第三章 騎兵立つ
バタンっ!
ノックもなく執務室の扉が開かれると、銀髪赤眼の青年が血相を変えて飛び込んできた。
「ヴァシレフ殿っ! どうして、姫様が行方不明になったことを知らせてくれなかったのですかっ!?」
初老の男―ヴァシレフは執務机の上で走らせていたペンを止め、その禿頭を闖入者の方へと向けた。
「ここは王宮だぞ。少しは静かにしたまえ、カイン大尉」
「これが静かにしていられましょうかっ!」
闖入者―カインがヴァシレフに食って掛かる。極北の原住民族としては、二人とも平均的な体格―カインの方はやや細身であるため、身体的にはヴァシレフの方が大きく見えるはずなのだが、背負っている気迫が違うのか、カインの方が一回りも二回りも大きく見える。
「どうせ、森の蛮族どもが拉致したに決まっています、今すぐ救出に……っ!」
「森の民が襲撃した、と言う証拠はない
―そして、姫様が無事である、と言う証拠もな―
さすがに、続く言葉を口にすることは、ヴァシレフには憚られた。
王女が大使として旅立ってから一月が経過した。その間に森の街道で、重戦車二両、そして乗用車一台の残骸、そして乗員の死体が見つかった。だが、現場では王女の死体は見つかってはいない。故に……王女は現場から連れ去られた、と推測される。そして……重戦車を襲い、王女を拉致できるとなると、能力の面から見ても動機の面から見ても森の民―レジスタンスの仕業であることは、火を見るよりも明らかだ。だが、すべては状況証拠に過ぎない。仮に王女をレジスンタスが拉致したとして……その存在価値に気づくかどうか。王女の身柄が手元にあれば、身代金の要求はおろか、政治的要求すら引き出すことも難しくはない。それこそ、連中が望むアウム大陸連邦からの離脱すら、要求できるだろう。だと言うのに何の音沙汰もない、と言うことは……、
(既に王女は存命していない可能性すらある)
だが、王女の遺体はまだ見つかってはいない。亡くなったと判ずるのは早計、と言うモノだろう。そもそも、連中に王家とのパイプがあるわけではない。王女を手元に置いてこそいるモノの……その価値を利用することすらできず、懊悩しているかもしれない。
そして……この目の前の青年将校もまた、王女が亡くなった可能性など微塵も考えてはいない。そういう意味では、この青年将校は蛮族と相手を蔑んでいながらも、心の奥底では人道的な相手であると信頼しているのだろう、皮肉なことだが。
「それと……一応、彼らも我が王国の臣民だ。蛮族扱いするでない」
ヴァシレフはキースにおける文官の頂点―宰相の地位にある人物だ。内心はどう思っていようと、表向きは自国の国民を蛮族と蔑むことを許容することなどてきようはずもない。
「なぜですっ! 彼らは我々が国と臣民を護ろうとする意志と努力を踏みにじり、友好国であるアウムに切っ先を向けているのですっ!
そのような者達をなぜ擁護する必要があるのですかっ!」
(友好国、と言うより宗主国、と言った方が正しいがな)
そもそもアウムがキースに対して提示したのは連邦への併合。友好条約などではない。そして、アウムへの併合を承認したのは国王ではあるが、その段取りを整えたのは他ならぬ宰相のヴァシレフだ。その意味では売国奴と謗られても仕方ないと自覚している。
だが、同時に例え形式的なモノだとしても、キースの独立を護るにはこれしか方法がなかった、とも思っている。その意味では、キースの国体護持に貢献している功労者である、と自負してもいる。
とは言え、そのような権謀術数、この青年将校にはわかるまい。
カインはまだ若い。そして、彼の一族は古くから王族に仕えてきた由緒正しい騎士の家系だ。恐らく、カインも幼い頃から騎士道精神を叩き込まれて育ってきたのだろう。彼の祖父、父の生き様を見ていれば、それははっきりとわかる。
だが、騎士道精神に則って清廉潔白に生きていられる時代は終わった。
剣は銃に、騎馬は戦車に変わった。騎士同士の一騎打ちは数千数万の兵士による総力戦に変わり、戦いの趨勢を決するのは英雄の活躍ではなく、外交力を含む国力に変わった。
騎兵を率いてきたカインの家系もまた、忍び寄る軍事力の近代化からは逃れることはできず、騎兵ではなく機甲部隊を任せられることとなった。
しかし、キースは極北の小国。機甲戦力を自前で開発、生産するような工業力など到底なく、同盟国―実質的な宗主国であるアウムから戦車を導入することを決定。
とは言え、戦車に限った話ではないが……兵器と言うモノはただ持っていても何の役にも立たない。特に高性能な近代兵器はその運用方法を正しく理解していなければ、能力を発揮することはない。保管、整備もきちんとしていなければ、いざと言う時に正常に稼働する保証すらない。故に……。
「だいたい、貴君は合同訓練と言う名目でアウム本国へ行っていたのだから、知らせようもないだろうに」
カイン達騎兵隊の若い将校、及び整備士をアウム本国へ派遣して、戦車運用のノウハウを学ばせていたのである。表向きは合同訓練と言うことになっているが、実態は外部研修に近い。
「無線でも電報でも連絡手段はあるでしょうっ! 何だったら郵便でもいいっ!」
「王族の行方不明となれば国の一大事。その一大事を迂闊に連絡などできようモノか」
キース王家はアウムへの併合を承諾したモノの、それを良しとしない勢力が森の中に潜伏している状況は、アウム連邦政府も承知している。そして、この状況をアウム連邦政府は快く思ってはいない。歯に衣着せぬ言い方をすれば、二心を抱いているのではないか、と疑われているのだ。
当然、そんな情勢下ではアウム向けに送ったキース王家の連絡など、全て傍受、あるいは検閲の対象とされているだろう。筒抜けと思って間違いあるまい。
「だからと言って、一月もこの大事を放置してよいことになりませんっ!」
「放置などしておらんよ。捜索隊を組み、何度も捜索しておる」
実際、捜索隊は何度も出動している。だが、それはキース王家が主体となって、ではない。
もちろん、キースにも軍隊はある―正確には近代化された軍隊ではなく、未だ騎士団と言う時代遅れの名を名乗っているが―しかし、今回の捜索は前述の通り、キース騎士団が主体となったモノではない。アウム駐留軍が主体となって行っている。
ヴァシレフとて、可能であるならば自国の騎士団を動かして王女の安否を確認したい。だが、できないのだ。併合条件にキース騎士団の軍事統帥権の移譲も含まれていたためだ。現在、キース王家に動かせる軍など、一兵卒たりともありはしない。事実上、キース騎士団はアウムの軍門に下った、と言っても過言ではない。
そして、アウム駐留軍はキース騎士団が動くのを良しとしていない。この段階でキース騎士団を動かすこと、騎士団に武力を与えることは反乱の芽になりかねない、と警戒しているのだ。騎士団の統帥権は移譲されたとは言え、実際に反抗勢力が蔓延っている現状で、全面的な信頼を預けられるはずもない。アウムはまず、反抗勢力を駐留軍のみで殲滅し、歴然とした力の差を見せつけたうえで、騎士団を駐留軍の一部として完全に取り込む腹積もりなのだ。どのみち、キース騎士団は騎馬隊が主力、軍隊と呼ぶのもおこがましい時代遅れの戦闘集団だ。体力的な問題はともかく、基礎戦術から基本的な武器の扱い方まで、一から教育しなおす必要があるだろう。力の差を見せつけることは、従順に言うことを聞かせるうえでも、有効な手段足りえる。
「アウム駐留軍に相談はしたのですか?」
「できるわけなかろう」
「なぜ、相談しないのです? アウムは友好国です。相談すれば、必ず協力してくれます」
