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アトランティスのつまようじ  作者: 関川 二尋
第六幕
24/66

【脱獄物語】憎しみの遺伝子と思い出話①

 やっと第六章までたどりついた。

 ここまでの道のりの長かったこと!

 それでもこの回顧録はようやく、脱獄計画の入り口に立ったところだ。

 この章では憎しみの遺伝子について少し書こうと思う。


   ○


 憎しみというのは、それもあまりに強烈な憎しみは遺伝子に刻まれてしまうのはないか?というそんな話である。

 だがもちろん科学的にそんなことはない。まったくありえない。

 憎しみとはあくまで本人が育てるものであり、多くの人間が共同で耕す畑みたいなものである。

 手に負えないのは、憎しみが生きる目的そのものになってしまう、というところだとわたしは考えている。

 まぁ、そういう感じの話だ。

 それはともかく物語は先へ進む。


   ○


 さて、物語を進める前に一つだけ種明かしをしておこう。

 わたしが発案し、田中ハジメに開発を依頼したもの。

  

 それは『物質小型化装置』である。

 

 原子のサイズそのものを少し縮めることで、モノの大きさを形・性質もそのままに、小さくしてしまうという装置である。


 この物質小型化装置の発明、その開発こそが、今回の脱獄計画のカギでありカナメだった。

 ついでに言うとわたしの理想と野望を実現させるための『夢の発明品』だった。


   ○


 さて、開発プロジェクトはスタートした。

 スタッフは全部で百九十三人。結局監獄の科学者全員が参加することになった。

 これはもちろん収容所始まって以来のことである。


   ○


 スタッフの四分の一は、『田中(ハジメ)』の呼びかけで参加した。

 田中自身がスタッフを集めて研究をするのは初めてのことだったので、学問的に興味がわいた連中はふたつ返事で参加を決めた。

 このグループには物静かで知的な科学者が集まり、物質小型化装置を作るうえで必要な理論研究を担当することになった。

 リーダーはもちろん田中一である。


   ○


 四分の一はわたしが説得した。

 こちらはもっぱら年寄り連中で、今のわたしの境遇に同情し、手伝いを買ってでてくれた馴染みの科学者ばかりだった。

 このグループには長年の経験と鍛えられた勘を持つ科学者職人が集まり、主に装置の設計を担当することになった。

 このグループのリーダーはわたしがつとめた。


   ○


 そして残りの二分の一は『倉井小夜子』が説得した。

 彼らは田中の提案には興味を示さず、わたしの説得には理由を付けて嫌がっていたのだが、小夜子の待つ医務室に呼び出され、そこから出てきた時にはがぜんやる気になっていた。

 こちらはノリと勢いで研究をする気まぐれな連中で構成され、装置の組み立てそのものを担当することになった。

 研究のリーダーはいなかったが、小夜子が精神的なリーダーとなっていた。


   ○


 このグループ割のもと、田中一が科学者一人一人にあらかじめ用意してあった研究テーマを与えていった。

 ちなみにテーマを与えられた科学者はみな最初ずいぶんと驚いた顔をしていた。肩をすくめたり、これは無理だと怒鳴る者もいた。だが田中とレポート用紙を指差しながらひと言二言言葉を交わすと、みるみる挑戦者の顔つきに変わっていった。

 そう、どのように成長しても、結局みんな『科学』が大好きなのだ。

 やがて三、四人の研究グループが自然と出来上がっていき、カフェテリアのあちこちで議論が始まるようになった。


   ○


 彼らの様子を見て思うのは、わたし一人ではここまで緻密な計画は立てられなかったという事実である。

 わたしの物質小型化装置のヴィジョンは明確だったが、それを実現させるということに関してはわたし自身懐疑的だったのだ。

 今のわれわれが持っている科学力では荷が重い、わたしはそう思いこんでいた。収容所のみんなの力を信じていなかったのだ。

 だがそれも今は確信に変わった。

 テーマを与えられた科学者たちの自信に満ちた顔を見ればそれが確信できた。

 この装置は必ず完成できる!

