満月の処人
夜。
満月の日であるため、外出禁止令が出ている王都は静寂なる都と化していた。それは下町でも変わらず、人通りが盛んな通りであっても人っ子一人いない。いるのは政府関係者と警官だけであり、一般人がいれば即座に御用、容赦無用の尋問が始まる。
そんな中、俺はある広場へと到着する。
政府の犬どもが血眼になって都を警戒しているにも関わらず、彼らに捕まることなくこの場へいることができている。何故かといえば、単純に満月の処人の殺害現場に共通点があるからに他ならない。
奴に今まで殺されてきた人物は、全て自宅内でと決まっている。就寝時や夜食時など夜の時間帯は様々なれど、場所だけは必ず家の中であるのだ。ゆえに、専ら警戒すべきは居住区に他ならず、こういった誰も寄らず寄りつかず、来ず来たがらずの場所なんてのは……最初から警戒対象外であるのだ。
「よぉ。待たせたか」
月が綺麗だ。
金色に輝く月と、ブルーサファイヤに色めく月の双月。ブルーサファイヤの月は数か月に一回しか出ない貴重な月で、世界でも不可思議な現象が起こる定番の日でもある。俺としては不可思議でもない、只の殺害予定日であった。
相も変わらず黒の衣装で、すっぽりと全身を覆っている。
右手には妖艶なる大きな鎌を、月光と共鳴させるかの如く光らせていた。この広場は子供たちや親子連れが遊ぶためにある、障害物のない草原だけが取り柄の空き地だ。
唯一造形物があるとすると、広場の中央にポツンとある高さ十メートルの高台ぐらいだ。その高台の真上に、満月の処人は座っていた。
「早速で悪いが、答え合わせをしようか」
答え合わせといっても、淡々と話すだけのものである。
「まず、昨日の晩、お前が俺の前に現れた時。その日は容疑者の四人全員と会っていた。そして、それぞれに葬儀屋の仕事でバルルン町へ行き、終電で帰ってくることも伝えていた。だから、四人の誰であろうとも最終列車に俺がいることも当然知っていた。事前にどの列車で帰ってくるのかわかっていれば、浮島の洞窟内で身を潜め、突如として車内に出現することも充分に可能だっただろう。以上から、この段階で容疑者を絞り込むことは不可能だ」
満月の処人は一向に動く気配がない。置物のように座ってこちらを見ている……と思う。黒服で見事に顔を隠しているため俺を見ているのかまではわからない。動かないということは聞いていると前向きに解釈し、話を続ける。
「そしてあの夜、お前は現れた。昨今の殺人鬼は神出鬼没が当たり前のようだから、浮島からどうやって車内に現れたかは予想当ての管轄外としておく。全身を黒服で身に纏い、身長や性別もわからず声すら変え、ただただわからないと思わせるアレは恐怖だったよ」
そう、まるで畏怖がこの世に具現化し死神となったような姿だった。大鎌は尋常ではないほどの殺意を体現し、空気すら相手の手中にあると感じさせられた。俺の命はいつでも散らされる状況で、為すがまま殺人鬼の命令に従うだけの空間。
そして与えられた情報。
当てろ。4。今日。終電。
たったこれだけであったけれど、奇跡的な閃きが功を為し、答えを導き出すことができたのだ。今思っても、よく出せたものだ。もう一度やれと言われても絶対にできない自信がある。あの生死が懸かった極限の状況下であったからこそ為せたものであったのだろう。そう、眼前にいる黒服が……
「四人の誰かだということが」
今日の夜はいつにも増して、静寂と深淵が溶け合っている。触れてしまえば二度と現実には戻れないとすら思えた。それほど黒く荒く混沌としていて、世界から隔離された場所のようだった。
月以外の夜の明かりは僅かな星々。気持ち程度の薄光り。
照らすことを、拒んでいるとすら、思えて。
「今日、ここに来る前に四人と話した。全員が全員、よくもまぁ含みのある話をしてくれて…………、助かったよ。背筋が凍る話しもあったが、おかげで、犯人を特定しやすくもしてくれた」
それぞれと思い思いの話をする。当然内容は四者四様で違い、色の濃いものであったとも思う。……ただ、おかしいかな、いや、恥ずかしいかな、共通する点もあった。
俺が「隠し事をして来たのがバレてしまった」ことだ。
いとも容易く。簡単に。
さすが長い間この町で暮らしてきた仲だと実感したよ。同時に嬉しくもあって、はぐらかすしかなかったのだ。
「……ただ」
一人だけ、おかしい人間がいた。
最初に訪れた魔具店、ライト。一番俺のことを知っている間柄なためか、簡単に隠し事がバレてしまう。勘の良さも手伝ってか、『面倒な言い回しも含めて、連絡も無しでいきなり来るし……やっぱり何か隠してるだろ』と数回会話を交わしただけで看破されたのだ。
次に訪れた花屋、フローラ。個人的には上手く誤魔化していると思っていたのだが、彼女からも『しらばっくれるのも結構だけど、少し会話をした程度でバレるぐらいの演技力では、かえって相手に不快感を与えるだけよ』と容易に見抜かれてしまった。
そして新聞社、シャーリィ。彼女に至ってはもはや言うまでもなかろう。人を見るポイントや考え方が一歩他者より抜きん出ている。『会話をいくつか交えればアレンさんがいつもと違うのは容易に把握できます』と自信満々に言われた。さすがというべきか、彼女らしいとも思う。
『それで? アレン。何を隠しているのかな?』
最後の骨董店主も、こう言って俺が隠していることを見事に当てた。
確かに当てた。
しかしそれは……
「俺との会話無しで言い放ったものだ」
