【脱獄物語】閉じ込められた科学者①
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わたしの名前は織田【カガヤクオトコ】輝男。
名前の前にカッコをつけたのは、わたしが他人の名前を覚えるときには、いつもこうして覚えるようにしているからだ。
名前には子供に対する親の希望というものが、現れているものだし、また名前を付けられた本人も、その名前の影響なしに生きていくことは出来ないものだ。
本人が意識しようとしまいと、名前というのはその人のキャラクターに重要な意味を付け加えているものだ。
さて、わたしの場合はどうか?
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わたしの両親は生まれたばかりのわたしに、たぶん『輝く男になれ』と期待して『輝男』という名前をつけた。
たぶん、というのは確認したことはないからだ。わたしの父は早くに亡くなっていたし、母とは会話らしいものがもてなかったせいだ。だがやっぱり、たぶんそうだったろうと思う。
では実際わたしは両親の期待どおり『輝く男』になれただろうか?
答はイエスでもあり、ノーでもある。
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イエスと言うのは、確かにわたしの頭は見事に禿げあがって輝いていたからである。
もともと髪は薄いほうだったが、本格的に禿げだしたのは三十代の始めの頃。
そのことに気づいた日には頭を丸め、それからの二十二年間、つまり五十一歳になった今日のこの日まで、わたしの頭はピカピカと輝き、名前と外見はぴったりと一致していた。
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ノーであるというのは、それ以外は、つまり肝心の人生においては、わたしは輝く男ではなかったということだ。
小さなころから、わたしは人前に出るタイプではなかった。自分の意見を言ったり、自分の主張を通したりと、そういったことがまるで苦手だった。
わたしはいつでもウラカタ専門だった。
人生で輝くというのはわたしの望むところではなかった。
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その性格がたたったわけではないだろうが、実はわたしは今、刑務所の中にいる。
たぶん両親が生きていたなら、父も母も驚いたことだろう。
わたしという人間はもっとも犯罪とは縁遠いタイプの人間だからだ。おとなしいし、意気地はないし、犯罪に手を染める度胸なんてかけらもない。
実際、刑務所にいるというこの事実には、誰よりもわたしが一番驚いている!
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まぁ、最初は確かに驚いたが、実際に刑務所の暮らしというのを始めてみると、わたしのような人間にとってここは思ったほど悪い場所ではない。
もっとも殺人犯などの凶悪犯を専門にしている刑務所ではこうはいかないだろうが、わたしが監禁されているのは悪い科学者を専門に集めた特殊な監獄なのである。
ちなみにこの監獄は世間の目から上手に隠れるように、
【国立総合科学研究所】
という名称になっている。
確かに嘘ではない。だが本当のことを言い表しているわけでもない。
役人というものはこういう事に関し、実にいいネーミングセンスを発揮する。
この名称では、どう聞いたって刑務所とは思えない。
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ここは政府が極秘に作った施設なので知る人は少ないと思うが、この監獄は長野県の山奥に二十五年前にひっそりと建設された。
そして私は設立当初からのメンバー、囚人なのである。
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わたしもここに来るまでそんな所があるとは知らなかった。
ついでに言うと、自分が悪い科学者だという自覚もなかった。
だが実際ここに入れられたということは、わたしは悪い科学者と判断されているということである。
悪い科学者とはいったいなんだろう?
いったい誰がそれを決めるのだろう?
これは当事者にとって当然の疑問だろう?
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だが答えはわたしにも分からない。
政府の誰か、またはなにかの委員会が決めているらしい。
ちなみに原子力爆弾の基礎を作り、同時に原子力の実用化に貢献したアインシュタインはここにはいない。
それは彼が死んでいたからで、日本人ではないからだ。
だが彼が生きていて、日本人だったなら、絶対ここに収容されていただろう。
ここはそういう刑務所なのだ。
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ここではわたしにもう一つの名前がある。
二十八号というのがそれだ。
これもある意味、名前ではあるが【カッコ】のつけようがない。
さすがにわたしの人間性に、この番号の持つ意味が入り込む隙間はないと思う。
だが名前とは不思議なもので、同じ呼び名で呼ばれ続けていると、二十八号という何かの部品になったような気がしてくるのである。
今では名前より番号で呼ばれた方が返事が早いくらいだ。
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ちなみにこの刑務所には二百八十五番までの仲間がいる。
現在の収容人員は全部で約二百人。
出所した者はなく、これまで百人近くの科学者が獄中で死を迎えた計算になる。
ちなみにその死因はいずれも老衰だ。
この長野の監獄は水も空気もすばらしい環境にあり、医療は腕のたつ悪い医学者が担当しているからである。
なんとここではたいていのガンまで治ってしまう!
