1997年2月10日 ニューヨーク
彼は毎日欠かさず朝晩電話をかけてきた。私が残業中にかかってくることも多く、会社の同僚たちは私が外国人と付き合っていることに気づいていた。
1996年12月25日の朝
「メリークリスマス、マリコ。クリスマスを一人で過ごさせて、ごめんなさい。マリコがバードケージ(鳥かご)のような小さなアパートに一人でいると思うと、とてもかわいそうに思います。ごめんなさい」
「日本はクリスマスの日は休日ではないので、普通に仕事をしていましたよ」
「え、そうなんですか。だからナゴヤのトヨタの人たちはクリスマスにもテレックスをたくさん送ってくるのですね。なるほど」
「メリークリスマス」
「メリークリスマス。1996年、今年のクリスマスは私の人生にとって特別なクリスマスです。私は心から神に感謝します。マリコを私の元に連れてきてくれた神に感謝します。Thank you God for giving Mariko to me. 」
「マリコ、ニューヨークに行ってみたいと言ったでしょ。2月10日から2泊3日でニューヨークに来てください。飛行機のチケットを予約しなさい。私がチケット代金は支払います」
彼はいつものようにすべてを決めて、私に考える時間を与えない。私は 言われるままに東京成田-ニューヨークJFKの往復チケットを予約した。
「2月のニューヨークは寒いのでしょ」
「そうですね。外はマイナス5度ぐらいまで下がりますよ。温かいセータとコートを持ってきてくださいね」
私は当時流行っていたビッグなシルエットのキャメルのロングコートをニューヨーク旅行のために買った。
2月10日、入国手続きを終え、スーツケースをピックアップして出口を出ると彼が黒のロングコートを着て、サングラスをして迎えに来ていた。抱き合うと軽く唇にキスをした。
「マリコ! 来てくれてありがとう。今日は、仕事に集中できませんでした。私のセクレタリが、今日はどうしたのか聞いたほどでしたよ。時計を見ながら、今、マリコの飛行機がJFKに向かって高度を下げているころだ、そろそろ機体がJFKに着いたころだ、今入国審査を通っているころだ、とずっと頭の中でシミュレーションしていました。私は韓国で軍隊に所属したころ飛行機を操縦していましたから飛行機のことは詳しいのですよ。今は趣味でツインエンジンの飛行機を操縦します。今度、乗せてあげますね」
私のスーツケースをすっと取ると片方の手で持ち、片方の手で私の手をしっかり握り締めた。
空港の駐車場に行き、黒い大きな車のトランクにスーツケースを積むと、助手席のドアを私のために開けてくれた。
「大きな車ですね」
「リンカーンコンチネンタルです。デートなのでレンタカーしました。私の普段の車はトヨタです」
「ニュージャージにホテルを取っています。ニューヨークのマンハッタンはドライブするのには向いていませんからね。ホテルにチェックインをしたら映画を見に行きましょう。アメリカで映画を見たことはありますか?」
「ええ、シリコンバレーにいたころに何度か」
ニュージャージの地理を知らなかったが、ニューヨークから川を渡るとニュージャージ州に入った。高い建物が少なく広い空が広がっていた。
「ニュージャージはインダストリアルエリアです。企業のオフィスがたくさんあるエリアです」
リンカーンコンチネンタルをドライブしながら彼が説明してくれた。リンカーンは高速を90マイルぐらいで走っているにもかかわらず、止まっているように静かだった。
「私は普段は自宅から駅まで車で行き、NJトランジットの列車に乗って、ニューヨークのペンステーションで降ります。マンハッタンに自動車で乗り入れると駐車場を探すのに苦労します。たいていの人は列車を使って通勤しています」
山の中の小さなホテルに着いてチェックインをした。彼はすでに一度チェックインをして、私のために部屋を居心地よくしてくれていた。部屋はヒータで暖かく、テーブルには赤いバラが飾られていた。ホテルの備え付けの冷蔵庫を開けて、大粒のイチゴとチョコレートが乗ったプレートを取り出した。
「この時期、大きなイチゴを探すのに苦労しましたよ」
ホテルのルームサービスでストロベリーとシャンパンを持ってきてもらうシーンを映画で見たけれどなんの映画だったかしら。
スーツケースを片付けると、シャワーを浴びて着替えて出かける用意をするように促された。
「マリコにGAPのトレーナーとジーンズを買ってきました。これを着ていきなさい」
渡されたウィンターシーズン用のGAPのグリーンのフード付のトレーナーと、GAPのジーンズをはいた。サイズがぴったりだった。
彼もカジュアルな服に着替えて出かける用意をした。リンカーンをドライブして、ショッピングモールの中のシネコンに行った。数本の映画が上映されていた。
「どの映画にしますか?」
サンドラ・ブロック主演の「ラブ・アンド・ウォー」を選んだ。彼が大きなポップコーンとコーラを買ってきた。映画は第一次大戦時、ヘミングウェイが負傷したときに出会った美しい看護婦との悲恋の物語だった。映画を見ながら涙を流していると隣の席の彼が私の手を力強く握りしめた。私は心が温かくなるような気持ちになった。
翌日目を覚ますと、ホテルの窓から見える景色は一面の銀世界だった。
「マリコ、起きて、外を見て。雪ですよ」朝日が雪に反射してキラキラしていた。別世界に迷い込んだような不思議な気持ちだった。
彼は慣れた様子で手早くリンカーンにチェーンを付けた。雪がちらつく中、私たちはニューヨークにドライブした。彼が言ったとおり、マンハッタンでは駐車場を見つけるのに苦労していた。ようやくパーキングを見つけ、フェリーでリバティ島に渡り、自由の女神に登った。ニューヨークの空もどんより曇って雪がちらついていた。気温は0度以下のようだった。東京でキャメルのコートを買っていてよかった。
メトロポリタンミュージアムに行きヨーロッパの印象派の作品を急いで見て回った。メトロポリタンミュージアムを出ると5番街のティファニーまで歩いて行った。なにか欲しいものはありますかと聞かれたので、「いえ、特には」とためらいがちに言うと、彼はシルバーのネックレスを買ってくれた。夜はマンハッタンの高層ビルの中にあるコリアンレストランに行った。彼はお店のオーナーやスタッフとは顔見知りのようだった。彼らとは韓国語で話をしていた。彼らに私を日本人のガールフレンドだと紹介した時、うれしそうだった。
今思い返せば、2泊3日のニューヨークのデートは、人生で一番幸せな思い出の一つだ。思い出すたびに胸が痛いほど切なくなる。
翌日、JFK空港で別れる前に言った。「今度、私の祖国に一緒に行きましょう。ソウルは東京から近いです。5月にソウルへのエアーチケットを取ってください。私の祖国を見せてあげます」