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アトランティスのつまようじ  作者: 関川 二尋
第八幕
35/66

【脱獄物語】鋭子ふたたび①

 第八章である。いよいよこの辺りから脱獄計画がそろそろと幕を開ける。

 しかしその幕を開けるのはわたしの役目ではなかった。

 わたしは聖脱獄記念日を目前に控えながらもいまだ独房にいたからである。

 まぁ詳しいことはいずれ明らかになる。焦らずに行こう。

 鋭子との面会日がやってきた。

 その直前から話は始まる。


   ○


「そこにいるのは、松平君かね?」

「ああ、そうだ、織田センセイ」

 たかだか二日だというのに、こうして人の声が聞けるというのは、なんとも嬉しいものだった。

 鋼鉄の扉がゆっくりと開かれ、その向こうに日焼けした松平の姿が見えた。

 相変らず生意気そうな顔つきで、右手には警棒タイプのスタンガンを持ち、肩の辺りをとんとんと叩いている。


   ○


「ずいぶんとひげが伸びたな、織田センセイ」

 松平は相変わらず見下すような視線、そして得意のニヤリとした笑みを浮かべた。

「本物の犯罪者らしくなったかね?」

「ああ、グッと貫禄がついたぜ」

「それで……わたしは面会できるのかな?鋭子と」

「ああ。本来はまずいんだが、あの人がずいぶんと頑張ったらしい。でも時間は短縮される。それにあんたには手錠もつけてもらう」

「それぐらい、かまわないさ」


   ○


 わたしは両手を差し出した。

 松平はわたしの手をいきなり背中にねじり上げ、後ろ手にガチリと手錠をはめた。痛みが駆け上ったが、何とか声を漏らさずにすんだ。

「いいかセンセイ、あまり調子に乗るなよ」

「わかってるよ」

 わたしは松平の後に続いて部屋を出た。

「なぁ、君がわたしの猫に餌をあげてくれたのか?」

 わたしは歩きながら松平に尋ねた。

「ハッ、まさか!猫は大嫌いなんだよ。ましてあんたの猫じゃな」

「そうか……」


   ○


「でもよ、庭師の奴がなんかしてたみたいだぜ。今朝は二匹とも外を走り回ってた」

「そうか……」

 わたしは胸をなでおろした。

 他の人間になついているというのはちょっと嫉妬にかられるが、広々とした芝生で遊んでいるなら、サイとコロにとってそのほうが幸せなのかもしれない。

 それにあのとき聞こえた声の主がロンさんだったというのは、なんだかうれしい気持ちだった。


   ○


「でもな……そうだな、一つだけ忠告してやる。あいつには近付かない方がいいぜ」

 松平は急に振り返ると、顔を近づけわたしの耳元に囁いた。

「どうしてだい?」

「あいつは危険な感じがするんだ。いつも愛想良くしてるけど、たまに見せる目つきの鋭さは半端じゃない。他の奴はだまされてるみたいだけど、オレにはちゃんと分かってんだ」

