【過去物語】大塚守男
『織田輝男』『山川鋭子』『神城龍次』
この三人が親友になったのはもちろん『きっかけ』があった。
現在【国立総合科学研究所】の長官をつとめている男、『大塚守男』が引き起こした事件がそれである。
振り返って考えてみれば、この事件は全ての発端となるものであった。
その事件は輝男たち三人の間に友情という絆を結び、同時に大塚守男の胸に憎しみの種を宿すことになった。
だが当の本人たちはこの事件の重要性を自覚することはないだろう。
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その事件は山川鋭子が久しぶりに学校にやってきた日に起きた。
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それまで鋭子はヨーロッパに一ヶ月ほど出かけていた。春から始まるクイズ番組のレポーターとして、アトランティス大陸の取材をしてきたのである。
彼女はそれまでアトランティス大陸のことは何ひとつ知らなかったのだが、この取材ロケを通して興味を持つようになっていた。
理由の一つは、スタッフに渡されたアトランティス大陸に関する資料の中に『Teruo Oda』の名前を見つけたからである。
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彼女は輝男がアトランティス大陸のマニアだと言うことは知っていた。一日じゅうそういう本を読んでいるのも知っていたし、彼の周りの人間がそれをからかっているのを何度も目にしていた。
だがこの時点では、『Teruo Oda』がクラスの『織田君』と同一人物だとは思いもしなかった。というのも『Teruo Oda』が書いたその資料は専門的な論文だったうえ、すべて英語で書かれていたからだ。
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ひょっとしたら父親かもしれないし、お兄さんか親戚かもしれない。それならば充分にありえる話だろう。学校に行ったらそれを確かめてみよう。
鋭子はそう思っていた。
それに涙を見せあったあの日から、鋭子は輝男と話をしてみたいと思っていた。
今回の番組の事は、輝男に話しかける『いいきっかけ』になると思った。
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ところが彼女が教室に入ったときから、クラスは大騒ぎになっていた。
彼女の周りには普段は近づきもしないクラスメートがガヤガヤと群がり、その日に限ってやたらと話しかけてきたのだ。
それは番組の評判のせいだった。当時は海外のレポートをメインにした番組は少なく、それをクイズ仕立てにした番組は新鮮だったのだ。
さらにポルトガルの海岸をバックに撮影された鋭子の水着姿はとても美しいものだった。その映像は宣伝のためにテレビで繰り返し放映され、番組が始まるから話題になっていた。
ちなみににこの時の写真は鋭子の代表的なブロマイドになり、さらに四十年後、獄中の輝男に送られたのもこの時のブロマイドだった。
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二人がようやく話せる時間をもてたのは、昼休みに入ってからのことだった。
その時、輝男は飼育小屋でニワトリにえさをやっていた。飼育係は人気がなく、輝男はクラスのみんなから押しつけられるようにその係をしていた。
だが輝男は動物が大好きだった。さらに飼育小屋には野良猫が三匹ほど集まるようになっていて、輝男が給食の残りを持ってくるのを待っていた。
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鋭子が輝男を見つけたとき、輝男は野良猫にじゃれつかれながら、給食の残りの牛乳をあげ、パンをちぎって食べさせているところだった。
鋭子は輝男の姿に何ともいえない親しみを感じた。
彼はとても優しそうに見えた。クラスでは変人扱いされ、いつもクラスの仲間はずれだったし、女子の間では不気味だとか、気持ちが悪い、という評判だった。
でもこうしてみると輝男にそんなところは全くなかった。
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「こんにちは、織田クン」
鋭子は輝男の背中をしばらく眺めてから声をかけた。
その声に輝男は驚いた。その声が山川鋭子のものだということは、すぐに分かった。だがどうして声をかけられたのか、まるで見当がつかなかったからだ。
「や、やぁ、山川サン」
かなりぎこちなかったが、輝男はそう言って片手を上げ、指先でいつものあいさつをした。
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「ねぇ、織田君のお父さんって、学者サンなの?」
鋭子は少し輝男から離れてケージにもたれかかった。
「え?違うよ。それに、お父さんは死んじゃったんだ」
「あ、ごめんね。わたし知らなかったから……」
「あ、それはいいんだよ。ずいぶん昔のことだもん。でも、どうして?」
そう言って輝男も鋭子と並ぶようにケージにもたれかかった。
するとさっきの野良猫の二匹が輝男のもとに、一匹が鋭子のもとに近づいてきた。
「……こいつらさ、食べ物目当てなんだけど、かわいいんだ」
輝男はそういって残っていたパンを二つにちぎり、一つを鋭子に渡した。そうして二人でパンをちぎって猫にあげながら話を続けた。
