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愛された記憶  作者: 高橋麻理子
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1996年10月18日 東京

 メキシコ旅行から自宅に戻ると、留守番電話に彼から6件のメッセージが入っていた。

 “Hello, Mariko. I hope you had a great vacation in Mexico. I’ve already missed you. I love you”

 “Hello, Mariko. How was the trip? I hope you returned Tokyo safely. I’ll call you again. I love you.”

 メキシコ旅行中は、初めて訪れたメキシコでの珍しい体験に心が奪われていて、ロサンゼルスでの彼との2日間のことは忘れかけていた。でも、留守番電話に入っていた英語のメッセージを聞き、あれは夢ではなく現実だったのだと、自分に起こったドラマのような展開に戸惑いと興奮を感じた。

 スーツケースを片付けて、留守中にたまった新聞や手紙を整理していると、電話が鳴った。

「もしもし」

「ハロー、マリコ。東京に無事に戻ったのですね。よかった」

 一週間ぶりに彼の声を聞くと、懐かしいような心が温かくなるような気持ちになった。

「チャンさん、ロサンゼルスではありがとうございました」

「ありがとうという言葉は使わないでください。よそよそしく聞こえます。約束どおり、10月18日 金曜日に成田に着きます。銀座の近くのインペリアルホテルを知っていますか?」

「ええ、日比谷の帝国ホテルですね。私のオフィスから30分ぐらいです」

「そこのロビーのカフェでお会いしましょう。仕事の後、何時に来られますか?」

 やはり私に断る隙を与えない。「えーと、夜7時ぐらいには行けると思います」

「では、成田に着いたら、一度携帯電話に連絡します。楽しみにしています。See you soon. I love you.」


 10月18日金曜日、オフィスでミーティング中に携帯が鳴った。彼からだ。

 ミーティングルームの隅に移動して電話に出た。

「ハイ!マリコ. 成田に着きましたよ。インペリアルホテルで7時にお会いしましょう。See you soon!」

「OK. See you later.」

 小さな声でしゃべったが、英語で電話に対応する私を会議室の同僚たちが見ていた。

 普段は夜遅くまで会社で仕事しているが、今日は6:00になると机を片付けた。私の席の前の上司が、「今日はデートなの?」とからかうように聞いた。

「ええ、まぁ」


 日比谷の帝国ホテルの1階のカフェに着くと、彼のほうが先に私を見つけた。立ち上がって大きく手を広げ、「マリコ!」とよく響くテノールの声で私を呼んだ。周りの目が恥ずかしかった。

 帝国ホテルのカフェでコーヒーを飲んだのは初めてだった。1杯1200円もした。「コーヒー1杯12ドルなんて、アメリカ人は信じないですよ」と面白そうに言った。

「私のマンション、いえ、アパートは狭いので、ホテルに泊まったほうがいいと思うのですが」

「マリコの生活を見たいので、あなたのアパートに泊まります」

「マンションは…、いえ、アパートは本当に狭いのでびっくりしないでくださいね」

 私が日本では普通に使われているようにアパートのことをマンションと呼ぶと、そのたびに彼は面白そうに笑った。ホテルの前からタクシーに乗り、私のマンションに向かった。


 当時、私は30歳だった。都内の地下鉄駅の近くのワンルームのマンションに住み、ホンダの軽自動車トゥデイを所有していた。30㎡の部屋のコーナーにキッチンがついたステュディオタイプの部屋だった。

 部屋に入ると彼は部屋の狭さに驚いたようだったけれどなにも言わなかった。スーツケースを開いて、着替えを始めた。旅慣れているのだろう。彼のペースで荷物を解いて片付けている。

「マリコにプレゼントです」

 小さなピンクの箱を渡された。開けるとガーネットが付いた美しいデザインのリングだった。アメリカからリングを持って私のために来てくれたの?

「これはゴディバのチョコレート。この前ロサンゼルスでゴディバのチョコレートが好きだと言ったでしょ。今度は一番大きなボックスを買ってきましたよ。高いですね。これで80ドルもしました。これは私の母から、あなたへのプレゼントです」

 彼のお母様からは韓国の伝統刺繍をほどこしたベッドカバーを頂いた。リングは私の薬指にぴったりのサイズだった。

「どうしてリングのサイズがわかったの?」

「マリコの指を触って感覚で測りました」


「汗をかいたのでシャワーを浴びたいのですが」

 バスルームに案内すると、狭いユニットバスに驚いたようだったが、やはりなにも言わずに下着を脱ぎ始めた。私は「タオルはここにありますから」と言ってあわててドアを閉めた。

 バスルームからごつん、がたん、と壁にぶつかる音が聞こえてきた。狭いバスルームで大きな彼は奮闘しているようだ。なんだかおかくしなってきた。

 バスルームから出てきた彼は

「シャワールームもマリコサイズなので、ビックガイの私には小さすぎます」

 と面白そうに笑った。

 脱衣所の洗濯機の上の乾燥機に興味を示した。

「アメリカでは乾燥機は洗濯機の隣の床に置いています。こんなフレームの上に乗っている乾燥機は初めて見ました。日本人は工夫が上手ですね」

 よほど珍しかったのか洗濯機と乾燥機の写真を撮っていた。


「マリコ、お腹がすきました。買い物に行きましょう。私がディナーを作ります」

 私は、毎日夜遅くまで会社にいるので、あまり自宅で料理をしない。冷蔵庫の中は牛乳とりんごしか入っていなかった。近所のスーパーマーケットに買い物に行った。カートを押しながら食材を買う私たちは夫婦のようだった。スキヤキを作ってくれるそうだ。彼が子供のころお母さんが冬になるとよく作ったそうだ。スーパーマーケットを出ると花屋さんがあった。彼は赤いバラを1本買って、はい、と私にくれた。1本の赤いバラに胸が痛くなるなるほどときめいた。

 自宅に戻り、彼が手際よく夕食を作り一緒に食べた。食後は彼がお皿を洗って後片付けをした。

「マリコはそこに座っていたらいいですよ。あとでコーヒーを作ってください」

 彼に促されてシャワーを浴びた。私の狭いベッドで窮屈そうにしている彼に呼ばれて、腕の中にすべりこんだ。男性用のコロンの香りのする彼の胸に顔をうずめて眠った。彼と居ると安心だった。


彼は1日半滞在して、アメリカに帰っていった。来月また会いに来ますと言った。


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