「そうかな……優しそうだけど」

「やつは、たぶんスパイかテロリストだぜ……」

 松平はまた先に立って歩き出した。

「……とにかくあいつは絶対なにか隠してるよ。ただの庭師なんかじゃァないね」


   ○


 そうは言われたが、わたしは松平の言葉を信じる気にはなれなかった。

 庭師のロンさんとは何度か顔を合わせているが、悪い印象は一度も持たなかった。

 それにサイとコロがなついているということ自体、彼が悪い人間ではない証拠だった。非科学的ではあるが。

「さて、着いたぜ。面会時間は三十分だ。今回は品物の受け渡しはいっさいなし。それから会話の記録を全て取らせてもらう。条件が飲めないなら面会はなしだ。どうする?」

「もちろん、その条件でいいよ」

「記録はオレが取る」

 松平は扉を開けた。


   ○


 いつもの面会室とは違う、ずいぶんと小さな部屋だった。

 一人用の面会室だ。

 狭い部屋の壁の一面に机が置かれ、その上から分厚いアクリル板が天井まで伸びている。

 そしてアクリル板の向こうには、いつもと変わらぬ『山川鋭子』の姿があった。


   ○


「やぁ、ひさしぶりだね。今日のドレスも素敵だ」

 今日の鋭子は真白なパーティードレスを着ていた。

 見るからにやわらかそうな生地が、スタイルのいい全身をそっと包み込んでいる。

 そして鋭子の肌は生地に負けないほど白く、唇はピンク色に輝いていた。

「ありがと。今日は衣装合わせの途中だったの。これでお姫様をやるのよ。すごいでしょ」


   ○


 ちなみにお姫様を演じさせたら彼女の右に出るものはいない。

 彼女がこれまでに受賞した主演女優賞は、時代や国を問わずあらゆるお姫様の役だった。

 彼女のお姫様は生まれながらに高貴で、意志が強く、正義感が強く、しかも茶目っ気たっぷりだった。

 そういうお姫様を演じさせたら、まさに鋭子ははまり役だった。

 前世というものがあるならば、きっと彼女はどこかのお姫様だったに違いない。

 わたしは昔そう信じていた。


   ○


「すごくきれいだよ。次はどういう映画にでるの?」

「ローマの休日の現代版みたいなやつ。それより今日はまた、どうして手錠なんてかけられてるの?」

「実はその、独房に入れられてね」

「ふーん。なんかそうしていると本物の犯罪者みたいね。暴動でも起こしたの?」

「ちがうよ、物騒なことを言わないでくれよ」

 わたしはちらりと後ろを振り返った。


   ○


 松平は壁にもたれて立っている。だが記録をつけている様子はない。

 と、松平がわたしの視線に気付いた。彼は組んでいた腕をほどき、右手に握っていた小さなボイスレコーダーをちらりと見せ、わたしではなく鋭子にいった。

「彼には脱獄の疑いがかけられています。それにテロリストに狙われているという情報もあるので、しばらく独房に入っててもらったほうがこちら側の都合もいいのです。ご理解ください、鋭子さん」


   ○


「(また、格好つけてるのね?あの子)」

「(ああ。君のまえだといつもああだよ)」

「(かわいいわね)」

 わたしたちはひそひそと話した。


   ○


 だがその時、照れたように松平がはにかんだのが見えた。

 どうやら彼にはひそひそ話も聞こえているらしい。彼が右手に握っている機械からは白いコードが伸びだし、右耳のなかに突っ込まれたイヤホンにつながっていた。

 おそらくあの装置がささやき声も拾い上げているのだろう。

 さらにわたしの予想では、この会話はリアルタイムで大塚の元にも届いているはずだった。

 ということは慎重に話を続けなくてはならない。

 しかし肝心の話をそらしながら脱獄の計画を伝えるというのは、どうやったらいいものか、さっぱり思いつかなかった。


   ○


「ところで、絵ハガキ届いたよ、ありがとう」

 わたしは机に両肘をつき、両手を組み合わせていった。

「かわいかったでしょう?小さい頃のわたし」

 彼女も机に身を乗り出し、わたしの顔を真正面に見ながら答えた。

「ああ。すごく懐かしかったな」

「そうね、あの頃からわたしたち、友達になったのよね」

「ああ、そうだよ。あの頃から僕は君に夢中だったよ」

「でしょうね。あたし、かわいかったからね。でもこの美貌のおかげでいじめられて大変だったんだから」

 彼女はすこし意地悪そうににんまりと笑った。


   ○


 ちなみにこれも彼女のとっておきの表情の一つだ。

 こういう笑い方をさせたら彼女の右に出る女優はいない。

 彼女の出演する映画にはどんな役だろうと、かならずこの意地悪な笑顔を見せるシーンがある。

 われわれ観客はそれを見るのが何度目であろうと、ついこの笑顔に恋をしてしまう。それはとても親密で、恋人だけが見せる笑顔のようで、つい照れてしまうような笑顔なのだ。


   ○


「ところで、テルオ」

 彼女はなにげない調子で切り出した。

「なに?」


「あなた、いつになったら脱獄するの?」


 わたしは彼女の口をふさごうと、またアクリル板に拳をぶつけてしまった。

 またしてもこの透明な壁の存在を忘れていたのだ。

 ゴツンと鈍い音が響き、わたしは思わず拳をさすった。

 その壁の向こうから鋭子があの意地悪そうな笑みでにんまりと笑った。


   ○


「勘弁してくれよ、ただでさえ独房に入れられてるんだ。あいつも言ってたろう?脱獄の疑いがあるって」

 赤くなった拳をさすりながら、わたしは言った。

「あら、じゃあ本当に脱獄するの?」

「まさか、違うよ」

「じゃあいいじゃない。でもいずれは抜け出すんでしょ?アトランティス大陸につれてってくれるんでしょ?電話でそう言わなかった?」

「それはそうだけど……」

「ずいぶん汗かいてるわよ。それに顔も赤いみたい。なんか隠してるんじゃない?」

 鋭子がアクリル板越しにわたしの顔を覗き込む。

 その美しい顔にわたしはまた顔が上気するのを感じた。

「なにも隠してないさ」


   ○


 わたしはなんとか会話を続けながらも、もう心臓がドキドキとしていた。

 自分でもはっきり分かるくらい汗をかいていたし、顔も耳の先まで真っ赤になっているのが分かった。

 なんでこんな時にこんな事を言うのだろう?鋭子の真意がわたしにはさっぱり分からなかった。

 たぶんわたしが脱獄を実行に移すことはわかっているだろうと思う、それに脱獄したあとに彼女の助けが必要だということもわかっていると思う、だがわたしはその方法を話したわけではない。

