殺人鬼
黒服を脱いだ姿は、数時間前に見た彼女とは異質なものとなっていた。
綺麗だった栗色の髪はバッサリと切られている。それも形が不揃いで歪なベリーショートだった。身体全体が操り人形のように不規則で、前へ後ろへ、右へ左へ奇妙に揺れ動く。濁りきった瞳がこちらを凝視しており、異民族が着ていそうだった服は所々切り刻まれ、今や半分がぼろきれとなっていて……。
実年齢より幼く見えていた童顔も、肌は荒れ果て、シワも濃く浮かび上がり、口は真一文字に閉じられていた。その無表情ともいえる顔には……俺を蔑む色だけが浮かび上がる。
「よくしゃべるね……アレン。いつもはさ、そんな流暢な語り部さんじゃないでしょ」
「まぁな。ガラにもなく本気になったよ」
「ふぅん」
眼前に大鎌があり。
真下へ、振り下ろされる。
「あぁ……やっぱりいたね、隠れてたんだ」
「アレンに出て来るなって言われてたんだよ」
「私たち、好いてる人には従順なの」
「畜生の雌としちゃ合格だよ」
大鎌の抉るような斬撃を、ルルゥの持つ中刀とリクの持つ短刀が阻んだ。獲物としてかなりの大きさを誇るメリィの大鎌は、遠心力を利用すれば威力は絶大、さすがの二人でも厳しい相手かもしれない。……と思った矢先、二人が笑顔でこちらを向く。
「ねぇねぇアレン」
「もう、いいよね?」
何が、と聞くまでもない。二人がここにいる理由。存在する理由。それをしてよいか、俺の許可を待っている。本来なら殺人自体に許可なんて、あってはならないことなのだが。……従順、か。
「もう少し、待って、くれるか」
「「いいよ」」
「ほとほと運がいいよねアレン。殺人鬼に好かれるなんて」
距離を一旦おき、鎌を手足のように振り回しながらメリィは微笑む。満月に照らされた彼女は実に美しく、狂気に満ちていた。人形が壊れたように時折ガクンと後ろへ仰け反るも、直ぐに上半身を起こし……ケタケタと喜んでいる。可愛らしさなど欠片もなく、愉悦と殺意を併せもつ。
「お似合いだよアレン。身分相応だとは思わない?」
「全部その大鎌で殺してきたのか」
「当然でしょ。っていうか」
動きが止まる。
「もっと、言うべき言葉が……あるよね?」
「無いな」
「しらばっくれてんじゃねぇよ」
メリィの周囲にあった草が一瞬揺れて、突如として舞い上がった。
……斬ったのだ。大鎌のリーチを生かし、実に間合いが広く、何より早い。セレスティア姉妹がいなかったらと思うとゾッとする。
大鎌の刃先を何度も地面に突き立てて、栗髪の少女が咆哮した。
「何で私が満月の処人なのか! いつから殺人を始めたのか! きっかけは何なのか! 何が目的なのか! ずっと隠していたのか! 何故アレンを殺すのか! いっぱいいっぱい、山のように、恐れをなして、聞くべきことがぁ、あるだろうが!!」
「ねぇよ」
即答する。
「何故俺が殺されるのか、だと? んなもん、この国にいるのなら些細なことだ。二日前にも言ったはずだぞ。治安の悪さは三国随一だと。今お前が言った聞くべきことにも興味はない。誰が満月の処人なのかがわかれば、俺の目的は達せられたからな」
「……だったらいいの? このまま殺されて、あ? いいっての?」
「もちろんだ。既に『抗った』からな」
抗った。そう、もう充分に抗った。自分がやるべき最大限の努力をやった。だから俺は殺される資格がある。やっと、殺されていい身分になったのだ。
だから心から歓喜したい、今の現状を。
そして心から応援したい、メリィ・クローネットを……、俺を殺してくれる存在を。
「殺せよ。満月の処人」
「…………」
大鎌の色が変わった。月の光を吸い取るように、徐々に艶かしく光っていく。それはもう殺人に特化した先にある何かで、殺意の権化を象徴しているようであった。弧を描くように鎌を揺らし……大きく飛ぶ。
まるで羽が生えたかのような身軽さで、そのまま旋回し宙を舞い、髪や服をバタつかせながら、急転直下の厄災が如く、満月の処人は降下した。
メリィ。お前は言ったな、私に聞くべきことがあるだろうと。山ほどあるだろうと。
あぁ。
あるに決まっているじゃないか。
だが聞くわけにはいかないんだよ。一度でも聞いてしまっては、躊躇してしまう。引きずってしまう。後ろめたくなってしまう。揺らいでしまう。お前が……「殺される」現実に、俺の心が、もたなくなってしまう。