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「あのね、わたし、アトランティス大陸の取材に行って来たの」
「知ってる。テレビ見たよ」
「面白かった?」
「うん、すごく面白かったよ!景色もきれいだったしさ、アゾレス諸島にあるって言う説だったよね?実は僕もそうじゃないかと考えていたんだ」
「織田君もそう考えてるんだ?あのね、取材で使った論文の中に『オダテルオ』って言う人の名前があったから、織田君の親戚か知り合いの人かな、って思ったの」
「あ。そうか。それなら僕のことだよ。だからかぁ、なんか僕と同じ説だなぁと思ってたんだ」
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輝男はこともなげに言ったが、鋭子にとってその言葉は衝撃的だった。自分と同じ歳なのに、もう世界で認められるような論文を書いているというのだ。
鋭子自身も演技に関しては『天才』という言われかたを何度もされてきたが、初めて本物の天才というものを知った気がした。
それでも最初はつい口癖でこういってしまった。
「うそっ?アレ、織田君が書いたの?」
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「ほんとだよ。嘘なんかつかないよ」
「あ、そうよね。ゴメン。でもすごいんだね。織田君って」
「そうでもないよ。ただ好きなことをやってるだけだよ」
「でも、ゼンブ英語で書いてあったよ」
「まぁ論文だからね。英語は一応、書いたり読んだりはできるんだ。話したり聞いたりするのはぜんぜんだけど」
「すごいね」
「君の方がずっとすごいよ。日本中に君のファンがいる」
「うん、それは嬉しいことだけど、ホントはどうでもいいの。それよりさ、アトランティス大陸の事なんだけどさ、わたしすっかりはまっちゃって!」
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気付けば二人は地面に座り込み、長年の友達のように打ち解けて会話をしていた。
それは輝男にとっても、鋭子にとっても初めての経験だった。
二人ともが小さい頃から大人に囲まれ、同年代の子供からは遠ざかっていた。学校に通うようになっても状況は変わらず、むしろますます孤立するようになっていた。
二人とも友達の作り方はもちろん、楽しい会話の仕方すらよく分からなかったのだ。だが今はそれが自然に出来ていた。
一つにはアトランティスという共通の話題があったこと。もう一つは二人にまとわりついている野良猫のせいだった。
この時もネコが輝男の運命をいい方向に導いていたのだ。
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それまで二人は、自分の味わう孤独は自分一人だけのものだと考えていた。
だがこうして少し話してみただけで、そんな孤独な思いがゆっくりと溶けていくのを感じた。
お互いにとって初めての友達であり、理解者だった。
なにより友達と呼べる、そんな相手がいる奇跡がただただうれしかった。
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だがその幸福な一瞬は一人の侵入者によって破られた。
鋭子に執着する優等生『大塚守男』がやってきたのである。
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大塚は昨日見た番組のことを鋭子と話したくて、ずっと機会をうかがっていた。
だが休み時間には鋭子の周りに人がいて、声をかけるタイミングがなかった。
いくらクラスの優等生で、女の子人気ナンバーワンとはいえ、クラスの女子をかき分けて彼女一人に話しかけるようなことは彼のプライドが許さなかったのだ。
そうしてタイミングをはかっているうちに、やがて昼休みになり、鋭子が一人で教室を出て行くのを見つけ、急いで後を付けてきたのだ。
だがついてきたのは大塚だけではなかった。
大塚のファンクラブを自称する『大塚君親衛隊』の五人が一緒だった。
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大塚は輝男が『校則違反』をしているのをさっそく見つけた。
これは彼にとってまさにぴったりの『きっかけ』だった。
「織田君、野良猫にはエサをやっちゃいけないんだ、規則を知らないのか?」
大塚はカッコイイ声でそう言って、二人の前に颯爽と登場した。
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突然の声に、輝男と鋭子は二人同時に立ち上がった。
ネコたちは危険を察知したのか、さっと走り去った。
二人の前には、クラス委員のバッチを胸に光らせた大塚が立っていた。
さらにその大塚の背後では五人の『大塚君親衛隊』の女の子たちが横一列に並び、敵意もあらわに二人をにらみつけていた。
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「織田君、キミに聞いたんだよ、規則を知らないのかい?」
「知ってるよ。でもかわいそうだからさ……お腹空かせてるし」
「それは僕だって同じ気持ちだ。でも学校の規則がそうなってるんだよ。それに中途半端に面倒を見るのは、ネコにとって逆に辛いことになるんだ。そういうのをギゼンっていうんだ」