 今はまだ何も話すことができないのだ。

 しかしそこに重大なすれ違いがおきようとしているのかもしれない……


   ○


「じゃあ……アトランティスに行くのは嘘だったんだ?……脱獄もしないんだ?……」


 鋭子はうつむいたままそういった。

 長いまつげに隠れてその目がよく見えない。

 ただこんな時にこのタイミングでそれを言い出されるのはまずかった。なんとか話を逸らしたいが、あいにくわたしは器用ではない。


「だって出来るわけないだろ?この監獄は世界一、警戒が厳重で……」

「……じゃあ、わたしとの約束も嘘だったの?」

「……いや、そうじゃないけど……」

 と、鋭子が急に立ち上がった。

 そしてアクリル板をドンと平手でたたき、怒りもあらわに一気にこういった。


   ○


「でも脱獄できないんでしょ?

 わたしずっとあなたが出てくるのを待ってたのよ。


 面会だって毎週毎週欠かさずにやってきたわ。

 あなたが喜ぶだろうと思って、いつも一番上等のドレスを選んだわ。


 でもあなたはぜんぜん出てこない!」


 それから鋭子は松平をにらみつけた。


「だいたいあなたたちが悪いのよ!

 輝男がなにをしたって言うの?


 いい、この人はね、なにひとつ悪いことはしてないわ。

 わたしは幼馴染だから彼のしてきたことは全部見てきた。


 彼はなにひとつ悪い発明なんかしなかった。


 それを悪い方向に利用したのはあなた達の方よ。

 それなのにその責任を全部彼に押し付けて、牢屋に閉じ込めて!

 

 二十五年よ!何の罪もない人を二十五年も閉じ込めてるのよ!


 あなたにそれが分かってるの?」


   ○


 鋭子はひたと松平を見つめ、その澄んだ瞳に青白い怒りの炎を燃え上がらせた。

 そしてアクリル板にきれいなパンチをゴツンと当てた。

 その音に松平が首をすくませた。

 それから鋭子はへなへなと机に座り込んだ。そして怒りであふれてきた涙を、美しい指先ですくい取った。

 次に彼女の口から漏れ出てきたのは、あまりにかよわい女性の声だった。


   ○


「ごめんなさいね、松平さん。

 こんなこと、あなたに言ってもしょうがないのにね。もちろんあなたが何も悪くないのは知ってるわ。

 だけどわたしなんだか、あんまりにも悲しくて、ついあなたにあたってしまったの。許して、ごめんなさいね……」


「……いえ……いいんです……」

 松平は、しゅんとしてうつむいてしまった。

 鋭子はアクリル板越しにわたしの顔をまともに見つめた。その両目から涙が溢れ出していた。

 彼女が涙を流しているのを見るのはこれが二回目だった。

 わたしの胸の奥深い所で、悲しみの炎がぱっと燃え、わたしの目からも涙が溢れ出した。

 わたしは相当に涙もろい。人の悲しみがダイレクトに伝わってしまうのだ。

 さっそく幼稚園児の誓いを破ってしまったが、今は仕方なかった。


   ○


「輝男……もう何年たったと思ってるの?あと何年待てばいいの?わたしもうおばあさんになっちゃうわ……」

 鋭子はそういってシクシクと泣き出した。

 わたしはこんな展開を予想していたわけではなかった。

 いやそれを言うならわたしの予想通りに事態が展開することなどめったにない。

 わたしはおろおろとして、どうしていいか分からず、つい松平を見た。

 こいつに期待してもどうしようもないというのに。


   ○


 それは松平も同じようだった。

 ビックリした様子でわたしを見つめ返した。

「神様……助けて……わたし、もう……」

 鋭子は机にうつぶせになり、組んだ腕の隙間に顔をうずめて泣き出した。

 しくしくと、本当に悲しそうな泣き声だった。


 と、その時だった!


   ○


 わたしの背後で松平が小さく叫んだ。


「ああっ!手がすべってしまったぁ!」


 ずいぶんとわざとらしい声だった。

 振り返ると、松平が耳からイヤホンを外し、右手に持っていた録音装置を高く掲げているのが見えた。

 それから松平はパッと右のてのひらを広げた。


 録音装置は一瞬宙に浮き、それから引力に引かれて真っ直ぐ地面に落ち、プラスティックのかけらを盛大に振りまいて壊れた。

 さらに松平はそれをぐしゃりと靴の踵で踏みつぶした。


「松平君……きみ、なにを?」

 だがわたしの声は彼には届かないらしい。

 彼はすでに鋭子しか見ていなかった。


「鋭子さん、もう泣かないで下さい!」


 松平は両方の目からボロボロと涙をこぼしながら、振り絞るような声で言った。


   ○


 それは松平が裏切った瞬間だった。


 わたしはそんなことが可能だとは夢にも思わなかった。

 わたしは忘れていたのだ。

 この物語に登場するもう一人の天才を……

 山川鋭子。


 彼女は正真正銘、演技の天才だった。



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