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ついでに言えば、ここには世界でも最高の実験設備が整っている。
これだけの科学者を集めて仕事をさせないのはもったいないということだろう。
しかし仕事をすればしただけ、われわれの罪は増えていく。成果を挙げれば挙げただけ、われわれはここから出て行くことができなくなる。
理由は簡単、ますます危険で悪い科学者になっていくからだ。
実にシンプルなシステムだ。
まるで蟻地獄のようだ。
もっともここに入ったときから出て行くことはできない。罪を許されて出所した科学者はこれまでひとりもいなかったし、たぶんこれからもいないだろう。
だからここに入った瞬間から、わたし達はここを出て行くことをすでにあきらめている。
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そしてここがポイントである。
脱獄を諦めた科学者はなにをするのか?
もちろん研究するのである。
わき目もふらずに研究に没頭するのである。
科学者にとってこれほどいい環境がほかにあるだろうか?
当然、わたしもここで日夜、自分の研究に没頭している。
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ここでわたしの研究のことを少し書かせてもらおう。
わたしには専門の研究分野というものがない。
厳密にいうとわたしは科学者ではなく発明家だからだ。
アイデアが浮かぶと、それを実現させる方法を考える。どういった学問の知識が必要か?どういうスタッフ、機材が必要か?それを考えて科学者を集め、彼らを説得してわたしのアイデアを実現させる。
そういう意味では発明家というよりも釣り師に近いかもしれない。
そしてここにはいつでもわたしのアイデアに応えてくれるあらゆるジャンルの科学者がそろっている。
暇をもてあました、最高の天才たちである。
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わたしもここに入ってから二十五年間、ずいぶんとたくさんの発明をしてきた。
自慢ではないが、その間にノーベル賞も三度ほどもらった。
もちろん受賞席に出席はできなかった。
なんといっても囚人だからだ。
ノーベル賞が貰えるからといって仮出所は認められない。
だが特に残念だと思うこともない。
世間にはわたしを天才科学者と呼ぶ人もいるが、こういった成果はわたしのスタッフがもたらしてくれたものである。
わたしが一人で成し遂げたものはなにひとつない。
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ちなみにノーベル賞の賞金は【国立総合科学研究所】に全額寄付される。
一円たりともわたしや仲間のものになることはなかった。
それはわたしが囚人だからだ。
囚人が個人の財産を持つことは認められない。
つくづくよくできたシステムなのである。
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しかしまったくの無収入というわけではない。
わたしたちは一日五百円を支給されており、その小遣いの範囲で煙草やら酒やら刑務所内の売店で買うことができるのだ。
ちなみにわたしの小遣いは酒と煙草で消えてしまい、貯金はゼロだ。
それでもここではけっこう豊かな暮らしをしている。住むのにも食べるのにもお金はかからないからだ。
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付け加えておくと、この刑務所からはわたしのほかにも五人がノーベル賞を受賞している。
ここには本当に頭のいい人間達がぞくぞく集まってくるのだ。
しかも最新の知識を身につけた優秀な新入りは毎年のようにやってくる。
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なんというすばらしいシステム!
