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アトランティスのつまようじ  作者: 関川 二尋
第四幕
14/66

【脱獄物語】原子の世界はスカスカ①

 第四章だ。

 その前に少し状況の整理を。

 運命のあの日、わたしの発明が悪用され、核爆弾が使用された。その夜に山川鋭子から電話が来て、わたしは初めて脱獄の意思を伝えた。

 さらにその後、田中(ハジメ)から電話が来た。駆け引きは得意ではないものの、なんとか彼の興味を引き、打ち合わせの約束を取り付けた。

 こんな感じの話をしてきたと思う。

 ということでその続きからだ。 


   ○


 その日は朝からシトシトと霧雨が降っていた。

 時刻は午前十一時。この刑務所の朝は遅い。

 というのも科学者連中は夜に活動するものが多いからだ。たいていの連中は昼すぎまで眠っている。

 起きているのはわたしのような年寄りばかりで、刑務所内はシーンと静まり返っていた。


   ○


 わたしは田中ハジメと会うため、カフェテリアに向かっていた。

 途中には五十メートルほどのまっすぐな廊下があり、その壁の片側には足元から天井まで届く巨大な一枚ガラスがはめ込まれている。

 そこは遊歩道と呼ばれていた。

 わたしはこの遊歩道を歩くのが大好きだった。ここだけはガラス越しとはいえ、わずかでも外に出ているような気持ちになれたからだ。


   ○


 ぶ厚いガラスを隔てた向こう側には、きれいに刈りそろえられた芝生が広がっていた。奥行きは、ざっと300メートル。

 とにかく圧倒的に広大で、じつに感動的だ。今日はあいにくの雨だが、これが天気の日だと見事なグリーンに輝いて見える。まるで天国に足を踏み入れたような気分になれる。

 野球場でもサッカー場でもそうだが、広大な芝生というものは、なにか人の心を揺さぶるものがあるようだ。


   ○


 芝生の真ん中あたりで、庭師のロンさん(中国語で龍の意味だそうだ)が、雨だというのに今日も芝刈り機に乗ってのんびりタバコをふかしていた。

 彼は最近来たばかりのスタッフで、実際は中国人ではないそうだが、みんなにそう呼ばれている。

 とても落ち着いた穏やかな物腰で、体つきは大きいが実に優しそうな男だった。

 彼はこの時間にはだいたいそこにいて、わたしに手を振ってあいさつしてくれる。

 彼は今日もタバコを持った手を振ってきた。

 わたしも同じように手を振りかえした。


   ○


 ちなみに後で分かることだが、このロンさんというのが実はわたしにとって、そしてこの脱獄にとって、重要な人物だったのである。

 ただこの時点では彼が誰であるのか、わたしはまったく気がついていなかった。

 気がつくことなく、この時ものんきに手を振っていた。

 だから今はこのまま話を進めよう。


   ○


 ちなみに芝生を越えた向こうには、人工の池がみえる。

 雨だというのに、小さいアヒルたちが元気よく、親のあとをついてばしゃばしゃと泳ぎまわっているのが見えた(かなり小さいが)。

 その可愛い姿! わたしはいつも、小学生の頃に飼育係で面倒を見ていたヒヨコの事を思い出す。


   ○


 この自然にあふれたのどかな風景を見ていると、ここが刑務所であることをつい忘れてしまう。

 閉じ込められているという実感がまるでわいてこないからだ。

 実感がない以上、ここを出て行こうという気も起こらない。

 おそらくそういう囚人の心理も計算して作られているのだろう。とにかくあらゆる意味でじつに良くできた刑務所だった。


   ○


 ちなみにもちろんこの刑務所にも塀はある。ただこの位置からは刑務所を囲む塀を見ることはできない。

 池の向こうには広大な森が広がっており、塀はその森のはるか向こう、約6キロメートルの先にあるからだ。

 ここから見る風景は広大な屋敷の中の、広大な庭のようにしか見えないのだ。


   ○


 それにしてもこうしてみると、脱獄そのものが不可能に思えてくる。

 この収容所から脱獄するだけでも大変な事だ。さらにこの国そのものからも逃げ出さねばならない。それになんといっても200人余りの大脱走だ。しかもタイムリミットは迫っていた。

 それでもわたしの脱獄の意志は揺らがなかった。

 なんとしても成功させければならないのだ。

 あらゆることを放り出してでも必ず! 


