入学式に春風を
柔らかい太陽の光は全てのものを優しく包み、じっとしていれば思わずうとうとと眠ってしまうだろう。
そんな日和に、海沿いの道をゆっくりと艝箱冬優は歩いていた。
冬優の今の服装は、上は紺色のセーターの上からそれよりも同色だが暗い色調をしたブレザー、首元には赤い可愛いリボンをしている。
下は、膝まで長さのあるスカートはブレザーと同じ色の上にチェックの柄が入った制服を着ている。それは左右の下の方で密編みにした髪型と相まって、彼女の真面目な性格を際立たせた。
ローファーは今朝下ろしたばかりでまだ靴擦れができそうなほど硬く、冬優は慣れていないためぎこちなく歩いていた。
学校指定の黒色の鞄は、小学校と中学生では自由だったため、いかにも高校生という感じがして彼女は少し照れる思いだった。
そう、彼女は高校生になるのだ。
今日は入学式。
真新しい制服に身を包み、今までとは違う通学路を通って冬優はこれから通うことになる翔星高校へと向かう。
これからの新しい学校生活に、不安や心配を覚え、冬優は少し緊張した面持ちである。
勉強についていけるのか、授業はどのようなものがあるのか、担任の先生は良い人なのか、そして、新しい同級生と仲良くできるのか。
考えれば考えるほど気持ちが落ち込む。
そんなネガティブな自分が嫌で、彼女はこれ以上考えないようにするために、海を見た。
冬優が今歩いている道の仕切りを跨ぐとすぐそこに砂浜があり、その向こうには果てしなく続く海が蒼く輝いていた。
冬優はとても大きく美しい海を見ていると不安が消え、不思議と安心感で満たされる。まるで信頼できる者が側にいるような、そんな気持ちだ。
ふと、冬優は視線を前に向けた。
数メートル先に彼女と同じ制服に身を包んだ少女おり、思わず足を止める。
理由は同じ学校に通うことになる少女がいたからではない。別にあった。
鞄を持っていない方の手には白い包帯が巻かれ、スカートの下から伸びる足にも包帯が巻かれていた。
顔に掛かった髪が潮風に揺れ、隙間から顔の右半分を覆う黒くて大きな眼帯が見えた。それは白くて綺麗な肌を持つ少女には対極の存在だったが、それが逆にアクセントになり彼女の美しさを際立たせた。
同じ女の冬優をも見惚れさせる美しさを目の前の少女は有していた。
少女は事故にでもあったのだろうか。
冬優は体に巻かれている包帯の多さに驚いたが、すぐに別の事が気になった。
少女は海の方をまっすぐに見つめている少女の瞳。
それはどこか睨んでいるようにも冬優には思えた。
冬優は彼女の視線の先に何があるのかと思い見てみたが、とても広い海と空を飛んでいる鳥がいるだけである。
少女はもしかしたらそのどちらかを見ているのかと思ったが、すぐにその考えを冬優は否定した。否定はしたものの、冬優には彼女が何を見ているのか全く分からないが、彼女が自分には見えない何かを見ているようだった。
不意に少女がこちらを向き、冬優と目が合った。
少女の黒く深い瞳に見詰められ、冬優は思わず緊張する。
少女はしばらく冬優を見た後、何事もなかったかのように歩き出した。
冬優はしばらくぼーっとしていたが、学校からチャイムが鳴ったため慌てて走り出した。
+‰+‰+‰+‰+
入学式真っ只中の体育館の中はとても寂しい状態だった。
人が来ていないという訳ではなく、元々人がいないのだ。
今年、この翔星高校の新1年生は現在の2年生3年生に比べると生徒数は比較的多い方なのだが、それでも100人に満たない。入学式の為に集まった先生を合わせても、100行くか行かないかだろう。
この高校がある島には子供が少なく、年々過疎化進んでいる。理由は簡単だ。本土の方が利便性に富んでおり、ここに住むよりも不自由をしないから。
そのため、今では昔からこの土地に住んでいる老人かこの場所に何らかの理由で離れる事ができない大人とその子供、あるいは好きで住んでいる者くらいだ。
理由は大なり小なり違いはあるが、若い者の大半はこの島を離れる事を望んでいる。大学に行くためでもあるし、良い会社に就職するためでもあった。
年齢が上の層よりも下の層の方が出ていく割合は大きい。その為出産率も減少し、今では逆ピラミッド状態だ。いつか島から子供がいなくなるのではと危惧する者も出てきていた。
そこで、この問題を解決する為に島の外から子供を呼ぶことにした。
その白羽の矢が立ったのが、年々生徒数が減少傾向にあって廃校を噂させられていた翔星高校だった。
翔星高校に入学すると他の高校よりも利点があるとして、遠く離れた本土から子供を引き寄せようとしたのだ。
その結果、年々翔星高校の生徒数は増え、中には卒業しても島に残る者が出てきた。
