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アトランティスのつまようじ  作者: 関川 二尋
第三幕
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【脱獄物語】クリーンな核爆弾②


 わたしが部屋に戻ったのが昼過ぎだった。

 それからずっとバーボンを飲み、ずっとテレビを見ていた。

 何度も何度も同じ映像が流れ、何度も何度も同じ映像を見た。

 そうしてずいぶんと長い時間を過ごした。

 部屋の中はいつの間にか真っ暗になっていた。少し開いた窓からは冷たい空気が忍び込んできていた。

 その時突然部屋の電話がなった。

 壁にかけられた時計を眺めると、夜の十一時を回っていた。


   ○


「もしもし……織田です」

 私は泣いていたことを誰にも知られたくなかった。

 だから努めて冷静な声を出した。

「オレだ。松平だ。まだ起きてたか?」

 よりにもよってあの男だった。

「ああ。今日は眠れなくてね」

「だろうな、あんたずいぶんとテレビに映ってたぜ。すっかり有名人だもんなァ」

 彼の声には私に対する侮蔑しか感じられなかった。

 有名人だというのに監獄の中にいる、それが彼には愉快なのだろう。


   ○


「……用は何だね?」

「ああ、そうだった。外線が入ってる。本当は外部からの電話はつなげないんだが、鋭子さんからジキジキに、オレのところに電話が来たんだ。そこで本来は許されないんだが、今日は特別にオレの許可で話すことを許してやる」

「それはわざわざどうもありがとう。つないでくれ」

「おいおい待てよ、オレは交換手じゃないんだぜ?」

 いつもなら流せるところだが、今日はイライラとしていた。だがそんな態度を見せるわけにはいかなかった。

 わたしは目を閉じ、怒りを胸にためた。

「……もちろん鋭子にはわたしから伝えておくよ。君のおかげで電話をつないでもらえたってね」


   ○


「いや、催促してるわけじゃないんだがよ……」

「いや、そこはきちんと伝えさせてもらうよ。君には実に親切にしてもらっているってね」

(無神経な話をされたり、スタンガンで気絶させられたりしてな……)

