【脱獄物語】チャールズとスケイプ①
第五章である。
ついに脱獄への計画は進み始めた。
田中一を巻き込むことに成功し、脱獄のための新発明の段取りもついた。
だが本当に大変なのはこれからだった。
何しろ脱獄へのタイムリミットが迫っていたからである。
○
田中一と会った同日の午後のことである。
「織田博士、夕食ご一緒してもいいですか?」
顔を上げると倉井小夜子が立っていた。いつもの白衣姿、足元にはトレードマークのかわいい動物スリッパをはいている。
○
「……え?夕食?」
聞き返すと同時に、周りからの騒音が洪水のように押し寄せてきた。
いつの間にかカフェテリアは人でいっぱいになっていた。
がやがやと話す声、食器がカチャカチャと触れ合う音、料理が出来たことを告げているシェフの呼び声。
ずいぶんと長い間わたしは集中していたらしい。
そういえば田中ハジメの姿もいつの間にか消えていた。
○
「そうか。もう、そんな時間だったか……」
雨はいつの間にかやみ、外ではヒグラシが鳴き始めていた。
カフェテリアの巨大な窓ガラスいっぱいにオレンジ色の光があふれ、巨大な太陽が揺らめきながら森の向こうに沈んでいこうとしていた。
○
わたしは大きく背筋を伸ばした。背中の筋肉がずいぶんとこわばっている。首を回すと、ぽきぽきと乾いた音が鳴った。
「今場所を空けるよ、ちょっと待ってくれ」
わたしは机の上に広げてあった模造紙を丸め、田中の残したメモを拾い集めて、白衣のポケットに突っ込んだ。
その間、小夜子はトレーを持ったまま待っていた。いつもと同じぶ厚いめがねをかけていたが、今日はちょっと寝不足のように見えた。
○
「あの、お邪魔でしたか?」
「まさか、とんでもない。さぁ、どうぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
小夜子は机の上にトレーを置いた。なんとも気の利くことに、彼女はわたしの分の夕食まで持ってきてくれていた。
今日のセットメニューは山盛りのクラブサンドイッチとクラムチャウダー、それに削りたてのパルメザンチーズをたっぷりとかけたシーザーサラダだった。
「今日のディナーもまた実においしそうだね」
小夜子はにっこりと笑ってそれに答えた。
○
わたしと小夜子は話をする前に、まず食事を始めた。
実は小夜子と二人で食事をするのは初めてだったのだが、彼女はほっそりした体形のわりに、実に食欲が旺盛だった。
いわゆる痩せの大食いタイプで、淡々とした食べ方ながら手も口も止まることなく次々と料理を平らげていく。パンを美味しそうにかじり、スープをパクンと飲み、山盛りのサラダをきれいに食べていく。
その食べっぷりは見ていて惚れ惚れするほどだ。
わたしのほうは普段は食が細いのだが、今日は小夜子につられるように、山盛りの食事をあっという間に平らげてしまった。
○
「なんだか、すっかりお腹がいっぱいになったよ」
はしたないが、私は白衣のボタンを取った。
「あたしもずいぶん食べちゃいました。なんか美味しいから、ついつい食べ過ぎちゃうんですよね」
彼女はそう言って悪戯っぽく舌の先をのぞかせた。
「そうそう。わたしも同じ事を言おうと思っていたんだ。たとえばこのクラブサンドも、ふつうの素材を使ってるように見えるんだけど」
「なぜか格別に美味しいんですよねぇ」
「そう。クラムチャウダーだって、食べたことはあるんだけどさ」
「味が全然違う!」
「そう。そうなんだよ!」
「そうなんですよねぇ」
○
実際にこの監獄の食事は何を食べてもとにかく美味しい。
それも並みの美味しさではない。
どんなに食べなれた料理でも、それこそ白米にいたるまで、根本的に美味しさのレベルが違うのである。それこそわたしのような素人でもそれがはっきり分かるぐらい、圧倒的にうまいのである。
だからここでの生活で、わたしの舌はすっかり肥えたと思う。
これはもちろん普通の刑務所では考えられないことだ。
○
ちなみに体重も増えた。
それまではけっこうガリガリの体格だったのだが、いまでは人並みの筋肉と脂肪がついている。
もちろん健康状態も良好だ!
この刑務所でも健康診断が毎年実施されているが、血圧やらコレステロールやら、みんな楽々検査をクリアしている。
○
そして、ここの料理が美味しいのはもちろんシェフのおかげである。
ということでシェフの紹介をしておこう。
彼女の名前は大場【サエてる子】冴子。
歳はわたしよりも下で、小夜子よりは上というところだろう。名前からすると、クールで頭のいい女性を連想させるが、実際の彼女の印象はかなり違う。
冴子シェフは顔と体が全体的に丸くぽっちゃりとしていて、とても健康的な感じだ。そして体つきと同じくその内面も、なんとも気さくで優しい感じだ。目元には感じのいい笑い皺が刻まれている。
とまぁ外見だけみれば普通の中年女性と思うだろうが、彼女は正真正銘、料理の大天才なのである。
○
もちろんいくら天才とはいえ彼女は囚人ではない。
料理の天才は、危険な人物ということにはならないからだ。
ではなぜそんな人物がこの収容所にいるのか?