「もうっ────」
「────いいよね?」
我慢が限界を超えた。
もはや止められない。ルルゥの中刀が大鎌の一撃を難なく受け、その隙にリクが相手の懐へ疾走する。右手に小回りの利くナイフを愛おしそうに握り締めながら中段から斜め上へ斬り上げた。当たった、と思われたが、既にメリィは後方へ跳んでいて空を斬るだけで終わる。
「ねぇルーちゃん」
「ん、なーに? リっちゃん」
「アレンを守る役とこいつを殺す役、どっちがいい?」
「そうだね。どっちも捨て難いけど、ンフフ、私は守る役でいいよ」
「えっ!? いいの?」
「うん。だって一昨日は私に殺させてくれたでしょ? だからあげるよ」
「やった! イヒヒ……ルーちゃん大好き!」
クルンクルンと短刀を回して、今度はじっくりと歩み行く。改めて見れば、リクの魔具は実に面妖な形をしていた。サバイバルナイフに似ているものの、腹の部分は空洞になっていて、薄い膜のようなものがある。普通、ナイフの腹を開けてその中に膜なんてもの貼るだろうか。軽量化のためだとしても、実用的ではない。
リクの歩みは止まらない。
恐れることなく悠々と進む。
対し、メリィは鎌を軽やかに回しつつ、速度を上げてゆく。ブンブンとした風音は徐々にヒュィッ──という風切り音に変わっていき、目で追うのがやっとのものになる。あの状態で斬られれば、確実に切断される……。にも関わらず、リクは嬉々とした笑みを浮かべたまま──メリィの間合いに入った。
瞬きの世界。
「ッ!?」
「あれ、そんなに驚くことかな?」
遠心力。魔力を通わせた大鎌。一切の無駄のない技術。間合い。斬る瞬間。
それら全てが、満月の処人に相応しいものであり、完璧であった。
しかし、こと殺人というものは、ただ完璧な状況を作り出せば成功するものではない。
「あと2倍は速くしないと、私はもちろん、ルーちゃんにも当たらないよ?」
殺す相手の力量も、上回る必要があるのだ。
寸分の狂いなく首を狙った左からの一閃は、リク・セレスティアの短刀により完全に打ち消された。打ち消されたというよりかは、打ち伏されたが正しいのだろうか。衝突により両者の凶器は距離をゼロにし相対しているものの……大鎌は震え、短刀はピクリとも動いていない。
完全に競り負けている。
どう考えても負けないであろう大鎌が、獲物としては小さすぎるナイフに、力負けしている……!
「貴方、何者なの」
「殺人鬼だけど?」
距離をとり、数歩下がりながらメリィが問う。相手は何を今更という顔で答える。おそらく、メリィにとってこれ程の強者は初めてなのだろう。
今まで殺していれば、当然に逆らう相手もいた。その際、魔具を相対すれば互いの力量がわかるはずだ。そうして次にどう動くべきかの起点にもなる。……しかし、見定めるならまだしも、見失うことになるとは、さすがの彼女も想定外に違いない。だが──
「最高だね。貴方たち」
「そう?」
「うん。アレンを殺す前に、貴方たちのような障害があって本当によかった」
「イヒヒ、嬉しいこと言ってくれるね」
「だから、さ、特別に見せてあげる」
鎌を横に持ち変える。同時、鎌を覆っていた薄紫色の魔力の靄が消えた。消えたということは、魔具に伝動させていた魔力を解除したことであり、ただの大きい鎌に成り下がったことにもなる。カイゼン王国に住まう全ての人間なら常識のことで、戦意喪失を意味する。
薄く笑う満月の処人。
鎌を覆っていた靄の色が……変わり始める。その様を見つめていた横で、ルルゥが視線を前に向けたまま口を開いた。
「アレン。天宙地卑・魔具二十奏は知ってる?」
「知ってるも何も、魔具を分類した時の総称だろ」
「うん。じゃあ、最上位に君臨する『天の一』は、別名何と呼ばれているか知ってる?」
「“神々の八凶”」
レィア・テセスという魔具を作る匠が生涯に渡って完成させた、八つの魔具。シンプルな武器ながら、一度でも触れてしまえば決して逃れられない悪魔の魔具。噂では触った相手の精神を蝕み、崩壊させ、自身が主人となって殺戮を開始するという。
あまりにも凶悪すぎるゆえ、政府が厳重なる管理のもと封印していた。しかし三百年前に何者かが強奪し、今もなお行方知らずとなっていて半ば伝説となっている。あくまで噂話に過ぎない俺の話を、正解だよと顔を前に向けたまま可愛らしく微笑むルルゥ。