 今は心からそう思えた。


   ○


 わたしはカフェテリアに大きなホワイトボードを持ち込んだ。

 そこに模造紙を張り出し、担当者ごとに研究進度をシールで貼っていくようにするためである。

 これはわたしがグループ発明の時に良く使う手だった。

 小学校の成績表か、企業の営業部のようだが、この単純な方式が意外と人のやる気を引き出すことはわかっている。

 研究者は人より多くシールを貼ろうと頑張るようになり、しまいには研究そのものよりシールを貼る事に快感を覚えてしまうようになるのだ。

 いくら頭がよくても科学者も人の子である。


   ○


 ちなみに模造紙のタイトルはこうである。


【 環境破壊物質転換装置 開発進捗状況表 】


 もちろん物質小型化装置なんてことは書けない。

 いかにも脱獄に使えそうな装置だからだ。


 ついでにタイトルの下にはこう標語が書いてある。


『科学の力で地球をクリーンに!』


 これはまだ誰にも知らせていないが、この装置が完成すれば、確かに地球はこれ以上ないぐらいにクリーンになるはずだった。

 だから標語に関して嘘はなかった。


   ○


 そして今回もこの作戦は当たった。

 どのグループも競うようにして急ピッチで研究を進めていった。


 田中一のグループは興味に突き動かされ青いシールを伸ばしていった。


 わたしのグループは職人魂に突き動かされ、赤いシールを次々に貼り付けた。


 だが何よりも小夜子のグループの緑シールの勢いはすごかった。


   ○


 小夜子がシール貼りに夢中になったのがその理由だ。

 小夜子のグループでは小夜子がすべてシールを張っていた。

 研究者は受付でノルマ達成の緑のシールをもらうと、そのまま小夜子に渡す。すると小夜子は本当に嬉しそうに丁寧にシールを貼り付けるのだ。

 その笑顔見たさに研究はすごい勢いで進んだ。

 徹夜なんて当たり前。それこそ食べる時間も惜しんで、カフェテリアでもノートやパソコンをはなさなかった。


   ○


 こんなにみんなが生き生きしているのを見るのは初めてだった。

 それはわたしだけではない。誰もがそれを感じていただろう。

 この刑務所に収容されて以来、誰もがはじめて共通の目標のために動いていた。

 そこには一つの目的があり、全員が自分の技術と発想と、プライドをかけて仕事に取り組んでいた。

 年寄りくさい言い方かもしれないが、みんなが輝いていた。


   ○


 まさにこの刑務所は人材の宝庫だった。

 ここには日本中のすぐれた頭脳が集められていた。

 みんなの智恵を合せれば、不可能なことは何もないだろう。

 人が考え出せるものはすべて実現されるだろう。

 わたしはそれを確信できた。

 この監獄はまさに科学の神殿だった。


   ○


 とにかく物質小型化装置の開発は順調に動き出した。

 その一方で、世間ではまた戦争の気配が濃密に流れていた。

 核爆弾の投下の一件で、テログループはアメリカに対し報復テロを予告した。

 それをけん制するように、アメリカはさらなる核爆弾の投下をあらゆる国にちらつかせるようになった。

 しかも今回はただの威嚇ではなかった。やるといったら必ずやる、アメリカがそういう国だということは、先日の事件で世界中が知っていた。

 まだ何も起こってはいなかったが、世界中に重苦しい空気が停滞していた。


   ○


 最近では世界中の誰もが、戦争というものが決して終わらないのだと信じるようになっている。

 報復につぐ報復、武力による民族の支配、狂った指導者。際限なく増大していく憎悪、延々と繰り返されてきた宗教的な反目。

 今や巨大な憎しみの火の球が世界中を転がり、膨れ上がっていた。


 その中で犠牲になる大勢の子供達、憎しみを抱えて育つ青年達。

 負の連鎖、憎しみの連鎖は、もはや人の意思で断ち切ることはできない。

 神ですらもその負の連鎖を断ち切ることは出来ない。この世に現れた神にはそれぞれの主張があり、その主張を曲げることを人間が許さないからだ。


 それとも神は死んだのだろうか?

