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森野さん  作者: James N
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森野さん 二話

友人が書いたお話。

二話「猫のお気に入りブラシ、ツナマヨおにぎり、ベルト」


バッグから豚毛ブラシを取り出して、わたしは宣言した。

「このブラシで、森野さんの髪を、すきます」

「……待て。そいつに見覚えがある」

みっちゃんは飲んでいた調整豆乳を机に置くと、わたしからブラシをひったくり、柄を凝視した。

そこには『猫を駄目にするブラシ』と彫られている。

「猫用じゃねーか!」みっちゃんは叫んだ。「思い出した、おまえこれ、小次郎に使ってたろ!」

昼休みの教室は騒がしかったけれど、みっちゃんの声はそれよりずっと騒がしい。彼女はいつも元気だ。

「それ、わたしも使ってるんだよ」

「マジで!? シェアしてんの!?」

「うん。結構いいんだよ、豚毛」

「だとしてもおまえ、ペットとブラシをシェアって……つーかなんで小次郎にこのブラシを選んだの」

「なんでって、ペットショップで試した中で一番気に入ったみたいだから」

「小次郎基準で選んでんじゃん」

「そうだよ」

「それで森野さんの髪をすくってあんた、ただでさえあの人、怖いのに」

ゴクリと生唾を飲むみっちゃん。彼女は震える手で調整豆乳を掴む。

「……死ぬぞ?」

言って、みっちゃんはちゅーとストローを吸う。調整豆乳のパックはべこりとへこんだ。

「そんなことないよ、森野さんは優しい人だと思う。顔が小次郎に似てるし」

「それ結構失礼だろ、マジでぶっ飛ばされるぞ夏美。大体さ、なんでいきなり髪をすくとか言い出したの?」

「いやだって、ほら。あんなに可愛いのに髪がぼさぼさなの、勿体無いなって」

「……そんな理由で話したこともない人の髪をすくわけ?」

「そうです」

わたしは胸を張った。

昨日よりちょっと可愛くなる。そうすることが人生を豊かにすると、わたしは信じている。


森野さんとは、今年の進級で同じクラスになった。

彼女の外見は一言で表すと、妖精だ。金髪碧眼、小柄な体躯、校則違反のピアスに、校則通りに着こなされた制服。彼女が廊下を歩いていると、リノリウムが割れている古びた校舎も、なんだか幻想的な、歴史的建造物にみえてくる。

そんな彼女に男子は群がった。でも翌日には誰も寄り付かなくなった。

森野さんはとにかく、喋らないのだ。

日本語が話せないわけではない。担任の先生によると、両親は英国人らしいが、日本に来てから数十年になるため、一家全員日本語がペラペラだという。

だから森野さんが喋らないのは、喋りたくないからだとしか思えなかった。

それがなぜかは分からない。わたしにはどうでもよかった。

気になるのは、彼女の長い金髪が、いつもぼさぼさなことだ。


きっかけはベルトだった。

売っていたのは近所のショッピングモールに入っているセレクトショップだ。蛍光オレンジ色の、エナメルで出来た、馬鹿みたいに幅が広いベルトだった。

当時中学生だったわたしは、そのベルトをかっこいいなと思ったけど、それだけで、誰かが付けてるところなんて想像できなかった。誰が付けても似合わないと思えた。

ところが、「何かお探しですか?」と声をかけてきた店員さんが、そのベルトを付けていたのだ!

「あの、えっと」

「どうしました?」

「ベルト、似合ってます。綺麗です」

わたしはつい感想を言っていた。

店員さんはニッコリ笑うと、ありがとうと言って、こう続けた。

「このベルトが似合うように、自分を磨いたんです。だから嬉しい。また一つ、幸せになれました」

それまでわたしは、幸せというのは宝くじみたいに、ある日いきなり手に入るものだと思っていた。

でも違うのだ。店員さんの言葉でそれが分かった。

幸せは積み木みたいに、一つ一つ積んでいくものなのだ。

そしてその一つ一つは、当たり前のように周りに転がっている。

例えば、奇抜なベルトのように。

それに気づいて、拾えるように自分を磨いた店員さんを、わたしはかっこいいと思った。

そんなふうにして幸せになるための方法を知ったわたしは、それを誰かにおすそ分けしたくて仕方ないのだ。


森野さんは階段の最上階、屋上に続く引き戸の前で寝ていた。

手には食べかけのツナマヨのおにぎり、口は半開き、引き戸を背もたれにしてだらりと投げ出された足。かなり無防備で、その、あられもない寝顔だった。

「……イメージ違うな」

結局付いてきたみっちゃんがぽつりと呟く。

昼休みになるとすぐ教室から消えてしまう森野さんだけれど、屋上手前の階段で一人おにぎりを食べてるというのはすぐわかった。なにしろ彼女は綺麗なので、目を引くのだ。廊下にいる人に尋ねて回るだけで、どこにいるのか簡単にわかる。

引き戸のガラスから差し込む陽光に隠れるみたいに森野さんは寝ていて、本当に妖精みたいに見えた。

「隙だらけだぜ」

わたしはブラシを握りしめる。

「無許可ですくの!?」

みっちゃんの声は裏返った。

森野さんの髪に触れる。わー、ふわふわ、柔らかい。きれー。うわわ、ぼさぼさなのにすごい、全然引っかからない。ブラシがさーって通る。

「ん……ん!?」

森野さんの目が開いて、わたしを見た。

次の瞬間、彼女は悲鳴を上げ、わたしからブラシを引ったくって、踊り場の隅まで飛びのいた。おにぎりは地面にころりんした。わたしはおにぎりを拾う。

「なに、なんだ、なんだお前ら!」

叫ぶ森野さん。わたしは胸を張った。

「美の巨人たちです」

「すげーな、おまえ」

みっちゃんが感嘆の声を上げる。

「訳がわかんねえよ!」森野さん、お冠。「人の頭を、勝手に……しかも猫用のブラシで!?」

柄を見て震える森野さん。ふふ、可愛い。

「ご心配なく、猫に使ったことはありません」わたしは言う。「人間のブラシにも使われる豚毛のやつなので、安心です」

「あ、そうなんだ」

「そうです」

安心した様子の森野さん。その隙に彼女からブラシを返してもらう。

直後に森野さんは叫んだ。

「いや、そういう問題じゃない!」

「では髪を綺麗にしたので、わたしはこれでずらかります。さらば」

「あ、ちょっ、待、うおっ」

投げ返したおにぎりに森野さんが驚く。その隙にわたしとみっちゃんは脱兎のごとく逃げた。

そのまま人気のない体育館裏まで走ったところで、息を切らしてみっちゃんは言った。

「おまえ、やばい」

「そんなことないよ」

「猫に使ったことはねえとか、さらりと」

「嘘は言ってないもん」

猫用ブラシが好きな我が愛犬、小次郎の顔を思い出す。慌てふためく森野さんの顔も。

いきなりブラシで髪をすかれても、怒るというより戸惑っていた彼女は、やっぱり小次郎に似ていた。自販機の横に捨てられていた小次郎を見つけたときも、いきなり撫でたわたしに小次郎は戸惑っていたなあ、と懐かしくなる。

「怒られるぞおまえ」とみっちゃん。

「だいじょーぶ」わたしは答える。「そしたら友達になるもん。ほら、友達なら普通でしょ、あれぐらい」

「ええー……」

みっちゃんはドン引きしていた。

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