「でもね、正確に言うと“神々の八凶”は触った相手を気に入らない場合に取り憑くんだよ」
「気に入らない場合?」
「うん。そして、感情のある一部分のみ特化している人間が触った時のみ主人として認めるんだ。ンフフ、それはね」
ルルゥがこちらを向いた。
笑っていた。
しかし目が。
煌きなどまるでない。
真っ暗な。
泥。
「殺意」
魔力を通し、大鎌を覆っていた色が徐々に変わって……「紅色」となる。そして実におぞましく、気味の悪いことに、靄は液体となって鎌全体に付着した。
ゆらりと鎌を持ち上げて。
振るう。
空気と草と地面が同時に弾け跳んだ。デタラメな破壊力と殺傷力を前にするも、跳んできた石や土塊はルルゥが問題なく斬り捨てる。直撃を受けたリクの方は……服の汚れ以外、特に目立った外傷はない。避けたってのか、あれを……。
「紅色の液体が付くことが“神々の八凶”を発動させた証拠なのか?」
「うん。数百万あるとされる魔具の世界で頂点に君臨する八つの凶器は、発動した瞬間に血色に塗れるの。でも凄いねアレン」
「ん?」
「普通、そんな落ち着いていられないよ? あれを前にして」
……。
確かに。俺たちが住まうこの国において、神々の八凶を前にすることは「死」を前にするのと同義だ。ただ、今更驚いたところで何になるというのだろう。陳腐に言えば、あの大鎌も魔具の一つだ。最上位にある悪魔の武器だとしても、所詮は殺人の道具でしかない。それに──
「いや、俺以上に、ルルゥの方が変だろう」
「どうして?」
「神々の八凶に関する情報は機密事項に該当していて、普通は知ることができないものだ。なのにそれを当たり前のように知っているってことは……『そういうこと』じゃないのか?」
ルルゥは俺を見ている。見ながら跳んでくる障害物には自動で斬り捨てている。目だけはじっと見つめていて、奥の奥まで覗かれている気分になった。数秒こちらを無表情で見つめた後、口をカパァと開いてから、満面の笑みで頷いて。
「リッちゃん、もういいよー!」
「はーい!」
見れば、汗一つなく飄々としているリク。
見れば、汗で顔中が濡れ、肩で息をしているメリィ。
満月の処人が殺害してきたリストは、ほとんどが一般人であり、殺すことにそう難しくはなかった。だから仮に障害があったとしても、ボディガードの一人や二人といったところだろう。対し、姉妹は違う。殺す相手が罪人であり、異常者だ。そう易々とは殺されず、予定外のこともあっただろう。いや、簡単にいかないことが通常で、異常でもなんでもない。
となれば、こうなるのは自明の理である。本物の場数が違うのだ。
「楽しかったよ、ありがとう。でも宝の持ち腐れだね。だから大鎌、殺すのにちょっと邪魔だから……壊すね?」
そう、場数が違う。
ルルゥが何故、神々の八凶に詳しいのか。
リクが何故、強大にして凶大なる大鎌を前に余裕でいられるのか。答えは一つしかなく、単純なものだ。八つの魔具はそれぞれがシンプルな武器として知られている。一般人の俺でさえ知っている情報はそれだけだが、今回は充分に足りるものだった。
八凶とは匠レィア・テセスが作り上げた「長刀・中刀・短刀・槍・大鎌・鎖鎌・入れ歯・付け爪」の魔具のことである。最後の二つが明らかにおかしいといつも思うが、これらは天の一に唯一該当する代物と称される。
もうおわかりだろう。
俺の眼前には、これらの所有者が……三人いるということを。
短刀が瞬く間に血色なる凶器と化した。そして人とは思えぬほど前に傾むいた姿勢のまま、風のように草原を駆けた。速すぎてメリィにとっては、眼下へ瞬間移動したとも感じただろう。もはや鎌を振る時間もない。とっさに盾にするも、殺す道具を自身の守る盾にした時点で、何もかもが決まってしまった。
「イッヒ!」
大鎌は、ジグザグに切断・分解・壊落した。天の一に該当せし魔具。政府に持っていけば多大な恩賞を受けることになるだろう。それこそ、遊んで暮らせるほどの大金を貰えるに違いない。どうやって手に入れたのか執拗に尋問されるだろうが。
また、魔具である以上、名前もあったのだろう。どんな名前か知らないが、名は体を表す。それこそあの凶器に相応しい聡明な名が付されていたに違いない。