実直と言う言葉が軍服を着て歩いているようなこの青年は基本的に人を疑うことをら知らない。アウム駐留軍とキース騎士団の間で行われている、繊細な綱引きのことなど想像もつかないに違いない。
「とにかく、こうしても埒が明かない。私は駐留軍司令に直談判してきますっ!」
言うが早いか、止める間もなくカインの巨体はヴァシレフの執務室から飛び出していった。
「まったく……」
目頭を揉みながら、深々とため息を吐くヴァシレフ。机の上に山積みとなっている書類よりも、ヴァシレフが、この国が抱えている問題は山積みなのだ。これ以上、問題を増やされるのは、はっきり言って御免こうむりたい。もっとも……。
「駐留軍の司令が騎士団の若造の話なんぞに耳を貸すとも思えんが……」
だが、ヴァシレフの予想とは裏腹に、カインの直談判は駐留軍司令に受け入れられたのだった……。
「しかしアウムの連中、気前がいいですね、カイン大尉」
ディーゼルエンジンが立てるやかましい音、履帯が大地を蹂躙する騒々しい音を縫って、その声は砲塔内部から届いて来た。
「大尉の直談判を受け入れてくれるどころか、姫様奪還の一番槍の名誉を気持ちよく我々に譲ってくれるのだから。しかも、ドラグーンなんて最新の戦車を回してくれるオマケつきで」
「調子はどうか。ダニエル准尉」
調子良く話し掛けてくる砲手のヴレル少尉の言葉を聞き流し、カインは下前方の操縦席に陣取るダニエルに声を掛ける。
「最高ですね、大尉」
返ってきたのは、ご機嫌な声。
「馬力も反応も申し分ないです。ガタイがでかい割に加速もいいし、小回りも利く。乗り心地だって悪くない。
コブラとは雲泥の違いですよ」
極北の民族の例に漏れず、ダニエルもガタイがいい。そして、戦車は分厚い装甲に覆われてる分、見かけの割に内部は非常に狭い。アウム本国での合同訓練時に、彼らの教官役となったアウム軍の将校は『貴様らそんな図体で戦車に乗るのか?』と呆れていたほどだ。
そんな図体がデカい極北民族にとって、戦車の車内の窮屈さは無視できない由々しき問題だ。ドラグーンとて戦闘に特化した特殊車両である以上、乗り心地など全く考慮はされていないのだが……彼らがアウムとの合同訓練時に使用した中戦車のコブラに比べると、車体が大きい分だけ、若干中が広い。大柄なキース人からしてみたら、そのわずかな差でも大きく感じられるのだ。
「それに、コブラと違ってハンマーで叩かなくてもシフトレバーが入りますし」
「ハンマーは大げさだろう」
「それぐらいギアが入らないってことですよ。
ま、あれは古くなってガタが来てるってこともあるんでしょうが」
コブラはドラグーンと比べると一世代前に当たる中戦車だ。もともとの機構も古い上、訓練に宛がわれた車両は戦場で使い古され、用廃寸前の中古だった。各部の動きが渋くなっていても不思議はない。
「まぁ、いい。性能に溺れて油断するなよ」
今、カイン達が搭乗しているドラグーンは狭い森の中を疾走している。一つ間違えば、巨木の太い幹にかなりの高速で正面衝突しかねない。硬い装甲に鎧われたドラグーンがそう簡単にダメージを負うことはなかろうが……中の乗員はそうはいかない。狭い上に様々なレバーや突起物が所狭しと並んでいる戦車の中で激しく揺さぶられたら、無事でいられるとは思えない。高性能な最新の重戦車を貸与されておきながら、ただの自爆事故でそうそうにリタイア、となったら目も当てられない。
(……しかし)
部下に気づかれないように、カインは胸中でため息を吐く。指揮官が逡巡や躊躇いを見せれば、それは即座に部隊全体の士気の低下に直結する。上に立つ者は常に部下に対して自信と尊厳に満ちた姿を見せる義務があるのだ。
(こんな鉄屑によくもまぁ、ここまで入れ込むことができるモノだ)
塹壕突破や要塞突入の際の歩兵支援兵器として誕生した戦車は、現代では機動戦闘の中核を担う兵器となっている。そして、かつての機動戦闘の要は騎兵だった。戦車をその黎明期から運用していたアウム軍は、その編成において紆余曲折を経ているが、後発に当たるキースでは騎兵隊がそのまま機甲師団に成り代わる形となっている。
騎兵、即ち騎士と言えば貴族階級でもあり、戦場では花形だ。アウムでは下士官が戦車に乗り込むことは珍しくはないが、騎兵隊からそのまま転身したキース機甲師団は、その戦車兵が全てかつての騎兵―つまり騎士階級にあった者達だ。このため全員が全員、爵位を持つ貴族であり、幹部―将校の地位にある者のみで構成されている。
そもそも騎士とは、愛馬に跨り戦場を疾風の如く駆け巡る崇高な魂を持った戦士。得物が馬上槍から騎兵銃に変わろうとも、それだけは変わらなかった。
しかし、かつての崇高かつ孤高の存在は、今は無骨な鉄塊に所狭しと押し込まれている。
全身甲冑よりも分厚い装甲、馬上槍とは比べ物にならないほどの破壊力を誇る戦車砲。そして、どんな悪路も走破し、騎馬と同等の速度を維持したまま、何時間も走っていられる機動力。
なるほど。申し分ない。これは紛うことなき最強の陸上兵器だ。
だが、この冷たい鉄塊に本当に騎士の誇りを託すだけの価値があるのだろうか。
カインにはどうしても、そうは思えない。今、こうしてはしゃいでいる部下達もかつては誇り高き騎士であったはずだが……。
『隊長、聞こえますか?』
「どうした、ハインツ?」
無線から聞こえてきた副官の声に、カインは思考を打ち切った。
騎士の栄誉は剣術や馬術によって得られるわけではない。国と民を護ること。それが騎士の本懐であったはずだ。構える剣が銃に変わっても、操る馬が戦車に変わっても、それだけは変わらないはずなのだ。それを改めて肝に銘じる。
『少し妙な噂を聞きまして』
「妙な噂? 噂の類をおまえが気にするとは珍しいな」
『は。少々、その内容が……無視するにはあまりにも……』
「作戦行動中だぞ。曖昧な物言いは慎め」
『は、申し訳ありません。隊長は竜槍と言う言葉をご存知でしょうか?』
「竜槍? 暴君竜を倒した英雄譚か?」
『はい、その竜槍です』
「その神話なら、私も子供の頃によく聞かされたよ」
『いえ……その……神話ではなく……竜槍が森の反抗勢力の中にいる、と言う噂が流れているのです』
「は?」
『正確には、反抗勢力の中に狙撃の名手がおり、その者を神話の英雄に例えて竜槍、と呼んでいるのだとか』
「何だ、竜殺しでも果たしたのか、その竜槍とやらは?」
呆れ混じり、揶揄混じりに問い返すカイン。
そもそも、竜は神話の中にのみ存在する架空の生物だ。現実に存在しない生物を殺すことなど、それこそ神話の中に出てくる神々でもなければ不可能だろう。
『はぁ……奴が撃破したのは、ドラグーンですが……』
「なるほど。竜を殺した竜槍、と言うわけか」
『……驚かれないのですか?』
「驚いているさ。おまえがこんな与太話を信じるとはな。私はおまえのことを現実主義者であると認識していたが、それを改めねばらない、と思っているよ」
『隊長、私は冗談を言っているつもりはありません』
「私もおまえが冗談を言うとは思っていなかったよ」
『現にゲリラがドラグーンを何両も撃破していると……』
「……私はそんな報告は受けていないぞ?」
カインは部隊指揮官として、作戦前にアウム軍との合同ブリーフィングにも参加している。だが、そのブリーフィングでも、そんな話題は上がらなかった。
『アウムの兵士の間で流れていた噂です』
「……いつの間にそんな話を仕入れてきた?」
『隊長がブリーフィングに出ている間、アウムの戦車兵から聞かされました。
最新鋭にあたるドラグーンを他国軍、それも新設されたばかりの機甲師団に一小隊分、三両も貸与するなどおかしいとは思いませんか?
