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夕日色の池

 翔星高校の門の前には桜の木が並ぶ通りがある。

 コンクリートで舗装された道の上にはまばらに桜の花弁が落ちており、見上げれば満開の桜が咲き誇っていた。

 まだしばらく桜を楽しむ事ができそうである。


 冬優は入学式が終わり、桜並木通りを親友の稲生愛(いのりあい)と歩いていた。

 肩上まであるボブカットの髪型が特徴的で、大きな瞳はとても可愛らしい。冬優は彼女ならテレビで輝いているアイドルにも負けない容姿を持っていると思っていた。


「冬優、入学式の時凄く緊張していたね。大丈夫だった?」


「うん、ありがとう。大丈夫だよ」


 愛は心配そうな表情だったが、冬優の言葉で安心したように表情を和らげた。


 冬優は入学式には遅れはしなかったが、遅い方であった。しかし、来た者から座るようになっている席順だったが、彼女は真ん中辺りの席だった。

 彼女よりも遅く来た生徒は多く、愛もその中の1人だった。

 会話できるほど近くはなかったが、愛が彼女を見るには十分な距離だったのだろう。

 彼女が緊張で体を強張らせているのが見えて、愛は心配してくれたのかもしれない。


「ねえ、愛。このあと空いてる?」


「あたしこのあと用事があるんだ。ごめんね」


「そうなんだね」


「本当にごめんね」


「ううん、全然良いよ。大した事じゃないから大丈夫だよ」


 愛が本当に済まなさそうに謝ったので、冬優は慌てて手を振って何でもないという顔を作った。

 だが、内心冬優はとても残念だった。


 最近何故か愛は忙しいようで、中学を卒業してから休みは長い間あったが合えた日数はあまり多くはなかった。遊んだのも数える程しかない。

 今日は入学式で学校が早く終わった為、もしかしたら愛と遊べるかと期待していた。もし無理なら昼食は一緒にと思っていたが、愛の様子を見るとそれも無理なようだ。


「明日なら大丈夫だよ。土曜日で学校も休みだから、冬優が良ければ明日の朝から遊びに行かない? 新しくできた店を知っているからそこ行こ」


「うん」


 冬優は嬉しかった。

 久しぶりに愛と一緒にいられるのが楽しみで、明日が待ち遠しい思いであった。


 海岸沿いの道まで来ると、今朝見た包帯の少女が砂浜に佇んでまた海を眺めていた。

 少し気になったが、愛がいたので冬優は彼女から視線を外した。


 冬優と愛の家は近い。歩いて10分と掛からない。

 その為冬優が今朝電話して一緒に学校に行こうと誘ったが、やる事があるからできないと愛は断った。

 放課後は一緒に帰れるようだが、少し残念であった。


 中学までは2人はいつも一緒であった。

 朝登校する時も夕方帰宅する時もいつも一緒で、放課後は門限の6時までずっと2人は遊んでいた。

 休みは朝から日が暮れるまで一緒に遊んでいた。2人を知らない人が見れば姉妹だと思っただろう。

 それほど仲が良かった。


 昔はいつまでも変わらず一緒だと思っていた。

 これからもずっと変わらないと思っていた。


「あたし、寄るとこあるからあっち行くね」


 愛が示した曲がれ道は島の中央にある山に繋がっている。その道を真っ直ぐに行けば神社があった。

 毎年お正月などの時期が来るとお参りに行っていた為、冬優は道を覚えていた。


「うん」


 何の用事が冬優は聞きたかったが、なんとなく深く聞いてはいけない気がして、冬優は頷くだけにした。


「ばいばい、また明日ね」


「バイバイ、また明日」


 そう言うと、愛は振り返りもせずに曲がれ道の奥へと姿を消した。

 冬優は彼女の姿が見えなくなるまで手を振った。


 1人残され、少し、冬優は寂しい気持ちになった。 




 +‰+‰+‰+‰+



 

