根室重光が岡田信星老師に会うこと・其の七
次回から新章です。
「お夕飯はいいんですか?」
「よい。今は体が睡眠を欲しておる」
俺は改めて書院の床の間に布団を敷き、住職は身を横たえた。
「それではお住持さま、おやすみなさい」
「重光」
襖を閉めようとすると声をかけられた。
「はい」
「妹と話し合え。冷静にな」
「努力はします」
「鬼子を優しく扱えとは言わん。だが、幽香の気持ちだけは、ちゃんと正面から受け止めてやれい。それがおまえさんの務めじゃ」
「はい――ありがとうございました」
心を込めて頭を下げた。今日だけでどれほど救われたか。
岡田信星老師はまことの聖職者だ。
仕切りをはずせば十六畳ある和室で幽香と信南子先生が待っていた。
「お夕飯は任せてください。先生が腕を振るってあげます」
先生が妙に浮き浮きしながら腕まくりをする。
「お構いなく。幽香と二人だけにしてくれませんか」
「でも、明日からは学校が大変よ?」
「如斎谷がポルノの続きを読ませようとしたら止めてあげるから安心してください。もう少し教師の威厳を見せてほしいところですが」
「それよりも私が根室くんにナンパされたことになっているんです」
「なぜっ⁉」
ギリッ――幽香の歯ぎしりが聞こえる。
緊急離脱した後の教室で何が起きたのだ。
「先生、クラスの奴らに変な説明したんじゃないでしょうね。俺と如斎谷が出ていった後で色々聞かれて」
「根室くんと親しげな理由を聞かれて、私が入院中に車椅子で木漏れ日を愛でていると、根室くんに声をかけられて恋人の有無を聞かれたと……」
陽炎になった感覚でユラリと立ち上がる。
「手刀と突拳、KOされたいほうをどうぞ」
「待って待って待って! 他にみんなを納得させる言い訳がなかったんです! それに真っ赤な嘘八百というわけでもないでしょう?」
壁を背にした先生は目いっぱいに涙を湛えて首を振る。
制裁を加えるにあたっては男女を分け隔てしない主義の俺ではあるが、さすがにここまでナヨった先生を殴るのは拳の穢れ、露骨に舌打ちしてあぐらをかいた。
「場をはずしてください」
「は、はい……無茶をしては駄目よ」
「神聖な寺社でバトル以外では暴力は振るいませんよ」
ふてた声で幽香が異を唱えた。
「お住持さまのステッキで叩かれたけど……」
「ボケたことばかりぬかすからだ!」
先生が台所へ消えると、俺たちは食机をはさんで向き合った。
「ちゃんと前を見ろ幽香」
「埜口さんに乱暴する人に向ける顔は半分だけです」
粘りつくような横目でこっちを見る。忌々しい限りであるが、埜口に手をあげた件を持ち出されては折れるしかない。
「あれは全部俺が悪かった。埜口には後でちゃんと謝る。だから、おまえも拗ねてないで、いい加減帰ってこい。いつまで先生の家にいるつもりだ」
「わからない」
「わからないじゃないだろ。先生にご迷惑だ」
「帰ってきたら余計迷惑じゃないかしら」
「どういう意味だ?」
「如斎谷さんをお招きするのに邪魔じゃないんですか? 学内フィアンセなんでしょう?」
「まだ信じてるのか!」
反射的に頬を打ちたがる悪い手をつねった。
縺れた感情の制御の厄介さを俺は生まれて初めて知った。ほんの一メートルほど向こうの従妹が果てしなく遠く感じる。
「嘘だって言っただろ! 俺は如斎谷なんかに興味ないんだよ!」
「興味がなくなったから次は信南子先生なのね」
殴りたい殴りたい。地獄車をかけたい。
だが、本日はアホの子への暴力禁止デーだ。
「あれも先生の勘違いだ。いい人だけど、おめでたいのは一緒に住んでたらわかるだろ? 俺は今のところ女とつきあうとか考えてないんだ」
「じゃあ重光ちゃんに近づいてくる女性を何とかしてください」
「勝手に近づいてくるんだから――」
「仕方ないだろ、というのは男の人の勝手な理屈です!」
天井の蛍光灯を揺らす剣幕に思わずたじろいだ。
まさか幽香にこれほどの迫力が出せるとは。
「なあに⁉ 地震? 地震?」
信南子先生のおろおろする声が聞こえる。
「誰ともつきあう気がないなら、せめてわたしのお兄さんでいてください!」
「幽香、自分の容貌がわかるか……?」
再び我が従妹の両眼は真っ赤に輝いている。
俺は自分の小者を素直に認めよう。最悪こいつを殺さなければならない可能性もあることを自分に言い聞かせる意図も含めて言葉を吐いた。
「知らないうちにおまえに気苦労を強いていたのなら改善する。だが、絶対に人前で今の姿にはなるな。たとえ俺が殺されかかっていてもだ」
だんだんクライマックスに近づいてきました。