少しずつではあるが島の人工が増える事は良いことだということで、翔星高校にこの島の出身ではない生徒を増やすことは今後も続けていくらしい。
今年の新入生の中で元々島の出身は10人もいない。そして体育館にいる新入生は、ざっと冬優が見た限りではその何倍もの人数がいる。
これは高校が様々な工夫をした成果だろう。
もう翔星高校に廃校という結末はほぼあり得ないことになりつつあった。
冬優は辺りを見回していた。
体育館の前の方で先生が話をしていたが、自分がまったく知らない生徒ばかりで緊張しているため悪い事とは思ってはいても辺りをキョロキョロと見てしまう。
他の生徒も先生の話を聞いている者は少なく、隣の人と話していたり寝ていたり、中にはゲームをしている者もいた。そして校則というものがないせいか髪の毛を染めている者、ピヤスを付けている者、髪が床に届きそうなほど長い者がいた。
この学校に人が集まりだしたのも、自由な格好ができるからなのかもしれない。
その中には冬優が今朝見た包帯を巻いた少女の姿もあった。
元々人が苦手な冬優は、人が多い場所ではおどおどとしてしまう。
周りに座っている生徒の殆どを彼女は知らない。そんな中でパイプ椅子に座る彼女は1人孤独なような気がして、怖かった。
次第に周りの視線が気になり、彼女は身動きが取れなくなって全身が強張っていくのを感じた。
その時、1人の女性教師と目が合った。
腰下まであるであろう髪を頭の後ろでお団子状にした髪型をしている。 容姿はとても美しかった。
深い、全てを見透かすかのような瞳が真っ直ぐに冬優を見つめる。そして、柔らかく目を細めた。
まるで、緊張しなくても大丈夫だよと、優しく言っているようだった。
冬優は彼女のお陰で、自分の緊張がゆっくりと解けていくのを感じた。
司会進行役の教師が、次は校長先生の話と言ったとき、今まで冬優を見つめていた女性教師が立ち上がり、ステージの上まで歩いて行った。
その姿はとても美しく気品があり、まるで彼女には重力というものがないのではないかというほど軽やかだった。ヒールを履いているはずなのだが、足音さえしない。
冬優は彼女が校長先生だという事に驚いた。
彼女は多く見積もっても、年は20代前半にしか見えない。
校長先生には女性もなれるのだろうが、それは全て初老の者がなるものだと冬優は思っていた。若くてもなれるのだと、この時初めて知った。
校長先生の話しは形式的なものであった。
始めに挨拶から始まり、高校生とはなんなのかや高校生活で何が大切で何をしなくてはいけないのかなど、つまらないものであった。
冬優の隣に座っていた男子生徒も眠そうに大きな欠伸をしている。他にも、真面目に聞かないで隣の人と話していたり、中には隠れて本を読んだりゲームをしている者もいた。
だが、内容はつまらないが、校長先生の声はとても美しかった。
小鳥の囀りのように可愛らしく、小川のせせらぎのように心地好い、聞いているだけで心に染み込むような透き通った声である。
隣にいた男子生徒も今では眠そうにしてはいなく、真っ直ぐに校長先生を見て真剣に話を聞いていた。他の生徒も同じように彼女の話しに耳を傾けている。
校長先生は話し終わると満足そうにステージを下りた。
冬優は少し頭がぼうっとしていた。彼女が話した高校生が守らなければならない規則が頭を巡り、これらのことは全て必ず守らなければならない気がした。
まるで魔法に掛かったようである。
その時だ。
冬優の後ろの方から大きなバンッという乱暴な音が聞こえた。
目が覚めたようにはっとして後ろを振り向くと体育館の扉が開いており、そこには苦しそうに肩を上下させて息をする少年が立っていた。
翔星高校の制服の紺色のブレザーを着ている為、ここの生徒なのだとすぐに分かった。頭には黒い帽子を目深に被っており、その下から覗くのは雪のように白い髪だった。
校則のないこの学校では髪を白に染めていようが帽子を被っていようが問題にはならないのだろう。
「新学期そうそう、遅刻してすいませんでした!」
彼はそう体育館中に響く声で叫ぶと、深々と頭を下げた。
周りにいる生徒からクスクスという笑い声が漏れる。
先生達を見ると、眉間にシワを寄せる者や大ききな溜め息を漏らす者など不愉快極まりないといった感情を表に出す者が多かった。
ただ1人だけ、悪戯がばれた少女のように可愛らしく舌を出して、隣の白衣の男性教師に笑って見せたのは校長先生だ。
少年が開けた扉から柔らかな暖かい風が流れてきて、冬優の髪をそっと揺らした。
冬優はシーマが言っていた運命の断片を垣間見ていたと、心の角で微かに感じていた。