第13章 静かな崩落 ― 波多野、限界点へ ―
午後4時前。
リンクルのネットワークは“遮断直前”の不安定な状態へと突入していた。
社内にはまだ誰も気づいていない。
だが——ただ1人、当事者だけが自分の“限界”を理解していた。
波多野樹。
彼の胸の奥では、
《自信 → 焦り → 恐怖》
という感情の連鎖が、もう止められなくなっていた。
◇◇◇
波多野のデスク——静かすぎる空間
(……ダメだ。
このままじゃ……やられる。
やられる前に……“全てを消さないと”……)
波多野は震える指でマウスを握った。
これまでなら余裕で処理できたはずの操作が、
今日は、なぜか“重く”“遅く”“霞んで”見える。
(……おかしい……何か……つつかれてる……?)
PCの画面が、一瞬だけ“チカッ”と揺れた。
その揺らぎは——
蒼真が遠隔で行った“軽いパルス”だった。
だが波多野は知らない。
(……誰かが……追ってきてる……?)
自分が仕掛けた罠より、
もっと静かで正確な“別の視線”が迫っていることを。
波多野の呼吸は浅く、速くなる。
◇◇◇
[アークシステムズ仮設作業室]
柊が腕を組み、蒼真の画面を見つめる。
「……どうだ?」
蒼真は冷静な声で答える。
「反応してます。
波多野さん……かなり焦っている。」
凪が端末を操作しながら言う。
「ここの処理、見てください。
経理データのフォルダ……“削除コマンドの準備”始めました。」
環は息をのむ。
「……消そうとしているんですか……?」
蒼真は淡々と言う。
「はい。
揺らいだ犯人は“証拠を消そうとする”。
でもこの段階でそれをやれば……逆に証拠になります。」
柊は短く頷く。
「追い詰める必要はない……自分で壊れる。」
凪が苦い顔で続ける。
「宮野さんを利用した挙げ句、結月さんに罪を押しつけて……
最後は自分だけ逃げようとする、ってことですね。」
環は静かに胸の前で両手を握りしめる。
(……こんな事件……誰も救われない……
でも……結月さんだけは……助けたい……)
◇◇◇
[リンクル社内・給湯室前]
そのとき。
宮野由維は、給湯室からペットボトルの水を手に出てきた。
ふと——
ガラス越しに、波多野が“必死にキーボードを叩く姿”が見える。
(……あれは……
“わたしのコード”を……消してる……?)
胸が冷たくなる。
(……違う……
あれは……わたしが書いたコードじゃ……ない……!)
初めて気づく“違和感”。
初めて知る“裏切り”。
初めて感じる“恐怖”。
(……わたし……利用された……?)
水のペットボトルが、手の中でぐしゃりと音を立てた。
◇◇◇
[波多野のPC]
波多野のPCに、突然、黒いウィンドウが現れた。
【アクセス権限が制限されています】
「……っ!?」
波多野は思わず椅子から立ち上がった。
「な……なんだ……!?
誰だ!?
何を……して……!」
そのとき。
画面の端に、小さく“青い波形”が一瞬だけ走った。
Blue_echo のサイン。
「……Blue……?
嘘だろ……!?」
目に見えない“天才”の影が迫っている。
波多野の膝が震えた。
◇◇◇
[アークシステムズ仮設室]
凪が声を上げる。
「柊先輩……入りました!
蒼真(蒼真)さん、波多野の操作、一部止めました!」
蒼真は淡々とキーを叩きながら言う。
「はい。
これでもう、証拠は消せません。
……あとは——」
柊が静かに締めた。
「止めを刺すだけだな。」
環は膝の上で手を握る。
(……波多野さん……
あなたは……なにを守りたかったんですか……
なにから……逃げたかったんですか……)
だが、もうその答えを聞くことはできない。
波多野の“心の崩落”は、
もう始まってしまっていたのだから。