 時々わたしは思う。あるいはそうなのかもしれない。

 考えてみれば神がものを言わなくなってずいぶんとたつ。

 わたしたちはとっくの昔に神に見捨てられていたのかもしれない。


   ○


 世界は確実に終末に向かっている。

 人々の中に積もった憎しみが、出口を求めて一気に噴き出そうとしている。

 テロリストはそのうちわたしの事を捕まえに来るだろう。わたしを捕まえてアメリカと同じ爆弾を手に入れようとするだろう。

 そしてアメリカもまたわたしを捕まえに来るだろう。その爆弾を独占するために、そうでなければもっと強力な爆弾を作らせるために。

 クリーンな核爆弾が実現してしまった今、カウントダウンは止められなくなった。

 もはや一刻の猶予もならなかった。


   ○


 もっとも、重要なのはわたしという存在ではない。

 科学者という存在だ。

 わたしの代わりなんていくらでもいる。

 わたしでなくとも、いつか同じ爆弾を作れる科学者が現れる。

 だからこの世界から科学者を根絶しなければならない。

 人類からあらゆる武器を取り上げ、これ以上人殺しが出来ない状況を作るしかないのだ。

 テクノロジーを誰かが管理し、安全で必要なものだけを人類に与えていく。悪用できるものは、ことごとく人の手から取り上げてしまうのだ。


   ○


 わたしは驕っているだろうか?

 神になったつもりだとでもいうだろうか?

 だがそういうことをしなければ、それも早急にしなければ、科学は人を滅ぼしてしまう。

 わたしは世界中の科学者を集め、人類と決別するつもりだ。

 もはや選択の余地はない。

 人の中にある善意を信じることは理想論なのだ。


   ○


 わたしは模造紙を埋めていくシールを眺めた。

 シールの最後の一枚が張られた時、

 あの物質小型化装置が完成した時、

 わたしはその力を手に入れるだろう。

 それはそんなに先の話ではない。


   ○


 こうして三日間が過ぎた頃、わたしは久しぶりに小夜子の医務室を尋ねた。

 扉を開けてまっさきに目に飛び込んできたのは、ずらりと並んだベッドだった。

 しかもベッドは全てふさがっていた。ベッドの上の患者は全員がげっそりとやせ、腕には点滴を刺していた。だが眠っているわけではない。みんながノートパソコンを片手に研究を続けていた。

 その間を小夜子が忙しそうに飛び回っていた。


   ○


「あら、織田博士!おひさしぶりですねっ」

 小夜子はわたしの姿を見つけると手をふってきた。いつもの白衣姿、今日のスリッパはライオンだ。

「やぁ。ちょっと寄っただけだよ。ずいぶん忙しそうだね」

「ええ。ここのところ急に忙しくなったんです。もうすぐひと段落つくから、ちょっと待っててもらえますか?」

「もちろんさ、焦らなくてもいいよ。ゆっくりどうぞ」


   ○


 医務室は拡張され、ベッドの数はおよそ50床に増えていた。奥行きのある室内にベッドが二列でずらりと並んでいる。

 実際に見たことはないが、なんだか野戦病院のようだった。

 その奥のほうでは驚いたことに『チャールズ』が白衣を着て働いていた。点滴のパックを交換したり、食事の介護をしている。

 たぶん冴子シェフから借り出されたのだろう。

 それにしてもずいぶんと器用なロボットになったものだ。


   ○


「がんばってね、アキラさん」

 小夜子が一人の科学者に声をかけていた。声をかけながら七三に分けた髪を優しくなでている。苗字ではなく名前で呼ばれた男はにっこりと微笑むと、すごい勢いでキーボードをたたき出した。

