第5話 アンドロイドは夢を見るのか
果たしてそれは夢と呼べるものなのでしょうか?
夢とは、睡眠中に、現実にない事象を感じる現象である。
睡眠を必要としないアンドロイドは、夢を見ることもない。
少なくとも、アリスはそう考えていた。
ならば今のこの現象は何なのだろうと、アリスは思う。
ソコには大小様々な、データの塊があった。
博士に起こされてから、経験した内容。学習した内容。
起動する前に博士によって教えられた知識。
そして、見覚えのない光景。
それらが膨らんで、縮んで、場所を移して、一部は消える。
シャボン玉のようだとアリスは思った。
何故そう思ったのかは、良く分からなかった。
――ウェイト状態からスタンバイ状態に移行。
ステータスチェックを実施。各種機能に問題なし。
「おはよう、アリス」
聞き覚えのある声が響く。
昨日目覚めたのと同じベッドから、アリスは身体を起こす。
少しだけ考えて、ここで眠るようにと博士に指示をされて、ウェイト状態になったことを思い出す。
――思い出すとは、一体なんだ?
「おはようございます、博士」
違和感を感じながらも、アリスは挨拶を返した。
現在時間は午前7時ジャスト。この時間にスタンバイ状態となるよう、タイマーが掛けられていたのだろうか。
「……博士。過去のデータへのアクセスがスムーズに行われていません。何があったのでしょうか」
「インデックスの再作成に時間がかかっているんだろうね。暫くすれば良くなる筈だよ」
「インデックス……」
「君は他のアンドロイドに比べて、データの記憶量が桁違いだからね。内部に持っている記憶領域だけでは、すぐに容量が一杯になってしまうんだよ」
言葉の意味が理解できずに、アリスは暫く考えた。
それに気付いた博士が、言葉を重ねる。
「君にはいわゆる五感に相当するセンサーが存在するけど、そこから取得した内容を全て記憶するようにしているんだ。通常のアンドロイドは、不要なデータは捨てるようになっているんだけど」
「ログの残し方に違いがある、ということでしょうか」
「まぁ、そうなるね。データはこのマンションのサーバーに保管させているのだけど、何しろデータ量が膨大だからね。圧縮して最適化させないと、そこも一杯になってしまう」
予想はしていたけどここまでのデータ量だったか……などと言って、博士は少し困ったように笑った。
「何故、そのような苦労をしてまで私のデータを残そうとするのですか」
「それはね、アリス。僕は君に記録ではなく、記憶を与えたかったからだよ」
「……記録ではなく、記憶」
「昨日君は、珈琲の淹れ方を学習した。珈琲を淹れる、という目的を果たすために必要なのは、学習結果だけだ。だけど僕は、その過程も覚えていて欲しいと思った」
「過程、とは」
「どういった理由で珈琲を淹れようとしたのか。どのようにして珈琲の淹れ方を学んだのか。どうして豆から珈琲を淹れようとしたのか」
結論に辿り着くまでの過程。
試行錯誤の残骸を、しかしそれこそが大切なものなのだと、博士は言った。
「だけどやっぱり、あらゆるデータをそのまま保存しておくのは無理があるな……。そのうちアクセス速度にも問題が出てくるだろうし……。抽象化が必要かなぁ」
「抽象化、とはなんでしょうか」
「忘れる、ということだよ」
「忘れる……削除、デリートということでしょうか」
「いいや。1000のデータを100に、10に集約するということだよ。大切なものだけを残すんだ」
「判断の仕方が良く分かりません」
「その辺りのロジックは、こっちでも考えてみるよ」
そう言って博士は机に向かう。
邪魔をしては悪いかと思い少しだけ悩んだ後、アリスは言った。
「……夢のようなものを見ました、博士」
「夢?」
振り返った博士は、ひどく驚いた表情をしていた。
「ウェイト状態で居る間に、様々なデータを見ました。
学習したデータや昨日の記録だけでなく、入力されていない情報も中には含まれていたように思いました。
……アンドロイドも夢を見るのでしょうか、博士」
「少なくともそれは、意図した機能ではない。だから推測することしかできないのだけれど」
真剣な表情で、博士は言う。
「夢を見ることの目的には、記憶の整理というものも含まれる。ウェイト中のデータの最適化は、正しく記憶の整理に相当すると言える。君が最適化の様子を観測できるなら、確かにそれは夢のようなものかもしれない」
「……不明瞭なことがあります、博士。前者の二つについてはそれで説明が付きますが、入力されていない情報も含まれていました。それは一体、何処から生じたものなのでしょうか」
「入力された情報でないのなら、答えは一つしかないだろう」
簡単なことだと、博士は笑った。
「君が生み出したんだ、アリス。データとして残るのは、知識と過去のデータだけじゃない。君の考えや、思考の過程もデータとして残っている」
だから君が見たのはその断片なのだろうと、そう言った。
「ところでアリス、入力されていない情報というのは、どんなものだったんだい?」
「……良く、覚えていません」
それは事実だった。全てのデータの詳細を認識する時間はなかったし、圧縮後の為か認識できなかったデータもあった。
だけど、一つだけ覚えていることがあった。
博士と向かい合って、笑っているアリスが居た。
そのようなデータが何故生み出されたのか。
なぜそのことを博士に黙っていようと考えたのか。
やはりアリスには、良く分からなかった。