バラバラとなったそれを前に。
メリィは、時を止められた顔をして唖然とする──も、瞬時に顔つきは憤怒となって、落ちた破片の一部を荒々しく掴み取り……俺の方へ、走り出した。
「アレェエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
中刀をクルンと回し、前へ進むルルゥ。
短刀を携え、こちらへ走り出すリク。その時、俺からはメリィとリクの表情だけが見えたのだが、二人は全く別の色を顔に添えていた。一人は、この世の憎悪を掻き集めたような怒りを体現していた。顔いっぱいに皺を生やし、目は血走り、もはや人とは違う何かだった。もう一人は、先のルルゥと同じで無表情に無感情。先ほどランランと戦っていた顔は機能を停止し、筋肉の一筋さえも沈黙させ、ただただ俺に向けられた瞳は、輝きなど一切ない。
真っ暗な。
泥。
……待っている。最後の最後に、俺の「許可」を待っている。覚えていたのか、俺がまだ許可をしていないことを。殺人鬼にそんなもの、必要あるわけがないのに。従順、か。
迫ってくるメリィ。
もう、考える暇はない。言わなければならない。抗うために、現実を己に知らしめるために。それがどれだけの罪になろうとも、相手が殺人鬼である以上、決して慈悲をみせてはいけない。だから言え。
手を固く握り、一歩前へ進んで、目は閉じることなく大きく見開き、覚悟を戒め、口を……開く。
許可の言葉。
「いいよ、リク」
言を発した直後。
一陣の風が、通り過ぎた。
視界の先に映っていたはずのリクが消え、俺の後ろへと移動している。それは単に移動しただけに非ず、本職を完遂したことも意味していた。ルルゥが数歩下がって、リクと同じ位置に移動する。数秒前に三人映っていた俺の視界には、今や一人の少女が……映るだけとなった。
栗髪の女の子は、刃物の欠片を握りしめ、俺に切りかかろうとした姿のまま止まっている。
ブッ──、と音がした。
既に切断された刃物が、更に斬られ地に落ちる。続いて持っていた右手も指先から順に斬れ、刃物と一緒に落ちていく。徐々に切断は増えていき、右指、右手、右腕と侵食していく。ボトボトと落ちていく肉片を前にしても、メリィの顔は…………止まったまま。
「恨んでくれ」
前へ出る。
「憎しみ妬みを持ったまま、地獄へ先に行ってくれ。俺も行くから。必ず行くから」
両手をそっと、彼女の頬に添えて。
「だからメリィ。お願いだ」
最後の別れを告げる。
「どうか俺を、許さないでほしい」
言われた本人は、ずっと無表情のままだった。けれど身体の切断は止まるなく、確実に地へ落ちていく。流れゆく彼女の血は溢れ出す泉のように広がっていき、ここが地獄の入り口であろうとも、なんらおかしくない世界へと変貌していく。少なくともこの時だけは、俺とメリィは繋がっていたと身分不相応に思ってしまった。
メリィの表情が変わる。
ニコリと笑い、少しだけ憐れむ表情もして。
彼女もまた、俺に対して、最後の別れを告げてくれた。
「もう、仕方ないなぁ。アレンは」
最後の言葉は、一方からの願いと、願いに対する承諾となった。全ての切断が終わり、残されたのは三人の男女と血だらけの草地。真っ暗な夜空は雨など降ることもなく、ただ淡々と、俺を見下ろしているだけだった。
一滴の滴が頬を伝う。
大地に落ちるも、赤黒が蔓延る世界へ呑み込まれるだけ。それでも涙は止められず、何度も何度も落ちていく。救えるはずもない命を、何とか救おうと足掻くように。
「……メリィ」
こうして、満月の処人との騒動は幕を閉じた。
ハッピーエンドとは無縁の残酷な結末。
俺が殺されない現実。
「メリィ…………!」
そして、やはり無理だった。泣かないと決めていたのに。
言葉でどれだけ着飾ろうとも、誤魔化そうとも。
俺の弱さまではどうにもできない。
だから泣くしかない。
泣いて、後悔して、抗うしかない。
それが俺に課せられた……罰なのだから。あぁ、そうだよメリィ。昨日言っていたね、罪には罰だと。
間違いない、俺にも必ず罰が下ろう。だから楽しみに待っていてくれ。地獄で先に、待っていてくれ。たっぷりと土産話をこさえて来るからさ。どれだけ苦しみ、泣き、もがいたのかって。それまでは──
「お別れだ」
今日も月は、ただただ美しい。