第16章 結月の救済 ― 「あなたのせいじゃない」と伝えるために ―
リンクル社内の小会議室。
芦野結月は椅子に座ったまま、両手をぎゅっと握りしめていた。
目は赤く、呼吸は浅く、肩は細かく震えている。
彼女の周囲には、
柊、凪、環、そして蒼真が静かに立っていた。
だが、誰も急かさない。
誰も責めない。
ただ、結月の心が“話せる準備を整えるまで”待っているだけだった。
その空気に、結月は余計に胸が苦しくなった。
(……どうして……
どうして責めないで、そんな顔で……
わたし……自分でも……何を信じていいのか……わからないのに……)
涙がこぼれそうで、彼女はうつむいた。
◇◇◇
柊が、低く落ちついた声で口を開いた。
「芦野結月さん。
まず……ひとつだけ言います。」
結月の肩が小さく動いた。
「あなたは、何も悪くありません。」
その言葉に、結月の呼吸が止まった。
(……悪くない……?
わたしが……?)
柊は続ける。
「あなたが経験したことは“事件に巻き込まれた”というだけです。
関わったのは事実でも、罪を背負う必要はない。」
凪がやわらかい声を添える。
「むしろ……あなたは“被害者”なんです。
勝手に名前を使われて、勝手に犯人にされたんです。」
結月の唇が震える。
「……でも……
わたし……サイン……しちゃって……
ちゃんと読まずに……
宮野さんの言うこと、信じて……
だから……」
環がそっと結月の前に膝をついた。
その動作はとても静かで、ゆっくりで、優しかった。
「結月さん……
信じたことは、悪いことじゃありません。」
結月の目が揺れる。
「……でも……」
環は、両手を胸の前でそっと合わせながら続けた。
「誰かを信じるって……
勇気がいることです。
それは“美しいこと”であって……
決して責められるべきことではありません。」
その声は、結月の心の深いところに静かに届いた。
(……信じたことが……悪くない……?
わたし……ずっと……
“信じた自分がバカなんだ”って思って……
胸が苦しくて……
消えたいって……思うくらい……)
結月の肩が震え、涙が落ちた。
◇◇◇
蒼真が、穏やかな声で言った。
「あなたがサインした書類は、
“詐欺的手口”によるものです。
責任を問われることはありません。」
柊もうなずく。
「むしろ、あなたの証言があれば……
本当の犯行が明確になる。」
凪が優しい笑顔で言った。
「だから……助けてほしいんです。
あなたにしか分からない“あの時”のことを。」
結月の呼吸が乱れ、胸に手を押し当てた。
「……わたし……
わたしなんかが……
助けられること……あるんですか……?」
環は首を振った。
「“わたしなんか”ではありません。
あなたは……大切なひとりです。
芦野結月さんがいなかったら、
この事件の真実には、たどり着けなかった。」
結月は涙を拭い、
震える声で言った。
「……わたし……
助けになれますか……?」
環はそっと微笑んだ。
「はい。
一緒に……真実を、取り戻しましょう。」
結月の胸の奥に、小さくあたたかい火がともった。
(……あたたかい……
ぽかぽかって……こういう……)
柊が最後に静かに告げる。
「あなたのせいじゃない。
その事実だけは……絶対に変わりません。」
その言葉に、結月は深くうなずいた。
涙は止まらなかったが——
その涙は、少しだけ軽くて、温かかった。
◇◇◇
結月の救済は、まだ始まったばかり。
でも、確かに“第一歩”は踏み出された。