ライト、フローラ、シャーリィとも、さすがだ。俺との僅かな会話だけで見事に見抜いてくれた。
しかしそれは、逆説的に会話無しでは見抜けなかったとも言えるだろう。
そんな中、一人だけ、一言もこちらから発していないのに当てた人物がいる。ただ呆と骨董品を見ていただけの俺を、心眼でもあるかのように見抜いた女性が……いた。まるで、俺が隠し事をしていると、最初から知っていたかのように。
「しかし、これだけで犯人だと決め付けるのは難しい。そのため、俺からも罠を仕掛けさせてもらった」
四人全員に言った「何か言いたい言葉はあるか?」は、満月の処人からしてみれば自分宛に言われたメッセージだと充分に気づけただろう。だから返答として意味深な言葉を言ったはずだ。まぁ……、残念なことに、四人とも意味深な内容だったのは今は割愛しておく。
しかしながら、この言葉には裏があった。
何か言いたい言葉はあるか、と言われれば、各々が自由に言うものである。満月の処人ではない三人もそれは同じで、店の家訓だったり、俺と自分に共通する言葉だったり、不特定多数へ向けられたものだったりしている。好きに言ってくれた。三者三様で、俺だけに向けられた言葉ではなかった。当たり前だ。
では、ここで問いたい。
もし「何か」ではなく、「“俺に”言いたい言葉はあるか?」と聞いていたら、果たして三人は同じ言葉を言っただろうか。
「単純なことさ。フルイをかけたんだ。何か言いたい言葉はあるかと聞けば三人は自由に言うだろう。しかし一人だけは、『俺限定に向けた言葉』を言うはずだ。満月の処人専用の言葉だと知っているだろうからな。普通は日頃から接している人間がいきなり言いたい言葉はあるかと聞いてきても、バイバイやまたねがお約束なんだがよ。あんな意味深だらけの言葉が返ってくるとは思わなかった。けれど、結果としては上手くいった。三人とも向きの違う言葉を言ってくれたのに対し、一人だけは……俺へ向けた言葉を言った」
まるでアドバイスをするかのように。健気に優しく、気にかけるように。正直、上手くいくかは五分五分だったが、結果としては功をなした。本当はこんなことをする気は無かったんだが、本気でやる以上、手段を選んではいられなかったのだ。
本来、複数いる容疑者の中から推理する際は、一人ずつ奇妙な点や不可思議な点を洗っていき正否を吟味していくのが常道だろう。けれど今回の場合は情報が少な過ぎる。正否しようにも材料が無く、おまけに時間も限られていた。だから一人ずつではなく……、四人の中からの違う点を取り出す方法がいいだろうと考えた。
白か黒かを吟味するよりも。
白の中から黒を暴く方が、合理的だと。
「────」
黒服を着た人外がゆらりと立ち上がる。
「この二つはあくまで参考に過ぎない。仮説の域を出ないと言われればそれまでだ。だから、やはり結論としては……、お前が言った言葉を使うのが一番だろうな」
静寂な空間に、歪なる寒気が充満していく。
身体全体が小刻みに震え、感覚が麻痺していく。
生き物がいていい場所じゃない。存在する意味を否定されるような気にさせられる。どうしようもなく怖く、果てようの無い死の圧迫。止められるものは消え、蠢く殺意の強欲。終わりが近づいているのだろう。最期の時が、迫っているのだろう。
「俺にこう言ったはずだ。“押しても引いても駄目ならば、逆さまにして覗いてみなよ”って」
五年前、お前がクローネット骨董店からヒンワル骨董店に名前を変えた(第一話『葬儀屋』参照)のも、変えなくてはならない事が起こったんだろう。自分にケリをつけるため、覚悟を背負うため、人を殺すと誓っての決意だったんだろう。
ただな。
それで人を殺していいことには、絶対になりはしない。
「満月の処人は古語でルワン・ヒィリメという。ルワンは満月を、ヒィリメは処人を指す」
簡単なことさ。お前のことだ、今日の夜になれば姿を表すつもりなのだから、隠すつもりなんて最初からなかったんだろう。だから難しい言葉なんて言わずに、シンプルで、単純なものとした。本当、あれこれ考えていた俺が馬鹿みたいだった。
“逆から読めばいい”だけなんて、ズル過ぎるだろ。
他の三人は意味ありありの言葉だったのにさ。
立ち上がった相手は右腕を軽く振った。大鎌の凶器が笑うように大気を斬る。殺害の道具。今まで何人の命を狩りとってきたのだろうか。斬って裂いて割って抉り……、血をどれだけ浴びてきたのだろうか。
「もういいだろ。茶番は終わりにして本題に入ろう。お待ちかねの……殺人へ移ろう」
ルワン・ヒィリメ。逆から読めばメリィヒ・ンワル。
満月に照らされた殺人鬼は嫌に美しかった。
月が彼女を祝福しているようであって、下から見上げる俺からすれば恐ろしく悲しいものでもあった。どんなに現実が残酷だとしても、あらがえようのない事実は無慈悲に突きつけられる。その無常なる証明から逃げる術はない。
だから言おう、俺の口から。
別れの挨拶をするために。
満月の処人は全身を覆っている黒服を剥ぎ取った。そして真実の姿を曝け出す。何もかも、非常無常に見せつけて。思わず息を止めてしまった。わかっていながら、それでも受け止めたくない現実を俺は許容しきれなかったから。
だが、しかし、言わねばならない。
言え。
吐け。
己が後悔を重ねると、誓っただろうが。
「なぁ、そこから見える景色はどれほど汚れているんだ」
よかったら俺にも、見せてくれよ。
死ぬ前に、一度は見てみたいんだ。
「ヒンワル骨董店が主」
○ ○ ○
「メリィ・クローネット」