【脱獄物語】幼稚園児の誓い③
あのときのこと、3D再生機の事件の事を思い出すと、わたしは今でも怒りの感情がよみがえってくる。
あの一件で、わたしは世界に、あらゆる人間に裏切られたと感じた。
人はいつだって欲望のために、すばらしいものを最悪の事に使おうとする。それに関わった人の気持ちなど考えもしない。
わたしはあの事件でそれをはっきりと悟った。
○
人間とは救いがたい生き物だ。
原子力エネルギーだってそうだ。科学の力はいつだって、すばらしい効果をもつ反面、恐ろしい力を持っている。
ロケット技術の進歩が、ミサイルの進歩を生み出していくのがいい例だろう。
そして人はかならずといっていいほど、悪いほうの面に魅せられる。
悪い力を試したくてしょうがなくなるものなのだ。
○
『この世で発明された兵器で使われなかったものはない』
誰の言葉か忘れたが、こんな言葉がある。
原爆だって水爆だってもうとっくに使われているのだ。
それが人間の本性なのだ。どんな道具だろうと、それがどんな結果をもたらすか分かっていても、使わずにはいられないのだ。
そして人の愚かさは科学の力をもっても救うことができない。
○
だがそれを知ってもなお、わたしは人間そのものを憎むことは出来ない。
人間は悪い面と同じ位、いい面を持っているからだ。
例えばそれは、やさしさや愛情、知性、理性というものだ。
わたしたちの生活は科学の力で楽になった分、こういったいい面を伸ばせるようになって来たはずなのだ。
○
ではいったいなにがわたしたちから悪の力を引き出すのか。
それは『集団の精神年齢』のせいだとわたしは考えている。
どういうわけか人は集団になると、それだけで知性や理性のレベルが落ちてしまう。その集団が大きくなればなるほど、その落ち方も激しくなる。
集団の中に埋没すればするほど自分の中にあった知性や理性が集団の中に溶けてしまうのである。
○
この実例は戦争の歴史を見れば幾らでもみつかるだろう。
一人一人のレベルで見れば、人殺しという行為が間違っていることぐらい簡単に分かる。
だがこれが集団になり、国家間の戦争という狂気にまぎれてしまうとその簡単な理性さえ吹き飛んでしまう。
宗教による戦争だってそうだ。人殺しを肯定している宗教なんてないのに、集団になることでいつの間にか普段信じている教義の根本が吹き飛んでしまう。
○
『右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい』
これはキリストの教えのひとつだったと思う。
一人だったならば、その教えに従うことは出来る。
だが集団の中にいるとこうはいかない。
反撃のためにナイフを出して相手の心臓に突き立てるのだ。
いったい誰がそんなことを教えたというのだ?
父親?母親?教師?神様?
誰もそんなことを教えていないはずだ。
だが戦争ではそれが平然と行われる。
○
今のわれわれを取り巻く『集団の精神年齢』は子供止まりだと思う。
○
すぐ嘘をつく。人をだます。理由を付けてはとっちめる。殴られたら殴り返す。
これはすべて国家間のやり取りの話だ。
これは子供のやることだ。
○
新しい刺激的なおもちゃを手に入れた。
これをどうしても使ってみたい。
まわりを羨ましがらせたい。
これは戦争と武器の話だ。
これも子供の発想だ。
○
争いのない世界、科学を悪用されない世界を築くためには、この『集団の精神年齢』を引き上げることが必要なのだ。
せめて二十歳程度の理性は必要だとわたしは思う。
集団の精神年齢がそれぐらいまで成長すれば、少しは物事が理性的・冷静に片付けられるようになるはずだ。
そのためにはわたしたち一人一人がもっともっと大人にならなければならない。
集団の低年齢化の波に襲われても、ちゃんと大人でいられるくらいには。
○
わたしは独房の中でいろんなことを思い出し、また考えた。
わたしは幸福な生涯をすごしてきたが、同じ位不幸な目にあってきた。いろんなものを信じてきたが、同じ数だけ裏切られてきた。
結局、人の幸せと不幸せというのは絶妙なバランスを保ち、同じ数だけ降りかかってくるものなのかもしれない。
コインの裏と表だ。それは必ずセットでやってくる。
だが差し引きは必ずゼロになるはずだ。
○
そういう風に考えていくと、これからわたしがやろうとしていることは、つまり脱獄を成功させ、アトランティスにたどり着き、それから成し遂げようとしていることは、この差し引きをゼロにすることなのかもしれない。
○
もっともわたし一人が人類の大問題を考えたことでどうなるものでもないかもしれない。
だがわたしは科学者だ。
わたしは問題点を考え、解決するための具体的で実現可能な解決策を考える。
具体策が無ければ理想は思想だけで終わってしまう。
だが科学だけは実際に世界を変えることができる。
○
わたしは驕っているのではない。
ただただ焦っているのだ。
人間にはもうあまり時間が残されていないのが感じられるからだ。
○
そうして長い一人ぼっちの時間は延々と続いた……
小さな窓から日が昇るのをみつめ、陽が沈んでいくのを見た。
暗くなっても眠れず、ただただ天井を見つめていた。
時間の感覚がだんだんと溶けてなくなっていくようだった。
○
不意に扉がガチリと音を立てたのが聞こえ、わたしは深い思考から覚めた。
そうか、もう食事の時間か……
時間の経過を知るのは、この食事の時間だけだった。
だがいつもその足音は何も言わずに遠くに去ってしまう。
だがこの時は違った。
扉の向こうから『松平』の懐かしい声が聞こえてきたのだ。
「織田センセイ、面会の時間だぜ」
そういわれてわたしは初めて気がついた。
○
今日は日曜日『山川鋭子』が面会にやってくる日だった!