   ○


「脱獄の計画ですかな? 織田博士」

 突然の声に振り返ると、この刑務所の長官、大塚オオツカ【守る男】守男モリオがいた。

 守る男とは刑務所の長官には実にピッタリの名前だ。

 この男、年はわたしと大して変わらない。

 線の細い男でオールバックに銀縁眼鏡、見ただけでそれと分かる高価なスーツを着ている。

 物腰も丁寧で紳士的、話し方は明るく、頭の切れる男だ。

 だが同時に尊大で、嫌な奴だ、というのが直感的に伝わってくるタイプだった。


   ○


「なんですか、いきなり。脱獄だなんて」

 大塚は、いやたいしたことではない、というように肩をすくめた。

「いや、君も気付いているとは思うがね、この刑務所の電話はすべて傍聴されている。今朝その記録がわたしのところにも届いてね。その中で『脱獄』という言葉が出てきたので、どうしても君と話さなきゃならなくなったんだ。それだけだよ。もちろん冗談なんだろう?」

 大塚はちらりと試すように、しかしわたしの目をまっすぐに覗き込んだ。そしてわたしの目から何を読み取ったかは分からないが、すぐにその視線を外へ向けた。

 その口の端がすこし笑ったように見えたのは気のせいだろうか。


   ○


「冗談もなにも、わたしがそんなことを言ってましたか。酔っていたのはたしかですがね」

 もちろんわたしはトボけることにした。

「……まぁ、あんなことがあったからね。キミが酔っぱらいたい気分も分かるよ」

(いや、あんたにはぜったいわからないさ……)

 わたしはそう思ったが、口に出すほど愚かではなかった。

 しかしこの男がじきじきに乗り出してくるとなると厄介だった。


   ○


 彼はこの監獄の長官として確かに優秀だった。

 組織のトップにいるというのに、彼は実に細かい男だった。

 われわれが集まるところにはよく顔を出してきたし、看守の連中からの受けも良かった。

 噂では職員とその家族の誕生日にはいつも何かしらのプレゼントを届けているという。しかもその気配りは徹底していて、その対象は食堂のおばちゃんやら、掃除のおばさん、出入りしているクリーニング業者にまで及んでいるという話だった。

 当然彼らともよく話しているから、この刑務所の中で彼が知らないことは全くないといってよかった。


   ○


 だがなにより厄介なのは、大塚がわたしのことを個人的に嫌っているということだった。

 彼はいつでもわたしに目を光らせ、なにかとわたしの足を引っぱってきたのだ。

 しかもそのやり方は陰険で狡猾だった。


   ○


 ちなみに彼がわたしを嫌っていたのは理由があった。

 なんと彼はわたしの小学生の頃の知り合いで、その頃に起こった些細な事件でずっと恨みを抱いていたのだ!

