【脱獄物語】幼稚園児の誓い①
さて第七章である。
今回のタイトルはコレだ。人間というもの、人生の節目などに色々と誓いを立てるものだと思うが、わたしは人よりも誓いの数が多かったように思う。
だが誓いを立てるというのは、何かしらそれが欠けているという意味でもある。そういった意味では私の人生には色々と欠けるところが多かったともいえる。
そしてわたしはこう思うのだ。人がいろいろと立てる誓いの中でも、幼稚園児が立てる誓いこそが、人間にとって一番大事で、崇高なものではないか、と。
わたしの言いたいことは、この章を読めばわかるはずだ。
というわけで、続きだ。
わたしは大塚長官にこっぴどく痛めつけられ、独房に入れられることになった……
○
目が覚めたとき、わたしは灰色の天井を見つめていた。
今度はずいぶんと小さな天井だった。もちろん部屋も小さい。
それに背中に当たるベッドの感触もずいぶんと固かった。
頭をめぐらせ光のあるほうを見ると、鉄格子の嵌まった小さな窓が見えた。
鉄格子か……ゆっくりと記憶がよみがえってくる。
○
そうだ、独房に入れられたんだったな……
わたしは大きくため息をついた。静かな部屋だったから、その音は思った以上に大きく反響した。
体中がずきずきと痛む。ずいぶんと殴られた。体中に熱がこもって、全身の傷がうずいている。
思い起こせばこういう感覚は、理由もなくイジメられていた中学生の時以来だった。あの頃は毎日がこういう感じだった。
それは歓迎できない懐かしさだったが。
○
「あいたた」
わたしは痛みに顔をしかめつつ立ち上がり、部屋の様子を見てみた。
四畳半ほどの部屋には、古そうな畳が敷かれ、わたしのいるパイプベッドがひとつあるだけだった。
壁には鉄格子のはまった窓がひとつ。反対側には分厚い鋼鉄の扉がひとつ。ベッドの向かいにはシャワーとトイレのスペースがある。もちろんむき出しで扉はない。
部屋にあるのはたったそれだけだ。清潔ではあるが完璧な独房。
この収容所にこんな部屋があること自体が驚きだった。
考えてみれば刑務所なのだから当たり前の話だが、こうまで囚人とかけ離れた生活をしているとなかなか理解できないものだ。
○
それにしても……コレは困ったな
わたしはベッドに腰かけ、灰色の壁を見つめた。
まさに手足をもがれてしまった気分だった。
ここには何もなかった。まったくの空っぽだった。
これでは研究の続けようがなかった。
物質小型化装置の完成は間近だったのに、あまりにタイミングが悪かった。
とはいえ嘆いてばかりもいられない。
そこでわたしは科学者らしく頭の中で状況を整理してみた。
○
まずは田中ハジメ。彼はあれがどういう機械か、ということは分かっている。だがそれが脱獄に使われるとは考えていないだろう。
というか目的には興味すらないだろう。
彼には四日後に迫った脱獄記念日のこともまだ話していない。
わたしが捕らえられてしまった今、彼と彼のグループが研究を続けてくれるかどうかは大いに疑わしかった。
○
次に小夜子はといえば脱獄の計画を知っているだけで、研究者たちがどんな装置を作っているかはよくわかっていない。
彼女にも計画全体を教えたわけではないのだからそれも当然だ。
彼女は何を作っているか知らされないまま、研究者たちに鞭うっているわけだ。
いくら彼女が魅力的だとはいえ、そんな調子では研究者たちがだんだん減っていってしまうだろう。
○
わたしのグループの科学者はさらに望み薄だ。
彼らは自分たちが作っているモノが、何の機械かも、何を目的にしているかも知らない。
彼らはいわゆる職人であり、わたしの与えた課題と命令がなければ動きようがないし、自分からは動いてくれないだろう。
だが彼らを責めることは出来ない。
彼らはもうだいぶ歳だし、この収容所であまりにも長く希望のない時間を過ごしてきたのだ。
○
簡単に整理してみると、状況は絶望的だった。
○
うーむ。困ったな……じつに困った……
ベッドにごろりと横になり、天井を見つめた。
ここで何か出来ることはないだろうか?
答えはすぐにひらめいた。
何もない。なんのやりようもない。
それが答えだった。
○
沈黙に耳を澄ます。
誰か廊下にいないだろうか?
松平健がいてくれたら好都合だ。
彼ならば話しだいで、メッセンジャーとして使えるかもしれない。
だが鋼鉄の扉の向こうからは何一つ物音は聞こえてこなかった。
○
わたしは完璧な一人ぼっちだった。
ここでは何の物音すらも聞こえない。
いつもならサイとコロのかわいい鳴き声がいつも聞こえていたというのに……
そういえばあの子達は大丈夫だろうか?
