1話・わたくしは荷馬車で売られてゆく子羊のよう
ごとごとごとごとごとごとごととと…
長いこと馬車の揺れに身を任せていた花嫁姿のアデルは、腰入れの為に国許から連れて来た、気心知れた侍女のリリーを前にして、暇を持て余していた。
「駐屯地ねぇ。まるでわたくしは荷馬車で売られて行く子羊みたい」
「姫さまったら。笑えない冗談ですよ」
「リリー。だってそうじゃない? 身一つで売られて行くのだから。あのふとっちょ親父が逃げ出したせいでね。あの美味しそうな子豚ちゃんの代わりに売られて行く、子羊のような気分よ」
くもり空の昼下がり。口を突いて出るのは自虐な言葉ばかり。光を通さない暗い箱の底に閉じ込められたような、一面黒の閉塞感に襲われる空間に、半日以上閉じ込められているのだ。唯一、気分転換となりそうな外の景色さえ、冴えない灰色。どうしても気分は浮上しそうにない。
がくん。と、馬車が大揺れに揺れて、さらに険しい道に入ったのだと知る。アデルの乗った馬車は、国境沿いへと続く道を急いでいた。窓の外は、閉ざされた雪国の名残りを示すように、あちらこちらで残雪が見受けられる。綺麗に均されているとはけしていえないぬかるんだ悪路の先は山中を蛇行して、この間までは侵略者として警戒されていたマクルナ王国の、国境警備隊の駐屯地へと伸びていた。
出立の時には晴れていた空が、どんよりとした厚い雲に覆われて行く。
(山の天気は変わりやすいって聞くけど、すっきりしない空模様がまるでわたくしの今の心の中を露わしてるようだわ)
王族の姫の輿入れだというのに、嫁入り道具一つ持たされず、侍女を一人付けられただけ。未来の夫から迎えに寄越された馬車は軍事用。警護の為につかわせられた騎馬兵たちは、身動きの取れやすい軍服に、黒い外套をまとい付き従う。
外敵から乗客を守るように設計された馬車は、内装に至るまで黒一色で飾り気一つなく、座席はクッションがあてがわれ、背中が当たる部分には鰐の皮が張り巡らされて高級感には溢れているものの、何もかも黒尽くしでまるで葬儀に向かう御一行みたいなのだ。
「ふとっちょ親父ではありません。国王さまですよ」
「分かってるわ。そんなの言われなくても。国を捨てて逃げたリスバーナ国王さまでしょ。はい。はい。そのおかげでわたくしは子豚ちゃんに代わって買われて行くのね」
真っ白な花嫁衣装に身を包んだアデルは、不貞腐れて言う。馬車の中は二人きり。他のものに聞きとがめられる必要もないから言った言葉だったが、付き合いの長い、自分より二つほど年上の赤毛のリリーは、鉄色の瞳を細めて苦笑していた。大人気ない態度だというのは充分わかっている。でも何か言わずにはいられなかった。
リリーには、アデルが歯噛みして悔しがる様子が、リスのような小動物のようだとよく言われる。
(今もきっと呆れてるに違いないわね)
アデルは小柄で童顔。円らな黒茶色の瞳をしているせいか、他人には実際の年齢よりもかなり幼く見られるようだ。普段はそれを毛嫌いしているアデルだが、今回はそう演出しなくてはならず、少女という年齢に相応しく、飴色の艶やかな髪をふんわりとカールさせ、サイドで編み込んだ髪の毛は緩みを持たせて後方に流し、それを桃色のリボンで愛らしく引き立てていた。誰がみても十四歳にしか見えない少女の出来あがりだ。
自分の欠点を知り尽くしているアデルだからこそ、今回の宰相の無茶ぶりにも応えられた次第だ。アデルは、むしゃくしゃした気分を落ち着かせようと、膝の上のバスケットを開けた。これから婚礼をあげる花嫁としては相応しくない態度だろうが、こんな時は甘いものを食べるのに限る。
アデルの持参したバスケットの中には、砕いたナッツと絡めたキャラメル菓子や、チョコがけのクッキー、ほくほくの甘芋を角切りにして油であげたものに塩を振った甘芋スティックが入っていて、お菓子に目がないアデルが、
「うわああ。美味しそう~」
と、喜びの声を上げると、リリーが冷やかな目を向けて来た。
「それ。厨房から頂いてきたものですね?」
「悪い? やけ食いでもしなきゃやってられないもの」
現在のアデルの立場は複雑である。そのことを知るリリーはため息をついた。
「思いがけない出来事でしたものね」
リスバーナの王城では高い身分にある者ほど皆アデルに冷たく当たったが、一歩城を出れば、不遇の王女アデルは、多くの国民の同情を買っていた。厨房の者達もアデルには親切で優しかった。旅のお供にとバスケットを差し出してきたのも、彼らなりの配慮なのだろうと、アデルは思っている。
「そうね。わたくしもまさかこんなことが起きるなんて思ってもみなかったわ」
極東の地リスバーナ北国。一年の半分以上の月日を氷雪に見舞われて、大地が一面銀世界に覆われてしまう雪国の民にとって、春の訪れは喉より手が出るほど待ち遠しいもの。
だが雪解けと同時に建国の歴史が浅い新興国マクルナ王国へ嫁ぐ事が決まった、この国の先王の娘アデルは、一日も長くその日が来るのが遅ければいいと願っていた。
その思いも虚しく本日は輿入れの日である。
ごとごとと激しく揺れる馬車に乗せられて、一部残雪が残る国境沿いの道を、マクルナ国境警備隊が待ち受けている駐屯地へと向かっていた。そこでマクルナ王国の者に身柄が引き渡されて、国王の待つ王都へと連れられて行くらしい。
アルカシア大陸の北東に広大な土地を擁するリスバーナ北国は、大陸一の極寒国で知られ、国境沿いのランバール山脈が他国からの侵入を阻むように横たわっていて、山向こうの温暖の地で、各国が領地拡大や覇権の為に戦っていた頃も、大陸のなかで唯一、他国の侵略を受けなかった国である。
各国の王らは誰もがわざわざ危険を冒してまで、険しいランバールの山脈を超えた先の国に、兵を進めようと思わなかったのだ。それが一昨年、一転した。
リスバーナ北国が安穏と、侵略とは無縁の暮らしを送っていたある日、マクルナ王国からの奇襲を受けて惨敗した。山脈の恩恵を受け、他国から侵略される日が来るとは思ってもいなかったリスバーナ北国は簡単に陥落したのである。