「そうか?まぁ、アンタが何を喋ろうと自由だがな」

「近いうちに彼女からお礼の絵葉書が来るかもしれないよ。彼女は絵葉書を送るのが趣味なんだ」

「そうだったな、アンタのとこに時々届いていたな」

「次は君に届くかもしれないよ」

「そうだな。絵ハガキか、なんかいい趣味だな」

「ところでそろそろ彼女がしびれを切らすころだと思うんだが?」

「絵葉書を楽しみにしてる、ってことはいわなくてもいいぞ」

「わかった。その件は言わないでおく」

「いや、お前が言いたいのなら止めるつもりはないがな」

 わたしの忍耐が切れかけた瞬間、電話が外線に切り替わった。


   ○


「もしもし、わたしだ」

「テルオ、あなた、まだ泣いてたんでしょ?」

「まぁね。そんなのはたいした事じゃないさ。ところで君は予想してたか、今回の事?」

「おそれていたのは事実だけど、まさか本当に実行するとは、さすがに思わなかった、予想できなかった、だってそうでしょう? いくらなんでもこんな……」

 沈黙の中には悲しみと悔しさと怒りがにじんでいた。

「どうする? これから」

「会社として正式に抗議するわ。それに女優としても抗議するつもり。こんなこと、絶対に許せないわ」

「そうだな。もうこんなこと起きてほしくないよ。核爆弾がクリーンに使われるなんて、そんなひどい話はないもんな」


   ○


 そういいながらわたしはテレビに目をやった。

 液晶の大画面にわたしの顔がいっぱいに映っていた。

 わたしの顔がテレビに映し出されるのは何年ぶりのことだろう。

 その写真は十年ほど前、三度目のノーベル賞を受賞した時に撮影されたものだ。海外の記者がこの監獄に取材に来て撮影したものだ。

 その写真の中で、まだ若かったわたしはアインシュタインのまねをして舌を出し、にっこりと微笑んでいた。

 当時はそれを愉快な写真だと思った。

 だが今回はまるで馬鹿な男の写真だった。頭のおかしな犯罪者の写真だった。


   ○


 みんながわたしのことを怪物でも見るように見ていた。

 わたしを研究のことしか考えない愚か者のように話していた。

 みんなの目の中にわたしへの憎しみが満ちていた。

 みんながわたしをマッドサイエンティストだと思っていた。

 心のない、科学に魂を売った愚か者だと思っていた。


 そのつもりはなくても、この結果を見ればそう思われても仕方がなかった。

 そう納得しようと思ったが、わたしはあまりに悲しかった。

 悔しかったし、恥ずかしかったし、怒りがあふれていた。


   ○


 繰り返すようだが、わたしは本当に全人類の平和と安全のためにあれを発明しただけなのだ。

 そのわたしのいったい何が悪いというのか?

 こうなることを予想しなかったわたしが悪いというのか?

 それもすべてわたしの無知のせいだというのか?

 わたしなど最初から存在しない方がよかったというのか?


(……わたしは……もうこの世界にいられない……)


   ○


 もうウンザリだった。

 もうこの社会への愛想も尽きた。

 いいように使われて責任だけ押し付けられるのは耐えられない。

 だからといってもちろん自殺などするつもりはない。

 わたしはそれだけはしない。


(……だから、ここを出て行かなくてはならない……)


   ○


 わたしは脱獄の予定日のことを考えた。

 わたしの運命である脱獄の日。

 何年かはわからないが七月三十一日。

 それは一週間後だ。

 期間は短い。

 アイデアはあったけれど、具体的なことはまだなにもしていなかった。

 だがあと一年間をこの牢獄で待つことはできなかった。


(……もうこの世界に、わたしのための場所はなくなってしまったのだから……)