現に、アウムから我が軍に正式に譲渡された戦車は旧式のコブラばかりです』
「それは、我々の国にドラグーンのような高価な戦車を買うだけの余裕がないからだ。
そして、我々が今、彼らから託された任務は威力偵察だ。故にドラグーンを貸与されたのだろう」
威力偵察とは敵の出没地域を偵察、仮に敵を発見したら、牽制攻撃を仕掛ける。それによって敵戦力の分析も行う役割だ。敵の戦力、部隊展開などがわからない状況において、もっとも重要な任務と言える。そう言う意味においては、確かに重装甲で生存率の高いドラグーンは威力偵察に適任、と言えるだろう。
『……おかしいとは思いませんか。
なぜ、ドラグーンの運用に不慣れな我々が最重要任務であるはずの威力偵察を命じられるのか』
「簡単な話だ。彼らは森の中での戦いを知らない。
これだけ入り組んだ狭い場所だ。大型の機動兵器を動かすとなれば、我々のように森を熟知した兵が最適、と判断したんだろう」
『……連中はこう考えているのではないかと。
我々を囮に竜槍を引っ張り出すのではないかと。
奴が噂通り、竜を狩る者であるのならば、ドラグーンが一小隊、森の中に入れば必ず仕留めにくるはずです。
そして、我々を囮……いや、捨て駒として使うつもりであれば、ゲリラにドラグーンを撃破されたと言う事実を伏せておいた方が都合がよいかと……』
「想像力豊かだな、ハインツ」
『……今、我々は偵察任務を帯びているために、各車両が独立して行動しており、随伴歩兵もおりません。この状況で襲撃を受けたら……』
「我々が今、乗っているのは史上最強の重戦車だぞ? 森のゲリラどもの装備で勝負になるものか」
『しかし、そのゲリラの中には竜槍が……』
「ハインツ中尉。ではその竜槍とやらは、どうやってドラグーンを屠っていると言うのだ?」
抑揚のない声でハインツの言葉を遮るカイン。
「このドラグーンの正面装甲は厚さ一〇〇ミリの均質圧延鋼でできている。
この装甲は七六.二ミリの零距離射撃にも耐えられる。
これに勝る対戦車砲をゲリラが保有していると言うのか?」
『いえ……ゲリラがそこまで巨大な対戦車砲を所有しているとは……万が一所有していたところで、狭い森の中で取り回すのは簡単ではないはずですし……』
「では、対戦車噴進砲でも使用していると言うのか?」
『いえ……噴進弾はアウムでも最新の兵器に属するはずです。対戦車砲よりはるかに調達は難しいでしょう』
「対戦車小銃の一二.七ミリ弾程度では、ドラグーンの正面装甲はおろか、もっとも装甲が薄い上面装甲ですら抜けんぞ。
まさか、本当に神より賜りし槍を使ってドラグーンを貫いている、と言うわけではあるまいな」
『それが……竜槍の得物はシムナだと……』
「はぁ?」
思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまうカイン。慌てて足元の部下の方に視線を走らせるが、幸いなことに部下が気づいた様子はない。ドラグーンの立てる振動音、エンジン音にうまい具合にかき消されたのだろう。
「面白くない冗談だな、ハインツ」
『冗談であればどれほど良かったか、と私も思います、大尉』
無線の向こうから聞こえてくる声の響きからからはウソ、冗談を言っているようには思えない。
『回収された遺体からは、シムナに使われる七.六二ミリ弾が摘出されたそうです』
「……確かに連中だってシムナぐらいは鹵獲して使っているかもしれんが……その兵は、偵察任務の歩兵だったのか?」
『いえ……ドラグーンの戦車長だった男です』
「……その戦車長は戦車から降りていた時に狙撃されたのか?」
『いえ……乗車中、しかも走行中です。上面ハッチから頭を出していたところを狙い撃たれた、とか』
「……ちょっと待て。走行中の戦車の、しかも人間の頭と言う小さな目標を狙い撃った、と言うのか?」
確かに、人の頭部であれば七.六二ミリ弾どころか、射程内であれば拳銃弾であっても致命傷を与えることは容易い。そして、戦車長は周囲を警戒するために、砲撃戦の最中でもない限りは常に頭部をハッチから出す。事実、今現在もカインは上面ハッチから頭を出して、周囲を警戒している。
竜槍の手口が車長の狙撃なのであれば、砲塔の中に頭を引っ込めればよい。だが、カメのように頭を引っ込めてしまえば、周囲の様子を警戒することはできない。もちろん、戦車の装甲にも周囲の様子を窺い知るための隙間ぐらいはある。だが、そんな狭い隙間から覗き見たところで、この鬱蒼として入り組んだ森の中で十分な視界を確保できるとは、とても思えない。狙い撃たれた、と言う戦車長もまた、安全に森の中を走行するために、ハッチから頭部を出さざるを得なかったのだろう。
だが、人の頭と言うのは、狙撃する標的としてはかなり小さな部類に入る。相対距離が五〇メートルであったとしても、頭撃ちとなると、そうそう当たるモノではない。狙うのであれば、比較的的の大きく、人体の中心である胴体を狙うのが基本だ。
しかも、ドラグーンの巡航速度は時速五五キロ。森の中では性能緒言通りの速度が出るとは限らないが、それでも時速三〇キロは下るまい。一見、大した速度には思えないが……不整地の行軍速度だと考えると、十分と言える速度だ。そして、何よりも厄介なのは、標的は常にその速度で動いている、と言うことである。しかも、不整地走行している移動車両と言うのは、振動でとにかく揺れる。
長距離狙撃における頭撃ちなど、ただでさえ高難易度なのに、この上常に時速三〇キロ以上で移動し、小刻みに揺れる小さな標的を狙い撃つなど、常識的に可能とは思えない。少なくとも、キース軍には誰一人として成功させられる者はいないだろう。
「……その情報は確かか?」
『はい』
「……偶然ではないのか?」
『いえ……何両ものドラグーンが同じ手口で狙撃されているそうです』
「……そうであるなら、随伴歩兵が仕留めてるはずだろう? 信憑性に欠けると言わざるを得ない」
『もちろん、随伴歩兵を連れた部隊も竜槍狩りに参加しましたが……全滅したそうです』
「随伴歩兵がいたにも関わらず、発見できなかったと言うことか?
