【脱獄物語】鋭子ふたたび②
「オレが協力します。だから、鋭子さん。もう泣かないでください……」
「松平君、あなた優しいのね。でもいいの?あなた裏切ることになるのよ?」
「いいんです。すべてはあなたのためです」
松平は少し横顔を見せて、ふっと微笑んだ。
鋭子は涙をふきながら無理に微笑んだ。
それはとても演技には見えなかった。
だがこうして松平と話している光景は、映画のワンシーンのようにも思えた。
○
「センセイ、あんたどういうつもりなんだ?こんな美しい人を泣かせるなんて!」
(お前達が閉じ込めてるのが悪いんだろ?)
八つ当たりもいいところだ。当然そう思ったが、口にはださなかった。
「やめて、松平君。彼が悪いんじゃないの」
「でも、やっぱりオレは許せないな」
「悪いのは長官よ。大塚長官。あいつはね、わたし達を恨んでいるのよ。小学生の時からずっとね」
○
「えっ?」
驚いたのはわたしの方だった。
そしてわたしが驚いたことに、彼女もまた驚いていた。
「テルオ、あなた、まさか気付いてなかったの?
あいつ小学生の時にわたし達をいじめていた大塚守男よ。
ほら、親衛隊の女の子達がわたしを鶏小屋に閉じ込めて、あなたもデッキブラシで殴られたでしょう?」
○
そう言われて、記憶がいっぺんに蘇った。
『大塚守男』それは小学生の時の同級生の名前だった。
いつも何かとわたしにケチをつけ、いつも鋭子にいいところを見せようとしていた嫌な奴だった。
しかしこんなところで大塚の名前が出てくるとは思わなかった。
わたしはきれいにその存在を忘れていたのだ。
しかし昔の記憶はあとからあとから溢れるように蘇ってきた。
歳をとったせいか、昔の記憶だけはやけに鮮明に思い出せた。
○
小学生の時の大塚守男は優等生でスポーツ万能、おしゃれでハンサムでクラスの人気者だった。
しかし同時に父親が政治家であることをいつも自慢している、ずい分と偉そうで嫌味なタイプの子供だった。
そしていつも女の子の取り巻きを連れて得意になっていた。
彼はそのころから何かとわたしにからんできた。
わたしははぐれ者だったし、いわゆる劣等生だったが、大塚の自慢など、はなから相手にしていなかったからだ。
さらに当時からわたしと鋭子は仲がよかった。鋭子もまたはぐれてはいたが、なんといっても有名人で、彼女が心を許していたのはわたしだけだった。
それが彼の気にさわったのだろう。そういう小さなごたごたが積み重なって、ある日、ついに盛大な喧嘩になってしまったのだ。
○
それはわたしが飼育小屋の近くで野良猫にエサをやっていたときだった。それは校則違反だったらしいが、わたしはそんなことを気にせず、日課にしていた。
しかしある日、その現場を大塚に見つかってしまったのである。
たまたまその時は鋭子が一緒にいて、彼女もわたしに加勢してくれた。ふたりで大塚に自分たちが間違っていないことを説明した。が、しかしそこで大塚が切れてしまった。
○
そう、昔から彼は切れやすかった。
まるで人が変わったように、目つきが変わり、まるで別人格が出てきたように、猛然と怒り始めたのだ。
すると今度は大塚の取り巻きの女の子達まで興奮してしまった。
鋭子をニワトリ小屋に閉じ込め、殴る蹴るの暴行をはじめたのである。わたしはそれを助けようとして大塚にこっぴどく痛めつけられた。
だがその最後に龍次が助けに入ってくれた。龍次は大塚の手をつかんだだけだったが、結果的には大塚は骨折してしまった。
それで喧嘩というか、大騒動は終わった。
ちなみにわたしはその責任を取らされ、小学生だというのに前代未聞の停学処分になってしまった。
○
そんなことがあったのだ。
すっかり忘れていたが、わたしはすべて思い出した。
そして大塚の手の痣に見覚えがあったわけも思い出した。
あれは龍次がつかんだときの怪我の跡だったのだ。
しかし思い当たるのはそれだけ。
たかが小学生の些細な喧嘩があった、というそれだけのことだった。
○
「あの日から、大塚はずっとあなたを恨んできたのよ。
そもそもこの刑務所のプロジェクト自体が彼の発案だったの。
最初は政治家も関心がなかったんだけど、ほら、警視庁にハッカーが侵入する事件がおきたでしょ、あの事件でプロジェクトの実現が決まったのよ。
大塚は刑務所の設立から、収容する科学者の人選まで全てを任された。
そしてそのリストの筆頭にあなたの名前をリストアップしたのよ」