以前に本人に聞いたところでは、たまたま家が近くて、調理師募集に応募したら採用されたのだという。
○
しかしこれはどうも信じられない。
まるで高級フランス料理店のシェフが、田舎の小学校で給食を作っているようなものなのだ。
きっと何か理由があるに違いないとは思うのだが、わたしにはさっぱり見当がつかない。
実にミステリアスな人物、と言いたいところだが、彼女の発散するおおらかな、優しい雰囲気には後ろ暗いところは微塵もない。
彼女はいつでも楽しそうに料理して、それを食べているわたし達の顔を嬉しそうに眺めている。
ただただそれだけなのだ。
○
するとその『冴子シェフ』が、両手にアイスクリームを持ち、うしろにウェイターロボットを従えてやってきた。
これは珍しいことではない。
彼女は仕事がひと段落すると、たまにわたしのテーブルにやってきて一緒にデザートを食べることがあったのだ。
今日も片手に三枚の皿を乗せ、糊のきいた真っ白なロングエプロン姿でやってきた。
○
「織田センセ、小夜子センセ。デザートにアイスクリームはいかがですか?」
「もちろんいただきます」
「ハイ、あたしも!」
考えてみればこの収容所に入る前はデザートつきの食事などとはまるで無縁だったのに、ここに来てからは食事の後の甘いものが何よりの楽しみになっていた。
○
ちなみに冴子シェフの作るデザートが、またどれもすばらしく美味しいのだ。
彼女は気が向くと、あんみつや白玉、杏仁豆腐に、クレープやケーキと、和洋中のいろんなデザートを作ってくれる。
たくさんは作らないので、居合わせた囚人だけがたまにご相伴にあずかれるのだ。
今日はそのラッキーな日に当たったというわけだ。
○
「今日はですね、クラムチャウダーで牛乳が余ったから、特製バニラアイス作ったんです!」
「いいですね、ぜひ一緒に食べましょう!」
わたしは左側の椅子をひき、食べ終えた食器を重ね始めた。
……と、その時だった。
「おまかせください」
○
ウェイターロボットがするするとテーブルに近付いてきた。
そしててきぱきと食器を片づけて、テーブルの上を拭き始めた。
改良前はカプチーノをこぼしてテーブルを汚す方だったことを考えれば、これは驚くべき進歩だった。
さらにウェイターロボットはなんとも気の利くことに、飲み物のオーダーまで受け付けた。
すべてが実になめらかな動き。震えていたアームの動きは、ほとんど人間と変わらなかった。さらに、なぜか言葉使いまで完璧だった。改造されてからまだ大して時間もたっていないのに、驚くべき進化だった。
○
「そうそう、博士の作ってくれたこのロボット。今日はずーっとこの調子なんですよ。なんだか急に賢くなったみたいで、なんかヘンなんですよねぇ」
冴子シェフはアイスクリームをつっつきながらそう言った。
その背後でウェイターロボットは得意のカプチーノを腹で沸かしていた。そう言われると、その香りまでもが何だかいつもと違う感じがする。
○
「そういえば……なんか雰囲気変わりましたね。この前まで、なんだかぎこちないロボットだったのに」
小夜子もアイスクリームを頬張りながら、不思議そうにウェイターロボットの動きを見ている。
そのウェイターロボットは片手で重ねた皿を持ちながら、もう一方の手で机の上を拭いている。ほとんどベテランウェイターのようだ。
「そう!そうなんですよ!」
冴子シェフは興奮した様子で、握ったスプーンを振っている。
○
「それにですね、今日は仕事が終わってから、ずーっと、わたしの後ろにくっついてきて仕事を見てるんですよ。それがなんとも可愛いいんですよ」
思い出してみると、このウェイターロボットはいつもワタワタとテーブルの間を回り、あちこちでコーヒーをこぼしていただけだった。ちょっと余計な発明をしたかと反省したが、まぁ結果よければすべてよし。少なくとも今は彼女を喜ばせている。
「それでですね、ためしにちょっと食器の片付け方とか、テーブルの拭き方とかを教えてみたんですよ、そしたら!」
冴子シェフはそう言って、ウェイターロボットに向けて両手をひらひらさせた。むろんその先は言わなくてもわかる。
○
「どうやら田中君は彼に自動学習機能までつけたようだね」
わたしもアイスをつつきながら答えた。
「むつかしいコトはよくわからないんですけど、とにかくそれからも色々と教えたんですよ。そうしたら、食器を全部洗ってくれて、ついでに鍋とか食器台とかも全部洗ってくれて。もうキッチンは新品みたいにピカピカですよ。ホント魔法でもかけられたみたいに別人……あ、別ロボットになったんです!」
そういって冴子シェフはうっとりとした目でロボットを見上げた。なんだか自慢の彼氏でも紹介している雰囲気だった。
「やっぱり織田センセがなにか改良したんでしょう?」