俄かには信じられんな……」
カインが呻く。撃たれたのが一人、撃たれた銃弾が一発であれば、狙撃手の場所を特定するのは難しいかもしれないが……弾を撃てば撃つだけ、場所の特定は容易となる。
『一分間の間に、戦車三両、随伴歩兵一六名が狙撃された、と聞きました』
「全弾命中だったとしても、一分間で一九発もの狙撃だと? シムナではなく機関銃による面制圧じゃないのか?」
『銃声と狙撃された人数は全く同数。面制圧射撃であれば、命中弾と比して銃声は連続して多数聞こえるはずです。
そもそもまともな兵站を確保しているとは思えないゲリラに銃弾を垂れ流しするような面制圧射撃を行う余裕があるとは思えません』
「逆にアウムは面制圧を行わなかったのか?」
ゲリラが面制圧射撃ができないのは、理屈にはあっている。が、強大な国力に任せて砲弾を雨あられと降らせることができるアウムはその限りではない。
戦車がついて言っている以上、戦車砲から榴弾を打ち込めば、広範囲を吹き飛ばすことは可能であるし、何だったら副砲として搭載されている一二.七ミリ重機関銃で薙ぎ払ってもいい。
たった一人を仕留めるために、その一人が潜む森を全て吹き飛ばすようなど、暴挙以外の何物でもないが、アウム軍にはそう言った力任せの進撃を繰り返して勝利を得てきた歴史がある。彼らの戦闘教義からしてみたら、ゲリラ風情に一方的に狙撃され、おめおめと退却することの方があり得ない。
『もちろん、アウム軍はたびたび、榴弾による砲撃を試みていますが……そのことごとくが砲撃の間際に爆発を起こしています』
「爆発? ドラグーンがか?」
話の流れからすれば、それ以外あり得ない。だが、どうやったらドラグーンが爆発すると言うのか。まともに考えればドラグーンが砲撃するより早く、その装甲を貫通して撃破しているとしか思えない。当然、シムナ程度の豆鉄砲では、到底不可能な芸当だ。となると……やはり竜槍とやらは、ドラグーンを撃破できるだけの貫通力を誇る兵器を隠し持っている可能性が高い。
ふぅ……。
カインはため息を一つ吐くと、
「わかった。もういい」
無線機に巌のような声を吹き込む。その声音は、まさに冷徹な指揮官と言った雰囲気を醸し出している。
「隊長より全車に告ぐ。敵の攻撃手段は長距離からの狙撃。森の中から頭撃ちを狙ってくる。そして、それだけの技量を持っている。
全車、榴弾を装填せよ。敵の狙撃兵を発見次第、森を吹き飛ばしてその姿を引きずり出せ。
また、手段、使用兵器は不明だが、ドラグーンを一撃で撃破する手段も持っていると想定しろ。
総員、警戒を厳にせよ。足を止めるなよ。騎兵の真髄はその機動力にあることを忘れるな」
敵の攻撃手段が何であろうと関係ない。
見敵必殺。
機動力を活かして動き回り、敵の姿を発見次第、致命の一撃を叩き込む。
敵が狙撃を攻撃手段としているなら、動き回ることでその命中精度を極端に下げることができる。そして、森の中に潜んでいるなら、その森そのモノを吹き飛ばせば関係ない。
正直、国土である森を吹き飛ばすことに抵抗を感じないではないが、これは戦だ。森の一つや二つ、大事の前の小事と割り切れなくてどうする。カインは自らにそう言い聞かせる。
『了解』
麾下の戦車から返信が返ってくる―ハインツの声を除いて。
「ハインツっ! ハインツっ! 返事をしろっ!」
無線機に向かって怒鳴るが、返信はない。数秒の後、
『報告しますっ!』
「どうした、マルク准尉っ!?」
ハインツの車両―一〇二号車に搭乗している通信士、マルクの怒声が無線に割り込む。声音からして状況が切羽詰まっていることは間違いない。
『中尉が……ハインツ中尉が撃たれましたっ!』
「狙撃の方向はわかるかっ!?」
『わかりませんっ!』
声が動揺している。混乱しているのは火を見るより明らかだ。元より目であり頭脳である車長を失ったのだ。一〇二号車の戦闘力は極度に低下した、と判断して間違いあるまい。
刹那、カインの脳裏に一つの予測が過る。
「マルクっ! 砲弾は装填しているかっ!?」
『していますっ!』
「盲撃ちでいいっ! さっさと撃ち放てっ! 砲撃後は再装填はせずに全力で後退しろっ!」
カインは部下に榴弾の使用を命じた。そして、その命に従った部下達は、榴弾を装填しているはずだ。基本的に榴弾に埋め込まれた信管は着弾の衝撃によって作動する。さすがに人が軽く殴ったり、戦車の振動程度で誤作動が起きることはないが……小銃弾を叩き込まれたらどうなるか。暴発しない保証などどこにもない。そして、その榴弾が内部で爆発したら……いかな重装甲を誇るドラグーンでもひとたまりもない。
だが、小銃弾で内部に装填されている榴弾を叩くには、砲口から狙い撃つしかない。そして、砲口を狙い撃つには、その砲口を自身に向けられねばならない。それはつまり、自らも狙われている、と言うことだ。しかも榴弾となれば、至近弾でも致命傷。そうでなくとも巨大な砲口を自らに向けられ、平常心を保てる狙撃手など、そうはいまい。
撃たれるより早く、相手の砲口に自らの銃弾を叩き込む。しかも的はたった直径八八ミリの穴。そんな分の悪い賭け、誰が好んでするというのか。常識的に考えれば、絶対にあり得ない。
カインがこの発想に至ることができたのも、彼が戦車兵としては日が浅いからだ。戦車兵として経験を積めば積むほど、思考は硬直化し、非常識とされる発想からは遠ざかっていく。経験から思考が効率化され、迅速な判断が可能となる、とも言えるが。
「ホルっ!」
カインは足元―右前方の通信士に怒声をぶつける。
「司令部へ伝達っ! 一〇二号車が敵の襲撃を受けたっ!
これより、我が小隊は一〇二号車の救援に向かうっ!
殺ったのは恐らく竜槍っ! 増援を乞うっ!」
「了解っ!」
カインの命令を受け、ホルは即座に通信機の周波数を合わせ、通信を開始した。
「……何だ、ありゃ?」
単独で走り回るドラグーンの車長を撃ち抜いた直後。予想と反する動きを見せた重戦車に、ハルトは思わず眉をひそめた。
今まで、何両ものドラグーンを屠ってきたが……そのいずれも、車長を狙撃された直後は、怒り狂ったかのように、その場に留まり、砲撃を加えようとしてきた。だが、今回の車両はまるっきり見当違いの方向に一発撃ったきり、全力で後退し始めた。
ハルトは後退するドラグーンに牽制の一発を放つ。
ターンっ!