この刑務所を考え出した人間こそ、本当の天才かもしれない。
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ここでの生活にわたしには何の不満もない。
これはここにいる連中みんながそうだと思う。
最初は誰でも不安に思うものだが、みんながけっこう楽しくやっている。
科学者という人種にとって、この監獄は理想的な場所だ。生活の心配をしなくてもいいし、研究資金の心配をしなくてもいいし、研究の失敗に怯えることもない。
もちろんなにを研究したってかまわない。囚人には最初から何も期待されていないからだ。囚人に期待されていることはただ一つ、壁の中でおとなしく生きていることだけだ。
科学者にとってこれほど気楽なものはない。
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さて。いいことずくめの刑務所だが、ここでの生活でただひとつ欠けているものがある。
それはもちろん『自由』である。
わたしたちはこの監獄の敷地から一歩たりとも外へ出ることが出来ない。
ここには広大な庭があり、池や森まであるのだが、わたし達が歩けるのはバスケットボールのコートほどの庭の一角だけだ。
しかしわたしを含めここの囚人たちには『自由』にまったく関心がない。頭の中さえ自由であれば、体はどうなっていてもかまわない、そんな連中ばかりなのだ。
だからわれわれはいつの間にかここが監獄であることを忘れてしまう。
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しかしそれを思い出させることがたった一つだけ存在する。
それは『面会』である。
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この刑務所では一週間に一度、日曜日に限って面会人と逢う事が許されている。
われわれはその日だけ、強化アクリル板のガラス越しに、刑務所の外の人間に会うことができる。
そして顔の前に点々と丸くあけられた穴から、面会人の声だけが漏れ出してくるのを聞く。
そのときだけ、われわれは一般の社会から隔絶されていることを知らされるのである。
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かくいうわたしにも一人だけ面会人がいる。
しかも飛び切りの美女である。
彼女はどんな天候だろうと、どんな用事があろうと、二十五年間、毎週日曜日に必ずわたしの元を訪れてくれた。
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彼女の名は、山川【スルドイコ】鋭子。
大半の方がご存知だとは思うが、世界の誰もが認める天才女優で、同時に世界で最も成功した女性実業家である。
彼女の美しさと知性は、名前どおり鋭く研ぎ澄まされているのだ。
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ちなみに彼女とわたしは夫婦という間柄ではない。
そうなりかけた時期があったと思うのは、わたしだけかもしれないが、少なくとも彼女は子供の頃からずっとわたしの友達でいてくれた。
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陽の当たる道を堂々と歩く彼女。
ずーっと暗い刑務所に閉じ込められているわたし。
これだけ対照的なわれわれが巡り合ったのも、こうして友達同士であり続けるのも、どちらも信じられないような出来事だ。
まして相手は世界的なスーパースターである。
卑屈になるつもりはないが、わたしのような人間からするとこれは奇跡だ。
わたしは心からそう思う。
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さて。彼女は毎週日曜日の朝10時、たいてい胸元を大きくはだけた、スタイルの良さを強調した最新のドレスを着てあらわれる。
一番美しい目を大きなサングラスで隠し、数人のボディーガードを引き連れて殺風景な刑務所の廊下をハイヒールの音も高らかに歩いてくる。
それはまさにハリウッド映画の女優が、アカデミー賞の授賞式にやってきたかのような雰囲気である。
冴えないのは、その行き着く先がクリスタルのトロフィーではなく、格子越しのわたしのところであるという点だ。
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それはともかく、わたしはもちろん、わたしの囚人仲間もいつも彼女があらわれるのを心待ちにしていた。
この時間になると彼女見たさに面会室には囚人がどっと集まった。
それはちょっと異様な光景だ。
強化アクリルの壁の向こうには白衣の男たちがぎゅうぎゅう詰めに集まって、めったに見ることの出来ない女性をテレビでも見るように眺めている。
たぶん逆からわれわれを見たら動物園のサルのように見えるに違いない。
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しかし囚人たちがわんさと集まってくるのも無理はない。
なにせ彼女はあの山川鋭子なのだから。
繰り返すようだが、彼女は有名なだけではなく、本当に美しかった。壁一枚の距離で彼女を見ることが出来るのはむしろ囚人だけの特権だった。
言ってみれば何十億円の名画と一緒なのだ。
だが彼女と言葉をかわすのはいつもわたしだけである。
わたしだって幼馴染みでなければ、彼女と話す勇気なんかもてなかっただろう。
彼女の美しさはそういう雰囲気を持っていた。どこか普通の女性とは一線を画している鋭いオーラを放っているのだ。
科学に魂を捧げきってしまった連中に手におえるはずがない。
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そして八月のある日。
わたしが投獄されてからちょうど二十五年目のその日。
目にも鮮やかな真っ赤なドレスに身を包んだ鋭子は看守の目の前で、
いきなりわたしにこう言った。
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「テルオ、あなたまだ脱獄しないの?」