが何であるのか直感的にひらめくものがあった。それはあの手帳の中の物語に出てくる道具にそっくりだったからだ。
「それは……【 穴掘りスプーン 】だね……」
「あ、そうなんです、ネーミングはまだなんですけどね」
「そうか、アレは君が完成させたのか……」
○
田中はきつねにつままれたような表情でわたしを見上げていた。
わたしはうやうやしく彼の手からそのスプーンを取り上げてじっくりと眺めた。
その小さなスプーンは銀色にキラキラと輝いていた。
「すばらしい……じつにすばらしいスプーンだ……」
わたしは何度も角度を変えて、このスプーンをうっとりと眺めた。
はたから見ればそれはずいぶんと滑稽な光景だっただろう。
○
しかしこのスプーンこそはまさに、わたしの手帳の中の物語に登場する、いわば『伝説のアイテム』だった。
このスプーンははるかな未来に、スケイプがアトランティスの壁の向こうへ出る時に使用した道具だった。
わたしはこの瞬間までそれがずっと未来に生まれる道具だと思っていた。
だが真相は違った。
それは今、わたしの手の中にある。
やはり未来はちゃんとつながっている。
それがわたしにはとてもうれしかった。
○
「あの、センセイ?」
田中一はそっとわたしに声をかけてきた。
わたしがいつまでもスプーンを眺めていたせいだろう。
わたしも田中一の声でようやく我に返った。
「ああ、すまない。それにしてもすばらしいね、このスプーンは」
「ありがとうございます。センセイの物質小型化装置を作っているときに思いついたんです。このスプーンは特殊な周波数で、スプーンの上にのった土の粒子だけを瞬時に壊していくんです。だから子供でも簡単に大きな穴がほれるんです」
「ああ、知っているよ。よく知っている、大事にしたまえ」
「ええ……はい」
田中一はわたしからスプーンを受け取ると、学生服のポケットにしまった。
○
「ところで、どうしたんだね、こんな朝早くに?」
「ああ、そうでした。スプーンを見せにきたんじゃないんです。喜んでください、センセイ。ついに完成したんです!」
「アレが完成したのか!」
わたしはその言葉だけで、すぐに分かった。
物質小型化装置のことだ。
アレが完成したのだ。
わたしの胸の中で喜びが爆発した。
その興奮は言葉にできず、体でどう表現していいものかも分からない。ただ両方の目からつつっと涙がこぼれ落ち、無性に笑い出したくなった。
○
「はい。それを一刻も早く知らせたくて」
「もう……なんと言ったらいいのか、言葉が見つからないよ。」
わたしはあふれる感動に拳をぐっと握りしめた。
最高の気分だった。
これで何もかもが上手くいく。
わたしは生まれて初めて踊りだしたい気分になった。
実際にそうしなかったのはわたしが一つも踊り方を知らなかったせいだ。もしわたしが一つでも知っていたならば、ワルツだろうがタンゴだろうが、コサックダンスだろうが、ロボットダンスだろうが何でも踊っていただろう!
○
ちなみに鋭子はあらゆるダンスをこなすことができた。
わたしのライブラリーにある彼女の映画を見れば一目瞭然だ。
彼女はあらゆるダンスのエキスパートだった。
さらに付け加えると、龍次も実に優雅なダンスを踊ることができる。
本人は恥ずかしがって隠しているが、彼は小学生の頃から社交ダンスを習っている。実際わたしはアトランティス大陸で彼とサクラが踊るのを見てとても美しいと感動した。
ちなみにこれも後に知る事になるのだが、田中一は小さい頃にクラシックバレーを習っていたそうだ。
さらに冴子シェフはジャズダンスが踊れたし、小夜子はアロハダンスの教室に通っていた。
けっこう踊り方を知っている人間というのは多いらしい。
これはわたしにとってちょっと意外なことだった。
○
それはともかくとして……
こんな時にダンスが踊れたら最高なのに!
だがそんなのはアトランティスへ逃げてからいくらでもできる!
後はメンバーを揃えて逃げ出すだけだ!
お別れだ、大塚!
刑務所よ、さらばだ!
そして人類よ、さらば!
○
とその時のわたしはここまで盛り上がった。
だが、すぐに分かることだが、コトはそんな単純にはいかなかったのだ。
このあとに本格的なドタバタの脱獄劇が始まるとは、このときのわたしにはまるで考えつかなかった。
もっともこの後の顛末は、たぶん誰一人予想できないだろう。