カンっ!
小銃弾がドラグーンの装甲に弾かれる。だが、鋼鉄の塊である戦車の内部では、その着弾音には幾重にも重なって響き渡っているだろう。乗員の心臓は、その音に鷲掴みにされているはずだ。
気づかないはずがない。そして、気づいているのならば、放っておけるはずがない。殺らなければ殺られる。連中はそれを知っているはずだ。何より、仲間を殺され、黙っていられるはずはない。
しかも、連中は竜に乗っている。こっちを格下と見下しているはずだ。格下相手にしっぽを巻いて逃げ出すことなんて、まずあり得ない。
だが、そのあり得ないことが今、目の前で起きた。おちょくるように銃弾を撃ち放ったハルトに目もくれず、ドラグーンは後退の足を緩めない。
ターンっ!
カンっ!
もう一発、弾丸を放つも結果は同じ。わき目も振らず、一目散に逃げるドラグーンに、ハルトは妙な胸騒ぎを覚えた。
「後退せよ、とはどういうことですかっ!?」
カインの怒声がドラグーンの振動、そしてエンジン音すら凌駕し、森の中に響き渡る。鍛え抜かれた乗員たちが思わず首をすくめるほどの大音声だ。
だが、無線の向こうの相手にはその迫力までは届かなかったのか、
『他意はない。そのままの意味だ、カイン大尉』
ひどく冷静な―戦場においては場違いとさえ言えるような声音だ。
「承服できませんっ! 後退するにしても、部下の救出が完了しない限り……」
『ここは議論の場ではない。そして、私は貴君に命令を下している。
本作戦において、貴君の小隊は我がアウム陸軍キース駐留部隊の指揮下にある。そして、その司令官はこの私だ。貴君が私の命令に従う義務があることぐらい、極北の田舎騎士でも理解できている、と思っていたのだがな……』
「あなたは部下を見捨てろとおっしゃるのですかっ!?」
『カイン大尉。貴君が今、搭乗しているドラグーンは我が軍から貸与されているモノだ。それが不要な危険に晒されることを私は看過できない』
「私の部下の命を救うことが不要な危険だとおっしゃるのかっ!」
『戦場で兵が命を落とすなど、さして珍しくもあるまい』
「だからと言って救えるかもしれない部下を見捨てていい理由にはなりませんっ!」
兵の命を投げ捨てるように扱うような軍では、士気は極端に下がる。いつ見捨てられるかわからないような状況で自ら戦地に赴こうと言う兵士など、ただの自殺志願者でしかない。兵士は、誰かが背中を支えてくれるからこそ、身を危険に晒して戦えるのだ。
『どのみち、貴君の部下は助からん。貴君が向かっても無駄な犠牲が増えだけだ。当方としては、これ以上貸与したドラグーンが失われる方が惜しい』
「待ってくださいっ! 車長のハインツ中尉は狙撃され、戦死が確認されましたが、一○二号車はまだ健在ですっ!
救援に向かえば、一○二号車を救うことも可能なはずですっ!」
『……っ! とにかく、貴君は余計なことを考えず、残った車両を指定されたポイントまで下がらせることに専念するんだ、いいなっ!』
言うだけ言うと、司令官は一方的に通信を切った。
「くそっ!」
思わずヘッドセットを頭からむしり取って放り出したくなるが、理性を総動員して何とか堪える。
「隊長……」
足元から不安げなホル准尉の声が這い上がってくる。他の乗員も口にこそ出さないが、誰もが不安を感じているのだろう。気配がひしひしと伝わってくる。
カインは大きく息を吐き出すと、
「ホル、一○三号車に撤退を伝達しろ」
「了解しました」
「で、一○二号車の救援は……」
カインは左手から己を見上げるヴレルを一瞥すると、
「この一○一号車が行う」
「ですよね」
上官の言葉に思わず破顔するヴレル。
「……すまんな、おまえ達に貧乏くじを引かせてしまって」
「構いませんよ。隊長がそんなだから、我々は隊長についていくことができるんです」
「……さぁ、おしゃべりはここまでだっ!
モタモタしてたら、救えるモノも救えなくなるぞっ!」
イヤな予感がする。あの司令官は何かを企んでいる。だが、その正体が全く見えない。
ギリッ!
歯痒さが歯軋りとなって現れた。
「アイリス、できたっ!」
幼い声にアイリスは振り返る。そこには、得意満面な笑みを浮かべ、地面に書いた文字を指差しているフレアの姿。
教師役のアイリスは身を屈めてその文字を見やる。
「ハルトは……フレアの……お嫁さん?」
声に出して読み上げ、違和感に首を傾げる。だが、フレアは満足げに頷くのみ。どうやら、地面に書かれた文面自体は彼女の意図通りらしい。
子供の吸収速度と言うモノは乾いた砂が水を吸い込むかのように速く、そして素直だ。文字を教えて一月足らずで幼いフレアでもあらかたの単語と簡単な文章を読み書きするぐらいは可能になっていた。彼女の姉であるファムなどは、既に初等教育で覚える程度の語学を習得してしまっている。今では母親であるミルドを手伝って、ハルト達が鹵獲して来た戦利品の仕分け作業に参加しているぐらいだ。都市部と違い、厳しい自然環境に晒された深い森の中では子供たちの成長がより強く促されるのかもしれない。
今、地面に書かれたフレアの文章も一月前とは比べ物にならないほど文字の形は整い、文章としての体を成している。しかし……、
「それは『フレアはハルトのお嫁さん』になるのが正しいんじゃないかな?」
困ったような笑みをフレアに返した。
「違うのっ! ハルトがフレアのお嫁さんなのっ!」
フレアは頬を膨らませて、全力否定。どうやら、彼女は文章の読み書きは正しく覚えているようだが、その意味を正しく理解できていないようだ。いや、理解できていないのは概念か。
さて、今度はどう言えば理解してもらえるのかと頭を捻っていたところ、
「あんたはそれでいいの?」
つっけんどんな声に、後頭部を叩かれた。怪訝そうに振り返ると、仏頂面のファムがこちらを見下ろしている。
「……どうなのよ?」
「……そうですね……」
苛立たしげに答えを促すファムに顎に手を当て、思考をまとめるアイリス。幼いフレアもマネしてしかめっ面を浮かべて顎に手を当てている。
アイリスは微笑ましい気持ちでフレアを見下ろしながら、
「読み書きのレベルについては、同年代の子供達と比較しても遜色ないと思います。
ですが、単語の意味、前後の文節をもう少し正確に汲み取る必要はあるかもしれませんね」
「……何の話をしているのよ?」
ジト目で呻くファムに対してアイリスは小首を傾げ、
「フレアの教育について、ではないのですか?」
「……んなわけないでしょ……。あんたこそ、文節を読む必要があるんじゃないの?」