大塚の言葉に親衛隊の五人組はいっせいにうなずいた。
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大塚は得意になっていた。
こういう大人びた意見を言うのが小さい頃から得意だったのだ。
それはこの町で議員をしていた父親の影響だった。彼の父親はところかまわず権力風をふかせる男で、人を支配することが男らしさだ、といつも息子に語って聞かせていた。
大塚は父親に憧れ、その態度をしっかりと見ていたから、どんな相手と話すときでも自分に逆らえない雰囲気を作り出すのが上手かったのだ。
まして相手はあの織田輝男、打ち負かすのは彼にとって簡単だった。
いや、簡単なはずだった……
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そして輝男は少し頭を掻いてから、説教でもするようにこう告げた。
「大塚君の意見も分かるけどさ、それでも誰かが助けなくちゃいけないと思うよ。それに規則って言うのは本来、そこに暮らしている人のために作られるものだから、誰かが不幸を背負うような規則っていうのは前提から破綻してることになるんじゃないかな?」
輝男はあっさりとそう言い放った。
しかも全く臆するところがなかった。
それは大塚にとってあまりに予想外のことだった。クラスでの輝男のポジションを考えれば、自分にたてつくなど到底あり得ないことだったのだ。
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「でも、規則は規則だ。大人達が悪い事って決めたことだ」
「大塚君は大人の言うことなら何でも聞くの?」
「あたりまえじゃないか!」
「まぁそれも君の自由だけどさ、でも僕は自分の考えたとおりに行動するよ。僕には僕の考える正義があるし、それは大人の意見に左右されるようなものじゃないよ」
輝男は堂々とそう言った。
相手が誰かなんて関係なかった。
彼は彼なりにキチンと成長を続けていたのだ。
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大塚はいつの間にか自分が言い負かされていることに気がついた。
それはいつもと逆のパターンだった。
彼にとっては何よりの屈辱だった。
大塚の顔面は見る見る真っ赤に染まった。
普段はおとなしい性格だが、一度切れると歯止めがきかなくなるタイプだった。
まさに彼の父親がそうであったように。
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「き、規則は規則なんだ!ネコにエサをやるなって決まってるんだから、だめなものはだめなんだ!」
大塚は真っ赤な顔をして叫んだ。唇がぶるぶると震え、目が脅すように輝男をにらみつけた。
そのあまりの変貌ぶりに親衛隊の女の子達も後ろに下がってしまった。
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すると今度は鋭子が冷静な口調で言った。
「委員長、興奮しないでちゃんと話しましょう。子供じゃないんだから」
『……子供じゃないんだから……』
その言葉こそは大塚が最も言って欲しくない言葉だった。
大塚はキッと鋭子をにらみつけた。
本心ではそんなことをするつもりではなかったのだが、切れてみさかいがつかなくなっていたのだ。
それでも乱暴な言葉を口に出すのは何とかこらえた。
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「大塚君、山川さんの言う通りだよ。怒鳴って脅しつけるなんてやり方は卑怯だよ。僕は納得すればちゃんと君の言うことを聞くんだから」
「うるさいうるさい、うるさいっ!委員長命令なんだっ!オレに逆らうな!」
「そんな乱暴な話……」
「黙れっ!」
大塚は輝男が口を開いた瞬間に、いきなりその口にむかって殴りかかった。
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輝男の腕も反射的に顔をかばおうとはしたが、大塚の拳はそれよりもすばやく輝男の顔面を殴りつけていた。
その一瞬で血が噴き出した。口を開いていたため、唇に前歯が食い込んでざっくりと切れたのだ。さらに繰り出された拳で、今度は鼻から血が噴き出し、次のパンチでメガネが吹き飛んでいった。
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鋭子は驚いて短い悲鳴を上げた。あまりにも生々しい暴力に、言葉にならない叫びが漏れたのだ。
大塚は一瞬だけ獣じみた目を鋭子に向けた。それから親衛隊の女の子達に向き直り、彼女をどこかへ連れていけとわめいた。
だがそれよりも速く大塚の背中に鋭子が襲いかかり、彼の頭に拳骨をふりまわしはじめた。体が先に動いていたのだ。何としても友達を助けたかったから。
「やめてよ!やめなさいよ!」
大塚もさすがに鋭子に拳は挙げなかったが、乱暴に体を振って彼女を振り落とした。そして再び輝男を殴ろうと拳を上げたが、また鋭子が飛びついた。
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最初は呆然としていた親衛隊の女の子達も、鋭子が大塚をたたいているのを見て我に返った。
そして大塚の狂気が乗り移ったのか、すぐに鋭子を取り囲んだ。