 土と木が入り交じった匂いは町の臭いとは違って清んでおり、胸一杯に吸い込むと心地よく、気分が落ち着く。

 舗装されていない剥き出しの地面を一歩一歩踏みしめるたびに、自然のエネルギーが足を伝って体の中に取り込まれるようだった。

 鳥の囀りがすぐ傍から聞こえる。姿を見たいと思い探してみるがやはり簡単には見つからない。


 冬優は上を見上げた。

 密集した木々の隙間から見えるのは夕日色に染まる空であった。


 足下は暗くてあまり見えず、毎日通る道とはいえ危なく感じる。

 もうすぐこの辺りは暗闇に包まれるだろう。冬優は持ってきていた懐中電灯の明かりを付け足下を照らす。

 時々地面から太い木の根が飛び出しているのが見えた。


 冬優は今山の中を歩いていた。

 島の真ん中にある、深い森が広がる山だ。

 その中心には池があり、彼女はそこへ向かっていた。


 いつもは深夜、家族が寝てしまってからこっそりと冬優は家を抜け出して池へと向かっていた。

 だが今日は日が沈まない内から池へと向かっている。

 いつもと同じ行動をしなかった理由は特にはない。もしかしたら親友の愛と一緒に遊べなかったから暇だったのかもしれない。

 あるいは予感というものがあったのかもしれない。

 ただなんとなくであった。


 すぐに池が見えた。

 向こう岸がはっきりと見えるほどの広さしかない。

 水が澄んでいるため中がよく見えた。だが、大切なものを隠そうとするかのように底の方は暗い。辺りが薄暗くなってきている今はいつもよりも余計に池の底は見えない。


 おもむろに冬優は靴と靴下を脱ぎ、足首の辺りまで池の水に浸かる。

 池はひやりと冷たく、だがそれが心地好く感じる。

 目を閉じると水の清らかさが足の先から頭の先まで伝わるようであった。


 一息置いて静かに、胸一杯に空気を吸い込む。

 そして声を乗せて、ゆっくりと吐き出す。


 夢の中でシーマは冬優の歌が好きだと言ってくれた。

 彼女は自分の歌が良いものなのか悪いものなのか分からない。

 だが、歌う事がとても好きであった。

 歌っている間は心が軽くなり、気持ちが楽しくなる。自分が歌によって自然の一部になっているようで気持ちが良くなる。

 周りに誰もいないこの池では、一目を気にせずに好きなように歌う事ができた。


 冬優は歌詞のない歌を歌う。

 歌詞のない歌は冬優の心を自由に映した。

 心に沸き上がる声を、彼女は歌で表す。

 今の歌は楽しさで溢れていた。


 瞼の向こうの世界が夕日色の世界に包まれる。

 冬優の歌に呼応するかのようにだんだんとその輝きが増す。

 彼女はそれに答えるかのように歌った。


 塩の香りがした。


 誰かの美しい歌声が冬優の鼓膜を心地好くくすぐる。

 それは澄んだ水のように透明で、聞いていて気持ちよくなった。


 その歌声は冬優の歌声に絡み合って溶け込み、1つの歌のように紡がれる。

 それは会話をしているようでもあった。

 2つの歌声が歌になると相手の感情が手に取るように分かる。

 そして姿が見えなくてもその相手が誰なのかも。


「シーマ、会いたかったよ」


 冬優はそっと瞳を開けた。


 目の前には夢の中で出会った、美しく輝く魚がいた。

 シーマは天女の羽衣のような綺麗で大きな鰭(ひれ)を漂わせ、宙を浮いていた。

 シーマの瞳は相変わらず感情が見えないが、歌を通してシーマも冬優と出会えて嬉しいという気持ちが彼女に伝わっていた。


 もう日が沈み、空は闇に包まれていた。

 シーマの背後にある色は夕日色に輝いている。

 まるで夕日の光がそのまま池に溶け込んでいるようであった。


 池の光に照らされ、辺りが昼の様に見渡せる。

 だからか、黒い影が木の脇で2人の様子をじっと見ている事に今初めて冬優は気がついた。


 その時、影がもうスピードで突進してきた。

 だが、シーマの鰭が冬優を包み、影は弾かれた。


 シーマの鰭が冬優から離れたとき、数メートル先に黒い影が漂っていた。

 厚い唇からはみ出す長くて鋭い牙は、どんなものも噛み付けば引き千切るまで離さないだろう。背や腹、脇や尾から伸びる長い何本もの棘には膜が貼り、鰭のようになっている。

 それは1メートルにも満たないが、決して小さいとはいない、闇を集めて作ったような黒い魚だった。

 それは牙を剥き、2人を威嚇して今にもまた襲い掛かりそうな殺気を漂わせている。


「あれ、倒さなきゃいけないんだよね。そうしないと皆が危ない目に合うんだよね」


 シーマは夢の中のように言葉を使って返事をしない。

 その代わり、シーマのヒレが冬優の頬に触れる。まるで逃げても良いんだよと言っているようであった。


「私がここで逃げたらみんなが困るのなんとなく分かるよ。それに今朝、夢の中でシーマは考えてって言ったよね。でも考えなかったよ。だって、誰かが困るの見たくないし、それにシーマが困っていたら助けたいと思うもん」


 冬優は夢の中でシーマが言っていた考えて決める事はしなかった。

 聞いた瞬間に決めていた。

 未来に何が起こるかは分からないけれど、運命に立ち向かう事は心に決めていた。


 シーマの輝きが増した。同時にシーマの鰭が冬優の全身を包み込む。

 その中で、彼女はシーマの温もりを感じた。

 生まれる前の、母の海の中を思い出す。

 穏やかで暖かく、心が落ち着く。


 鰭が解かれた時、彼女は産まれ変わっていた。


 産まれたばかりの姿で七色に光る羽衣を実に纏い、真珠色に輝く長髪は穏やかな海のように揺らめく。晴れた日の、海の色の瞳はどこまでも透き通り、闇をも見透す力を秘めていた。


 自分の姿に冬優は驚きはしなかった。

 シーマと夢の中にいる時に教えてもらい、産まれ変わった今、これも自分だと思えたからだ。


 闇でできた魚が彼女を消そうと迫る。

 だが、冬優は腕を軽く上げ、影の魚に触れた。 それだけで、それは黒い霧となって跡形も無く消える。


 冬優は何も無い闇の中を見つめた。

 もう光は無い。

 辺りから全ての輝きが消えた。


 運命がゆっくりと回り出す。

 彼女はそれを自覚した。

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