愛の迷路・其の七
いよいよ30回を数えました。
ご覧いただいている皆様に感謝することしきりです。
帰宅して最初にやったことは親父の部屋での資料探しだった。
メロン頭には妹を追えと忠告されたが、あんなもん後回しだ。
グレるだのハイエナの餌食になるだのと息巻いたところで、いざ夜の街に繰り出せば尻尾を巻いて帰ってくるに決まっている。第一、微顔好みの奇特な男が悪い目的で複数近づいてきても〝本気で〟嫌がる幽香を力ずくでどうこうできやしないのだ。
遅まきながら悪遮羅とやらの伝説、並びに幽香との関係を調べることを優先させてもらう。そのための参考文献の所蔵場所は何といっても人文科学者である父・根室容保の部屋を置いて他にない。
部屋の主の失踪以来、長らく開かずの間であったが住み慣れた我が家の一部なのだ。壁面を覆い尽くすほどの本や冊子も、時々分類整理を手伝っていたおかげで、目当ての文献を探り当てるのにさほどの時間は要しなかった。
『湖国奇譚拾遺』――求める鬼女の伝説の詳細がここにあった。
著者は故・曽禰茂光。我が父が学生時代に師事していた先生で、俺の名前もこの人にあやかって付けたそうだ。
結論から言うと、埜口の発言どおりのことが書かれていた。いや、奴の発言が伝説のとおりだったのか。
これはフィクションですという注釈が小さくどこかに書いることを期待して隅々まで見た。しかし、曽禰博士が若き日の父を連れて地道に湖国を一周して取材した成果には、私的な想像で補った痕跡を見出すことすら叶わなかった。
鎌倉時代に琵琶湖畔に悪遮羅なる巨大な鬼女が出現したこと。
荒れ狂う鬼女を村人が神仏の力を借りて倒したこと。
復活防止のために死体を切り分け、右腕が星願寺の下に埋められたこと。
悪遮羅の外見に関する描写も、炎のような両眼も同じなら青白い燐光に覆われた体も同じで、今日の幽香との相違点はサイズと角の有無ぐらいなものである。
(となると幽香は人間じゃないのか?)
思えば、おかしなことが色々ある。
あいつと初めて会ったのが小学五年のときだ。母さんと仲良し姉妹の叔母さんなら、生まれたばかりの赤子を抱いて我が家へ遊びに来てもいいはずなのに。
まあ、そのへんの詮索は明日にしよう。さすがに疲れた。
一人で和室で大の字になる。親父に続いて幽香までいなくなり、この二階建ての木造家屋で初めて味わう完全な孤独は想像以上の圧力だった。
『卯~……』
ヒトトビが何かを訴えるように顔の横へ来る。
「ごめんな。おまえがいたんだよな」
優しく襟巻を撫で、俺は特別に自己憐憫を許した。
今夜だけという限定条件下で、とことん自分を甘やかす。
幽香が来てからの日々が走馬灯のごとく駆け巡る。ヒトトビを抱いて、幽香の影を求め家の中をふらふらとうろついた。
寝室を開ける。俺の布団に幽香が夜這いをかけてきた。
(わたしを抱き枕にしてくださーい!)
迷わずタコ殴りにして、ロープで縛って押し入れに閉じ込めた。
浴室を開ける。俺の入浴中に幽香が乱入してきた。
(洗いっこしーましょ!)
乳首を捩じって反省させ、全裸のまま外へ蹴り出した。
「本当にあいつは……あのアホは……」
感傷に耽ったことを後悔させる思い出ばかりに拳が震える。
子供じみた感情から埜口とケンカをしたのは悪いが、保護者に向かってビンタをかますとはいい度胸だ。俺は大したことなかったが、埜口はあの痛がり方からして骨折ぐらいしているかもしれないのだ。
おめおめ帰ってきたら、どう制裁を加えてくれよう。
(しかし遅いな)
時計を見ると午後九時を過ぎている。いい加減、うんとバツの悪そうな顔をして帰宅してもいい頃合いだ。
携帯の着信音が鳴った。飛びついてがなりたてる。
「幽香! 今何時だと思ってんだ!」
「ごめんなさい、わたし妹さんじゃないんです。岡田信南子です」
「岡田……さん⁉」
育ちの良さを感じさせるおっとりした口調は埜口の従姉、市立病院で会った車椅子の女性であった。
「六くんに、あなたの電話番号を教えてもらったの。幽香ちゃんなら、わたしの家にいるわ」
「あなたの所へ?」
「実はね、あなたを追って三光宮へ行こうとしたの。だって、果し合いにでも行くみたいな顔をしていたんですもの。その途中で、六くんと出くわしたのよ。もうフラフラで、あちこちに打ち身ができてたわ。あなたたち派手にやったみたいね」
「……すみません。俺のせいで怪我したんです」
「いいのよ。あの子も詳しいこと話したがらないけど大体の事情はわかるわ。わたしと入れ替わりに六くんが入院することになったけど」
「しかし、どうして岡田さんの所へ……?」
「六くんに頼まれたのよ、彼女が無茶しないように頼みますって。もう車椅子もいらなかったし、退院を一日繰り上げて街を探したら、星願寺の山門の前で座り込んでるのが見つかったわ」
何の意外性もなく、そんな場所でヘタレてやがったか。
「そこで物は相談だけど、当分は幽香ちゃんをわたしの家に泊めてもいいかしら?」
「そんな! 迷惑でしょう! すぐ迎えに行きます」
「本当に構わないわ。幽香ちゃんも今はお兄さんに向き合う勇気がないみたいで承諾したわ。もちろん、わたしの家から学校へも通わせるから。ね?」
「じゃあ……お任せします」
反対しても水掛け論になると直感が判断した。ここは信南子さんの勧めに従い、しばらく離れて生活して自分を見つめ直す期間にしよう。
「でも、くれぐれもお願いしておきますが、あいつが何か粗相をしたら、こんな些細なことでと思う必要は皆無なので、ボッコボコにブン殴って下さい」
「そ、そんな、女の子相手にボッコボコって……」
「うんと厳しい体罰をもってお願いします。いいですね?」
狼狽する声を押し切った。〝厳しい〟と〝体罰〟に力を入れて。
「は、はい……!」
電話を切ると、窓をから夜空を見た。
月は上弦の頃を過ぎつつあった。小望月も近い。
女性を獣と呼んで何が悪い?
懸垂十回もできないヒョロヒョロよりいいでしょ。
※五輪で女性選手を野獣に例えたことが物議をかもした頃だったんですね。