あの子達は人見知りする猫だから、誰からでも餌を食べるわけではなかった。
水も餌も少しは余分にあげてはいるが、それでもせいぜい一日分しかない。
太陽の光線の具合から判断すると、今は昼ごろだろうか?
となると、今頃はお腹を空かせて鳴いているに違いない。
そう思い出すと、二人のことが心配でたまらなくなった。
○
「おーい!誰かいないか?」
いないとは思ったが、とにかく廊下に向かって声をかけてみた。
反応を待ってしばらく耳を澄ませてみる。反応はない。
もう一度呼んで、もう一度耳を傾ける。
物音ひとつしなかった。
沈黙が重くのしかかってくるようだった。
○
「おーい!誰でもいい!この声が聞こえたら、わたしの猫たちに餌をあげてくれないか!」
わたしの声は狭い室内を何度も響き渡り、壁に、鋼鉄の扉に吸い込まれていくようだった。
だがわたしはめげなかった。扉を叩き、蹴飛ばしながら叫んだ。
「おーい!誰でもいい!この声が聞こえたら、わたしの猫たちに餌をあげてくれ!たのむ!」
わたしは何度も叫んだ。本当にサイとコロのことが心配だったのだ。
だからわたしは誰かがやってくるまで叫ぶことに決めた。
○
「おーい!誰でもいい!この声が聞こえたら、わたしの猫たちに餌をあげてくれ!」
だが一時間たっても二時間たっても誰もやっては来なかった。
これだけ大きな声を出していれば聞こえないはずはないのに。
わたしの喉はすでにカラカラに枯れてしまったが、同じ言葉を叫び続けた。
○
やがて窓にあふれていた昼間の黄色い光が、オレンジ色に変わり、部屋の中にそっと寒気が忍び込んでくる頃、とうとうわたしの声は出なくなってしまった。
わたしは声もなく、ただただ泣いた。
「誰でもいい……わたしの猫たちに餌を上げて……お願いだから」
その時だった。不意に窓の外から返事が聞こえた。
「テルオ、もう泣くな!オレが何とかしてやる!」
○
その声はずいぶんと遠くから聞こえてきた。
声の主はずいぶんとはなれたところから叫んでいるらしかった。
だがその声は冷たい空気を抜け、窓ガラスを通り抜け、まるできれいな鈴の音のように、まっすぐわたしの耳に吸い込まれた。
○
(いったい誰なんだろう?)
なんだか懐かしい声のような気がした。
それは安心したせいでそう聞こえただけなのかもしれない。
だがとにかくメッセージは伝わった。
その事実だけがわたしにはとてもうれしかった。
声の主が誰かは知らないが、今はとにかくその声を信じるしかない。
わたしは洗面台でかれた喉をうるおし、ベッドに横になった。
○
それが7月27日の出来事だった。
この独房から出られるまで、あと三日。
そして聖脱獄記念日まではあと四日というところだった。
○
わたしはそれまでにあの装置を完成させ、みんなをこの刑務所から脱獄させる計画を立てなければならない。
確かに無茶な計画ではある。
だがそれがわたしの運命だというならば、必ず道はあるに違いない。
○
明日はもう少しマシな一日にしよう。
わたしは幼稚園児のような誓いを立てた。
○
次の日の朝、わたしは夜明けとともに目覚めた。
この部屋の間取りが南向きのうえ、窓にはカーテンがかかっていなかった。夜明けの光はあっという間に部屋を光で満たし、眠るどころではなかったのだ。
何もない一日の始まりだった。
とりあえずわたしは顔を洗い、シャワーを浴びることにした。
石鹸ひとつで頭の先から足のつま先まで洗った。
しかしヒゲがやっかいだった。わたしのヒゲは相当に濃いのである。それこそなくなった髪の毛の分まで、びっしりと生えてくるのである。
しかしこの部屋にはヒゲ剃りがなかったので、放置しておくしかなかった。久しぶりに伸ばしたヒゲはずいぶんと白くなっていたので少し驚いた。
(まぁ、わたしも歳だよな……)
○
シャワーを終えると、鋼鉄の扉の前に箱が置いてあることに気付いた。箱は金属製で扉にピッタリとくっついている。
ちょっと動かしてみて、この箱が扉に直接付けられた引き出しだと分かった。
面会室で物のやり取りに使う引き出しと同じ仕組みだ。
その箱の中には新しい囚人服と、トレーにのった朝食が置いてあった。
○
食事も服もいつの間に運ばれたのかは知らないが、大塚の意図はよく分かった。
