【過去物語】愛されなかった子供
自伝というものは常にゆがんでいくものである。
事実に対してゆがんでいく。
それは自分の視点からしか物事を見ることができないせいだ。
だから自分が知らないこと、見逃していた事実といったことは、すべて抜け落ちてしまう。
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もうひとつ。
これも自伝の決定的な欠点だが、書いた本人が自分のことを全く分かっていないということがある。
自分自身を正確に理解するというのは、なかなか出来るものではないのだ。
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つまるところ自伝というものは、自分の目の届く範囲での事実経過と、それに対する心の反応を並べたものにすぎない。
そこには物語を完成させるために必要な、神だけが知るような事実と、いくらかの真実のようなものが足りない。
わたしが織田輝男の自伝【脱獄物語】の隙間に差し込むのは、そういった事柄である。
これを加えることで彼の自伝は、語り継ぐべき物語へと変わることになるだろう。
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少なくともわたしはそう願っている。
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『わたし』というのが誰かはいずれ分かることだが、今はひとまずわたしの存在を忘れて欲しい。
少なくともわたしは彼のことを、彼以上によく知る者だ。
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とにかく今は先を続けよう。
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まずは彼『織田輝男』の子供の頃の話だ。
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自伝でも書かれているように、織田輝男は生まれつきおとなしい子供だった。
それは主に両親の影響からである。
輝男の父親は織田【幸せな男】幸男。
母親は【幸せな子】幸子という。
両親とも本を読むのが好きで、人付き合いが苦手で、どちらもとてもおとなしい性格だった。
輝男の過去を明らかにする前に、彼の両親の歴史についても少し触れておこう。
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父親の『幸男』は六人兄弟の末っ子として、北海道でうまれた。兄弟の構成は兄が三人と、姉が二人。
幸男の父親は市役所の公務員をしており、一家は経済的に裕福ではなかったものの、兄弟・姉妹の多い、明るくにぎやかな家庭だった。
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幸男もまた生まれつき体の弱い子供だった。
季節の変わり目にはよく風邪を引いたし、少しの運動ですぐに体力がなくなってしまった。
だが兄弟たちは彼にとても優しかった。寝ている彼のところに交代でやってきては、よく絵本を読んでやった。
幸男の読書好きはこの頃から始まっている。
それ以来、兄弟たちがテレビのチャンネル争いをしているときでも、一人背中を向けて黙々と本を読んで過ごすことが多くなった。
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幸男は学校ではまったくと言っていいほど目立たない生徒だったが、成績だけはよかった。
いつも本を脇に抱えており、クラスメートにはいつも『博士』というあだ名をつけられた。頭がよかったせいもあるが、その落ち着きぶりが大人びていたからだろう。
彼は地元の中学・高校を優秀な成績で卒業すると、東京の私立大学に現役で合格した。兄弟の中で大学に進学したのは彼だけだった。
彼は単身上京し、東京で一人暮らしを始めた。
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幸男は大学では経済学を専攻した。ここでも成績はよかったが、引っ込み思案の性格からか友達はまったくできなかった。
その結果、彼はますます読書にのめりこむようになった。
文学はもちろん、科学・宗教・政治・歴史と、興味を引くものはジャンルを問わずに片端から読んだ。幸男は漠然とだが、この世界にあるいろいろなことを知りたいと望んでいたようだ。
それから彼は大学を卒業し、そのまま神奈川県内にある大手のコンピューター会社に経理として就職した。
そして入社して三年後、将来の妻となる幸子と出会うことになる。
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母親の『幸子』は幸男以上の読書家だった。
彼女は三才の時に両親を自動車事故で亡くし、母親の妹の家に引き取られた。
幸子は一人っ子で、そのうえ叔母夫婦に子供はいなかった。養子先の条件としては悪くはなさそうだが、実はこの叔母は子供嫌いだった。
さすがに彼女の前でそんな態度は見せなかったが、幸子は叔母たちに愛されていないことにすぐに気がついた。
彼女は自然と叔母の家族と距離をおくようになった。
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そんな生活の中で彼女が見いだした楽しみが読書だった。
本を読んでいる間は一人になれるし、現実から離れることができた。学校ではほとんどの時間を図書館で過ごしたし、家に帰ってからも自分の部屋に閉じこもって本を読み続けた。
そういう生活は彼女をますます孤独にしていったが、読書は彼女の学力を押し上げた。彼女は高校をトップの成績で卒業すると、大学進学には目もくれず、就職の道を選んだ。早く叔母の家を出たかったからである。
就職は学校の推薦で、神奈川県内のコンピューター会社に決まった。
配属は経理課。その課の上司の一人に幸男がいた。
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こうして輝男の両親『幸男』と『幸子』は出会った。
同じ経理課の所属で幸男の方が三年早い入社だった。歳は七つ離れていたが、二人はお互いに共通の趣味を持っていることを知った。
二人とも人と話すのは得意ではなかったが、本の話題ならば一日中でもしゃべっていられた。
それから一年の交際を経て二人は結婚した。
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輝男が生まれたのは結婚から二年目のことだった。