 なんという記憶力と執念だろう。わたしはそのことに驚いてしまう。

 ただ、わたしはこの時も、そしてしばらく後になるまでずっとそのことに気がつかなかった。

 それに気づくのは脱獄劇も終盤の頃なので、やはり今はこのまま話を続けよう。


   ○


「じつはあの一件で、各国のテロリストたちが動き始めているという情報が入ってね。目的はもちろん君の身柄の拘束だ。君への復讐ではないよ。

 例の爆弾を狙ってるんだそうだ。目には目を、と言うやつだろうね。

 そのためにわれわれも監視体制を強化することになった。すでに警備員も倍の人数を動員して警備に当たらせている」

 大塚はそう言って窓の向こうをじっと見つめた。

 その窓の向こうではシャワーのような霧雨が、太陽光に当たって金色に輝いていた。自然は時おりこういう神々しい美しさを見せてくれる。


   ○


「実に美しい景色だね、そう思わないか?」

 そういったのは大塚だった。

 わたしは一瞬自分の心の中を読まれたような気がした。

 彼はまた、口の端だけでにやりと笑った。

 そしてあちこちを指さしながら刑務所の説明を始めた。


   ○


「念の為だが説明しておこう。ここからの脱獄は絶対不可能だ。まずこの建物から出ることが出来ない。最短ルートでも十回は鍵つきの鉄格子をあけなくてはならない。

 もちろんそれぞれの扉には見張りがついている。仮に建物の外に出たとしても、300メートル以上も広がっている芝生の中で身を隠すのはやっぱり不可能だ。銃を持った警備員が三十人、二十四時間体制で巡回して見張りについている。

 もし仮にそのルートを抜けたとしても、まだ森がある。身を隠すのは簡単だが、ずいぶんと深い森だし、壁まではたっぷり五キロ以上は歩かなくてはならない。

 これは結構な運動だよ。わたしも歩いたことがある。

 それを抜けたとしても、待っているのは5メートルの壁だ。これもまず登ることは不可能だ。厚さも3メートルあるから、破壊することも不可能だ。

 さらに壁の上にも常時見張りがいる」


   ○


 大塚はじつにうれしそうに説明をした。

 まるで自慢の息子のようだった。じっさいこの刑務所は彼の息子だった。

 これもあとで分かることだが、この刑務所自体がいわば彼の発明品であり、その発案から設立まで全て彼がとりしきったのだった。

 これだけのものを作り上げたのだから、彼もまた一種の天才だったのかもしれない。

 

   ○


 正直に告白すると、わたしは大塚の話を聞きながら、ため息をつきたくなった。

 だが大塚の話はコレで終わりではなかった。

「しかもここから先がまた大変なんだよ。壁の向こうは外からの侵入者を阻む目的でさまざまな防御体制が取られている。

 地雷もその一つだ。狙撃手も常時五人ほど控えている。言ってみれば塀の向こうは戦場が広がっているんだ。

 このエリアではきみの身分は通用しない。

 そこに存在するだけで、抹殺の対象となってしまう」

 ここまで聞くと、もうため息も出なかった。

 しかも脱獄をはじめようと決心した矢先だったから、なんだか決意の束がポキポキと折れていくようだった。


   ○


 大塚はわたしを見た。

「君ほどの頭脳がなくても分かるだろう?100パーセント以上の確率で脱獄は不可能だ」

 100パーセント以上とはずいぶん非科学的な事を言うな……とは思ったがその手の反論は控えた。

「大塚長官、わたしは脱獄なんて考えていませんよ。わたしだって死にたくはない。生き残るにはここにいるしかないって事ぐらい、分かっているつもりです」

 しばし沈黙が漂った。

 大塚はまた肩をすくめた。

「それもまた辛い選択だな……」

「選択なんて何もしていませんよ。ここにいるしかないんです。ここにとどまって今度こそ、人類の役に立つ発明をするだけですよ」


   ○


 大塚はわたしの方に向き直った。

 そしてポケットからタバコを抜き取ると、一本をわたしに薦めた。

 わたしはそれを受け取ると、自分のライターで火をつけた。

 大塚もポケットから金のライターを取り出し、火をつけた。

 その右手の甲に、手の形をしたアザがちらりとみえた。

 なにかこれに見覚えがあるような気がするのだが、さっぱりと覚えていない。

 わたしは人の名前や顔を覚えるのはあまり得意ではないのだ。


   ○


「とにかく警告はしたよ。妙な気は起こさないでくれよ」

「何も妙なことは考えてませんよ。おとなしいもんです」

「ははっ、実に君らしい言い方だな。まっ、くさらずに次の研究を頑張ってくれたまえ」

 大塚は振り返りもせず手を振ってぶらぶらと去っていった。

 わたしは白衣のポケットに両手を突っ込んでその後ろ姿を見送った。


   ○


「人生において最大の喜びとは……


 不可能だといわれたことを成し遂げることである」


 わたしは大塚の背中にささやいた。


「……誰の言葉かは忘れたがね……」


 一瞬わたしは大塚が振り返るような気がしたが、結局彼は振り返らなかった。


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