第6話 いらっしゃいませ
その気持ちは果たして、どこから生じたものであるのか……。
玄関のチャイムが鳴る音が聞こえ、アリスは自身の状態をスタンバイモードに移行する。
アリスが博士と共に生活するようになって一週間が経ったが、チャイムが鳴ったのは、つまりは博士以外の人物がこの部屋を尋ねてきたのは初めてのことだった。
博士は買い出しに出ている。帰宅は凡そ30分後、といったところか。
アリスは来客用の対応マニュアルに従って、行動を開始する。
「何の御用でしょうか」
玄関の扉を開き、目の前の人物に問いかける。
金髪碧眼の、まだ若い女性。20代前半くらいだろうかと推測する。
「アキヒコは居る?」
アキヒコとは、博士のことだ。
博士のことをファーストネームで呼ぶということは、セールスや郵便物の配送が目的ではなさそうだと判断。
白いセーターに女性もののジーンズといった格好も、仕事着に適しているとは思えなかった。
「博士は買い物に出ています。30分程でお戻りになるかと思います」
「そ。なら上がって待たせてもらえるかしら?」
「畏まりました」
頷いて、女性を部屋へと招き入れる。
「いらっしゃいませ。宜しければ、お名前を教えていただけますか」
「レヴィよ。アキヒコとの関係は……まぁ、元同僚かな」
博士以外の人物と話をするのは、それが初めてだった。
珈琲を淹れて、クッキーと共にテーブルへと運ぶ。
レヴィには来客用のカップ、アリスの分はいつものマグカップ。
博士はいつもブラックだが、レヴィの好みは分からないので、シュガースティックを添える。
「どうぞ」
「どーも」
短く答えて、レヴィはそのまま珈琲を口にした。
どうやら、彼女も砂糖は入れないようだ。
そんな様子を眺めながら、アリスも珈琲を口にする。
「貴方、アンドロイドでしょう? 珈琲の味なんて分かるの?」
「味覚センサーは搭載されているため、成分分析は可能です。しかし、美味しいという感覚はまだ理解できていません」
「……流石に、良く出来てるわね」
アリスの言葉に、レヴィは顔を顰めてそう言った。
「申し訳ありません。何か失礼がありましたか?」
「……貴方今、私の表情から推測した?」
「はい。失礼があったようでしたら、謝罪いたします」
「いえ、褒めただけよ。ホント、良く出来てる」
「恐縮です」
褒めただけだとレヴィは言っていたが、その表情はやはり冴えない。
「さっきの質問の続きだけど……それなら、どうして貴方は珈琲を飲むの? アキヒコに命令されているから?」
「いいえ」
答えて、アリスは首を横に振った。
それから、言葉を付け加えた。
「博士は私に命令をしません。私が珈琲を飲むのは……」
続きの言葉を発しようとして、だけどアリスは口にすることができなかった。
自分が珈琲を飲むのはどうしてだろうと考えて、その答えを見つけることが出来なかった。
「答えられないなら、あたしが答えてあげましょうか」
カップをソーサーに置いて、レヴィは微笑を浮かべた。
「貴方が珈琲を飲むのは、アキヒコに命令されたからよ」
「しかし、博士は……」
「命令をしない? でもお願いはするでしょう。例えば……二人分の珈琲を淹れてくれないか、とか。そして貴方は、そのお願いを断らないでしょう」
そこで一度、レヴィは言葉を切った。
意見を求められているのかもしれない。或いは、反論の機会を与えてくれているのかもしれないとアリスは思った。
だけど、返す言葉は見つからなかった。
「貴方は、人間の頼みを断らない。断れないように出来ている。だとしたらそのお願いは、命令と何も変わらないわ」
言われて、その通りだとアリスは思った。
「……なんて、アンドロイド相手に何ムキになってんだか」
そう言って、レヴィは気を取り直すように再び珈琲を口に運んだ。
それはアリスに向けられたものでなく、恐らく独り言だろうと彼女は思った。
「貴方、料理はできるの?」
それから暫くレヴィは黙り込んでいたが、珈琲のカップが空になると、再び質問を投げかけてきた。
「簡単なものであれば」
「そう。ならまぁ、大丈夫か」
「何が大丈夫なのでしょうか」
アリスの答えとレヴィの言葉を関連付けることが出来ず、アリスは尋ねた。
「アキヒコよ。アイツ、研究に夢中になると食事を全部インスタントで済ませようとするから」
言われて、今度はきちんと関連付けを行うことが出来た。
「レヴィさんは、博士を心配されたのですね」
「はぁっ!?」
酷く驚いたように、レヴィは慌てた様子でソファから立ち上がった。
立ち上がって、そしてすぐに再び腰を下ろした。
「今私が言ったことは、アキヒコには黙っていなさい」
「お断りします」
「えっ?」
再び、今度は絶句した様子で、レヴィがアリスの方を見た。
「冗談です」
微笑と共に発したその言葉は、二日前に覚えたばかりのものだった。
「……良い性格してるわ、貴方」
「恐縮です」
「褒めてないってのっ!」
そんなレヴィの反応を見ながら、アリスは珈琲のお代わりを淹れるべく、その場から立ち上がるのだった。