 小夜子はにっこり笑うと次のベッドに移った。


「あら、皐月さんも研究が進んでるみたいですねっ!」

 小夜子はほとんどくっつかんばかりに顔を寄せ、ノートパソコンの画面を後からのぞきこんだ。

「……なんか、すごくむずかしそう!頑張ってくださいね!」

 小夜子が耳元でささやきかけると皐月は真っ赤になってうつむいてしまった。

だが喜んでいるのはその指先を見れば分かる。

 彼の指もまた魔法のようにスピードを上げてキーボードを叩き始めた。


   ○


 万事がこんな調子だった。

 そうしている間にも、また一人科学者が医務室にやってきた。

 足元がふらふらとして、眼鏡がずり落ち、今にも倒れそうな様子だ。彼はどう見ても働きすぎだった。

「あら、陽野さん。大丈夫ですか?」

「ちょっとめまいがひどくって」

「まぁ。でも、今はベッド空いてなくて……そういえば陽野さん、ここに来るのは初めてでしたっけ?」

「ええ、まぁ……そうです」

「だったら特製の手作りドリンクを飲んでみて!」


   ○


 小夜子は冷蔵庫を開けると、三角フラスコに入ったドロドロとした紫色の液体を取り出した。

 それを紙コップにちょっと注ぐと、その男に渡した。

「あのコレ、何が入ってるんですか?」

「うーん……愛情?見た目はアレだけど心配しないで!あたし名医なんだから」

 陽野はちょっと不安そうにその液体を見つめ、それから目を閉じて一気に飲み干した。と、雷にでも打たれたように体がびりびりと震えた。

 その一瞬後、陽野は実にすっきりとした顔つきになっていた。


  ○


「なんだか、力がみなぎってくるような感じです!」

 実際男の足の震えはぴたりと止まっていた。顔色も赤みを増している。だがその妙な健康具合はなにか不安を感じさせるものだった。

 なにか元気すぎるのである。

「よかった。でもあまり無理しないでね」

「大丈夫です!なんだか生まれ変わったみたいな気分ですよ!シール楽しみにしていてください!」

 だがまぁとにかく本人は満足したらしい。

 背筋をしゃんと伸ばし、うれしそうに医務室を出て行った。


   ○


「さて、これで終わりました」

 小夜子が手を拭きながら戻ってきた。顔いっぱいに充実感があふれている。

「ずいぶんと急がしそうだね」

「みんなすごくはりきってるんです。だけどなんか頑張りすぎちゃうらしくって……」

 小夜子はのんきにそういった。

「まぁ、もとから体が弱そうな連中ばかりだからね」

「そう思って、みんなのために特性ドリンクを発明したんですよ」

「さっき飲ませてたあれだね?(ところで中には何がはいってるの?)」

 最後は声をひそめてたずねた。

「栄養のかたまりみたいなものです。ビタミンを中心としたもので、疲れにきくんですよ(あとちょっとだけ、アドレナリンを強制的に分泌させる薬品が入ってます、他にもイロイロ)」

 小夜子も最後は声をひそめた。

 道理で回復の仕方が尋常じゃないわけだ。

「(あれは二、三回が限度ですね。あとは体の方がついてこれないみたいで、こうして点滴をして実際に体を休ませないとだめなんです。まだ改良中なんです)」

 恐ろしい女だとちょっと思った。

 そんな小夜子は少しベッドを振り返り、皆にチャーミングな笑顔を振りまいていた。ヨボヨボの患者たちが嬉しそうに手を振っていた。


   ○


 と、そのベッドの一番奥に庭師のロンさんが寝ているのが見えた。

 白髪の混じった長髪を後ろで束ねており、その額には小さくたたんだタオルが乗せられている。体つきが大きいので、パイプベッドからは足がはみ出していた。

「あれ、あの人、庭師のロンさんだよね?」

「ええ、でも日本人ですよ。見た目は丈夫そうなんだけど、日射病にかかっちゃったみたいで」

「なんか意外な感じだね」

「あんまり外の作業に慣れてないみたいですね」

「庭師なのにかい?」

 小夜子は小さな肩をすくめた。


   ○


「ところで、博士の研究の方はどうですか?」

「予定よりもずいぶんと早く進んでいるよ。君のおかげさ」

「良かった。でもお礼を言うならみんなに言わないと。あたしはただお手伝いをしているだけですから。みんなが一生懸命働けるように、って」

「この分で行けば、あと三日もすれば何らかの結果が出せそうだよ」

「まだ、そんなにかかるんですか……」

「これでも予定よりはずいぶん早いんだけどね」

「ええ、でも、みんなにはもっともっと頑張ってもらわなくちゃなりませんね。完成が一日でも早くなるように」


   ○


 小夜子はまたみんなにチャーミングな笑顔を浮かべた。

 その笑顔を患者の連中たちが、うっとりと眺めているのがなんとなく分かった。

きっと今頃彼らは幸せな気分でいることだろう。

 それだけにわたしはちょっぴり彼らに同情してしまった。

 過労死させられなければいいが……と思ったが、過労死なんてものを小夜子が許すはずもない。過労死を上回る栄養ドリンクを作るに決まっているのだ。

 彼女は昔話にしていたけど、現役の立派なマッドサイエンティストだった。


   ○


「さて、君の顔も見たことだし、そろそろ行こうかな」

「もう行っちゃうんですか?」

「ああ、みんながさっきから、わたしを睨んでいる気がしてね」

「また、冗談ばっかり言って」

「冗談なんかじゃないよ。なんたって君はこの監獄のマドンナなんだから」

 わたしはそういい残して、医務室の扉を開けた。


   ○


 そこに所長の『大塚守男』が立っていた。



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