   ○


 とにかくわたしはここに長く居すぎた。

 これ以上利用されるのはたくさんだった。

 人殺しの片棒を担がされるのは真っ平だった。

 わたしはただただ人類みんなのためを思って発明しただけなのに、みんながわたしを最悪の形で裏切ったのだ。


「鋭子……わたしはこの牢獄から逃げ出したいよ」


 わたしはそっと切り出した。


   ○


「残念だけど、それだけは無理よ。わたしの力でもね」

 鋭子はすぐにそう答えた。

 わたしが本気であることに気づいてくれたかどうかは分からなかった。だがこれ以上具体的に話すのも危険だった。

 この部屋の電話が盗聴されていることはまず間違いないし、そのことは彼女も知っている。

 今は彼女がわたしの決意に気付いてくれることを期待するしかなかった。


   ○


「そうだろうな。どうせわたしはここから出られない。出られたって何処にも逃げられるところはないし」

「そうね。それに今のあなたには、そこが一番安全な場所なのよ。そこでなら、わたしが守ってあげられる。いつでもあなたのそばにいることができるわ」

「ありがとう。わたしが本物のマッドサイエンティストにならないのは君がいるおかげだよ」

「なによ、それ?」

「テレビで言ってたのさ。わたしはマッドサイエンティストだって」

「むかつくわね。あなたぐらいまともな人はいないのに」


「そろそろアトランティス大陸へ行く時が来たのかもしれないな……」


   ○


 その時、わたしは決意を込めて、それでも何気ない風を装ってそういった。

 わたしにとって『アトランティス大陸』という言葉は特別な意味を持っていたのだ。

 当時も、たぶん今でも、誰もその存在を信じてはいないだろうが、アトランティス大陸は確かに実在するのだ。

 わたしは当時からそれを確信していた。そして彼女もまたわたしが確信しているのを知っていた。

 だからこの言葉は、わたしの脱獄への決意表明そのものだった。

 だが彼女からの返事はじつにあっけないものだった。


   ○


「あらあら、また始まったわね。あなたがそれを口にするって事は、ずいぶん思いつめている証拠よ。典型的な現実逃避ね」


 それはあまりにもあっさりとした返事だった。

 気付いてくれたのかどうか全然分からなかった。

 だが相手は天才女優。盗聴の事も考えてあまりにさりげない返事をしただけなのかもしれない。

 わたしとしては、とにかく彼女を信じるしかなかった。


   ○


「そう言うなって、アトランティスは実際にあるんだから」

「あのね、その発言は人前でしちゃだめよ。それでなくてもマッドサイエンティストなんていわれてるんだから」

「わかってるよ」

「それならいいのよ。そうだ!アトランティスのかわりに、またなにか絵葉書を送るわ!どんなのがいい?」

「君からのコレクションもずいぶんたまったよ。そうだな、南の島のやつがいいな。水着姿の君が映ってるといいな」


   ○


「水着姿? ほんとに落ち込んでるの? でもまぁ、少し元気が出てきたみたいね。いいわ、とっておきを送ってあげる」

「来週ぐらいには届くかな?」

「速達で送るわよ!」

 彼女は受話器越しに大きなキスの音を送ってよこした。

「それから、保健室のマドンナにもよろしくね!」

 鋭子の明るすぎる声とともに、唐突に電話は切れた。

「松平め、何をしゃべったんだ?」


   ○


 わたしは受話器を置き、テレビを消した。

 ソファーに身を沈めると、居間の方から小さな鈴の音が響き、赤い首輪をつけた二匹の三毛猫が現れた。

『サイ』と『コロ』。

 わたしのかわいいペットである。

 二匹は軽やかに机をジャンプして、あぐらをかいたわたしの股間に飛び込んできた。

 二匹ともが小首をかしげ、なでてほしそうにわたしを見つめている。

 わたしが両手で彼らの首筋をなでてやると、目を細めゴロゴロと喉を鳴らした。


   ○


 ちなみにこの二匹はずっとわたしと暮らしている大切な家族だ。

 しかも二匹とも珍しいオスの三毛猫だ。

『サイ』の方は細という意味で少しほっそりして、神経質。

『コロ』の方は名前の通りコロコロとしていて、やたらと人懐っこい。

 二人は兄弟の猫で、たいていは二人だけでいつまでも遊んでいるし、いつも一緒に眠っている。


   ○


 わたしと彼らの間には、普通の飼い主と飼い猫では築けないような関係があった。

 わたしはその秘密をポケットから取り出した。

 その装置はビー玉ほどの大きさで、耳の中にすっぽり入るようになっている。

 これはまだ商品化されていないのだが、動物語翻訳機なのだ。

 もちろんわたしの発明品だ。

 これは動物の脳波と鳴き声を基本データにした、ほぼ完璧な翻訳装置なのである。


   ○


 スイッチを押すと、サイとコロの思考が言葉になって耳の中に聞こえてきた。

「……そこ……きもちいい……そこ……」

 こちらは『サイ』の声だ。

「……ずれてる……にいちゃん……ずれてる……」

『コロ』の声も聞こえてくる。

 ちなみに二人はわたしの事を『にいちゃん』とよんでいる。

 彼らの中ではわたしが一番上の兄貴に当たるらしいのだ。


   ○


 ちなみに二人から聞こえてくる言葉はいつも感覚を表す言葉ばかりだ。

 お腹がすいただとか、眠いとか、気持ちいいとか悪いとか。そういうものがほとんどだ。

 だが彼らの言葉を聴くのは本当に楽しい。

 わたしの言葉も伝えられればと思うのだが、こちらの開発はずいぶん前に挫折したまま止まっている。

 人間の話す言葉の大半は、ネコとイメージが共有できないので、エラーになってしまうのだ。

 本当は動物学者にでも研究を引き継いで欲しいのだが、そういう研究をしたがる学者はこの収容所にはいない。

 閉じ込めておくほど危険な科学者ではないからだ。


   ○


「……にいちゃん……考え……だめ……なでて……」

「……ずれてる……にいちゃん……また……ずれてる……」

「ごめんごめん」

 わたしはいつでも二匹の猫を同時になでる。

 彼らは双子のように、わたしのひざの上でゆっくりと眠りに落ちていく。

 そのかわいい寝顔。

 わたしは微笑みながら、二匹の背中をゆっくりと撫でた。

 そうしながら、わたしは鋭子にちゃんと伝わっただろうかと考えていた。


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