だが輝男の家族が幸福だったのはこの時までだった。
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幸子は赤ん坊の輝男の姿を見ても愛情がわいてこないのを不思議に思っていた。彼の笑い顔も泣き声も、小さな手も足も、どれ一つ好きになれないのだ。輝男に乳をふくませながら、いいようのない嫌悪感がこみ上げて仕方がなかった。
唯一の救いは輝男が手のかからない赤ん坊だったことだった。
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これは推測だが、輝男は赤ん坊の頃から無意識に、母親の憎しみをかわないようにしていたのかもしれない。
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幸子は自分のそんな気持ちを幸男に話すことが出来なかった。
幸男は家族が増えたことをとても喜んでいたからだ。
そして楽しそうな父親と息子の姿に自分が孤立していると感じるようになった。
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一方の幸男は幸子の気持ちをほとんど正確に理解していた。
幸男自身は六人兄弟という大家族の中で暮らしてきたので、家族のわずかな変化にもすぐに気づいていたのだ。
幸子が家族という環境を知らないために、自分がどうしたらいいのか分からなくなっているのだと感じていた。
だから幸男は幸子のために家族のあり方を示そうとした。
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幸子もまた自分の気持ちと闘いながら、彼女なりに家族を愛するすべを学ぼうとした。彼女は楽天家ではなかったが、消極的な考えをするタイプではなかった。
彼女は幸男に慰められ、助けられながら、新しい家族のために努力を続けた。
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そんな矢先、幸男は突然の交通事故に巻き込まれてしまう。
月末の残業で、時刻は夜の十一時をまわっていた。
事故は自宅からわずか百メートルあまりの場所で起こった。
右折をしようとしていた乗用車が、信号の変わり目でスピードを上げ、曲がりきれずに歩道に乗り上げたのだ。
普段はほとんど人通りのない交差点だったが、その時に限って幸男が歩いていた。
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幸男ははねとばされ、後頭部を強く打って死亡した。
まだ三十二歳の若さだった。
それは輝男がようやく幼稚園に入ったばかりの出来事だった。
運転をしていたのは大学生で、そのときは三人の仲間を乗せていた。全員がふらふらになるほど酒を飲んでいた。
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幸子は突然、輝男と二人きりになった。
幸子はまだ自分の息子とどう接していいのか分からなかった。
幸いなことに幸男は高額の保険に入っていたので、生活が困ることはなかった。
だが幸子は輝男を保育園に預け、働きに出るようになった。
それは少しでも輝男と離れていたかったからだ。
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やがて輝男が字を読めるようになると、幸子は輝男に次々と本を買い与えるようになった。
それは彼女が子供の時そうしていたからで、輝男にとってもそれだけが救いになるだろうと考えていたからだった。
輝男の気持ちは全く考えられない母親だった。
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輝男は大きくなるにつれて、母親に愛されていないと時々感じるようになった。
だが彼は母親のことが大好きだった。この年代で母親を愛さない子供がいるはずがない。だが自分が母親に向ける愛情が、逆に母親の重荷になっていることを感じ取ってもいた。
まだ幼稚園児であったので、そのことをはっきりと分かっていたわけではないだろうが、漠然と理解はしていたようだ。
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輝男はなるべく一人で本を読むようにした。
それが悲しいことだとは思わなかった。
そうすることが何より母親を喜ばせるだろうから、母親のためになるから、そうしていただけだった。
だがそれでもまだ小さい子供である。時には幼稚園であった楽しいことや悔しいことを、母親に話して聞かせたいときもあった。
歌を習えば歌ってみせたし、踊りを覚えれば母親に披露した。
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じょうずね、もっとがんばって。
母親は歌の途中で、踊りの途中でそういった。
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自分の名前がひらがなで書けるようになったときは、母親の前で大きく画用紙に書いて見せた。
折り紙で作った工作は先生にほめられたから、急いで帰ってきて母親に見せた。
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すごいわねぇ、がんばって。
母親はその工作を見もせずにそういった。
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幼稚園で絵をほめられたときは今度こそほめてもらえるだろうと、ほおづえをつきながら母の反応を待った。
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がんばったわねぇ。大事にしまっておきましょうね。
母親はすぐに絵を丸めて、押入れの中にしまってしまった。
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輝男はじぶんの悲しい気持ちにとまどいながら、部屋に戻って絵本を開いた。そして悲しい話を見つけて、主人公と一緒になって泣いた。
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これが輝男が六歳になるまでの人生だった。
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だが輝男は明るくあり続けた。
それはこのような境遇だけ見れば奇跡に近いことだろう。
だが輝男には一つの秘密があった。
それが彼を救っていたのだ。