今の会話の文節を読み取ったら、むしろ、フレアの言語習得度以外のどこに行き着くのだろう、とアイリスは思うのだが、そこは空気を読んで言葉にはしない。ことほど左様に、人と人との会話には沈黙、あるいはウソと言った潤滑油が有効な時もあるのだ。
(こんなこと、覚えないで済むならそれに越したことはないのだけど)
内心でため息を吐くアイリス。自身は王族と言う身分であるため、政における権謀術数から逃れることはできない。王族とは、存在そのモノが政の一部であるからだ。それ故、人間社会の薄暗い部分と無縁でいることはできない。
だが、この少女達は違う。形式上は一応、キース王家の臣民、と言うことになっているが……王家の威光など、こんな深い森の中にまで届かない、と言うことはこの一ヶ月の生活で思い知らされた。
しかし、悪い気分はしない。ここでは傅いてくれる侍従もいない。自分のことは自分ですることはおろか、集落の共同作業に駆り出されることもしょっちゅうだ。さすがに人質であることから―もともとが形式的なモノであったため、集落の人間どころか、アイリス自身もたまにそのことを忘れていたりするが―猟銃持たされて狩りに連れ出されるようなことはないが、山菜や薬草の採取で森に入ったり、獲ってきた獲物の解体に駆り出されたり、と子供達の教育の他にもあれこれ手伝わされたりしている。
王族と言いながらも身分を鼻に掛けたところがなく、根が真面目でよく働くため、周囲の評判もよい。
故に彼らはアイリスを信頼し、自由に振る舞う権利と、集落の中での共同作業へ従事する義務を課しているのだが、さすがにこれは無防備なのではないか、と思うことは何度もあった。
薬草採りに行ったまま、逃亡を企てることだってあり得るし、獲物を解体するための刃物は武器にだってなり得る。
一度、ミルドには自らの脱走や反乱の可能性を伝え、あまりにも無防備過ぎる、と難癖を付けたこともあったが、思いっきり笑われた。
曰く、自分が逃げるかもしれないから監視をしっかりしろなんて言う人質、現実に存在するとは思わなかった、とのことだ。
確かにアイリスとしてもおかしいとは思う。そもそも囚われている側の自分が、何でそんな心配をしなければならないのか。それは捕らえている側の人間があまりにだらしがないからではないか。だと言うのに、自分が笑われるの理不尽だ。
アイリスが力一杯力説したところ、ミルドは目に涙を浮かべながらも―涙が出るほどおかしかったらしい。その事実にアイリスはより一層憮然としたのだが―、この森は深く、仮に逃げ出したところで無事に出られる可能性は限りなく低いし、箱入りのお嬢様が包丁一本で戦闘集団と言っても過言ではない狩猟民族をどうにかできるとは思えない。そして、その現実が理解できないほどバカではないと思っているからこそ自由を与えている、そのような旨の回答を返した。
理には適っている。だが、未だにあの時のことは納得し難いと言うか、何と言うか……。
当時のことを思い出し、腑に落ちない表情が漏れてしまっていたのか、
「何? 何か言いたいことでもあるの?」
ケンカ腰にファムが突っかかってくる。アイリスは困ったような笑みを浮かべると、
「ごめんなさい。ちょっと理不尽な出来事を思い出してしまって……」
「ふーん……。ま、いいわ。で、どうなのよ?」
「……ごめんなさい。あなたが何を聞いているのかよくわからないのだけど……」
ファムは困惑するアイリスに鋭利な視線を突き刺すと、
「この流れでわからないの?」
むしろ、話題は飛躍しまくっていると思うのだが、逆上している人間は己が冷静さを欠いた状態にあることに気づかないモノだ。腹の中で一物企んでいる人間より感情的になっている人間の方が、予測が付かない分だけ扱いは難しい。
さて、どうしたモノか。
アイリスが思案に暮れていると、ファムは痺れを切らしたのか、
「とぼけたフリしているのは、余裕なのかしらね……。それとも本当にわかってないのかしら、このお姫様?」
自らの思考で疑心暗鬼に陥っていた。アイリスはファムの内面において、決着がつくのを待つことに決める。今、彼女の思考に横槍を入れれば、アイリスに対する反発心から余計頑なになる、そう判断したからだ。
きっかり一分後、
「まぁ、いいわ。あんたがどう思っていようが、ここではっきりさせればいいのよ。
……って、何笑ってるのよ?」
気分を害したかのように、ファムはひとつ大きく鼻を鳴らす。
「ごめんなさい。こういう……剥き出しの感情をぶつけられる経験って、あんまりなくて……」
曲がりなりにも王族であるアイリスに、面と向かって己の感情をぶつけられる者などそうはいない。
逆に同じ彼女に生の感情をぶつけても問題ない身分の者―王族はその立場から感情の抑制を義務付けられる。結果、身分に頓着しない辺境の民でもないと、王族に感情をそのままぶつけることができないのだ。
「……それって、そんなに嬉しいことなの?」
「そんなに嬉しそうな顔をしていますか?」
不思議そうに小首を傾げるアイリスを半眼で見下ろし、
「……なんか調子狂うわね……」
年に似付かわしからぬ深いため息を吐き出した。
「あたしが聞いているのは、ハルトのことよ」
「ハルト……ですか? 彼ならアウム軍の襲撃に備えて、森の中で待ち伏せをしていると思います」
狙撃の基本は待ち伏せだ。自身に有利で、なおかつ相手からは見えないポジションに陣取り、一方的かつ迅速に相手に致命の一撃を与える。その意味では、狙撃の成功可否は敵を照準に収めるより、はるか以前から決まっていると言っても過言ではない。森の内部を熟知し、狩猟を生業とすることで射撃技術を日々鍛錬しているこの集落の狩人は、この森の中に限定すれば、最強かつ最凶の狙撃兵であると言える。
しかし、ファムは頭が痛いとばかりに首を横に振ると、
「……誰がハルトの行動予定を聞いているのよ?」
「違うんですか?」
目を丸くするアイリス。
「あたしが聞きたいのは、あんたがハルトのことをどう思っているかってこよっ!」
アイリスの顔面に怒声を叩きつけるファム。アイリスはキョトンとした表情で柳眉を逆立てたファムを見つめると、
「そうですね……」
続いて深く考え込む。
ひょんなことから同居人となった―正確に言えば居候先の家主であるが―少年ではあるが、改めてどんな人物であるかなど、観察、分析をしたことはなかった。そもそも、そんな必要性を感じたこともない。
だが、冷静になって考えれば、これは異例と言えるかもしれない。王族に近づく者の中には、腹に一物抱えた者も少なくはない。そう言った輩の腹の中を探り、見透かすことも人の上に立つ者に必要とされる能力だ。幼い頃から王族としての教育を受けているアイリスは、初対面の人間に対しては、まず疑いから入れと教えられており、実際にその教えを徹底して生きてきた。