「いや、わたしじゃない。田中君が改良したんだよ。それも五分位でね」
○
「たった五分ですか?それでこんなに変わったんですか?」
今度は小夜子が驚いた声を出した。まぁ無理もない。なにしろ目の前で見ていたわたしでさえ、信じられないようなことだったのだ。
「ああ、五分だ。それ以上はかかっていない」
「田中さんって、やっぱり天才だったんですねぇ」
と小夜子。ここの囚人仲間から見ても、やはり田中ハジメの天才ぶりは突出して見えているのだ。でもそんな彼も今はわたしの味方にしてパートナーだ。
○
「彼は本物の天才だよ。ここで長年メシを食ってるくらいだからね」
「織田センセ、なんかその言い方だと、まずいメシを食べさせられているみたいに聞こえますよ?」
チラッと冴子ににらまれた。わたしはあわてて言い添えた。
「いやいや、そういう意味じゃないよ。ここの料理は最高だよ。そうじゃなくて、この収容所には天才ばっかりが集められてるから……」
「わかってますって」
冴子はにっこりと微笑んだ。
わたしは胸をなでおろした。女性を怒らせるというのはあまり気分のいいものではない。
わたしは小さい頃からそういうことに敏感だった。たぶん、母と祖母の二人の女性に囲まれて育ったせいだろう。
わたしの母と祖母というのは、実に気難しい人たちだったから。
○
「そういえば、織田センセ、今日は田中さんとずいぶん話しこんでましたね?」
アイスクリームを食べ終えて、冴子シェフが言った。彼女はわたしだけではなく、科学者全員とよく会話をしており、たぶんこの監獄の中では一番顔が広く、一番の情報通だ。
「まぁね。その共同研究の第一号がこのロボットというわけだ」
「それならまずは大成功ですね!彼が頑張ってくれたおかげで、私もずいぶんと助かっちゃった」
「仕事を教えれば、まだまだ色々と覚えていくはずだよ」
「じゃあ、今度は料理を教えなくちゃ。かわいい弟子の第一号!」
冴子シェフは嬉しそうにそういって、傍らに立つロボットの手を握った。実に自然に、それこそ友達のようにロボットに接している。
それはわたしにとって、とても胸の温まる光景だった。
それこそが、わたしがこのロボットを作った理由だったからだ。
○
「でもぜんぶ教えると、君の仕事がなくなるかもしれないよ」
「いーんです。なんたってかわいい弟子ですからね。そうだ!」
冴子が何を思いついたのか、急に立ち上がった。それからバンと机に手を突き、グッとわたしに顔を近づけた。
「な、なにかな?」
「織田センセ!このロボット、わたしに売ってくださいっ!」
「え?その、売るっていわれても……」
「貯金だったら、少しはあるんです。300万位かな。足りないですか?分割払いだったら、もう少し出せますっ!お願いっ!」
「いや、お金の問題じゃないんだよ」
としか答えられなかった。
○
冴子シェフはがっくりと肩を落とした。そして背後に立つウェイターロボットを残念そうにみつめた。それから大きなため息をついた。
「そうですよね。こんなすごい発明品、値段なんかつけられませんよね……」
「……まあね。このロボットはわたしの子供みたいなものなんだよ。だからお金で売買するのは気がすすまないんだ。だから君のところに養子に出すとしよう!」
とたんに冴子の顔に笑みが広がった。嬉しさに感極まったのか、テーブルのナプキンをぐちゃぐちゃに握り締めた。そしてまたグッと顔を近づけてきた。
「いいんですか?本当に?」
「ああ、これからは君が彼の面倒を見てやってくれ」
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「ありがとう!博士!」
冴子は本当に嬉しそうに言った。そしてくるりと振り返ると、ウェイターロボットのずん胴をがっちりと抱きしめた。
「織田センセ、彼、名前はなんていうんです?」
「名前?いつもウェイターロボットって呼んでたから、それが名前と思っていたよ」
「それは名前じゃないですねぇ……うーん」
冴子はちょっと首を傾げてウェイターロボットを見て、考え始めた。が、すぐに顔を輝かせた。
「チャールズ!」
その名前を聞いた瞬間にわたしと小夜子の持つスプーンが手からはなれて、カチンと食器の上に落ちた。
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わたしと小夜子は思わず見つめあった。
「どうかしましたか?なにか悪い名前でしたか?」
心配そうに冴子シェフ。
「いや、そうじゃないんだ。ただあんまりに正しい名前のような気がしたから」
わたしの言葉に小夜子もうなずいた。
「ええ。あたしもビックリしただけ。そのあんまりピッタリな名前だったから」
「そうでしょう?『チャールズ』ウェイターにピッタリの名前だわ。わたしの弟子第一号!よろしくねっ、チャールズ!」




