第9章 揺れる宮野 ― 自信と不安、そして初めての恐れ ―
翌朝。
リンクルのオフィスは昨日とは違う空気をまとっていた。
人々は普段通り働いている。
ただ、宮野由維の世界だけが“少しずつ軋み始めていた”。
◇◇◇
宮野の席。
キーボードを叩く指が、わずかに震えていた。
しかし彼女自身は、その震えを認めようとしない。
(……大丈夫。
わたしの仕掛けに気づく人間なんて、そういない……)
そう思いたかった。
けれど、昨日の波多野の言葉が頭から離れなかった。
——「今回の“本当の目的”に、君は気づいていない。」
(……どういう意味……?
波多野さん……わたしを利用した……?)
ショートカットキーを叩く指が止まる。
“利用された”
その事実が、宮野にとってなによりも屈辱だった。
自信、プライド、技術への絶対的な信頼。
そのどれもが、ぐらりと揺れつつあった。
◇◇◇
席を立ち給湯室に向かう途中、
アークシステムズの3人がフロアに入ってくるのが目に入った。
凪と柊が前を歩き、環が後ろで資料を抱えている。
宮野の胸が、ひゅっと冷たくなった。
(……あの3人……“本気で調べに来た人間の歩き方”をしている……)
凪の鋭い目つきは、
自分のコードを見破った“あの日の波多野”を思い出させた。
柊の落ち着いた気配は、
何かを悟っているようにさえ見えた。
環は、宮野と視線が合いかけて——
すぐにふんわりと目をそらし、ほんの少しだけ頭を下げた。
(……あの人……怒っていない……?
わたしを疑っているわけでも……ない?)
胸の奥が、チクリと痛んだ。
◇◇◇
そのとき。
背後から静かな声がした。
「おはようございます、宮野さん。」
宮野は振り返る。
凪陽翔が立っていた。
その声には非難も冷たさもなく、
ただ淡々とした“現場のエンジニア”の空気感だけがあった。
「すみません。こちらの端末、
昨日の作業ログを再度確認させていただけますか?」
“仕事としての確認”。
責めるでもなく静かに淡々と。
その、まっすぐな眼差しが
宮野の胸の奥を強くかき乱した。
「……どうぞ。」
そう答える声は、ほんの少しだけ震えていた。
凪は一礼し、すぐに端末へ向かう。
宮野はその背中を見つめながら思う。
(……なんで……
なんで“何も知らない”目をしていられるの……)
自分は“JOKER”を仕掛けたはずだった。
誰も見破れないと思っていた。
技術で自分が上に立てると思っていた。
でも——
(もしかして……
わたしより先に、“真相”を見ている……?)
初めて宮野の中に
“恐れ”という感情が生まれた。
◇◇◇
そのころ、作業室では。
凪が柊に静かに報告する。
「……宮野さん、揺れてますね。」
柊はモニターを閉じ、短く答える。
「ああ。
焦りが出ている。
犯人の行動としては……典型的だ。」
環がメモを抱えながら、
不安げに2人を見た。
「……宮野さん……大丈夫でしょうか。
何か……追い詰められているように見えました……。」
柊は環の頭にそっと手を置く。
「環。
俺たちの目的は、誰かを追い詰めることじゃない。
“真実”を見つけるだけだ。」
凪も続ける。
「そうですよ。
環さん。大丈夫です。
宮野さんの“本当の位置”は、もうすぐ見えます。」
環はゆっくり頷いた。
(……どうか……
誰も壊れてしまいませんように……)
その願いだけが、静かに胸の奥に沈んだ。