だと言うのに、よくよく考えてみればハルトに対してはそう言う疑念を抱いたことがない。それどころか、こうしてファムに彼の人物像、印象を聞かれることがなければ、自身が彼に欠片ほどの疑いも抱いたことがない、と言う事実に気づきすらしなかっただろう。
では、なぜアイリスはハルトに対し、疑念を抱かないのか。しばし黙考した結果、
「何も考えてない人、ですかね」
「は?」
アイリスの言葉が予想の斜め上だつだのか、ファムは思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
「そう、何も考えてない。だから、何か企んでいる、とも思わずにわたしは彼を疑うようなこともなく……なるほど、これならわたしが彼をすんなり信用できたことも説明できます」
考えを口に出し、その言葉に納得してアイリスは何度も首肯を繰り返す。
その様を呆然と眺めていたファムの視線の温度がゆっくりと下がって行き、
「何それ? ハルトをバカにしているの?」
「? なんでそうなるのですか?」
「今の会話の流れで、何でそうならないと思うのよ……」
頭痛がすると言わんばかりに額に手を当てるファム。
「まぁ、いいわ。他にはないの?」
「そうですね……」
促され、再び考え込むアイリス。
「基本的に何事にもいい加減でガサツ、女性の扱い方もなってませんね。
人が着替えているのにノックもせずに部屋に入ってきたこともありますし……」
「見られたのっ!?」
身を乗り出して聞いてくるファムに、
「本人は見てない、と言い張ってますが……あとでミルドに尋問してもらったところ、吐きました」
憤然と答えるアイリス。
「……お母さんに相談したんだ……」
「ええ……半殺しにされてましたが」
不穏当な言葉を平然と口にする辺り、この件に対するアイリスの怒りは未だに解けていない、と見るべきだろう。
「乙女の柔肌は安くはありません。当然の報いです」
「ま、ハルトはちょっとデリカシーに欠けるところがあるのは確かよね。いい薬になったんじゃない」
怒気に満ちたアイリスの言葉にファムは、うんうんと頷く。
「そうですね。以後、寝室に入る際は必ずノックするようになったのは、大きな進歩です」
ノックするだけで大きな進歩を認められるところから察するに、やはりハルトは何も考えていない、と思われているのかもしれない。
「他には? 何かないの?」
脱線した話を戻しに掛かるファム。アイリスは三度記憶の中に意識を埋没させ、
「性格はどうしようもありませんが、狙撃の腕は確かだと思います。正直、ただの突撃銃でドラグーンをほぼ確実に無力化できるなど、この目で見ても未だに信じられません」
「ハルトの腕は集落一だもの」
我がことのようにファムが胸を張る。が、次の瞬間には我に返ったかのように、
「……って、そうじゃなくて……あんた自身のハルトに対する気待ちって奴をあたしは聞きたいわけで……」
「……ハルトに対する……わたしの気持ち……ですか……」
アイリスはゆっくりと反芻するかのようにファムの言葉を復唱し、
「そうですね……一緒にいて安心できる……いや、気持ちのいい人、と言った方が正確でしょうか」
「ちょっ!? 気持ちがいいって……あんた、ハルトに何をしてるのよっ!?」
「何って……ご飯を作ってあげたり、洗濯してあげたり……とかですかね?
何せ、ハルトはだらしないですから、放っておくと保存食ばっかり食べてるし、洗濯物を溜め込むだけ溜め込みますし……」
「……それだけ?」
「それだけですよ? 他に何があるって言うんですか?」
無垢な瞳で問い返され、ファムは紅潮して目を逸らしてしまった。
「な、何でもないわよっ!」
「そうですか……。
わたしがハルトと一緒にいて、気持ちがいいと思えるのは、きっとハルトが真っ直ぐだから何だと思います。
わたしは王族であり、今、国は滅亡の危機に瀕しています。常に権謀術数の中に身を置いているからこそ、ハルトの真っ直ぐさに安らぎを覚えるのだと思います」
「……ふーん」
ファムは不機嫌そうな顔で気のない返事を漏らすと、
「……負けないから」
小さな呟きを漏らす。だが、その呟きは、
クオォォォォォォォン……。
遠くから響いてきた甲高い音にかき消される。
「何、この音?」
ファムが思わず眉をひそめる。フレアは不安げな眼差しで姉を見上げた。集落にいる他の人間―老若男女を問わず、皆が皆、聞き覚えのない音に空を見上げる。
そう、その音は空の上から降ってきた。だが、鳥の鳴き声とは違う。それどころか、森に棲むどんな生き物の声でもない。
重々しく、そして禍々しい響きを伴った唸り。それも単体ではない。恐らくは複数、かなりの群れを成して不気味な音を奏でている。
「この音は……まさか……航空機?」
アイリスがポツリと呟く。
確証はない。だが、それ以外にこのような音を天空から響かせる存在を思いつかない。
小国であるキースに、航空機を開発、製造する技術などない。だが、進駐してきたアウム軍が持ち込んだ実機をアイリスは見たことがある。
しかし、アウム軍はこれまで、キースに航空機を持ち込みこそすれ、本格的に運用していた、とは言い難かった。その理由は本格的に運用できるほどの機数を持ち込んでいなかったと言うのもあるし―航空機は機体のトラブルが即墜落に直結するため、定期的な整備点検が欠かせない。そして、整備中は当然、機体を稼動させることなど不可能であるため、本格運用するとなると最低二機一組、余裕があらなら三機一組でローテションを組むことになる―そもそも現状のキースにおいて、航空機が必要となる場面はさほど多くない。
単純な運輸業務であれば、確かに航空機による輸送は速いが、一度に運べる量は少なく、また、航空機自体の価格、及びランニングコストをかんがえると、コストパフォーマンスがあまりに悪い。
ゲリラの掃討戦に使うには軍用機はあまりに高価で―その相場は高価と言われているドラグーン重戦車五~一○倍にも及ぶ―対ゲリラ戦に投入されることはこれまでなかった。
比較的少数でも運用可能な偵察任務に用いられたことはあるが、鬱蒼とした常緑樹の森を上から眺めたところで、地を這う神出鬼没のゲリラ戦力を発見できるわけもない。
結果、飛行場は建設されたモノのせっかく造った飛行場施設は半ば遊んでいた、と言うのが実態だ。
そのアウムが使う当てのないはずの航空機を飛ばした……。
アイリスの背中を悪寒が走り、震えを抑えるかのように、アイリスは自らの身体をギュッと抱き締めた。
クォォォォォォォン……っ!