とにかくわたしを徹底的に一人きりにさせたいのだろう。
「すきにするがいいさ」
わたしは声に出してつぶやいた。
○
そして新たに運ばれてきた囚人服に袖を通した。
笑えるぐらい古風な柄だった。青と白の縞々模様なのだ。
漫画で出てくるような古典的な囚人服、ご丁寧に揃いのナイトキャップまでついている。
いまどき探したってそうそう見つかるものじゃない。
大塚の差し金だ。あいつの考えそうな嫌がらせだ。
「なに、たいした事じゃない」
○
わたしはトレーをベッドに運び、朝食をとることにした。
今日のメニューはロールパンが二個と、オムレツにソーセージ、デザートにはカップに入ったヨーグルトとバナナがついていた。
悪くない朝食だった。
いや、どれもとても美味しそうだった。
○
わたしはロールパンを裂き、ソーセージとオムレツを乗せてかぶりついた。
やっばり美味しかった。この味は冴子シェフが作った味だ。
しかしスープがないせいでなかなか飲み込めなかった。
そうしてもぐもぐと噛んでいるうちにカサッと歯の間に変な音がした。モグモグと原因のもとを引っ張り出すと、一枚の紙が出てきた。小さなレシートみたいな紙が一枚。
湿った上にクチャクチャになったその紙片を伸ばしてみた。
○
『すぐに出られますよ。頑張ってください、冴子より』
『頑張って下さい チャールズより』
○
そう書いてあった。
なんとチャールズまで手紙を書いてよこしてくれたのだ!
まさか自分の作ったロボットに励まされるとは思いもしなかったが……
それはともかく、冴子シェフはずいぶんと子供っぽい字で、チャールズはずいぶんと達筆な字で、そう書いてきた。
わたしは涙が出そうになってしまった。
「ありがとう、冴子シェフ、チャールズ……がんばるよ」
○
一つめのパンをあっという間に平らげ、わたしは同じようにして二個目にかぶりついた。
と、ふたたび歯の間にカサリとした感触があった。
(まさかな……)
口から引っ張り出してみると、そのまさかだった。
またもや紙片が出てきたのだ。
『研究は順調です。田中一』
○
わたしは思わず小さな紙片を握り締めた。
この感覚はなんと表現したらいいのだろう?感動?でもそれ以上のものだ。
あの田中が研究を続けてくれるというのだ。
この言葉にわたしがどれだけ安心したことか。
わたしは涙を流しながら二個目のパンをあっという間に食べた。
○
それからバナナを食べ、ヨーグルトを食べ……すると、今度はスプーンの先でまたカサリと音がした。
ヨーグルトの底を探ってみると、何かが入っていた。
わたしはスプーンでそれを引っ張り出した。またもや紙片だった。
『すべて順調!小夜子』
『負けるな、テルさん! 仲間一同より』
○
みんながわたしを信じてくれていたのだ。
わたしは今になってそのことに気付いた。
わたしはみんなを信じていなかったのに、みんなはわたしのことを信じてくれていたのだ……
わたしはなんて一人よがりの大馬鹿者だったのだろう。
わたしは自分の事が恥ずかしく思えた。
だがそれ以上にみんなの好意がとてもうれしかった。
わたしは急いでヨーグルトを食べてしまった。
そうしないと、あとは涙があふれてしまってなにも食べられないと分かっていたからだ。わたしはすべて食べ終えると、トレーを引き出しに戻し、布団をかぶってまた泣いた。
○
最近のわたしは泣いてばかりだった。
うん。こんなことではいけない。
これからはもっと友達を大事にしよう!
わたしはまたもや幼稚園児のような誓いを追加することにした。
○
その日の午後、さらにわたしは突然決心した。
わたしはもう泣くのをやめようと思う。
理由のひとつは、泣いても何の解決にもならないからだ。
もうひとつの理由は、わたしは泣くことで何かから逃げているのだということに気付いたからだ。
わたしの周りの人間は誰も泣いたりなんかしていない(小夜子は例外だが)。鋭子だってどれだけ泣きたい時があったか知れないのに、わたしの前で泣いたのは小学生の時のただの一度きりだ。
○
それに比べてわたしは彼女の前で何度も涙を流している。
自分がしでかしたことなのに、そのたびにわたしは後悔して泣いてばかりいた。
だからわたしは幼稚園児の誓いをさらにひとつ増やした。
わたしはもう泣かない!