四人がかりで手足を押さえつけ、残る一人が鶏小屋のケージを開いた。中にいたニワトリがはげしく鳴き声をあげ、砂煙を上げながら逃げまどった。
「あんたは、ここで大人しくしてんだよ!」
鋭子は突き飛ばされ、飼育小屋の床に倒れこんだ。
洋服が砂埃と、鳥のフンにまみれた。
鶏の白い羽がふわふわと舞い上がり、驚いた鶏が羽をばたつかせて逃げまどう。
それでも鋭子はすぐに立ち上がろうとした。
だが女の子達が次々に小屋に入ってきて、脚やお尻、背中を蹴飛ばし始めた。
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「離してよ!ここから出してよ!」
鋭子はそう言いながら何度も何度も立ち上がろうとした。
が、そのたびに親衛隊に押し倒された。
「うるせぇよ!」
「かわいこぶりやがって!」
「あんたこそ、大塚君にあやまんなさいよ!」
彼女達はおよそ女の子とは思えない言葉を次々と鋭子に投げかけた。言葉だけではない。彼女達のけり出す脚は、鋭子がかばっている顔に向けても容赦なくふりおろされた。
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顔だけはなんとか腕でかばってはいたものの、洋服の生地は裂け、ボタンはちぎれ、蹴られたところはみるみる赤くなっていった。
「やめてよ、やめてよ!」
仕事のことがあったから顔に傷を作るのは嫌だった。だがそれ以上に今はテルオのことが心配だった。今の大塚の様子では、どこまでひどいことをされるか分からなかった。それでもこの人数相手では、その言葉を口にすることしかできなかった。
鋭子にはそれがたまらなく悔しく、情けなかった。
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一方、輝男の意識はすでに朦朧としていた。
パンチの直撃を避けるために、体を丸め、頭を抱え込むようにしていた。その隙間をねらって何度もパンチが飛んできたが、もう痛みは感じなくなっていた。
そのとき、鋭子の悲鳴が聞こえた。
「やめてよ、やめてよ!」
輝男はついガードを下げて、悲鳴の聞こえてきた飼育小屋を見た。
鋭子が倒れ込んでいるのが見えた。
周りを女の子達が取り囲んで蹴飛ばしているのが見えた。
そのとたん、左頬に大塚のパンチが当たった。
視界がグラリと揺れた。
だが輝男は倒れなかった。
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「やめろ!」
輝男は叫んで飼育小屋に駆け寄った。
が、たどり着く前に再び大塚の拳がこめかみにまともにあたった。
だが今度は逆に大塚が痛みに悲鳴を上げた。
輝男の方もあたり所が悪く、急に腰から力が抜けた。
意識が遠のきそうになったが、何とかこらえた。
そのまま飼育小屋の扉を開けると、血だらけの顔で鋭子の元に向かった。
そのあまりの形相に思わず女の子達は彼から離れた。
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「ごめんね、僕のせいでこんな事になって……」
輝男の口はもう腫れ上がっていたが、なんとかそれだけ言った。
鋭子は体を丸めたまま、声を出さずに泣いていた。
輝男は道をあけた女の子達の間を通って、鋭子の前に立った。
それからくるりと振り返ると、女の子達をにらみつけた。
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「やるんなら僕をやれよ」
「殴りたいなら僕を殴れよ」
しかし輝男の勇敢な行為は、逆に彼女達の狂気をあおった。
背後で大塚が悲鳴を上げていたことも、彼女達の狂気をあおった。
女の子達は輝男を囲み、殴り始めた。
だが輝男はガンとして倒れなかった。
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「どけっ!こいつはおれがやっつける」
そして飼育小屋の扉を開けて大塚が入ってきた。
その左手にはデッキブラシが握られていた。
「お前ら、コイツ押さえてくれ」
女の子達は輝男の両手を捕まえて、大塚の正面を向かせた。
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輝男は顔を背けた。
これ以上頭に傷を受けたら、気を失ってしまうかもしれない。
彼はそれを怖れていた。
自分が気絶したら、今度は鋭子に被害が及んでしまう……
だが掴まれた手は振りほどけず、もう立っているのがやっとだった。
「やめてくれよ、大塚君、こんなこと」
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「全部、オマエのせいだろッ!テルオ!」
そして大塚の箒が振り上げられた。
それでも輝男はそれを正面から見据えた。
諦めるわけにはいかなかった。
なにかチャンスがあるかもしれない。
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だがそのブラシは振り上げられたまま降りてこなかった。
もう一本の手がブラシを捕まえているのが見えた。
輝男は何が起こったのか理解できなかった。
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「大塚委員長、何してんだよ?」
デッキブラシをつかんでそこに立っていたのが『神城龍次』だった。