遠方より響いて来た航空機特有の甲高いエンジン音に、カインは思わず空を見上げる。
「アウムの援軍か?」
キースに限らず、比較的科学文明の発展が遅れている大陸極北部では、航空機を運用している国家は存在しない。この地域で航空機を飛ばすことができる勢力はアウムだけだ。だが、カインに撤退を命じたあの司令が、援軍を寄越してくれるとは考えにくい。
一両ならともかく、カイン車も含めて二両もドラグーンを失うことは面白くない、と考えたのかもしれないが……それにしても、カインの小隊が独自に救出作戦に動くことすら渋っていたあの司令が、気前良く虎の子の航空機を援軍に向かわせるとも思えない。そもそも、この視界の悪い鬱蒼とした森の戦場で航空機がいかほどの役に立つと言うのか。偵察もロクにできずに航空機の投入は断念した、とも聞く。
思う間にも、航空機の集団がカインの頭上を抜けて行く。いかにドラグーンが最新の重戦車とは言え、凹凸だらけの森の中では時速三〇キロがやっとだ。だが、空を飛ぶ航空機の速度は優に三〇〇キロを超える。十倍以上の速度で大空を行く鋼鉄の鳥からしてみたら、大地を走る戦車など止まって見えるだろう。もっとも、森の中を走る戦車など、空を飛ぶ航空機からは見つけようもないだろうが。
カインは陽光を照返す怪鳥の群れを目を細めて見送った。
「……ジェリコか」
呟きがその口から洩れる。
ジェリコ。
アウム陸軍が誇る単発複座の爆撃機だ。最高速は水平飛行時で時速四〇〇キロ強、兵装搭載量は最大で二トンを超える。高い機動性と急激な引き起こしに耐えうる頑強な機体を有し、その特性を活かした急降下爆撃を得意とする。
急降下爆撃とは文字通り、急降下しつつ航空爆弾を目標に投下する戦法だ。水平に飛行しながら爆弾を投下する水平爆撃に比べ、航空爆弾の落下ベクトルと航空機の進行ベクトルが近づくために、命中精度が格段に上がる。特にジェリコは対戦車戦において多大な戦果を挙げており『戦車殺し』の二つ名で呼ばれていた。
なるほど。都市などの大規模目標を焼き尽くすのであればともかく、森の中に潜む狙撃手をピンポイントで狙うなら急降下爆撃が可能なジェリコは適任かもしれない。
大規模絨毯爆撃が可能な戦略攻撃機であれば、一帯の森を全て焼き尽くすことも不可能ではなかろうが……あんなモノを投入したら、近くにいる味方―カイン隊まで巻き込むことになる。戦略攻撃機は長大な航続距離と莫大な兵装搭載量を誇るが……機動性に劣り、到底急降下爆撃などできない。精度の高い爆撃などできず、広範囲を灰燼に帰すしか能がない、威力は高いが使い所の限定される兵器なのだ。
それ以前に……戦略攻撃機の類はその性質上、大型の機体とならざるを得ない。そして、大型の機体となると、離着陸に必要な滑走路も長大なモノとなる。キースにある急造の飛行場では滑走路の長さが全く足りない。そもそも……森に住むゲリラの討伐に、都市ひとつを文字通り灰燼に帰す戦略攻撃機は、明らかにオーバースペックだ。これらの理由から、キース駐留軍には戦略攻撃機など配備すらされていないのが現状である。
しかし、腑に落ちない。
あの司令の気が変わって援軍を送ってくれたことについては、感謝もしよう。そして、その救援に足の速い航空機を差し向けてくれたことについても、だ。
だが、急降下爆撃はピンポイントで目標を狙い撃つ。つまり、敵の姿が見えていることが前提の爆撃法だ。しかし、相手は鬱蒼とした森の中に潜む狙撃手。地上三〇〇〇メートルの高空を飛行する航空機から、発見できるとは思えない。この状況で精密爆撃を行うなら、地上に偵察隊として歩兵を一個分隊ほど差し向け、敵の姿を索敵しつつ航空機の爆撃誘導を行わなければ不可能だ。
だが、戦車以上に脆弱な地上戦力である歩兵など、優秀な狙撃手が潜む森に放ったら、それこそ全滅しかねない。本末転倒、投入した戦力が何の戦果も挙げられず、ただ喪失されると言う最悪な結末も十分あり得る。実際、ハインツが聞き出した情報では、機甲部隊に随伴した歩兵が一分間で全滅している。さすがに話半分に聞いたとしても、随伴歩兵が狙撃によって全滅した、と言う部分は真実だろう。
何かが裏に潜んでいる。だが、何が潜んでいるのか、正体が掴めない。
ヒュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……。
鳥の鳴き声のような甲高い響きが迷走する思考を斬り裂く。
半ば条件反射でカインは音の主を見上げた。視線の先では編隊先頭のジェリコ―恐らく指揮官機だろう―が、翼を翻して急降下に入っいた。後続の機体が列を成してそれに続く。
ジェリコの特徴である風切音。動力降下を掛けるジェリコは、最高速は時速六〇〇キロをはるかに超える。実際はこれ以上の速度を出すことすら難しくはないのだが、これ以上の速度域では戦闘機と違い、機体が大柄で鈍重な爆撃機では、引き起こしが間に合わずそのまま地表に墜落してしまう可能性がある。このため、ジェリコの機体には速度超過を防ぐためのエア・ブレーキが装備されており、それが風を切る音が、特徴的な響きを奏でるのだ。
この音は、俗に『ジェリコのラッパ』と呼ばれ、地上にいる味方には希望を、そして敵には絶望を与えると言われている。ジェリコの繰り出す急降下爆撃の精度、威力の高さが、このエピソードからも察せられる。
だが、カインにとっては味方であるはずのこのラッパが、なぜか不吉な前兆に聞こえてならなかった。
あの急降下の軌道の真下辺りには確か……。
『大尉っ! 頭上から爆撃がっ!』
無線から飛び出して来たマルクの悲鳴で、カインは己の感じた予兆が現実のモノとなったことを悟る。
「考えるのは後でいいっ! 今は全力で逃げることだけを考えろっ!」
カインはマルクに向かって怒鳴り返すと、
「ホルッ! 今すぐあのバカどもに爆撃を中止するよう要請しろっ!
連中が爆撃していのは、ハインツの一○二号車だっ!」
今度はホルに向かって怒声を上げた。
「了解っ!」
ホルはすぐさま無線機の周波数を合わせて、
「上空のジェリコ隊っ! こちらはキース陸軍機甲師団所属一○一号車っ!
すぐさま爆撃を中止されたしっ!
貴官らが爆撃しているのは、我が隊の一○二号車だっ!
繰り返すっ! すぐさま爆撃を中止されたしっ!」
必死の呼び掛けを開始した。だが、いくら呼び掛けても上空のジェリコの動きに変化はない。いや……むしろ、その爆撃の密度が増しているようすら見える。
埒が明かない。瞬時に判断を下し、
「司令部に連絡を取れっ!」
カインは矢継ぎ早に指示を下す。一瞬の躊躇が救えるはずの部下の命を失う結果になりかねない。その思いが部下にも伝播したのか、
「はっ!」
威勢良く応えたモノの、ホルはなかなか周波数を合わせることができない。傍から見てもわかるほど、焦りで手元が狂っていた。
「落ち着けっ!」
自身もまた、焦燥に焦がされつつカインが一括。ホルは勢いよく振り返り、
「司令部、繋がりませんっ!」
絶望に満ちた顔で絶望的な言葉を放つ。
「繰り返し呼び出し続けろっ! ペドロ、もっと速度は出せんのかっ!?」
「こんな森の中じゃ、これが精一杯ですっ!」
右に左にと、巧みに車体を操りつつ、操縦手のペドロが怒鳴り返す。
「くそっ!」
心中の焦りを隠すことも忘れ、カインは毒づく。
と、ジェリコ編隊の内、一小隊―四機が反転、こちらに向かって来た。
(まさか……)
本能はあらん限りの警告を発している。だが、理性はその可能性を否定していた。あり得ない。絶対にあり得ない、と。
そして、その逡巡が致命的な結果を招いた。次の瞬間、反転した小隊はカイン達に向けて急降下爆撃を仕掛けて来た。
生存本能と、それすら凌駕する圧倒的な恐怖に押し流され、意識するより早く、カインは頭を車内に引っ込めてハッチを閉じる。
「総員、衝撃に備えっ!」
ドドドドドっ!
その叫びが部下達に届くよりも早く、ドラグーンは凄まじい衝撃に襲われた。