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一話 スープには安寧が

スープは心に安穏をもたらし、激しい空腹感を癒し、一日の緊張をほぐし、食欲を目覚めさせ旺盛にする。

-エスコフィエ-


誰だと言われれば、かの有名なシェフの言葉である。


俺ら料理人の憧れ、尊敬し、目指すべき高みの人物だ。


料理の世界に革命を起こし、それまでの常識を打ち破り、大衆に料理を広めた偉人。


35歳でやっと小さなレストランの料理長となった俺も自身の味を、腕を広めたいと考えていたのだ。


その初日に事件がおきる。


まさか、と思ったし、信じられない気持ちでいっぱいだった。


師匠である前料理長が俺に祝いでくれたダマスカス鋼の牛刀を握る兄弟弟子の一人が暗闇の中、佇んでいた。


こちらに刃先を向けて。


「何故、俺を選ばなかった…」


「…知らない。俺に聞かないでくれ。それと包丁は人に向けるものじゃない」


「料理長から聞いてるんだろ?何故!俺を選ばなかったのか!!」


殺意の篭った刃先に俺はたじろぐ。


「なんとか言えよ!葛西!!」


落ち着け、俺。あの牛刀は刃渡28㎝。刺す事に特化していない包丁だ。寧ろ切る事を考えられたのが包丁だ。そうそう刺さっても死にはしない。


深呼吸。…葛西は俺だ。相手は兄弟子の村田さん。


冷静になれ。相手は激怒しているが、手元を見ろ。震えている。


怯えか、怒りに震えているか…後者だな。


とにかく、これ以上興奮させてはマズイ。


「村田さん、落ち着いてくれ。俺は何も聞いてねえ。本当なんだ」


「嘘を吐くな!!俺は知ってるんだ。俺は…」


ヤバい。思った時には遅かった。


刃を横にした包丁が俺の胸に刺さっていた。


流石村田さん。肋骨に引っ掛けず、正確に心臓を突いてきた。


流れる自身の血を見て思う。


これは死んだ。息も出来ない。


ガフッと血を吐く。


床に伏せ、彼を見る。


村田さんは両手に着いた俺の血を見て目を見開く。


俺に指差し、何かを叫ぶが、耳はもう聞こえない。


視界がボヤけ、何も見えなくなった。


意識が遠退く中、くだらない事を思い出した。


(そう言えば、村田さんは内臓系を取り出し捌くのがうまかったな…殺人にも利用できるとは予想外だった)