「……ちっとも知らなかった」
○
「もうわかったでしょ?全てはあなたを閉じ込めるためだったのよ。小学生の時の恨みを晴らすためにね。
そしてあなたを捕まえると彼は長官の地位に座り、ずっとあなたを見張っていた、すべて彼の計画通りだったのよ」
「よっぽどわたしを恨んでいたんだな。どうしてもわたしを檻に閉じ込めておきたいというわけだ」
鋭子はうなずいた。
全ては、大塚の、わたしへの個人的な怒りからスタートしていたのだ。
他の科学者はそれに巻き込まれた被害者だったのだ。まぁコトがそんなに単純でないのは承知の上だが、きっかけになったのは間違いないだろう。
○
「だから、あなたがこんなところに閉じ込められる理由なんてひとつもないのよ」
静かに松平が近づいてきた。それから彼はわたしの隣に立ち、アクリル板に手をついて、座っている鋭子を見下ろした。
「ひどい話です。そんなことがあったなんてオレ、ぜんぜん知らなかったんです」
「松平さん……仕方ないわ。大塚って言う男はね、陰険で狡猾な男なのよ。
でも塀の外にいるわたしには、もうどうすることもできない。
あいつのやったことを黙って見ていることしか、こうして面会に来ることぐらいしかわたしにはできないのよ……」
アクリル板に触れていた松平の拳がぎゅっと握られた。
同時にポタポタと机にしずくが落ちてきた。
見上げると松平は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
○
松平は救いようのない男だ……今の今までわたしは彼をそう見ていた。
だがそれはわたしの大きな誤解だった。
彼は人のために涙を流せる人間だったのだ。
それもこんなにぐしゃぐしゃに顔をゆがめて泣いている。
彼が悪い人間であるはずがない。
わたしもまた、もらい泣きしそうになってしまった。
○
「鋭子さん、オレ、何でも協力します」
その言葉に鋭子はハッと口元を押さえた。
その指の上に大粒の涙がぽろぽろと落ちてきた。
感極まって流すうれし泣き。完璧なタイミングと涙の量。
もう言うまでもないだろう、この泣きかたをさせたら彼女の右に出るものはいない。これも彼女のもっとも得意とする演技のひとつだった。
○
「鋭子さん!もう泣かないでください!オレがついてます!」
「松平さん……ありがとう、ほんとうにありがとう!
あなただけが頼りだわ」
松平は胸に込み上げてきた熱い感情に拳を固め、天井を仰いだ。
その目には恍惚とした喜びが満ちあふれていた。
彼はこの会話とシチュエーションに酔っていた。
わたしはさっき、この男に抱いた感情を撤回したくなった。
と、この雰囲気にきれいに水を差す電子音がピピッ、ピピッと松平の腕時計から鳴り響いた。
面会時間の終了を知らせる音だった。
○
「ところで、オレ、どうすればいいんでしょう?」
松平が言った。
ドラマは盛り上がったのだが、計画がなにひとつ進展していなかったことに気付いたのだ。
それは鋭子にしても同じだった。
何しろ彼女も脱獄計画の事はなにひとつ知らない。
「そうね……後は彼の指示に従って」
松平はわたしの顔を見た。すごく不服そうな表情だった。
○
「……分かりました。で、どうすんだよ、織田センセイ?」
「そうだな、まずは部屋に少し寄らせてくれ。ネコの様子を見ていきたいんだ。それと少し食べ物の準備もしてあげたい」
「あんまり調子に乗るなよな」
「じゃ、松平さん、あとはよろしくね」
鋭子が言った。
「任せてくださいっ!鋭子さん」
松平は軽々とわたしを持ち上げて立たせた。
○
「そうそう、鋭子、君にひとつ頼みがあるんだ」
今がチャンスだった。
それは単純な願い事だが、たぶんこれが切り札になる。
「なに?」
「もしも、今回のことで松平君が職を失うようなことになったら、君が面倒を見てやってくれないか?」
「もちろんよ、安心して」
「織田センセイ……おまえ、いい奴だったんだな」
「おいおい、松平君、今ごろ知ったのかい?
それより、これは冗談じゃないんだ。キミが危険なことに変わりはないんだ。
もしそんなことになったら、トランク一つだってかまわないから、遠慮せずに鋭子のところに行くんだ。彼女になら安心して君を任せられる。
だから、あとで彼女の会社の住所を聞いておくといい」
松平はわたしの言葉に感動し、ウンウンとうなずいた。
「わかった。その時はそうさせてもらうよ」