と、言う夢を見たんだ。


そんなオチなら良かったと思う。


ボンヤリと何かが見えているが、焦点が定まらない。


声を出そうとしても、「あー」とか「うー」など意味を成さない音しか出ない。


俺はきっと半身不随になってしまったのだ。これからは植物人間として生きても死んでもいない人生を歩むのだろう。


あれだけ盛大に刺されたのに生きているとは、現代医学に感謝しなければならないが、いっその事殺してくれとも思う。


まあ、非人道的ではあるので生かされるのが世の常だろう。


そう思うと目を開けるのも面倒な程に睡魔が襲う。


考えて、寝て、口に何かを入れ、飲み込み、寝て…それを何度も数え切れない程繰り返していくうちに、目の焦点が合ってきた。


回復の兆しもある。いや、違う。


俺はやはり死んでいたようだ。


焦点が合った目で自身の手を見ると、なんと可愛らしい小さな手だろう。


ぷっくりとした手は弱々しいが綺麗で滑らかな肌をしている。俺の腕には見習いの頃の火傷の跡があったはずだが、無かったのだ。


そして周りを見渡す。石造りの家だろうか?石を積み上げ、粘土のようなものを塗り、乾かした壁が見えるが俺に建築の知識は無い。無いが、あまり裕福ではない事は分かった。


女性が見える。これは母親だろう。しかし、金髪の姉ちゃんにしか見えない。あと胸がでかい。あれは凄いな、アンデスメロンの2Lサイズはあるんじゃなかろうか。


隣には男性。こちらも若い。高校生だろうか?茶色の髪をした好青年然とした顔立ちは、まるで俳優のようだ。アンデスメロンを好きに出来るのは羨ましいな。


そして俺だ。


俺は赤ちゃんだ。赤ちゃんで、ベイビーだった。


前世の記憶と言ったものがある人をミステリーの特番でやっていたのを思い出す。俺もそうなのだ。


前世の記憶があるのも何かの縁だろう。20年間培った料理の経験を活かしてまた一から始めよう。


これは殺された俺への何かしらの贈り物なんだろう。


だからこそ、今度は慎重に、料理の鉄人を目指して行こう。





「こーら、台所にきちゃダメよ?」


アンデスメロンもとい、母に窘められる。意識してから早6年の年月が流れた。六歳の子供に母は危険だからと手を翳しながら言うのだった。


一つ、俺は盛大に勘違いをしていたようだ。


外国の何処かだろうと高を括っていたが、その言語や文字は見たことが無かったのだ。一応は覚えることが出来たのはこの幼く覚えの良い体だからだろう。


つまり何が言いたいかと言うと、ここは地球では無い。


確信したのは謎の生物『魔物』の存在である。父が話してくれた謎生物で聞いているだけでは信じられないものだった。


『ミツ首の犬』『鎧を着た猿』『一つ目の鳥』『鬼』


それを聞いて桃太郎かよ、と思ったが父は真面目に話すのだ。



実物は見てない。見てないが近所で遊んでいると日常会話のように『魔物』と言う単語が飛び交うのだから信じるしかない。


「母さん、僕も料理したい」


「ダメよ?ほら、これ危ないでしょ?」


ヒラヒラさせるのは包丁…と言うかナイフだろうか。


瞬間、ドクンと血が沸き立つ。


足が震える。


冷や汗が止まらない。


息が苦しい。


キュッと窄まった視界にはナイフしか写っていない。


そのナイフが俺の胸に差し込まれ…


そんな錯覚をして、俺は気絶したのだった。





起きると母が看病してくれていたようだ。ベッドから起きた俺に微笑みかける。


「もう。どうしたの?ウィルが心配かけるなんて初めてじゃない?」


「母さん、ごめんなさい。ちょっとクラっとしちゃって…」


そう。俺はこれまで大人しく生きてきた。迷惑をかけないよう、何か手伝えないかと。


大きな病気も怪我もせず、俺は今までやってきたのだ。尚更、母は驚いただろう。


「今、果物を剥いてあげるから大人しくしているのよ?」


取り出したナイフに、リンゴのような果物。


俺の目線はリンゴに集中…しなかった。ナイフだ。ナイフがまた…あ…


ベッドの上で倒れこむ。


母が何か叫んでいるが、遠くの出来事のように感じる。


意識を手放すのは簡単だった。


それと同時に絶望した。


俺は…


刃物恐怖症になっていたからだ。






「それで、息子は…?」


数日後、教会と呼ばれる施設に両親共に足を運んだ。


移動の際に見たが、ここは耕作をメインにした村だった。あまり豊かではないが閑散ともしていない、どこか牧歌的な雰囲気を出し、和やかではあるが俺の心は荒野と化している。


こちらの教会は俺の認識では病院だ。何度か実験に付き合わされたが治るなら気絶など安いものだ。


「極端に刃物を恐れています。それも小さなナイフなどを、です。」


不思議な事は、刃物ならば全てが対象では無かったのだ。まず父の持つ身長程の大剣。これは俺なりにだが、鋭さが足りないのだ。だから胸に刺さるイメージがしにくい。


どちらかと言うと刺された瞬間に上半身と下半身は分かれてしまうだろう。そんな危ないイメージは出来ないし、したくない。


次に農具である。クワやスキは大丈夫だが、雑草を取り除いたり、収穫に使う鎌はダメだった。刃物が刺さるイメージが出来てしまったのだ。


気絶すること10回以上になり、結論がでる。


「日常に影響はないでしょう。時間をかけて治るものですからね。安心して下さい」


ホッとした両親を無視し、俺は目の前のおじさんの手を掴む。


「おじさん!それは困るんです!刃物が使えなきゃ料理が出来ない!!お願いですから治してください!」


「料理ならお母様に任せなさい。精神を治す魔法はないんだ。男子たるもの強く生きなければ、この病気は治らないよ」


おじさんは優しく、子供に言い聞かせるように俺を撫でながら言う。


くそ!子供だからか涙腺が弱い!いや、子供じゃなくても、前世の俺でも泣いただろう。


俺は子供らしく泣き出し、両親は苦笑いをしていたのだった。


帰りの道中、両側から両親に挟まれ手を繋いで歩く。俺は下を見ていたが、二人とも優しく接してくれている。


「今日はウィルの好きなスープにするから、ね?元気だして?」


「お!良かったなあウィル!お父さんもシエラが作る野菜のスープは大好きなんだ!なんせ愛情たっぷりだからな」


「もう!ウィルの前で何を言ってるの?」


顔を真っ赤にして、可愛らしく二ヘラと笑う彼女はとてもじゃないが一児の母には見えない。それでも俺に母として気を使ってくれている。前に聞いたが年齢は二十三歳だそうだ。


そりゃ若い。


父は俳優のように整った顔立ちをし、痩せ柄であるものの服の下には筋肉が付いているのが分かる。その背中に担ぐ大剣で数多の魔物を倒したらしい。それでも母より一つ上の二十四歳。


こちらも若い。


肥沃な大地とは呼べない地で、懸命に生きている二人。いや、この世界の住人達。


彼らは強い。現代日本に生きていた自分が情けなく思える程だ。


謎の生物の脅威にも負けず、土地を耕し生きているのだ。


とたんに自分が恥ずかしくなる。


俺はこの世界に産まれて何を努力しただろうか?


手伝うと言ったがあれは自分がやりたかったから、と言うだけだ。


料理は逃げの為にある訳じゃない。


料理とは立ち向かう時に支えてくれる手法の一つだ。


戦士が敵と対峙したときの剣技だ。


料理人が食材と対峙したときの調理法が料理なのだ。食材と対峙し、逃げる口実に料理を口にする料理人はいないだろう。


家に着き、すぐに母のスープと決して美味しいとは言えないパンに口をつける。


スープには出汁がなく、殆ど水に近く味はしない。野菜も少なく、塩気のない素材のみの味。美味しいとは言えないが、母からの労りや気遣い、愛情などを感じると不思議と心には安寧が宿る。絶望していた心に安らぎが染み渡り、冷静になるのだ。


見習い時代の努力をまたやろう。諦め、腐るだけでは前世の努力は報われない。


やはりエスコフィエは偉人だ。


俺は食欲が出て、泣きそうな笑顔で母に言うのだ。


「おかわり!」


スープは心に安穏をもたらし、激しい空腹感を癒し、一日の緊張をほぐし、食欲を目覚めさせ旺盛にする。

-エスコフィエ-


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